それしかできないから…Netflix映画『ジェイ・ケリー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
公開:2025年にNetflixで配信(日本では11月21日に一部劇場公開)
監督:ノア・バームバック
恋愛描写
じぇいけりー

『ジェイ・ケリー』物語 簡単紹介
『ジェイ・ケリー』感想(ネタバレなし)
ジョージ・クルーニーならではの映画
「とにかく挑戦したいんです。今年、ブロードウェイの舞台に出演するのが怖かったんです。セリフがたくさんあって、64歳なのでセリフを覚えられるか心配でした。でも怖かったからこそ楽しくてワクワクしたんです。64歳になってこれまで成功してきた職業で同じことを成し遂げられるかどうかわからないのは”nice”ですね」
そう「USA TODAY」のインタビューでベテランながら謙虚に自身のキャリアと能力を見つめていたのは、“ジョージ・クルーニー”です。
1970年代後半からキャリアを始め、これまで多くの映画やドラマに出演し、激動のハリウッドとともに生きてきた“ジョージ・クルーニー”。まだまだ俳優を引退するつもりはないようで、これからも演技をみせてくれるとのこと。
そんな“ジョージ・クルーニー”が2025年に主演した映画は、まるで彼のキャリアを総括するような空気感のある作品です。
それが本作『ジェイ・ケリー』。
本作は、ひとりのベテラン・スターな白人俳優を主人公にしており、他からみれば完璧なキャリアを手にして頂点に上り詰めたその主人公が、自身のこれまでの人生を振り返り、どこか引っかかりを抱えている内心の迷いと向き合う…典型的な俳優人生映画です。
この手の俳優人生映画は、演じている俳優と重なっていく演出があるのが定番なのですが、『ジェイ・ケリー』は完全にフィクションながら、“ジョージ・クルーニー”を念頭において脚本が企画されたそうです。確かに観ると「これはジョージ・クルーニーが誰よりもぴったりだな」と納得できます。
この『ジェイ・ケリー』を監督したのは、“ノア・バームバック”。この手の業界批評的な作品は得意分野ですね。いつもプライベートでもクリエイティブでもパートナーである“グレタ・ガーウィグ”と組んでいることが多いですが、今作は“エミリー・モーティマー”が共同脚本に名を連ねています。
近年の“ノア・バームバック”監督作品は、『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』(2017年)、『マリッジ・ストーリー』(2019年)、『ホワイト・ノイズ』(2022年)と「Netflix(ネットフリックス)」独占配信が続いていて、今作『ジェイ・ケリー』もそうです(ただし、一部で限定劇場公開はされました)。
主演の“ジョージ・クルーニー”と肩を並べるのは、『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル2』の“アダム・サンドラー”、『ロンリー・プラネット』の“ローラ・ダーン”、『バーナデット ママは行方不明』の“ビリー・クラダップ”、『死霊館 最後の儀式』の“パトリック・ウィルソン”など。
だいたい60歳前後の俳優が揃ってますね。この中だと最近は“アダム・サンドラー”の急激なキャリア再注目が印象深いですが、今作でも良い演技を披露しています。
若手の出演者だと、“ライリー・キーオ”、“グレース・エドワーズ”、“サディア・グレアム”など。
でもやっぱり“ジョージ・クルーニー”を堪能する映画ですね。昔からの“ジョージ・クルーニー”好きな人はラストは目から涙かもしれません。
『ジェイ・ケリー』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2025年12月5日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 大人向けのドラマです。 |
『ジェイ・ケリー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
とある映画の撮影スタジオの現場。薄暗い中で多くのスタッフがせわしなく働いています。その中心にいるのは有名な大物俳優のジェイ・ケリー。ベテランであり、もうこの業界は慣れたもの。カメラが回れば、一瞬で演技に没頭し、感情が乗ったセリフを口にします。
「カット」の言葉がかかりますが、ジェイは何かまだ良い演技ができると考えているようです。しかし、傍に来た監督に静かに諭され、ジェイは反論もせずに納得。撮影終了となり、みんなでお祝いしながら、そそくさと場の片づけが進みます。
撮影セットを後にするジェイは次から次へと言葉をかけられつつ、トレーラーハウスで今後のスケジュールを告げられます。もう数週間もすれば次の作品の撮影が待っています。そのうえ功労賞の授賞式も控えています。
その前にジェイはやりたいことがありました。それは末娘デイジーについてでした。そのデイジーが大学に進学する前になんとか静かな2人だけの時間を作りたかったのです。けれどもデイジーはディナーの約束も忘れており、友人に会いに行ってしまいます。今度の土曜日にヨーロッパに行くらしいと聞いて焦るジェイ。2週間は一緒にいられると思ったのに…。
ジェイもついていくと言い出しますが、有名人がいれば騒ぎになるだけ。無理な話でした。実は長女のジェシカは完全に疎遠になってしまっており、デイジーまで離れてしまうのではと心配です。
そんなとき、長年支えてくれているマネージャーのロンから、かつてまだ若きジェイにキャリアのチャンスを与えてくれた監督のピーター・シュナイダーが亡くなったという知らせを聞きます。突然の悲報で困惑。頭の中にはある気がかりが浮かびます。
数ヶ月前、高齢となってキャリアが下り坂だったシュナイダーと家でゆっくり会話する時間がありました。近況をリラックスして語り合いつつも、シュナイダーは資金調達のためにジェイに新作映画に名前を載せたいと依頼してきます。けれども忙しすぎるのでジェイはその場で断ったのでした。シュナイダーは少し悲しそうな顔を浮かべていました。
シュナイダーの葬儀が行われ、ジェイも出席します。静かな葬儀でした。
その後、建物の外でジェイは、若き頃に演劇学校のルームメイトで今は俳優業を諦めて児童心理学者になっているティム(ティモシー)にばったり出会います。何か話したそうだったので、バーで2人きりで落ち合うことにします。
そこで昔話に花を咲かせますが、ふとティムがかつての恨みをぶつけるように自暴自棄な言動を見せ始め…。

ここから『ジェイ・ケリー』のネタバレありの感想本文です。
ジョージ・クルーニーはこんな奴ではないけど
『ジェイ・ケリー』の主人公であるタイトルそのものになっているジェイ・ケリーは、完全な架空の人物ですが、“ノア・バームバック”監督が意図したように“ジョージ・クルーニー”がかなり投射されています。
もちろん全然違うところもあって、とくに今作のジェイはあくまで俳優人生だけで展開する単純な人物像の見せ方になっている点ですね。これはそのほうが物語の焦点を定めやすいからなのだと思いますが…。
“ジョージ・クルーニー”自身は俳優業一筋ではありません。政治や社会活動にも非常に熱心な人柄で知られています。それは、母親が市議会議員で、父親がニュースキャスターであったという、家族の影響も大いにあったのでしょう(叔母など親族のほうがエンタメ業界に通じている)。今でも“ジョージ・クルーニー”は政治的発言にも遠慮はありません(“ジョー・バイデン”に大統領選挙から撤退しろと助言したり)。もはやそこらへんの平凡な政治家よりもアメリカにおける政治的影響力がある人です。今の妻“アマル・クルーニー”はレバノン移民で国際人権弁護士。この家族の結集力が“ジョージ・クルーニー”を支えていると言っても過言ではないでしょう。
その点、『ジェイ・ケリー』の主人公は、俳優としての充実した名声はあれど、家族面は極めて孤立気味に描かれています。
長女のジェシカと疎遠になってしまうほど関係構築に失敗した過去があり、そのため今まさに離れかけている末娘のデイジーに執着し、セレブだからこそできるようなカネと人海戦術による(娘側にしてみれば極めて厄介でうざったい)ほぼストーカー同然のパパになってしまっているし…。
また、長年のマネージャーのロンは一応は友人ということにもなっていますが、でもカネで雇われている関係(雇用主 – 雇用者)であり、それは世間一般の「友情」とはまた違ったものです。
俳優業の方面でも、その名声とは裏腹にあれこれと人間関係を取捨選択して来たことが作中でしだいに明かされていきます。キャリアの恩人の(でも今はすっかり廃れた)名監督とはしれっと縁を切ってしまい、演技を共に学んだルームメイトのティムは過去の出来事ゆえに今なおこちらに憎しみを抱いているほどで…。
ベン・アルコックとの功労賞絡みの一件も面倒くさいです。俳優にとって「功労賞」というのは、それはそれで褒め称えられているものなのは間違いないのですけど、一方で「あなたはもうキャリアのピークをすぎてもう終わり間際です。ご苦労様です」という送別会の記念品みたいなものでもあるので、受け取る側にしてみれば気持ちは複雑。「まだ俳優やるよ?」と考えている当人にとっては欲しくないかもしれません。
本作のジェイは、オブラートに包んだとしてもその素性を知っている人には「嫌な奴」に映るもので、そんなこんなでこの映画においてもずっと彼の自己中心的な言動が続くことになります。
私なんかは周囲の下っ端の人に同情してしまうので、こんな男に仕えたくないと考えてしまいますけど、それでもこんな男を支える仕事を選ぶ人はこの業界がよほど好きか、自分もいつかは有名人になりたいと考えているか、単におこぼれを頂戴したいだけか、まあ、そんなところなのかもしれませんね。
現実でも演技するしかできない
『ジェイ・ケリー』では主人公は、結局のところ、カメラの外でも「“自分”=“ジェイ・ケリー”という役を演じ続けている」…そんな皮肉っぽい風刺で映し出されます。
それはラストの第4の壁を突破してこちらに「やり直せるかな」とカメラ目線で語りかけてくる演出で明白です。ただし、「納得いかなければもう一度演技する」という俳優ならば普通に可能なやりかたは、現実では一切通用しません。
そうやって考えると俳優のノウハウは現実においてあまりにマッチしませんよね。何もかもこのぶっつけ本番一発で最高のパフォーマンスをみせることを要求される現実のほうが、演技の舞台よりもはるかに難易度が高いと言えるような…(その境界をあやふやにする『リハーサル ネイサンのやりすぎ予行演習』みたいな番組もありますが)。
本作の風刺は業界批評に長けた“ノア・バームバック”監督らしく、ときに痛烈で、ときに甘ったるいです。
明らかに暴力事件という痛恨の失態をしでかしたジェイが、列車内で発生した引ったくり犯を全力で追いかけて捕まえる(その後の大絶賛っぷり)シーンのアホらしさとか。それ以前の列車でのセレブ丸出しで大衆の眼差しを楽しんでいる素振りも含め、「この男、なんだかんだで自分大好きなのか…」とこっちも呆れるしかできませんが…。
一転して森の中を彷徨う終盤のシーンは、白いスーツを着用していることもあって、表面上の彼の(白々しいほどの)潔白さがいかに独りよがりで浮き出ているかを絵的に上手く表現していたと思います。
そして授賞式の楽屋での、あのロンとのメイクしてもらい、白髪を少し黒く染め、互いのスーツを直し…の静かな男同士のシーン。私はここが一番好きかな、と。60代前後の男2人がこうやってお互いに優しく触れ合う姿を描くというのがまたいいですね。
全体的にこの映画は自己批判はあるけども感傷的なのでだいぶ甘めな作りです。ラストのこれまでのフィルモグラフィー映像の演出は、ちょっと甘やかしすぎですが、それも意図した演出なのはわかります。まさしくこのためだけに生きてきた男、この世界だけしか知らない男です。もうこれは否定しようがない事実…。
この映画『ジェイ・ケリー』は、こんな仕事しか知らずにそれを愛してしまって自己憐憫と哀愁に浸る…そんな60代前後の者たちが作った映画なのでしょうがないかもしれませんけど。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
ジョージ・クルーニー出演の映画の感想記事です。
・『ウルフズ』
・『ミッドナイト・スカイ』
以上、『ジェイ・ケリー』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Netflix ジェイケリー
Jay Kelly (2025) [Japanese Review] 『ジェイ・ケリー』考察・評価レビュー
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