私はあなたのニグロではない
映画『私はあなたのニグロではない』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:I Am Not Your Negro 
製作国:アメリカ・フランス・ベルギー・スイス(2016年)
日本公開日:2018年5月12日
監督:ラウル・ペック

あらすじ

黒人公民権運動の活動家であるメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングの3人の軌跡を通して、アフリカ系アメリカ人の苦悩を作家のジェームズ・ボールドウィンが語る。

ネタバレなし感想

「差別」とは何か

昨今、「差別・偏見・ハラスメント」に関する話題が、リアルでもネットでも過熱した議論を生むことが多くなりました。議論は良いことなのですが、その内容が「これは差別だ!」「いや、差別じゃない!」といった表面的な言葉の応酬に終始しているケースが目立つのが気になります。これでは癇癪と憎悪だけが増大するばかりで、“差別のない世界”なんて夢のまた夢です。

そもそも「差別」とは一体何が問題なのか

相手への攻撃を一旦やめて、冷静になって考えてみるのもいいでしょう。

そんな「差別」の問題の本質に迫ったのが、本作『私はあなたのニグロではない』というドキュメンタリーです。本作は2016年に製作されたものですが、あらゆる映画祭などで受賞もしくはノミネートに輝き、批評家に大絶賛で迎えられた一作で、タイトルからわかるようにアメリカにおける「アフリカ系アメリカ人(黒人)」にまつわる人種問題を扱っています(「ニグロ」は黒人に対する蔑称です)。

ただ留意すべきは、本作は別に黒人差別の歴史を懇切丁寧に説明するようなものではないということです。なので「人種問題って聞いたことがない」とか(そんな人いるのか…)、そこまで人種問題に意識を向けていない人が観ると、情報不足に感じるでしょう。その場合は他の作品などで知識を補強してください。

本作の趣旨は、わかりやすい「差別は良くないことです」という教育的な解説ではありません。もっと「差別」とは一体何が問題なのかという根源的な問いかけを提示するものです。なので、人種のみならず、性、宗教、年齢などあらゆる「差別・偏見・ハラスメント」に当てはまるメッセージ性があります

本作は、“ジェイムズ・ボールドウィン”の未完成原稿「Remember This House」を基にしています。“ジェイムズ・ボールドウィン”は、知らないのであればぜひ名前を覚えてほしい人物ですが、1900年代に活躍した黒人作家で、公民権運動家としても有名な「アメリカ黒人文学のレジェンド」です。彼の著書のひとつ「If Beale Street Could Talk」は、2018年に『ムーンライト』の監督であるバリー・ジェンキンスによって映画化されているので、今後も映画好きの人は名前を聞くと思います。

そして、本作のベースとなった原稿は随筆であり、つまり“ジェイムズ・ボールドウィン”が人種問題についてどんなことを考えているかをつらつらと書き綴ったものであり、それを映画化しているので、基本ナレーションがメインです(ナレーション担当は“サミュエル・L・ジャクソン”)。そこに映像を付け加えています。

具体的にどんな中身なのかと言うと、公民権運動の指導者であり、“ジェイムズ・ボールドウィン”の友人でもあった「メドガー・エヴァース」「マルコム・X」「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」の3名について語りながら、人種問題を俯瞰して語っています。

先にも言ったように親切に説明するようなドキュメンタリーじゃないので、この3人に関する基礎的な解説はないです。それくらい知ってるよねという前提です。

一応、公式サイトから3人の紹介を簡単に引用しておきます。
メドガー・エヴァース(1925年~63年)
彼の生まれ故郷であり、人種差別の最も激しかったミシシッピ州で活動を続け、身近な存在のリーダーとして親しまれる。1963年白人市民会議のメンバーに暗殺されるが、当時は有罪にならず、正当な判決が下るまで30年かかった。
マルコムX(1925年~65年)
知性的かつ過激な発言で知られたマルコムX。ブラック・ムスリムの最大組織NOI(ネーション・オブ・イスラム)の若きカリスマとして活躍、非暴力を貫くキング牧師を激しく批判し真っ向から対立する。1965年組織内での対立が元で暗殺される。
マーティン・ルーサー・キング・Jr.(1929年~68年)
「非暴力・不服従」を掲げる公民権運動のリーダー。1963年ワシントン大行進での歴史的演説"I Have a Dream"(私には夢がある)は世界中を感動させ、20世紀最高の演説といわれた。64年公民権法が成立、同年にノーベル平和賞を受賞。68年遊説先で白人男性に暗殺される。
彼らを題材にした映画もありますから(『マルコムX』『グローリー 明日への行進』など)、深く知りたい人はそうした素材を活用するのもいいでしょう。

静かに冷静に差別を語る“ジェイムズ・ボールドウィン”の言葉に耳を傾けてみませんか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

人種の壁は確かに存在する

「殺人や不倫は神が赦す。でも人種統合は無理。認められない」

世の中には暴論がいくつも存在しますが、このセリフは冗談でもパフォーマンスでもなく本気で言っている言葉です。そして、発言した当人はそれを暴論だとは1ミリも考えていません。恐ろしいことに、絶対的な真実だと信じています。

特定の人種を差別する人たち(レイシスト)の典型例のような光景が映る本作の序盤。人種差別の問題と言えば、こういう極端な奴らが諸悪の根源であり、彼ら彼女らを糾弾することが大事…そんな風に考えてしまいがち。確かにこれらレイシストは酷い。差別感情を率先して煽っていますし、何よりも目立ちます。

しかし、“ジェイムズ・ボールドウィン”はそんな単純なことを言いたいわけではありませんでした。

それを象徴するシーンが、彼が番組に出演し、ある白人の有識者と対談する場面です。その白人は明らかにリベラル風であり、“自分は中立的な立場にいる”と思っているような振る舞いを見せます。そんな白人がこう言います…「なぜ肌の色にこだわるのですか。肌の色は違っても苦悩は同じであり、みんな障害を乗り越えるものでしょう」。“ジェイムズ・ボールドウィン”はこう返答します…「論点が違います。人種の壁はあるのです。例えば、あなたは日常で殺されるかもしれないと考えたことがありますか?」。

まさしくこれこそ差別の本質でしょう。レイシストが標榜するあからさまな攻撃だけでなく、私たち一般人が無意識に抱く「これは普通に決まっている」という常識的な価値観。実はそれが偏見だったりする。あなたにとって普通でも、“それ”を普通に享受できていない人はいる。それに気づけるかどうか。

だから、「人権」という概念が存在します。人権とは、単に人間であるということに基づく普遍的権利を言いますが、つまり、その普遍的なものを持てない人もいるのです。

“ジェイムズ・ボールドウィン”は、そして他の公民権運動の指導者として活動したメドガー・エヴァース、マルコム・X、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、このことを伝えたいだけなのです。たったこれだけのこと。特別待遇が欲しいわけでもない。ただの人権を求めている。それを妨げるのが差別です。

そうやって考えると「中立」という言葉は危険だなとも思います。良い意味の言葉だと捉えられがちですし、映画鑑賞でもその映画が中立かどうかを気にする人もいますが、実際のところ「中立」というのは「無関心」もしくは「すべてに敵意を向けることもいとわない」状態を示すことが多々ですから。中立はそんな都合のいいものではないんですね。

あらためて“安易に中立を気取らないようにしよう”と心に誓ったのでした。

私はあなたのニグロではない

映画史は差別の歴史でもある

本作がユニークなのが、アメリカ映画史を彩るさまざまな作品を切り口に、その中で描かれてきた「黒人像」がいかに偏見に満ちていたかを語るということです。

その偏見のタイプもいろいろで、例えば「滑稽な道化師役」というのは、ミンストレル・ショーから映画へと舞台を変えてもなおも色濃く残るステレオタイプのひとつ。いまだに黒人が主役で極端に「滑稽な道化師役」風の印象の強い映画があるときが稀にあり、批判を集めていますね。こういう問題を知らないと「黒人を笑いものにすることがよくないのか?」と勘違いされますが、問題はその歴史にある…というのは本作を観た人なら言わずもがなですよね。

こういう映画に無意識的に導入されている人種描写で「偏見」を感じる違和感を抱くことは、アジア人である日本人でも「あるある」だと思います。往年のハリウッド映画が表現してきた日本人描写も酷いものがたくさんありました。なのでこの論点は比較的理解しやすいのではないでしょうか。

ただ、アジア人はアジア人、黒人は黒人の独自の偏見描写があるわけで、自分以外の他者の問題を知るのは素直に勉強になります。

アフリカ系アメリカ人特有で、これは日本人も留意するべきだなと思うのが、“融和”描写です。

『模倣の人生』(1934年)や『手錠のまゝの脱獄』(1958年)が作中で挙げられていましたが、これらの映画は白人と黒人の協調や融和を描いており、一見すると“良い映画”、“教育的に正しい映画”風に見えます。でも、この描写自体が白人側にとって都合のいい表現のされ方にすぎないという視点を“ジェイムズ・ボールドウィン”は強調します。

また、関連していわゆる「white savior」と呼ばれる、苦難にあえぐ非白人を白人が救ってあげるステレオタイプもよく指摘されるところ。これらも「リベラル・中立を気取る人」が無意識的にやってしまいがちな「偏見・差別」だ…というのもこれだけ説明すればわかったはず。

最近は『マッドバウンド 哀しき友情』という作品が、その白人中心的な映画的お約束へのアンチテーゼを見せていたのが印象的です。
『マッドバウンド 哀しき友情』感想(ネタバレ)…2つの家族を隔てる色の壁
今は『ムーンライト』『ゲット・アウト』『ブラック・パンサー』と大ヒット&高評価な映画が生まれ、アフリカ系アメリカ人自身が積極的に映画を使って自分たちの生の感情を伝えることが可能な時代になりました。

この時代を、“ジェイムズ・ボールドウィン”が生きていたら、どう思うのでしょうか。それでも私たちのまだ気づいていない問題を指摘するのかな…。

ちなみに本作のエンドロールでは、ケンドリック・ラマーの「The Blacker The Berry」が流れ、この曲はいろいろ物議を醸した曲です(詳細はネットで調べてください:丸投げ)。この曲をチョイスした意図を汲み取ると、やはり“ジェイムズ・ボールドウィン”の社会に切り込む精神は、ちゃんと若い新たな才能に引き継がれているよっていうことなのでしょうかね。

日本は当事者ではないのか?

黒人人種問題を扱っている作品は日本でも多数公開され、少なくとも話題性を認められている節はありますが、正直、観客のリテラシーは全然追い付いていないなと思うこともしばしばです。

その最たる例がこんな意見。
「とても良い映画でした。ただ、私は当事者ではないので、他人事ではありますが」
あまり他の人の感想に文句を言うのは滅多にしないのですが、でもこと黒人人種問題を扱った映画に対してこういうコメントがあると、「あぁ…遠いなぁ…」と思うわけです。何が遠いって、理想的な差別のない世界が、です。

知っているでしょうか。日本人もかつては白人から「黒人」と呼ばれた時代があったことを。

知っているでしょうか。黒人が差別されていた時代に、経済力を得た日本人は「名誉白人」と呼ばれて特別待遇を満喫していたことを。

知っているでしょうか。現代の日本社会の中でも、人種差別は平然と存在していることを。

無知であれば「リベラル・中立を気取って差別を行う人間」にいとも簡単になってしまいます。自戒の念を忘れないようにしたいものです。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 83%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

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