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映画『Anders als die Andern(Different from the Others)』感想(ネタバレ)…1919年のドイツからクィア映画史が始まる

Anders als die Andern

それは当事者を知ってもらうための始まり…映画『Anders als die Andern』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Anders als die Andern(Different from the Others)
製作国:ドイツ(1919年)
日本では劇場未公開
監督:リチャード・オズワルド
自死・自傷描写 LGBTQ差別描写 恋愛描写
Anders als die Andern

あんだーすあるすでぃーあんだーん
『Anders als die Andern』のポスター

『Anders als die Andern』物語 簡単紹介

同性愛が迫害の対象となっていたドイツ。とあるひとりの有名なヴァイオリニストの男は、教え子になりたいと慕ってきた若い男と関係を深め、しだいに恋へと発展していく。2人は仲睦まじく幸せなひとときを過ごしていたが、そこに悪巧みを狙う別の男が接近。2人の愛は邪魔されていき…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『Anders als die Andern』の感想です。

『Anders als die Andern』感想(ネタバレなし)

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1919年のドイツにて

2026年はクィア映画の歴史を振り返るような旧作の感想記事も書いていこう!と今年の抱負にしてみたものの、どの作品からにするべきか。

でもやはりこの映画を語らずしてクィア映画史を始めることはできないだろう…ということで…。

というわけで本作『Anders als die Andern』です。英題は「Different from the Others」

本作は1919年に製作されたドイツ(当時はヴァイマル共和政の誕生で揺れていた時期)の無声映画です。

これ以前にも性的マイノリティが描かれる映画が無かったわけではありません。ただ、『チャップリンの舞台裏』(1916年)のように女々しい仕草をする男性が笑いの種として消費されるだけの描写にとどまるなど、蔑視的な表象がほとんどでした。

そんな中、この1919年の『Anders als die Andern』は、同性愛者の人物を主人公にして、そのセクシュアリティを主題にし、なおかつそのアイデンティティを肯定的に描いた歴史上最初の映画として知られています。

実はこの映画、生まれた経緯がかなり特殊です。

『Anders als die Andern』の企画に大きく尽力し、脚本にもクレジットされている人物が、“マグヌス・ヒルシュフェルト”という性科学者。彼は性的マイノリティの歴史を語るうえで絶対に名前がでてくる有名人です。

“マグヌス・ヒルシュフェルト”は、LGBTQの権利擁護のために20世紀初頭に多大な貢献をしました。功績を挙げだすとキリがないですが、当時、社会で公然と迫害されていた性的マイノリティの人々について、医学の立場から「それは異常ではなく普遍的なものである」と明言し、後に世界初の性的マイノリティ支援専門医療機関と評される「性科学研究所」を設立し、多くの当事者をサポートしました。“マグヌス・ヒルシュフェルト”自身も同性愛者だったと言われていますが、その活動は友愛的で分け隔てないものでした。

その“マグヌス・ヒルシュフェルト”は、当時のドイツに存在していた「刑法175条(Paragraph 175)」と呼ばれる「男性同士の性的行為」を違法とする規定に反対する活動に尽力してもいました。この規定は結局1872年から1994年まで存在していました(詳しくはドキュメンタリー映画『ナチ刑法175条』も参照になります)。

“マグヌス・ヒルシュフェルト”はこの刑法175条を廃止にするべく、あれこれとキャンペーンを展開。署名嘆願などもやっていましたが、その中で作られたのがこの『Anders als die Andern』です。

つまり、「今の同性愛者はこの法律と偏見のせいでこんなに苦しんでいますよ」と物語で提示することで世論を変えようとしていたんですね。

本作『Anders als die Andern』は公開当時、極めて物議を醸し、とくに保守層から反発を受けました。そしてこの映画がきっかけのひとつとなり、ドイツで検閲を強化する法律まで作られ、本作自体が排除されました。そのうえ、ナチスが政権を牛耳ると迫害はより深刻化し、この映画のフィルムは燃やされてしまいました

そのため、『Anders als die Andern』の完全なフィルムは現存していません。

しかし、“マグヌス・ヒルシュフェルト”は1927年に本作『Anders als die Andern』から40分を切り出し、別のドキュメンタリー映画に挿入して使用していました。このドキュメンタリー映画がロシアでアーカイブされていたことが後に見つかり、「UCLA Film & Television Archive」がそのドキュメンタリー映画のアーカイブを入手し、『Anders als die Andern』の復元を試みました。

資料を元に当時の完成版の物語の流れはこうだっただろうと分析しながら再現するように編集し、英語のインタータイトルを付け加え、完成したのが現在観られるバージョンです。約50分ほどですが、これは「編集復元版」という感じですね。

『Anders als die Andern』(編集復元版)は、著作権も無いので、ネット上で本編が観れます。

「マグヌス・ヒルシュフェルトって映画史にも関わっている人だったのか!」と驚くと思いますが、ぜひ本作でクィア映画史の始まりを覗いてみてください。

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『Anders als die Andern』を観る前のQ&A

✔『Anders als die Andern』の見どころ
★当時の当事者の生活や苦悩が伝わる。
★現代に繋がる平等な権利を求めるアツい情熱。
✔『Anders als die Andern』の欠点
☆—

鑑賞の案内チェック

基本 同性愛差別の描写が多く、自死も描かれます。
キッズ 2.5
無声映画なので低年齢の子どもにはわかりにくいです。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『Anders als die Andern』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

パウル・ケルナー(Paul Körner)は新聞に目を通します。そこには小さな死亡記事がありました。

とある人物が「結婚後にまもなくして自殺。その理由は不明」と書かれています。

同じような自殺した男性を報じる記事はいくつもあります。死に方はさまざまですが、自ら命を絶っています。

その理由は多くの読者にはわかりません。しかし、パウル・ケルナーには身に染みてわかっていました。この社会で生きる当事者の苦しみを…。

パウル・ケルナーはバイオリニストとして成功しており、その生活は裕福なものです。そんなある日、クルト・シヴァーズ(Kurt Sivers)という若者が、パウル・ケルナーの演奏に魅せられ、教え子になりたくて、やってきます。若い男性で熱意に溢れていました。

パウル・ケルナーとクルト・シヴァーズは意気投合し、やがて恋へと発展していきます

ある日、2人が手を組んで外を歩いていると、あるひとりの男がその2人を盗みみて、にじりよってきます。彼の名はフランツ・ボレク(Franz Bollek)。

フランツ・ボレクはパウル・ケルナーの家にまで来て、不遜な態度で不敵に笑い、2人が恋愛関係にあることを知っていると示唆。男性同士の性行為は違法であったため、このままでは窮地です。フランツ・ボレクは口止め料を要求し、やむを得ずパウル・ケルナーはおカネを渡します。紙幣を嬉しそうに数え、ポケットにしまうフランツ・ボレク。

パウル・ケルナーは侮辱されたことに怒りを押し殺しつつ、彼を出ていかせるしかできません。

ところが、フランツ・ボレクの要求はエスカレートはしていき…。

この『Anders als die Andern』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/01/20に更新されています。

ここから『Anders als die Andern』のネタバレありの感想本文です。

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当時のドイツにおける当事者の営みと苦悩

『Anders als die Andern』をあらためて2020年代に生きる立場から観ると、「100年以上前の映画なのに、これほどまでに同性愛者に寄り添った作品があったなんて…!」とびっくりしますよね。

確かにここまで当事者にアライ(支持)な映画はこれ以降もなかなか現れません。いかに『Anders als die Andern』が特異な存在だったかということです。

本作はまず当時のドイツにおける当事者の営みと苦悩を映し出しています。

主人公のパウル・ケルナーはクローゼット(自身が性的マイノリティであることを公にしていない)な同性愛者です。そんな彼の人生は回想も交えながら、寄宿学校時代の恋人との思い出、そして今のクルト・シヴァーズとの付き合いに至るまで…そこには喜びもあります。

作中で一瞬登場する性的マイノリティの社交場では、背景で男性同士や女性同士のペアで踊っている姿がみられ、クィアな文化の片鱗も映されます。こういうシーンをさりげなく盛り込めるあたり、製作者はクィア・カルチャーにもしっかり精通しているのだなと感じさせますね。

しかし、社会に巣食う偏見の根深さは確実にパウル・ケルナーら当事者の人生に傷を積み重ねてもいます。

冒頭の死亡記事は、物語の演出として地味ながらも恐ろしい効果をだしていました。大部分のマジョリティには理解できない、一部の人の「死」の背景…。その理解できなさがまさに「死」を生み出している根源なのですが…。

そして、本作にて悪役として登場するのが、フランツ・ボレク。当時からこういう当事者をゆするような奴はいたんですかね。これもまたリアリティがありました。

ちなみにこのフランツ・ボレクを演じている“ラインホルト・シュンツェル”という俳優は、『Catherine the Great』(1920年)など監督業でも活躍していましたが、悪役を上手くこなす役者としても有名でした。今作でもそのいかにも悪そうな存在感がさすがでしたね。

また、パウル・ケルナーを演じた俳優である“コンラート・ファイト”は、『カリガリ博士』(1920年)など多数の名作に出演するベテラン。1928年の『笑ふ男』で主演した役柄は、後のバットマンの悪役「ジョーカー」の視覚的なインスピレーション元になったと言われているほどで、大胆かつ器用な役者です。今作ではフェミニンな佇まいで見事に同性愛者の主人公を機微をとらえて演じていますが、“コンラート・ファイト”自身も若かりし頃の劇でキャリアを積んでいた頃に女装もしていたらしく、両性愛者だったのではないかという後世の分析もあります。

本作に深く関わっているのが当事者とよく交流していた“マグヌス・ヒルシュフェルト”であるということを踏まえると、“コンラート・ファイト”の性的指向を考慮してのキャスティングだった可能性もゼロではないですよね。となると、1919年から当事者起用のクィア映画だった…ということになります。

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映画がアライになること。そして次は…

一方で『Anders als die Andern』は苦悩だけで終わらず、希望も提示します。

そこで先導者となるのが、パウル・ケルナーの前に現れる医者(ドクター)。詐欺師紛いの奴ではなく、誠心誠意で当事者に寄り添い、そのアイデンティティを肯定してくれる存在です。

この医者をなにせ“マグヌス・ヒルシュフェルト”が演じており、結果的に“マグヌス・ヒルシュフェルト”本人が実質的に本人役のような存在で登場していることになります。

本作後半では“マグヌス・ヒルシュフェルト”が科学的な知識でもって「同性愛は異常ではない」と力説する、ほぼ講義のようなシーンが続きます。現実では彼は本作の公開と同じ1919年から「性科学研究所」を運営し、当事者たちに寄り添いながら知見を深めていました。『Anders als die Andern』はその研究活動の旗揚げを象徴するような内容でもありますね。

作中では、同性愛のほかに、異性装者トランスジェンダー(当時は「transvestiten」なんて言葉で表現されていた)も紹介され、この頃から包括的に性的マイノリティを扱っていたことがハッキリわかります。人権を土台に性科学を論じるという“マグヌス・ヒルシュフェルト”の本当に重要な功績です。

本作ではアライの輪が広がっていく光景も映し出され、とても前向きにさせてくれます。

しかし、映画ではパウル・ケルナーは裁判でフランツ・ボレクと闘って善戦するも、自身のセクシュアリティを世間に暴露されたも同然で、命を絶ってしまいます。

結局、迫害を正当化する法律を廃さなくては、当事者に真の希望はありません。本作が訴えるメッセージは明白で真剣です。

『Anders als die Andern』はクィア映画の歴史の第一歩であり、本当に挑戦的な姿勢で道を開拓しました。

あらためて整理すると、これらを成し遂げた製作者たちの多く(俳優も含めて)はユダヤ系であり、当時の反ユダヤ主義に立ち向かうことと、異性愛規範&シス規範に立ち向かうことは、手を取りあえる同一の共同戦線だったのだなということが実感できます。クリエイティブな表現というのがいかに政治と連動しているかということでもありますね。少なくともこの時代のユダヤ系の映画製作者の多くは、そのことを熟知し、映画という手段で果敢に権力に挑んでいました。

残念なことに“マグヌス・ヒルシュフェルト”や出演俳優の多くはナチスの権力増長によって居場所を奪われ、1930年代あたりからドイツを離れます。それは性的マイノリティにとっても悲惨な迫害の終着点ともなったことは、ドキュメンタリー映画『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』でもまとめられているとおりです。

『Anders als die Andern』の後にクィア映画が続々と生まれてくれると良かったのですが、厳しい時代の壁が立ちはだかり、西洋では戦後しばらくも保守的な社会がクィア映画の登場を阻みます。『Anders als die Andern』ほどの真摯な当事者寄り添い映画は本当に40~50年後にならないと本格的に現れません。

この後のクィア映画史はまた別の作品の感想で…。

『Anders als die Andern』
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
◎(充実/独創的)※当時としては

以上、『Anders als die Andern』の感想でした。

Different from the Others (1919) [Japanese Review] 『Anders als die Andern』考察・評価レビュー
#ドイツ映画 #ゲイ同性愛