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映画『ふつうの子ども』感想(ネタバレ)…いいよね。環境活動家。

ふつうの子ども

それでいいんだよ…映画『ふつうの子ども』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:How Dare You?
製作国:日本(2025年)
日本公開日:2025年9月5日
監督:呉美保
児童虐待描写 恋愛描写
ふつうの子ども

ふつうのこども
『ふつうの子ども』のポスター

『ふつうの子ども』物語 簡単紹介

小学4年生の上田唯士は同じクラスの三宅心愛が環境問題に高い意識を持ち、大人にも物怖じせず声をあげるのを教室で目にする。しかし、唯士は地球温暖化などにはもともとさっぱり知識がなく、心愛と話を合わせるためだけに必死にその場しのぎの勉強をしていく。ところが、何かと絡んでくる男子の橋本陽斗も混ざって、3人だけの秘密の環境活動へと発展していき…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ふつうの子ども』の感想です。

『ふつうの子ども』感想(ネタバレなし)

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巨匠よりは大人しい小さな環境活動家

『アバター』シリーズを3作とも特大ヒットさせ、今やハリウッドで最も興収的に大成功をおさめた人物である“ジェームズ・キャメロン”。彼は環境保全に非常に熱心であり、自身もヴィーガンで、『アバター』製作の際もスタジオのケータリングは肉食品を使わない植物由来オンリーにする決まりを作っていたとか。その環境活動家(エコロジスト)っぷりは、製作総指揮を務めたドキュメンタリー『The Game Changers』で、“アーノルド・シュワルツェネッガー”と一緒に「肉を食べる量を減らそう!」と呼びかける姿でも垣間見えます。

“ジェームズ・キャメロン”は映画で稼いだおカネはがんがんに環境保護に注ぎ込んでいるくらいですが、今回紹介する映画の主人公たちはそんな巨匠と比べると、だいぶ大人しい小さな環境活動家です。

それが本作『ふつうの子ども』

本作は、日本で暮らす平凡な小学生が主人公で、環境問題に関心の強いひとりの子が引き金となり、ひょんなことからその子たちの行う環境活動が大騒動に発展していくさまを描く…コメディ色強めの物語です。一見すると、子どもでも楽しめる映画みたいな空気ですが、子ども目線ではあるものの基本は大人向けの作品なのであしからず。

別に子どもが観たっていいかもしれませんが、なんというか…子どものための、子どもに寄り添った教養的な内容があるか…と言えば、そういうタイプの作品ではないと私は思うので…。

この『ふつうの子ども』を監督したのは、“呉美保”。2014年の『そこのみにて光輝く』、2015年の『きみはいい子』と非常に高い評価を日本で獲得してきた監督のひとりでした。2015年以降は、自身の結婚・出産もあって業界からフェードアウトしていましたが、2024年の『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で長編映画に久しぶりに復帰。そして、今回の2025年の『ふつうの子ども』へと続き、監督業がまた順調のようです。

今作『ふつうの子ども』も、いかにも“呉美保”らしいトーンで、素朴に子どもたちを映しています。『きみはいい子』以上に子どもの色が濃いので、“呉美保”監督作としてもちょっと新しい挑戦だったのかもしれませんが…。

脚本は、『夜、鳥たちが啼く』『宝島』“高田亮”が手がけています。

出演陣は、メインは子役たちですが、大人勢としては『TOKYOタクシー』“蒼井優”が主人公の母親役で演じています。教師の役では『先生の白い嘘』“風間俊介”も出演し、他には『国宝』“瀧内公美”など。

後半の感想記事では、『ふつうの子ども』について私の思った良い部分と悪い部分をわりとバッサリ語ってます。

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『ふつうの子ども』を観る前のQ&A

✔『ふつうの子ども』の見どころ
★子どもたちを素朴に魅力的に映しだすセンス。
✔『ふつうの子ども』の欠点
☆環境活動のテーマ性はかなり稚拙な扱いにとどまる。
☆環境活動における女性の偏見を助長しかねないプロット。

鑑賞の案内チェック

基本 児童に対する心理的虐待の描写があります。
キッズ 3.0
基本的に大人向けのドラマです。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ふつうの子ども』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

10歳の小学4年生の上田唯士はエレベーターで下に降り、いつものように何人かの友達と登校します。もう待っててくれていました。途中の木々のある地面で、生き物係のみんなとカナヘビの餌となるワラジムシを探します。しかし、唯士が見つけたのはダンゴムシで、生き物係の中心の子は他の子たちがワラジムシとダンゴムシの違いもわからないことに苛立つも、唯士はイマイチな反応です。

ずっとワラジムシを獲っていたら遅刻しかねないので、駆け足で学校へ到着。賑やかな教室に足を踏み入れます。

授業では「私の毎日」を題材に書いてきた作文を発表。どの子も自分なりの個性豊かな内容の作文を立って声にだしていきます。担任の浅井先生はその様子を優しく見守ります。

唯士の書いてきた作文は、日常の当たり前のことを列挙しているものです。最後に「うんちをしたら流す!」と言い切るも、ひときわ笑いは起きますが、先生は「ふざけるのと自由は違うかな」とやや辛辣。母は褒めてくれたのに…。

シュンとなって席に座ると、次は三宅心愛が発表します。

心愛は揺るぎない堂々とした声で「私は大人の言うことを聞きたくない」というタイトルで始まり、地球温暖化について明瞭に語り、大人の責任を問う内容でした。地球がここまで危機に陥ったのは、大人が悪いのに肝心の大人は何もしていない、と。

その心愛の発表が終わり、先生は和やかにコメントして笑いに包まれるも、心愛は「なぜ笑うんですか!」と声を荒げます。しかし、先生は「極端だなぁ」と言葉を述べるにとどまり、クラスメイトの橋本陽斗がその言葉を揶揄い、心愛の気持ちは誰にも届かないようでした。ただ、ひとり、唯士を除いて…。

唯士は家に帰ると、母に「作文どうだった?」と聞かれ、「何も言われなかった」と答えます。そして「地球温暖化に詳しかったりする?」と唐突に質問し、自分で学習用タブレットで調べだします。

わかりやすそうなページを見つけ、何も知識が事前になかったものの、あれこれといろいろな言葉を知ります。二酸化炭素、温室効果ガス、再生可能エネルギー、脱炭素社会…。

次の日の学校で、唯士は何気なく心愛に近づき、「三宅さん、牛からでるメタンガスってのが問題らしいね」と切り出します。

それを聞いた心愛は「そうだよ、だから私も野菜と魚しか食べない」と答えます。「魚って美味しいよね」と相槌を打ちながら唯士は心愛の読んでいた本をさりげなくチェックし、それを図書館で借りようとします。

こうして唯士は徐々に心愛と関係を構築していきますが…。

この『ふつうの子ども』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/01/25に更新されています。

ここから『ふつうの子ども』のネタバレありの感想本文です。

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ただのよくあるナンパ

『ふつうの子ども』は、主人公の小学4年生の上田唯士の顔のアップで始まり、同じく顔のアップで終わるのですが、どちらも何とも言えない表情で、もうこの子を観ているだけで全編でじゅうぶん面白くなるという、ズルい構図です。

私は自然環境学を学んだ経験がありますが、大学にてこういう自然保護や環境保全を学んだ女子大生にとって、もしその分野に無知な男が近づいてきた場合、たいてい2つのパターンがあります。

ひとつ目のよくあるパターンは、専門性がある女子大生に対して、「そんなの学んで何の意味があるの?」「それよりももっと女の子ならこうしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスしてくるタイプ。マンスプレイニング型に近いですが、基本的にその科学知識を下にみます。とくに環境保全なんてものは過激な思想だと言わんばかりな態度をとってくることもあります。

作中では、三宅心愛に対する浅井先生がこのパターン1に該当します

もうひとつのパターンは、専門性がある女子大生に対して、「これを教えて~」とおねだりし、言ってみれば「教師と教え子」のプレイに付き合わせるかのような要求をしてくるタイプ。一応は話を合わせてはきますが、下心しかありません。

作中では、三宅心愛に対する唯士の接し方はこのパターン2に近いですが、ときおり知識をつけ始めるとパターン1を往復するようにもなり、好き勝手です。

唯士が心愛にやっていることは、ほぼほぼナンパなのですけども、あくまで子ども同士だから「微笑ましい」でギリギリ許容できるレベルですね。これが大人だったら、完全に唯士はアウトです。

「いいよね。カーボンニュートラル」なんてセリフはギャグとして機能し、これは大人が楽しむ「子ども鑑賞会」となり果てます。

この上田唯士を演じた“嶋田鉄太”のまるで素のような演技力が抜群で、以前は『LOVE LIFE』などにも出演していましたけど、今作『ふつうの子ども』では映画を自分のものにしていました。これだけ「顔」になれる主演映画を子役時代に与えられるのは珍しいと思うので、本人が今後も俳優の仕事を続けるのかどうかは知りませんが、もし続けるとしたら、たまにほじられて恥ずかしくなる作品になったのかも…。

なお、心愛を演じた“瑠璃”は、本格的な演技は本作が初だそうで、あの教室の子たちもオーディションで選ばれ、ワークショップであの雰囲気を作っていったそうで、このあたりは“呉美保”監督の手練れている才能が光っていました。

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作為的なプロットによる印象操作

ここからはこの映画『ふつうの子ども』をわりとバッサリ酷評しますが、一番の問題だと思ったのは土台になっている「環境問題」のテーマに対する本作の稚拙さ、そしてそれに興味を持つ子どもの扱い方です。

本作は作り手がどういう意図で制作したのかは知りません。ただ、未熟で精いっぱい背伸びした環境活動を微笑ましく眺める…というトーンではどうにも片づけづらく、穏やかなストーリーテリングとは裏腹に非難的な目線が見え隠れします。

とくに「環境活動は“行き過ぎる”とよくない」的な論調です。

実際に作中では、心愛の熱意に触発されて唯士と陽斗が加わり、3人の活動は、チラシを貼りつけるゲリラ的な行動に始まり、ロケット花火を肉屋に打ち込んだり、最終的には牧場の牛を逃がすために柵を破壊し、その結果、牛を避けるために無関係の一般車が事故を起こします。

終盤には3人の行為は露見し、大人に囲まれて「悪いことをしたね」という空気で説教を受けるので、観客には「環境活動は“行き過ぎる”とよくない」という短絡的な感想以外を抱かせるのは難しいでしょう。

でもこれ、冷静にみれば、非常に作為的なプロットによる印象操作だと思います。

例えば、序盤からそうなのですが、最初に心愛は「地球温暖化」への強い関心を示し、それを受けて唯士がウェブサイトで知識を学びます。ここにでてくる「こども環境総合局」はおそらく実在の「こども環境省」のウェブページを参考に作られたものだと思いますが、実際の「こども環境省」の地球温暖化の解説にはこう書かれています(以下に一部を抜粋)。

温室効果ガスは、二酸化炭素のほかにメタンなどもありますが、ほとんどが二酸化炭素です。つまり二酸化炭素が増えると、地球の熱がこもってしまいます。これが地球温暖化です。このままのペースで二酸化炭素が増え続けると、気温が上がることで空気の大きな流れが変わってしまい、日本でも台風や洪水などの気象災害やこれまでにない大雨や厳しい暑さといった異常気象が増えていきます。また、海面が上がって島や標高の低い海辺の地域がしずんだり、干ばつが起きて農作物が取れなくなったり、世界中の自然や暮らしにいろいろな影響が出るともいわれています。

ここに子どもにもわかりやすいように丁寧かつ簡潔に書かれているとおり、主な温室効果ガスとして問題視されるのはメタンではなく二酸化炭素です。

にもかかわらず本作では次の日に唯士が心愛に「牛からでるメタンガス」の話を振ります。そしてさらになぜか心愛が「肉を食べない」というセリフを言います。

一応説明しておきますが、ヴィーガンというのは、「牛からでるメタンガス」に対する行動ではなく、その動機は人それぞれですが、主に「利権のために産業化して自然破壊や植民地主義を悪化させる食肉業界」「超加工食品など肉に偏った食生活」への反対のために行われる、個人の意思表示(パフォーマンス)です。

「メタンガス」と「肉を食べない」ことを結びつけてしまうと意味不明になります。

本作はこの支離滅裂さのままに突き進み、「肉を食べない」件は「子どもには肉も大切な栄養だ」的な筋違いの漠然とした健康論に話がすり替わり、最後の「牛逃がし」にいたっては「メタンガス」ともとくに関係ありません。嫌味ったらしく畜産家の人の「メタンガス対策をしているんだけどな~」とコメントを取り上げ、おまけに牛関連交通事故を追加で描くことで、わざとらしく罪悪感を抱かせようとしますが、これは仕組まれた引っかけ問題になっているのは、環境学を学んでいればすぐにわかります。

「ああ、この映画の脚本は環境問題にたいして詳しくない人が付け焼き刃で考えたな」と私も前半ですぐに感じました。

例を挙げると、地球温暖化をテーマにするならそれこそ日本で深刻な被害を起こしている自然災害の問題が直結するはずで、それが話題にならないのは変です(ラストで集中豪雨の水害で学校が浸水し、子どもたちが大勢死にました…みたいなブラック・コメディでオチをつけるならいいけど)。

ではなぜ「牛のげっぷのメタンガス」と「肉を食べないこと」を強引に槍玉にしているのか? それは単に環境問題に精通していない人が環境活動家を非難しやすいネタだからでしょう(背景にあるのは Vegaphobia などか)。

本来はとても複雑な環境問題を単純化したうえで、それに加えてナラティブに印象操作して「環境活動家」を「行き過ぎた人たち」のように咎める…ただそれだけ…。

また、本作のプロットは、環境活動への無理解だけでなく、偏見を助長する副作用が大きすぎると思います。

ことさらマズいのは、心愛という女の子に過剰に代表を担わせすぎている点にもあります。昨今は、環境活動家の“グレタ・トゥーンベリ”に対して日本でもネット上では幼稚な冷笑と嘲笑が止みませんが、若い女性というのはとくに舐められやすいです。

本作は心愛を全否定することはしませんが、その子のSTEM分野の学習意欲を肯定はせず、母から心理的虐待を受けている可哀想な子という同情で処理します。終盤に登場した心愛の母にヒールを任せきっており、これだと典型的な「母親育児有害論(母の育て方が悪いせいだ)」を選択しています。

『ふつうの子ども』の「子どもを材料にして“良い物語”の体裁をとりながら、テーマへの取り組みが粗雑」という問題構造。どこかで前も見たなと思いましたが、“是枝裕和”監督の『怪物』と同質ですね。

私がもし心愛のような小学生に「どうして大人は私の言うことを真面目に聞いてくれないの?」と聞かれたら、「それは認知バイアスって言うんだよ。正しいことを言っている人が“過激”とみなされ、問題を黙認する人が“正常”になってしまう現象のことなんだ。だからきみの感情や態度は間違ってないんだよ」と言ってあげますよ。それが環境保全に責任ある大人の態度というものですから。

ということで、本作を観るよりは、子ども向けの社会運動を指南する本を読むのをオススメします。

『ふつうの子ども』
シネマンドレイクの個人的評価
3.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

以上、『ふつうの子ども』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)2025「ふつうの子ども」製作委員会 普通の子ども ふつうの子供

How Dare You? (2025) [Japanese Review] 『ふつうの子ども』考察・評価レビュー
#日本映画2025年 #呉美保 #風間俊介 #蒼井優 #男子小学生 #女子小学生 #親子 #環境正義