世界の縮図は女社会の中にある…ドラマシリーズ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2013年~2019年)
シーズン1:2013年にNetflixで配信
シーズン2:2014年にNetflixで配信
シーズン3:2015年にNetflixで配信
シーズン4:2016年にNetflixで配信
シーズン5:2017年にNetflixで配信
シーズン6:2018年にNetflixで配信
シーズン7:2019年にNetflixで配信
製作総指揮:リズ・フリードマン ほか
性暴力描写 LGBTQ差別描写 人種差別描写 性描写 恋愛描写
オレンジ・イズ・ニュー・ブラック
おれんじいずにゅーぶらっく
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』あらすじ
ニューヨーク郊外にあるリッチフィールド女子刑務所。ここにはそれぞれの理由で多種多様な囚人が収監されており、共同生活を強いられている。看守たちの監視と嫌がらせは後を絶たず、他の囚人に敵意を向けられたり、異常行動をとられたりする。そんな場所に平穏なんてものはない。この塀の外に出て自由を手に入れる日を夢見て、今日も何が起こるかわからない1日が始まる。
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』感想(ネタバレなし)
女刑務所モノのジャンルの最高峰
映像作品の世界にはいろいろなジャンルがあります。中には「え?なにそれ?」みたいなものまで…。
例えば「女刑務所モノ」というジャンルは知っているでしょうか。これは英語で「Women in prison(WiP)」と表記し、その名のとおり、刑務所にいる女性囚人を描くものです。これはいわゆるエクスプロイテーション作品。女同士の生臭い戦いが見られたり、看守によるサディスティックな虐待があったり、そこからの反逆というリベンジポルノ的な展開があったり、同性同士の淫らな絡みがあったり…。元も子もない言い方をすれば限りなくポルノに近いジャンルです。
昔から女性刑務所を題材にした作品はありましたが、B級的なノリとして定着したのは1950代だそうで、『女囚の掟』(1950年)を始め、続々と登場しました。日本だと1970年代の『女囚さそり』シリーズが有名なのかな。ちょっと私もこのジャンルをそこまで網羅的に観れていないのですけど…。
しかし、自ら進んで低俗的な立ち位置でやりたい放題していたこのジャンルもしだいに様相を変えていきます。1999年のイギリスのドラマシリーズ『Bad Girls』のように真面目に…という言い方はあれですが、刑務所で生きる女性囚人を素直に描く作品も現れました。
当初はエクスプロイテーション的でしたが、根本的には女社会を描く土台があるので、実はその気になればすごく革新的な挑戦もできるジャンルなんですね。
そんな歴史の中、「女刑務所モノ」がついにこんな高みに到達してしまったのかと驚愕する革命的な一作が出現しました。それが『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』というドラマシリーズです。
本作は2013年にNetflixで始まり、2019年にシーズン7で完結するまで、かれこれずっとNetflixの看板作品として堂々と立っていました。観たことはなくても名前を聞いたことはある人も多いのではないでしょうか。
この『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』は「女刑務所モノ」ど真ん中な作品なのですが、とにかく面白く、かつ非常に批評的にも優れた作品として称賛されました。もちろんちゃんと「女刑務所モノ」の定番に準じているのです。でもだからといって下世話な作品でも終わらない。ひとことで良さを説明できないのですけど、アメリカ社会の縮図を巧みに女刑務所で表現してみせたと言えばいいのかな、本当に語彙力なくて申し訳ないですが、凄い作品なのです。
無数に作品の切り口があり、そのひとつひとつで社会問題について深く考えさせられます。貧困、人種、移民、宗教、LGBTQ、性差別、労働、教育、育児、家族、恋愛、司法、そして犯罪も。どこに着目するかはきっと観た人で全然違ってくるでしょう。とは言ってもコミカルなノリで基本は進むので、そこまで常に重苦しいわけでもないのです。見やすい作品です(子どもは不適切だけど)。
また、キャラクターも本当に多彩で、みんなが魅力的です。何人くらい登場するのか数える気も失せるのですが、優に100人は超える登場人物がカオスに織りなす群像劇。これが全員クセが強く個性を放っており、観れば何人か気に入るキャラが見つかるはず。まあ、大半が囚人なので倫理観のネジが外れているのですけど…。
その中からほんのごく一部ですが俳優をピックアップすると…
主人公級のキャラを熱演する“テイラー・シリング”。最近は『パブリック 図書館の奇跡』などの映画にも出演していますね。その恋人役で登場する“ローラ・プレポン”は、『ガール・オン・ザ・トレイン』にも出ていました。ドラマシリーズ『スタートレック ヴォイジャー』で有名な“ケイト・マルグルー”もファンには嬉しい顔見せ。
他にも、後に『ロシアン・ドール 謎のタイムループ』でも注目を浴びる“ナターシャ・リオン”、本作にてトランスジェンダーの役者としてエミー賞で初めてノミネートされた“ラバーン・コックス”、日系アメリカ人で『スパイダーマン スパイダーバース』でペニー・パーカーの声を演じたことでも知られる“キミコ・グレン”…など、とにかく語りがいのあるキャストが目白押し。
これだけ長大なドラマシリーズだと感想を書くにも、何から手を付けていいやら戸惑いますね。とりあえず自分が目に留まったことをざっくばらんに書くだけにしましょうか…(私にはそれくらいしかできない)。そんな感じで後半の感想に続きます。
もちろん最終エピソード含めてネタバレありなので、ここから先は『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』を全シーズン鑑賞してくださいね。一気見(ビンジ・ウォッチング)はなかなかに疲れるけど、絶対に損はしない体験ができますよ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(必見のドラマシリーズ) |
友人 | ◎(一緒に語り合いたい) |
恋人 | ◎(一緒に語り合いたい) |
キッズ | △(子どもはちょっと…) |
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』感想(ネタバレあり)
インターセクショナリティな人間模様
「インターセクショナリティ(intersectionality)」という言葉があります。これはある問題を考えるにあたって、人種・ジェンダー・セクシュアリティなどさまざまな要素が「交差(intersect)」しているのであり、一面的ではなく多角的に捉えなさい…という概念です。
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』はこのインターセクショナリティを理解するための教材になるような一作だったと私は思います。
本作は総勢100人を軽く超えるキャラクターたちが登場しますが、当然みんなが同じ立場ではありません。例えば、リッチフィールド刑務所の女性囚人であっても属性や立場は千差万別です。
まずは人種。
主役のひとりパイパー・チャップマンを始め、アレックス・ヴァウス、ティファニー・“ペンサタッキー“・ドゲット、キャリー・”ビッグ・ブー”・ブラック、フリーダなどは白人です。その中にも、ニッキー・ニコルスのようなユダヤ系もいれば、ガリーナ・”レッド”・レズニコフのようなロシア系もいるし、ローナ・モレロのようなイタリア系もいます。他人種と仲良く打ち解ける者もいれば、白人至上主義に傾倒する者もいます。
ダヤナラ・”ダヤ”・ディアス、その母のアレイダ・ディアス、またグロリア・メンドーサ、マリッツァ・ラモスなどはヒスパニック系です。その中でも、マリア・ルイースやブランカ・フローレスはドミニカ系だったり、英語会話スキルがどこまであるかだったりで、同じヒスパニック・コミュニティ内でも壁ができたりするのが印象的でした。さらにシーズン6終盤ではここに「移民」という要素が加わり、より複雑化してきます。
ターシャ・“テイスティ”・ジェファーソン、プッセイ・ワシントン、シンディ・”ブラック・シンディ”・ヘイズはアフリカ系の黒人。アリソン・アブドゥラーのようなイスラム教徒もいますし、シンディは食事目当てでユダヤ教に改宗しようとします。
アジア系もわずかながらいて、古株の囚人で単独行動を好むも実は巧妙に生活しているメイ・チャンだったり、政治活動で収監されたおしゃべりなブルック・ソーソーだったり。とくにソーソーは「アジア系=寡黙」みたいなステレオタイプを飛び越えたキャラであり、黒人グループと仲良くなるなど、アジア系描写のステップアップを感じます。
その人種というレイヤーに対して、いろいろな別のレイヤーが交差的に重なります。
例を挙げると、貧富や学力の問題があります。チャップマンやプッセイ・ワシントンは裕福な家庭で育っており、テイスティが学力が高いです。ここにジュディ・キングという著名な料理研究家が脱税で捕まって収監されたことで、いわゆる超富裕層が加わるのが面白いです。こうやって貧富の格差が浮き彫りになればなるほど、同一人種内でさえも対立が生じます。
病気・薬物・結婚・妊娠・LGBTQ
また、病気の問題も追加されてきます。
ローザは末期癌を患っており、シーズン3はまさに彼女のための花道でした。刑務所では認知症を患うなど管理不能と認識されると、高齢者はまさに姥捨て山のように路道に“釈放”され、その現実も痛烈です。シーズン7ではあのリーダー格だったレッドに認知症が見られ、とても切ない姿に胸が痛みます(ちなみにレッドを演じた“ケイト・マルグルー”は母がアルツハイマーで闘病生活をしていたそうで、おそらくその経験を演技に反映させているんでしょうね)。
精神的な病気も当然あり、鬱症状はしょっちゅう誰にでもありますが、スーザン・“クレージー・アイズ”・ウォーレンやロリー・ホワイトヒルのような精神疾患を抱える者も、どうやって集団に馴染んでいくのか、それが描かれていきます。
さらにペンサタッキーは学習障害に悩んでおり、地味ながらこの問題は囚人の公平な教育にも関わる題材として活きていました。
もちろん薬物依存症の問題も深刻。刑務所内ではやはりドラッグが最大の価値あるアイテムとして流通。もともと依存症だった者もいれば、ここにきて薬物の味を覚える者もいる。作中でも何度も薬物のせいでキャラが命を絶ちます。
加えて妊婦という要素もありました。刑務所内でもあれやこれやで妊娠している女囚人がおり、その妊娠中の辛さから産後の鬱まで、とにかくたっぷりとその模様が描かれていきます。なんだかんだでみんな妊婦には優しく尊重してくれるのは、やっぱり女性としてその痛みを身近にわかっているからなんですかね。話が逸れますけど、刑務所内でのナプキンやタンポンの汎用性にはちょっと笑ってしまいます(まあ確かにああいう環境では便利グッズだろうけど)。
そして忘れてはならないのがLGBTQですね。
女子刑務所なので必然的に異性愛よりも同性愛の方が有利な環境が整います(逆に異性愛者は出会うのも大変で四苦八苦することに)。本作のレズビアン描写は実に多彩で、ステレオタイプなんて気にするかと言わんばかりの自由奔放。ニッキーとビッグ・ブーの「どっちが女とヤれるか対決」とかも滑稽ですし、一方でチャップマンとアレックスのようなフレネミー感もある駆け引きや、プッセイとソーソーのような王道ロマンチックな関係性も魅力的。
そんな中で孤立するのがトランスジェンダー女性であるソフィア・バーセット。トランスフォビアな看守だけでなく、同じ女性のはずの囚人にさえも冷たく扱われる、彼女の孤独な戦いはまさに現実社会で起こっている「TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)」にそのまま重なる物語になっていて、当事者の苦痛が滲み出ていました。
なかなか連帯できないジレンマ
とまあ、これだけ多種多様な要素を複合的に抱えた女性たちなのですから、そう簡単に「シスターフッドだね!」と連帯することにはなりません。カルト的な宗教としてまとまるくらいで、それ以外の連帯の道のりは遠いです。
しかも、連帯を邪魔する奴らもいます。看守のジョージ・メンデスは女性蔑視かつホモフォビア的であり、陰惨な振る舞いを平然としてくるサイテーな男。ダヤを妊娠させたと勘違いして追い出されます。次なる敵は、看守長のデシ・ピスカテラ。こっちはゲイなので色仕掛けも通用せず、しかし女性蔑視はさらに酷く、ちょっと狂気的ですらあります。たぶん彼は同性愛者ゆえに男社会からははみ出し者扱いで居場所がなかったのであり、結局、ホモ・ソーシャルに撃たれる最期を迎えるのが皮肉です。
女性ももちろん敵になります。シーズン2ではヴィーという大物黒人囚人がそれまでの刑務所内の秩序を破壊し、対立を煽ります。シーズン6ではキャロルとバーブという古株囚人姉妹が重警備刑務所のブロック同士で対立を扇動。刑務所を運営する企業MCCの幹部であるリンダ・ファーガソンは、キャリアアップに燃えすぎるあまりに冷酷に囚人を金儲けの道具としか見ません。
本作では結局全体を通して女囚人たちは完全連帯を達成しそうになるのですが、幾度となくまたも瓦解してしまい…の繰り返しです。
とくにシーズン4終盤でのストライキからのプッセイの死からの大規模乗っ取り暴動。本来であれば「ブラック・ライヴズ・マター」の名のもとに団結すればいいのですが、いろいろな欲望や思惑が絡み合い、全然上手くいきません。
ブラック・ライヴズ・マター自体は2012年のトレイボン・マーティン射殺事件を契機に始まったことですが、認知が拡大したのは2014年で、2015年~2016年には政治にも関わるものに発展しました。なのでこの『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』もそういう現実社会の世相を反映しての流れだったのだと思います。だから連帯しようとするも黒人の苦悩を真に理解してくれる他人種は現れない…というのもリアルなオチであって…。
ただ、2020年のジョージ・フロイド殺害事件を経験した世界を垣間見た身としては、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』は悲観しすぎたかなとも思いますよね。2020年のブラック・ライヴズ・マターは多様な人種・年齢・性別が連帯していましたから。やればできる、きっとできる。そんな希望を感じたリアルな出来事であり、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』を乗り越えたうえでのひとつのアンサーみたいで、ちょっとフィクションとリアルの連動に感動もしたり…(無論まだ問題は解決していませんけどね)。
私の好きなキャラクター
私としては『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』で好きなキャラクター・エピソードは…あえて挙げるなら、ニッキー・ニコルスとスーザン・ウォーレンの2人ですかね。
ニッキーは演じた“ナターシャ・リオン”が抜群にハマっています。なにせ役者自身も薬物常習者でリハビリした経験があり、その人生体験からの依存症の抜け出しにくさのハラハラは説得力がありました。
それにニッキーは裕福な家庭育ちながら捨てられた完全に孤立した人物です。他の囚人は家族との関係性に一喜一憂する中、ニッキーだけはそんな感情すらもありません。その心の喪失を女性への愛で刹那的に性欲として埋めている部分すらあります。
そんなニッキーがドラッグを乗り越えて、やがては周囲のもっと苦しんでいる人たちの面倒を見る側へと成長していく。シーズン7のラストでは、レッドの後を継ぎ、調理場を仕切る彼女の姿。この刑務所で手にした「家族」。その光景にじんと心を動かされました。
本作で“ナターシャ・リオン”が気に入った人は『ロシアン・ドール 謎のタイムループ』もぜひ。
そして、スーザン・ウォーレン。このキャラはシーズンが進むごとに立ち位置がガラリと変わりましたね。最初は本当に物語をかき回す存在だったのに、いつのまにかこの理不尽な世界で何とかもがこうとする良心みたいな存在に見えてきました。
シーズン7では鶏を育てる中で非常にメタ的にこの刑務所というものの在り方を言い当てており、俯瞰した視点を観客にも与えてくれます。
全体を通して最終的なシーズン7では「刑務所とは何なのか?」という根源的な問いに向き合います。やっぱりそれは犯罪者を閉じ込める場ではなく、異常者として人権を奪う場でもなく、“更生”の場であるべき…そういう着地のもとで物語は風呂敷を畳み始めます。
その中には、タミカの新米所長としての現実を痛感しながらの苦難だったり、ナタリー・”フィグ”・フィゲロアの妊活という経験のもとの“とある移民収監者”との共感だったり、サム・ヒーリーやジョセフ・サルヴァトーレ・カプート、チャップマンの婚約者であったラリー・ブルームなど男性陣の「男らしさから降りる旅路」もあったり。
どうしても理想論になりがちな“更生”に向き合う物語としても『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』はとても誠実でした。
シーズン7という長さの『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』を見終えると、いつのまにか自分まで出所してきた気分になりますね。でもまたあのキャラたちに面会したくなってしまいます。
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』を超える「女刑務所モノ」は次世代に現れるのかな。
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 95% Audience 92%
S2: Tomatometer 96% Audience 92%
S3: Tomatometer 95% Audience 79%
S4: Tomatometer 94% Audience 87%
S5: Tomatometer 71% Audience 72%
S6: Tomatometer 84% Audience 73%
S7: Tomatometer 98% Audience 74%
IMDb
8.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Lionsgate Television, Netflix オレンジイズニューブラック
以上、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』の感想でした。
Orange Is the New Black (2013) [Japanese Review] 『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』考察・評価レビュー