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『バリー Barry』感想(ネタバレ)…若きバラク・オバマの「何者」

バリー

若きバラク・オバマの「何者」…Netflix映画『バリー』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Barry
製作国:アメリカ(2016年)
日本では劇場未公開:2016年にNetflixで配信
監督:ビクラム・ガンジー
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ばりー
バリー

『バリー』物語 簡単紹介

1981年、19歳のひとりの青年はコロンビア大学の3年生に編入するためにニューヨークにたどり着く。慣れない土地に戸惑い、多種多様な同世代の若者たちと交流していくなか、彼は自分を模索していた。これからいくらでも人生の道の選択肢がある。自分はその中のどれかを選べばいい。しかし、そんな簡単に選び出せるものでもない。彼の愛称は「バリー」、本名は「バラク・オバマ」である。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『バリー』の感想です。

『バリー』感想(ネタバレなし)

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映画で見つめ直すオバマ大統領

2016年の世界トップニュースとして、いの一番に挙げられるのは、やはり大番狂わせのアメリカ大統領選でしょう。あれだけ話題になったら、それはしょうがないかなと思う状態。もう世間の目はすっかり来年の新しい大統領に釘付けです。

でも、ちょっと待った。ここでオバマ大統領を見つめ直すのもいいんじゃないですか?

ご多分に漏れずというか何というか、映画界も今が商機と考えているのか、今年はオバマ大統領を題材にした伝記映画が公開されています。

その作品が、Netflix独占配信のバリーです。

ちなみに2016年は他にもオバマ大統領夫妻の初デートを描いた『Southside with You』がアメリカで公開されています。ただ、残念ながら日本での公開・配信は現時点で未定です。

大統領を題材にした伝記映画と聞くと、どうしても華々しいサクセスストーリーや、偉人の知られざる裏の顔が描かれるなんて期待しがちです。

しかし、本作はそのような映画ではありません

『バリー』はバラク・オバマの青年時代、しかもニューヨーク州のコロンビア大学に編入した一時期だけを抜き取って描いた作品です。なので、本作を観たからといって、バラク・オバマの人生史はさっぱり理解できません。それどころか、大統領になる気配は微塵もなし。普通なんです。

しかし、そこが本作の良さだと思いますし、これぞバラク・オバマらしいテーマです。

歴代のアメリカ大統領を題材にした映画はこれまで数知れずですが、そのたびに個々の大統領の個性がハッキリでると同時に、その大統領の何を世間は見ているのかがわかるのが面白いなと思います。それが良いものでも悪いものでも、とにかく人物を象徴するエピソードがあるということですから。こういう人物を批評する精神はさすが欧米ですよね。日本には、ないなぁ…。

そして、バラク・オバマという人物を語るとき、何が描かれるのかというと、大統領になる前の時代なんですね。つまりアメリカは「なぜ黒人が大統領になれたのか」…その一点にこそ最大の関心があるということなのでしょう。確かに興味深いポイントです。白人至上主義はいたるところで色濃いアメリカという社会で、黒人が国のトップにたつのは異例の事態。ただのコネでどうにかなるような次元の話でもありません。一体、この男には何が秘められていたのか。それを探る価値は大いにあります。

あらかじめ言っておきますが、決してバラク・オバマという人間を礼讃するような作品ではありません。むしろとても普遍的なストーリーであり、アメリカ人はもとより、日本人でも共感できるくらいの、若者であれば誰しもぶちあたる壁の話です。

あの、後に大統領になるバラク・オバマでさえ、若いときは自分が一体「何者」で何ができるのか悩んでいた。それがよくわかる映画です。大統領だから一般人とは世界が違うなんて捻くれた考えは捨てましょう。

日本の就活に苦悩する若者たちを描いた『何者』に近いかもしれないです。

俳優陣は、“デヴォン・テレル”、“アニャ・テイラー=ジョイ”、“ジェイソン・ミッチェル”など。

若きバラク・オバマは何を思い、何を考えたのか。彼の苦悩を覗いてみませんか?

日本語吹き替え あり
花輪英司(バリー)/ 志田有彩(シャーロット)/ 金光宣明(PJ)/ 中川慶一(ウィル)/ 三沢明美(キャシー・ボーマン)/ 金尾哲夫(ビル・ボーマン)/ 阪口周平(サリーム)/ 山本兼平(グレイ教授) ほか
参照:本編クレジット
↓ここからネタバレが含まれます↓

『バリー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):居場所はどこ?

飛行機で父からの手紙を読む男。機体はジョン・F・ケネディ国際空港に向けて着陸態勢へ。

1981年8月。バリーはアメリカの中心、ニューヨークの地に降り立ちました。

電車に乗ります。中は賑やか。慣れない雰囲気に圧倒され、降りたい場所で降りられませんでした。知らない街を夜中にうろつくのは勘弁願いたいですが、今はそうも言ってられません。途中でキャンパスを眺めていると、警備員に出ていけと言われます。編入生だと言っても聞き入れてはくれません。

指定の住所に到着するもドアは開かず。結局は道端で眠りこけてしまいました。

部屋に入れないので他に頼りになりそうな人をあたります。「サリーム、バリーだ」とドアを叩きます。そこはずいぶん散らかった自由奔放な生活空間です。「とりあえずニューヨークにようこそ」
朝。大学へ向かいます。さっそく講義。プラトンの時代の民主主義についてです。権力と民主主義の関係に関して学生同士で議論は白熱します。奴隷制度について絡めて説明するバリーに対して「どうして奴隷制度にこだわるんだ?」と白人男性は素朴な疑問のように聞いてきます。

部屋に戻ります。「ウィル?」と呼びかけますが返事なし。いたのは別の男・サリーム。マリファナを探しているだけ。「友達のダフネが今夜からパーティーを開くけど一緒に行かないか?」「今夜はウィルと大学のパーティーに行く」…そう断ったバリーに「白人風の会話術でナンパしろと」とサリームはお気楽にアドバイス。

バスケの試合に参加。互いに牽制しつつも、シュートを決めます。

なんとなく大学に居場所を見つけられないことに悩むバリー。パーティーに参加すれば何か変わるのか。酒飲み競争に盛り上がる中、バリーは外で煙草を吸っています。

するとジュリーとシャーロットという政治学で一緒だった女子学生が話しかけてきます。シャーロットは「出身は?」と聞いてきます。「ハワイ、インドネシア、ケニア…いろいろ」と答えるバリー。でも行ったことはないと吐露。ここは馴染めない気がするとも。

「あなたの居場所はどこ?」「今、それを探しているところだ」

シャーロットはクラブに連れて行ってくれます。ノリノリのサウンドがフラッシュとともに大音量で流れ、パフォーマンスが始まります。楽しんだバリーは、シャーロットと手をつなぎ、夜を歩きます。

「ここではみんな視野が狭い」と語るバリー。大学は自分が誰かを忘れて訓練するところ。そのはずですが…。

シャーロットと一緒に市長の演説をテレビで聞きます。政治なんてと不満を口にするバリーに「あなたは何を信じているの?」とシャーロットは質問します。

バリーは思案し続けますが…。

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結局、バラク・オバマは何者なのか

『バリー』には見方が2つあると思います。

ひとつは大統領の伝記映画として。もうひとつは黒人のドラマとして。

大統領の伝記映画としてみるなら、本作はちょっと特殊な作品です。

映画のバリーは悩んでいますが、私たち観客は彼が将来的に「何者」になるか知っています。しかし、本作は観てわかるとおり、将来「何」になるかに焦点を置いていません。それよりも今「何」になるのかを描いています。

なので、大統領「バラク・オバマ」の伝記映画というよりは、ひとりのただの若者「バリー」の伝記映画なんですね。大統領の伝記としての役割はほぼ果たしていないとさえ言えます。

でもそれはまあ、当たり前と言えば当たり前。どんな歴代の大統領でも、そういう未来を想定して若者時代を過ごしていた人なんて、親が大統領だった人以外だと、なかなかいません。ましてや学生時代なんて何もわからないじゃないですか。私たちが大学入試面接で「将来は何になりたいですか」と聞かれてもたいした答えが出せないのと同じです。

しかし、本作を観ていて意外だなと思ったことがあって、それはイマドキのアメリカっぽさを感じる視点だなと。というのも、キリスト教的価値観が強く、さらに開拓精神によるアメリカンドリームを強く信じる古きアメリカの考えであれば、「この男が大統領になるのは宿命づけられていたのである!」と大きな声で描きそうなものです。でもそうしない。それどころか、すごく人間的な、誰でも抱えているような悩みを持っていた人でしたよ…という目線を持っている。これがやはりバラク・オバマが世間に期待されていたのは、「アメリカを救う偉大なヒーロー」ではなく「みんなの代弁となる等身大の代表者」だったんだなという印象をあらためて感じさせます。

対して、もうひとつの見方である黒人のドラマ面も一筋縄ではいきません。

劇中でも繰り返されるように、「どこからきたの?」と聞かれ「いろいろなところ」と答えるバリー。そのとおり、彼はケニア出身のルオ族の父とカンザス州出身の白人の母とのあいだに生まれ、ハワイ⇒インドネシア⇒ハワイ⇒ロサンゼルス⇒ニューヨークと次々移り住むという、そりゃあ説明するのが面倒くさいと思うのも無理ない複雑すぎる生い立ちを背負っています。

確かに彼は黒人の要素も持っているし、黒人の歴史的背景で語ることも重要なのですが、だからといって簡単に「黒人」というカテゴリに置くことなんてできない人です。ということで、本作はよくある黒人ドラマにも当然なりません。それゆえに、バリーも悩んでいたし、たぶんバラク・オバマ大統領となってからも同じく悩んでいたはず。

ただ、そのモザイク状のアイデンティティを持っているからこそ「みんなの代弁となる等身大の代表者」になれたという側面もあるので、そこも必然的に将来、機能してくるのです。しかし、この頃はただ苦悩の種でしかなかった。そんな時代。

こうやって考えるとアイデンティティは薬にも毒にもなりますね。

この大統領伝記映画でもないし、黒人ドラマ映画でもないという大きな特徴を、中途半端ととるか、オリジナリティととるかは観客しだいです。私は、そこまでダメとも思いませんが、映画では彼の複雑性をひとつに上手く調理できていない気がしました。一方で、彼のその複雑性こそ知れるだけでも面白いといえるのも事実であり、おそらく一作で語り切るのも不可能なのでしょう。

今の時代は、映画でも何でも、安易に「人種」や「移民」という言葉でカテゴライズしすぎなのかもしれない…もっとひとりひとりの人生を見つめなければ…そんなことを思いました。

『バリー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 54%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 ©Netflix

以上、『バリー』の感想でした。

Barry (2016) [Japanese Review] 『バリー』考察・評価レビュー