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『判決、ふたつの希望』感想(ネタバレ)…解説;映画で学ぶ「レバノン」

判決、ふたつの希望

レバノンを知ることができる…映画『判決、ふたつの希望』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:L’insulte(The Insult)
製作国:レバノン・フランス(2017年)
日本公開日:2018年8月31日
監督:ジアド・ドゥエイリ

判決、ふたつの希望

はんけつふたつのきぼう
判決、ふたつの希望

『判決、ふたつの希望』あらすじ

レバノンの首都ベイルート。その一角で住宅の補修作業を行っていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、キリスト教徒のレバノン人男性トニーが、アパートのバルコニーからの水漏れをめぐって諍いを起こす。このときヤーセルがふと漏らした悪態はトニーの猛烈な怒りを買い、ヤーセルもまたトニーのタブーに触れるある一言に尊厳を深く傷つけられ、二人の対立は法廷へ持ち込まれる。

『判決、ふたつの希望』感想(ネタバレなし)

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冷静に相手を学ぼう

大人になってガチで喧嘩したことはありますか?

会社の同僚や上司、友人、夫婦、恋人、兄弟姉妹、他人…相手はいろいろ。でもなかなか「喧嘩したこと」を人前でベラベラしゃべる人はいないかもしれません。それは「喧嘩をすることは大人気ない」と内心では思っているからなのか、それとも後で冷静になってみるとなんであんなことで喧嘩したのかと恥ずかしくなってくるからなのか。当事者にとって喧嘩は思っている以上に複雑な気持ちにさせますよね。

一方、その喧嘩の当事者ではない、周囲にいる傍観者は気ままなものです。「あの人たち、こんな喧嘩をしてみっともない…」と呆れる人もいれば、「お、なんか盛り上がっているな、見物していくか」と見世物気分で楽しむ人もいるし、「ほら、もっとやれ、これも使えよ!」と火に油を注ぐ人もいるし、「よし、私も参戦させろ!」と加勢に入ってくる人もいます。

こうなってくると喧嘩の当事者にしてみれば、そもそも自分たちがなぜ争っているのかさえあやふやになってしまい、解決の着地点さえ混迷してしまうことも多々あります。

インターネットでの炎上問題も、学校でのイジメ問題も、政治家の不祥事問題も、人種やジェンダーやセクシュアリティをめぐる問題も、常にこういう“過剰化”のリスクを背負っており、そしてたいていの場合はこの“過剰化”が起こってしまいます。

本作『判決、ふたつの希望』はまさにその問題をテーマに、一種のカリカチュアで寓話化したような作品です。

ヴェネツィア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したり、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたりした、非常に評価の高いレバノン映画。

本作でも二人の男の喧嘩が全ての始まりです。事の発端は家のバルコニーに設置されている水が流れる「樋(とい)」。そんな些細なことなのに、いつのまにやらそれは世論を巻き込んで、国家を揺るがす大きな対立に発展し…というのがザックリしたあらすじ。

本作はレバノンにおける社会問題や歴史問題が背景に存在しています。なのでそれらに関して知識の乏しいと自覚する人にしてみれば「難しそう…」と思うかもしれません。でもそれ自体はミスリードというか、前述したとおり過剰化した結果の話なんですね。結局は「樋」をめぐるちょっとしたボタンの掛け違いです。だから本作は厳密には社会派映画ではなく、あえていうなら“社会派風になってしまった映画”…そんなところでしょうか。

つまり、本作の狙いは、社会派映画から“社会問題”を引き算して除去することでシンプルな本質を見つける…そう表現もできるでしょう。

そのためにも“社会問題”を知ることは大切です。本作は私たちに“過剰化”に対抗する唯一の手段は「冷静に学び合うこと」なんだということを教えてくれているようにも思えます。

本作でいえば、『判決、ふたつの希望』はレバノンを知るきっかけを与えてくれます。私も本作の鑑賞を契機にレバノンについて調べて知識を得ることができました。それは専門家といえるレベルには程遠いですが、大事なのは学ぼうとしたことなのではないでしょうか。

もしあなたが本作で描かれるレバノンで起こる諸問題について知識や情報を深めたくて、この記事を読んでいるなら、それは作品のメッセージを確かに受け取っている証拠なのだと思います。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(じっくり考えて鑑賞しよう)
友人 ◯(深い議論ができる)
恋人 ◯(相手を知るきっかけに)
キッズ △(子どもには少しシリアス過ぎか)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『判決、ふたつの希望』感想(ネタバレあり)

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「レバノン」ってどんな国?

まず多くの日本人にとってニュースで聞いたことはあるけど、馴染みのない国「レバノン」。この国について知らないと話になりません。

レバノンは国土の面積が岐阜県ぐらいしかない小さな国なのですが、その歴史は岐阜県とは比べ物にならないほど(いや岐阜県に失礼です)複雑に入り組んでいます。

その理由はなによりもレバノンの地理的な位置です。地中海に面する中東にポツンとあるのが、地図を見れば一目瞭然ですが、ちょうど中東の真ん中端にあり、しかもヨーロッパ、アフリカ、西アジアに囲まれています。つまり、一番争いごとに巻き込まれやすいそんな席に座らされている、なんとも損な国ともいえます。

ゆえに紛争の渦中にいることが歴史的に多いのでした。

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レバノンの宗教とは?

レバノンの立ち位置を複雑なものにしているのは、地理的な要因だけではありません。

レバノンには実にたくさんの宗派が存在しています。キリスト教ならマロン派、正教会、プロテスタント、ローマ・カトリック。イスラム教ならスンナ派、シーア派、アラウィー派、ドゥルーズ派。

もともとレバノンのあった地域はいろいろな宗派の人たちの一時避難場所みたいなところで、なんとなくな共同体しか存在していませんでした。ところが、この地域はフランスに占領され、委任統治されます。このとき、初めて「レバノン」という国ができました。要するにはここで暮らす人の意志で作られた国ではないんですね。

当然、フランスという外圧によって強引にまとめあげられた国なので、国民たちには統一的な仲間意識のようなものは極めて希薄です。そんな状態で第二次世界大戦中のフランスが混乱する中、レバノンは独立します。1941年のことです。

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「レバノン内戦」って何?

独立したといっても、先にも書いたように、いろいろな宗派の寄せ集めみたいな地域を無理やり国にしただけですから、まとまりがありません。首都ベイルートを除くと、宗派で分離してしまっている状況でした。当然、国として内部を管理したり、外圧から保護するような力は乏しい状態です。

そんなグラグラなレバノンに衝撃を与えたのが、1970年に発生したPFLP旅客機同時ハイジャック事件をきっかけに起きたヨルダンによるパレスチナ解放機構(PLO)追放(黒い九月事件)。これにより多数のパレスチナ難民がレバノン国内にドッと流入。ただでさえ不安定だった宗派のバランスがこれで完全に崩壊。そして、1975年から1990年に激しい内戦が勃発します。

難民が原因で内戦が起こったというのは、今のご時世、深く考えさせられますよね。

レバノン内戦は、周辺各国や先進諸国(米国や欧州、ソ連など)の思惑に振り回され、泥沼化。このそもそもなぜ内戦が始まったのかという理由自体がうやむやになった歴史は、本作のテーマともピタリと一致するのではないでしょうか。

レバノン内戦を題材にしたイスラエルのアニメーション映画『戦場でワルツを』が非常に評価も高く有名なので、そうした他作品を見るとさらに違った視点で理解を深めることができるでしょう。

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「レバノン軍団」って何?

本作の冒頭、トニーが参加しているのが「レバノン軍団」と呼ばれる政党の集会です。

キリスト教マロン派の右派政党で、その物騒そうな名前が示すとおり、民兵組織の一面も持っています。もともとレバノン内戦中にバシール・ジェマイエルという人物が諸々の武装民兵を結集させて設立しました。作中の冒頭集会でも「我が党の創設者バシール・ジュマイエル」として讃えまくっていましたね。

このレバノン軍団は右派の中でも非常に過激な傾向を持ち合わせており、その過激さを示す歴史上の出来事が「サブラー・シャティーラ事件」です。1982年にバシール・ジェマイエルが暗殺されてしまい、それはパレスチナ解放機構(PLO)の仕業と断定したレバノン軍団は、民兵をパレスチナ難民キャンプに送り込み、3000人以上が犠牲になったとも言われる大虐殺を引き起こしました。

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「シャロン」って誰?

本作ではトニーが謝罪しに来たヤーセルに「シャロンに抹殺されていればな」と暴言を吐いたことで、ヤーセルが激昂し、トニーに怪我を負わせたことで、裁判に発展します。

レバノン軍団の集会に参加するくらいですから、トニーはパレスチナ人に対して不快感を持っているのは言うまでもなく。ヤーセルと話をしたときにその訛りでパレスチナ人だと見抜いたトニーは、どうしても攻撃性だけが先走ってしまったのでしょう。

この「シャロン」というのは元イスラエル首相「アリエル・シャロン」のことで、この人物はパレスチナに強硬姿勢を貫くタカ派政治家で、首相になる前の国防相時代には戦火に燃えるレバノンに親イスラエル政権樹立しようとレバノン内戦に介入。レバノン軍団と一緒にパレスチナ難民の虐殺に関わったとされています。

なのでヤーセルにしてみれば怒るも当然。冗談で済むレベルの言動ではないです。

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「ダムール大虐殺」とは?

終盤、裁判が進む中で、トニーの過去が明らかになります。

トニーがまた子供の頃。出身地「ダムール」で1976年1月に起きた事件。パレスチナ解放機構(PLO)とイスラム教の集団が村を攻撃、住民は家族離散し、残るしかなかった者は殺されました。犠牲者は500人以上とも言われています。

つまり、トニーもまた難民で、故郷を追われて今に至るんですね。だから、本作の冒頭でベイルートからあなたの地元のダムールに引っ越そうと妻シリーンに言われたとき、トニーは不快な顔をしていたのでした。トニーとその父にしてみればそれはトラウマの土地。トニーにとっての不可侵な尊厳です。

ちなみにレバノンではこういった虐殺が他の場所でも何度も繰り返されています。

みんなが何かしらの難民のような歴史を持つ。レバノンという、追われた者たちの集まった地域だからこその状況ともいえます。

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歴史を知ったうえで謝罪すること

本作では、二人の裁判がどんどん周囲を巻き込んで過激化していくのは、このレバノン内戦と重ねることができるからであり、あの内戦の再現でもあります。ただ、重要なのは当の二人はそんなつもりはなかったということ。

最初の裁判の時点でヤーセルは殴った自分が有罪でいいと言っています。でも棄却され、釈放に。

二人は場をおさめる着地点をずっと探していたのでしょうか。最終的に過激化する周囲をよそに、ヤーセルはトニーの元を訪れ、挑発的な発言をして、かつて自分がそうしてしまったようにトニーに殴らせます。これはわざと誘導したようなものに見えるシーンですが、これは報復の連鎖ではなく“これで終わりにしよう”という合図と捉えていいのでしょうね。裁判では無罪となり、外に出た二人は納得した感じ。周囲は相変わらずですが…。

本作からあらためて強く感じるのは、決して安易な“喧嘩両成敗”的な結論になっていないこと。相手を知ったうえで謝罪しないと意味がないということだと思います。トニーもヤーセルも相手の尊厳に関わる歴史を理解して初めて自分の侮蔑の重さを知ります。相手を知ったような気になるのではなく、誠心誠意、学ぶ必要がある。そうすれば相手にも本当に意味で思いが伝わると。

正直、この映画を私たち日本人が語ることはズルい気がしないでもないです。一応、立場上は外野にいるわけですから。傍聴席をさらに傍聴する席にいます。

でもレバノンを語れずとも、日本で起きているいろいろな問題には当てはめることができるはずです。相手の歴史や過去と向き合わずに、とりあえず場をとりなすためだけにカタチだけの謝罪をしている人たち…いっぱいいるのではないでしょうか。それはいくらやっても謝罪にはならないですよね。

謝りたいなら、相手を知ること。大事にしていきたいです。

『判決、ふたつの希望』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 88%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS PHOTO (C) TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

以上、『判決、ふたつの希望』の感想でした。

The Insult (2017) [Japanese Review] 『判決、ふたつの希望』考察・評価レビュー