男らしさという名の仮面
男性であることの辛さと自ら向き合おう…ドキュメンタリー映画『男らしさという名の仮面』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Mask You Live In
製作国:アメリカ(2015年)
日本公開日:2018年にNetflixで配信
監督:ジェニファー・シーベル・ニューサム

男らしさという名の仮面

『男らしさという名の仮面』あらすじ

男性像の固定観念に悩む男たち。それは生まれる前からすでに親や社会によって決定づけられ、少年期には学校で叩き込まれる。いつのまにか仮面を被ることになり、それが自分の顔になってしまう。その有害な男らしさについて専門家の知識のもと、さまざまなデータを提示しながら、少年の健全な成長とこれからの未来に求められる男のロールモデルについて考える。

『男らしさという名の仮面』感想(ネタバレなし)

国際男性デーで考える「男らしさ」

「国際女性デー」は3月8日に設定されています。

「なんだよ、女ばっかりか、男にはないのかよ…」とくだを巻く野郎もいるかもしれませんが、もちろん「国際男性デー」もちゃんとあります。11月19日です。1991年に考案され、翌年から開始されました。

国際男性デーも国際女性デーも根本的には男女平等を目指すという意味では同じ目標をベースにしています。しかし、国際男性デーの主要なテーマは「男性が抱える問題」を解決することです。

このブログでは国際女性デーのときは、『ミス・レプリゼンテーション 女性差別とメディアの責任』『戦時下 女性たちは動いた』といった女性を題材にしたドキュメンタリーを取り上げ、私なりの感想を書きました。両方とも必見のとても優れた、そして知見を深められる作品でした。




なので、今回の国際男性デーでは男性を扱ったドキュメンタリーをピックアップしたいと思います。

そこで選んだのが本作『男らしさという名の仮面』です。原題は「The Mask You Live In」。

このドキュメンタリーは『ミス・レプリゼンテーション 女性差別とメディアの責任』にて、マスメディアやエンターテインメントが女性への偏見や差別を助長してきた事実を詳細に分析してまとめた“ジェニファー・シーベル・ニューサム”が次に監督した一作です。この2作は非常に密接に連動しており、女性と男性で起こっている問題は表裏一体だということがよくわかります。なるべくなら2作合わせて鑑賞したいところです。

『男らしさという名の仮面』はそのタイトルのとおり、「男らしさ(マスキュリニティ)」を主題にしています。世の中には「男らしさ」というものがあり、まるで男らしくなることは男性にとって当然の責務のように扱われがちですが、実際はその不確かな概念が多くの男性に重圧として圧し掛かり、さまざまな問題を引き起こしています。

このドキュメンタリーではその問題性について、多くの専門家の知見を頼りにしつつ、私たちに易しく説明してくれます。同時に当事者である男性たちもたくさん登場し、自分の経験を吐露していきます。中には子どももいて、自分が抱える苦しさを語っていく姿は生々しく心を動揺させます。

題材として資料にしているのはアメリカなのですが、普通に日本にも通じる内容ですので、日本人が観ても自分事として深く考えさせられるでしょう。

とくに当事者である男性にはぜひとも観てほしい作品です。

このドキュメンタリーはこんなドキッとする問いかけが冒頭にあります。

「すべての男に聞きたい。何歳の時に誰に“男になれ”と言われたのか」

あなたはどうでしょうか。「男になれ」と言われたことのない男性はいないかもしれません。「男になれ」と他の男性に言ったことがあるかもしれません。その一言が始まりです。年齢にもよりますが、あなた自身の記憶や体験を呼び覚ましながらこのドキュメンタリーを見ることになるでしょう。それは少し辛い気持ちになることもありますが、でもその感情は恥ずかしいことではありません。

一方で女性には関係のないドキュメンタリーなのかと言うとそんなことはありません。そもそも女性側から見ると普段は男性の本音は見えにくいはずです(男は隠しているので)。男性というのは「男らしさ」の仮面を外すとどんな素顔が見えるのか、それがこのドキュメンタリーを見ると直球で理解できます。別に「男の苦しみを知っておけ」みたいな押しつけではなく、とても身近な問題としてやはり女性も考えてしまうと思います。

メディアの仕事、教育関係の仕事(学校の先生or保育士)、子を持つ親…そんな立場ならもはやマストで観るべき一作であり、子どもとの接し方を根幹から見つめ直すことにも繋がるでしょう。

そんなこんなで必見の『男らしさという名の仮面』なのですが、2020年9月までNetflixで配信されていたのですが、終了してしまったので観られる場所がないかもしれません。劇場未公開作ゆえに取り扱いも乏しいので困ったものです。もし鑑賞できるチャンスがあったら逃さずにチェックです。

オススメ度のチェック
ひとり◎(ジェンダー問わず観る価値あり)
友人◎(素直に議論し合ってみては)
恋人◎(問題意識を確認し合おう)
キッズ◎(子どもと考えるきっかけに)

『男らしさという名の仮面』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『男らしさという名の仮面』感想(ネタバレあり)

男と女に違いなんてほぼないのに…

仮面をかぶっているうちに仮面に合う顔になる

He wears a mask, and his face grows to fit it ...
本作『男らしさという名の仮面』は、こんな言葉の引用から始まり、これがタイトルの由来だとわかります。これはイギリスの作家であるジョージ・オーウェルの言葉。「Shooting an Elephant」というエッセイの中にある言葉からとっているみたいですね。ジョージ・オーウェルと言えば、「動物農場」や「1984年」などディストピア作品で有名です。

今作では仮面といっても男が被る仮面です。

「泣くな」「感情を殺せ」「立ち上がれ」「女々しいぞ」「見下されるな」「クールになれ」「告げ口するな」「女に支配されるな」「女より仲間になれ」「男になれ」

そんな周囲からの言葉の数々によって形成される仮面。元NFL選手ジョー・エアーマンはこう語りかけます。「すべての男に聞きたい。何歳の時に誰に“男になれ”と言われたのか」「最も破滅的な言葉だと私は思う」と…。

この仮面、つまり「男らしさ」とは何なのでしょうか。

政治学者&教育者のキャロライン・ヘルドマン博士は「男らしさは本質ではなく作られたものであり女っぽいものへの拒否反応です」と語り、その有害性を説明します。

そもそも男らしさなどというものは生まれながらに持っていたものではありません。脳科学者のリセ・エリオット博士は「男と女は根本的に違うと(世間では)信じられている」と指摘しつつ、性別(sex)は生物学的なもので染色体の違いであり、ジェンダーは社会的構成概念としての女らしさ男らしさの表現方法で、スペクトラム(幅のこと)があると解説します。「脳は経験によって変化する」とも。

私たちの身近でも男性脳とか女性脳とか、男はこういうもので女はこうです!といったことをさも本質的性質として語られることが多いですが、それはずいぶん強引な偏見ということですね。

心理学者のマイケル・トンプソン博士も「男子も女子も同じ人間。違いよりも似ている点が多い」とあたらめて当たり前のことを強調してくれますし、小児科医のナディーン・バーク・ハリス医師も「脳は使うか使わないかでどこが発達するかは決まる」と後天的な体験の重要性を説きます。

男か女かなんて些細な違いです。ただそれだけのこと。

男らしさは運動・カネ・恋愛で証明する?

なのになぜかいつのまにやら圧し掛かる「男らしさ」。この男らしさはいろいろな要素で説明されます。

男が最初に教わる嘘は運動能力と男らしさの関係だと作中では語られます。実際は的外れで、全然関係ないこと。大きな失敗へと導かれているとも。運動以外をやりたいかもしれないのに…。

次に学ぶ嘘は男らしさと経済力の関係で、まさに『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の世界。権力やカネを基盤にして男らしさを築き上げる競争社会です。心理学者のマデリーン・レヴィン博士は8歳の子どもたちに将来なりたいものを聞くと投資家だと答えるという事実に驚愕させられた経験を話します。

確かにこれはそのとおりだなと思える実態が日本でもあって、小学生くらいの子どもに将来になりたいものを聞くと、「スポーツ選手」といった運動能力の優秀さを示す存在、もしくは「科学者」といったキャリアを示す存在を答える子が多いです。これは本当に純粋にスポーツや科学に憧れを持っているのか、いささか疑問になってきますね。最近は「YouTuber」と答える子が多いのも、それが経済力と直結することをわかっているからなのかもしれません。

また、なにかのニュース番組で小学生の子が父のサポートのもと投資に挑戦している姿が取り上げられていたのを見たことがあります。その父親は「経済を学ぶ機会になるから」とポジティブに受け止めているようで、番組もとくに批判的視点を持っていませんでした。でもこれも結局は「男らしさ」教育のイチ形態なのでしょうね。これがもし女の子だったら、投資をやらせたかは怪しいです。

そしてドキュメンタリーに話を戻すと、3番目に男らしさで恋愛を征服しようとします。「男なら当然、女とヤるだろ?」というあれ。男らしさで恋を進めるっていうのは普通のことに見えますけど、別に男らしさなんてなくても恋はできるのですけどね。男らしさがないと恋愛は達成できないという妄信は根深いです。セックス経験が男の実績になってしまう問題はドキュメンタリー『フリーセックス 真の自由とは?』を参照するといいです。

女らしさを拒絶した結果…

加えて「男らしさ」を象徴するもののひとつが「女性を否定する」ということ。心理学者&教育者のジュディ・チュー博士は「女の子と結びつくものを見下すようになる」と指摘。

面白い研究も提示されます。幼稚園の子どもたちを調査すると、男子の階層が明らかになるのですが、そこではルールが存在し、その1つが「女子と遊ばない」だという分析。ルールを破るともう男子ではいられなくなり、本当は女子との方が仲がいいと思う男の子も周囲には隠している、と。

同世代の女子だけではありません。例えば、母との距離が近い男子は「マザコン」だとバカにされます。これが娘だと素晴らしいことになるのに…です。これは日本でも頻繁に見られる男性への嘲笑いの典型的パターンですね。

この“女を拒絶すること”は、女らしさの拒絶へと繋がり、やがて同性愛嫌悪(ホモフォビア)へと直結します。

心理学者&教育者のテリー・クパース博士は「性差別では女は男より弱いと見なされる」「ゲイの男は弱さと女々しさの象徴のように扱われる」と指摘します。

心理学者&教育者のニオベ・ウェイ博士は、男子の成長過程での変化を語ります。ティーン初期は秘密を話せる友を男子は何よりも重視し、親よりも親友から無条件の愛をもらいます。でも15歳~17歳になると、友達に傷つけられ裏切られることになり、真の友情を探すが見つからず苦悩します。

一方で、女性化された価値を彼らは信頼しないので、共感や感情は女性特有のものだと考える結果、孤独と孤立に落ちることに。

ここで着目すべきは「男子の親密さ」は女性的なので嫌われるということ。そしてこの親密さとゲイの可能性を混同することで、同性愛差別に結びつく。これはなぜゲイが「ホモ」と呼ばれて中傷されるのかの経緯の説明になっています。「homo」の語源とたどると「人間的な親密さ」を意味し、本来は同性愛を意味しません。勝手な勘違いなんですね。

男子たちはストレート(ヘテロセクシュアル)なら親密さは不要だと思っており、男性特有の行動になっていますが、本心では親密さを欲しています

そこでアルコールに頼ることに。これならば親密さを恥ずかしくなく発揮でき、セックスもできます。どうも世間では「セックス=女子が苦手とするもの」というイメージですが、この分析を聞いていると、性行為はある種の究極の親密さを示さないといけないのでむしろ男子の方がハードルは高いのかもしれませんね(でもそれを認めるのはカッコ悪いのでしない)。だからこそ“親密さなしで”セックスという実績を手に入れることができる手段としてレイプに出てしまう男もいるのかな。

この男らしさに背中を押されて自ら孤独に飛び込む状態は、何よりも男自身を苦しめます。思春期の男子は鬱になりやすい一方で、思い浮かぶのは女性の鬱状態(=孤立で静かで無反応)ゆえに、少年の鬱(=攻撃的で汚い言葉を吐く)への理解が進まず、世間のほとんどの人は悪ガキとみるだけだという指摘もありました。

自暴自棄になれば自殺に追い込まれます。少年の方が少女より圧倒的に自殺は多く、それでも心に問題を抱える男性で助けを求めるのは5割以下。4人に1人の男の子が学校でいじめられ、大人に知らせるのはその3割。女子よりも男子の方が学校を辞めることが多い…。

女(っぽいもの)を避ければ避けるほど男が自滅していくことに…。

どこの誰が男らしさをばらまくのか

こんな酷い状態になるのにそれでも「男らしさ」を手放せない。なんかちょっとしたマインドコントロールみたいです。一体どこの誰がこんな男らしさをばらまいているのでしょうか。

社会学者&教育者のマイケル・キンメル博士は「他の子から弱虫に見られるという考え方は幼少期から始まっている」と指摘。すでにこんなに幼い時点で男らしさは蔓延っていました

生まれる前から男女を親は意識し、生まれた後もあらゆるものがまだ無邪気にジェンダーを意識していない男児に男らしさと女らしさを意識するように仕掛けてきます。

その男らしさを蔓延させる旗頭になっているのが、テレビ・映画・ゲーム・ポルノなどのメディアです。映画では、スーパーヒーローであろうと悪役であろうと「ハイパー・マスキュリン」のような存在ばかり。一方で成長していない子どもっぽい男も登場し、そんな男たちは女を求めて危険なことをするだけで、その無茶ぶりを観客は「なるかもしれない自分」として笑います。映画好きの私としてもこの部分は強く自省しなくてはいけないところです。

ヒップホップやラップ文化も同じだと語られ、また暴力的なゲームはみんな同じようなキャラクター性の男だけで、ゲームに逃げ込んで刺激で中毒にさせるとも。暴力的な映像は少年を痛みに鈍くし、攻撃的になるという研究事例も取り上げられていました。

そしてポルノです。今の時代ではいきなりポルノに触れることができ、しかも簡単な検索ワードで瞬間的にです。でもそのポルノの話を男子たちは積極的にはしません。ポルノを見ているのに…。性は恥ずかしいという文化と性教育の自制のせいでポルノが性教育になっている現状があり、それが「男はこう振る舞うべきだ」という規範になってしまう顛末。

その最悪の結果、起きるのが性犯罪です。ポルノは性的欲求を満たすためというものの、セックスと暴力性を不必要に関連付けるコンテンツばかり。ポルノを見て性的攻撃性を増す人が22%増加、女性のレイプ願望を信じる人が31%増加するとのレポートも。女性の体はモノであると認識することは当然になっていきます。9秒に1人の女性が殴られるか暴行を受けており、男子大学生の35%がレイプの可能性を示唆し、5人に1人の女子大生が性的暴行または暴行未遂の被害者。男性特有の沈黙の規則が性犯罪を隠蔽します。

無期刑囚プログラムで、ある殺人犯男性が、性的被害を受けた経験を吐露する場面があります。6人に1人の少年が性的虐待を受けている現状で、彼が男らしさのせいで人生を滅茶苦茶にされたこと、それが他人の命を奪う結果になったこと。単純に加害者・被害者で片づけられない問題にまで発展します。

「犯罪者は突然生まれない、我々にはレイプの文化がある」との言葉は重いです。こういうふうに育てたのは私たち大人だ、と。

メディアだけが悪いわけではないです。学校もです。「学校は男らしさを見せる訓練所だった」とティーンは振り返ります。自分らしさを捻じ曲げてまで男らしくあれという流れに乗ろうとするティーンの男子たちで溢れかえっています。

父親という存在もひとたび間違えれば、男子たちに男らしさを押し付ける最も身近な存在になってしまいます。

男が満たされる世界は男女平等の中にある

以上、男子たちには暗い話題ばかりでしたが、本作は希望も見せてくれます。

男を男らしさから救うのは誰なのか。よくそれさえも「女の責任」にしたがる男もいますが、その思考自体が「男らしさ」の呪縛に憑りつかれていますね。

作中ではその役目を背負うのは、父親、教師、もしくはコーチのような第3者などが一例として取り上げられています。ある刑務所でのプログラムでは、男の役割に対する考えの再構築も含んだ講義(セラピー)も行われていました。専門家の役割も非常に大切です。

そうやって救われていった男性たちを見ると、これまでにない輝きを持っているように見えます。それは今まで男ならこうあるべきという憧れの姿とは違うものですが、でも確かに生き生きとしていました。

よく「男性が辛いか、女性が辛いか」を二者択一で論じることもありますが、そういういかにもバイナリー規範が滲み出る議論からは脱するべきでしょう。男性は女性差別をした加害者的側面を自覚しながら、自分自身の男らしさの苦しみから抜け出すことができると思います。

「男」の枠に縛られていたことを自覚し、自分が大きくなったように感じて満たされた気持ちになると発言したあの作中の男性のような人が増えれば、今の世界はもっと平和になる。男性にとっても女性にとってもその他のジェンダーにとっても…。

こういうドキュメンタリーのようなメディアが満ち溢れていればいいのですけどね…。

『男らしさという名の仮面』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 60% Audience 74%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C) Jennifer Siebel Newsom

以上、『男らしさという名の仮面』の感想でした。