アイリッシュマン
Netflix映画『アイリッシュマン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Irishman
製作国:アメリカ(2019年)
日本:2019年にNetflixで配信
監督:マーティン・スコセッシ

アイリッシュマン

あらすじ

裏社会のボスに長年仕えてきた殺し屋フランクが、秘密と暴力にまみれた自らの半生を振り返る。全ては運び屋から始まった。運んでいたのは肉のはずだった。運ぶものはいつしか「欲」となり、「プライド」となり、「狂気」へとなっていく。男たちの繋がりを行ったり来たりしながら、自身の土台も固めていくフランクが見たものとは…。

『アイリッシュマン』感想(ネタバレなし)

巨匠に自由を与えたら傑作が生まれた

さあ、『アイリッシュマン』の話をしましょう。

映画祭での上映時から絶大な批評家支持を受け、2019年の賞レースでも筆頭候補とされるこの映画。しかし、“マーティン・スコセッシ”監督のMCU批判発言の方が巷では話題になっていることに、個人的には遺憾の意を表明したい…。

だってこの『アイリッシュマン』、凄く語りがいのある作品なんですから。監督発言より映画を語ろうよ!

ということで『アイリッシュマン』の話をしましょう(仕切り直し)。

本作はとにかく特筆ポイントがありすぎて解説するネタに困らない映画なのですが、何よりもまず私の感想総括を言えば、“マーティン・スコセッシ”監督の集大成的な最高傑作という評判も私は大納得の一作でした。

なぜそれほどまでの大物映画となりえたのか。巨匠とはいえ監督前作『沈黙 サイレンス』は全然話題にならずにアメリカでもスルーされたのに。

その理由はきっとNetflixによる「自由なクリエイティブ」が保障された環境の後押しで、あの元からとんでもないポテンシャルを持ったスコセッシ監督が、御年77歳にして最大パワーを発揮してしまったからなのでしょう。

私は当初あのスコセッシ監督がNetflixで映画を作っていると聞いて「え?」と思ったものです。だってあの誰よりも保守的な昔ながらの映画魂を継承するスコセッシが、急進的存在で映画業界の伝統を破壊しているという声もあるNetflixと手を組むのか、と。なにせ劇場上映だって極めて限定的にしか行われないのですから。それでいいのか、と。

ところがさすがと言いますがスコセッシの肝っ玉は違った。彼はインタビューでこう言ってました。

「私の以前に作った映画も1~2週間で上映が終わったものもあったし、今さら別に」

こんな自虐をサラッと言えちゃうのが実にスコセッシらしい…。それどころかこのお爺ちゃんは今回のNetflixのクリエイター・ファーストな制作体制がいたくお気に入りになったようです。まあ、だからつい既存映画業界の潮流への非難が口を滑ってでたのでしょうけど…。

撮影に106日かかっちゃった…うん、OK! 自分の作品史でも最長の映画時間が3時間30分になったけど…うん、それもOK! 製作費1億5000万ドルオーバーでこのジャンルとしては破格だけど…うん、全然OK! こんなやりたい放題を許してくれたら、そりゃあ巨匠も笑顔になるか。

とてつもない映像技術がさりげなく

Netflixとのタッグ以外にもスコセッシのフィルモグラフィーで異例の挑戦となったのは、CGの使い方です。

『アイリッシュマン』は“ロバート・デ・ニーロ”、“アル・パチーノ”、“ジョー・ペシ”とスコセッシと旧知の仲である面々が勢揃いしています(『監督・出演陣が語るアイリッシュマン』という対談を視聴すると実に仲良いお爺ちゃんトークが見れます)。そして作中では時間軸がかなりあるので3人の年齢も大きく変化するのです。そこで本作ではCGを使って3人の俳優を若返らせています。いわゆる「デジタルディエイジング(de-aging)」です。

技術的に珍しくはなく、最近も『ジェミニマン』などそれが売りになっている映画はありました。しかし、スコセッシは役者の顔にマークするための機器や印、カメラをくっつけさせるのはNOな人。そこでそういう小細工なしでディエイジングしてみせたんですね。

『スター・ウォーズ』でおなじみ常に映画映像の限界と突破してきた「ILM」という企業が技術を結集させて作った特別なカメラ。1台に3レンズがあり、それを4台駆使して、思わず俳優が「レンズを見ないで歩く方が難しい」とぼやくほどの撮影スタイルで映像を撮り、後に顔部分を加工。

結果は『アイリッシュマン』を観てほしいのですけど、全く違和感なく実在感を持って俳優の若かりし頃の姿がそこにあります。しかも、暗い場所とかで誤魔化しは全然していない。あのスコセッシさえも認める技術レベルの到達点。これだけでも凄いものを見れるのです。でもそれをことさらドヤ顔でアピールしていないのがまたスコセッシらしさですけどね。

「ジミー・ホッファ」を知っておこう

上映時間が長い? 知らん! 『アイリッシュマン』を観てください!…といきたいところですが、その前にひとつ。

実はこの『アイリッシュマン』、事前知識として知っておいた方が映画を楽しめるんじゃないかという要素がいくつかあります。これは最近でいう『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と同じです。あれも作中で登場する“ある実在の女優”の顛末を知っていないと映画体験が減退してしまう作りにどうしてもなっていましたが、『アイリッシュマン』にも似た問題があります。知っておくべき実在の人物がいるのです。これはネタバレにならないと見なして書いちゃいますね。


その人物とは「ジミー・ホッファ」。彼はアメリカの労働組合指導者として絶大な人気を誇っていた人で、労働者層(とくに男性)にとってまさに神でした。『アイリッシュマン』では「ビートルズ並みに人気」と語られますが、本当にそれくらいの熱狂的支持。

ところがそんなカリスマ的有名人のジミーは、1975年7月30日、デトロイト近郊で忽然と姿を消し、結局、見つからず、死亡扱いになってしまいます。警察の捜査ではギャングによって殺害されたと推測。実は彼はマフィア組織と繋がりが深かったのです。しかし、具体的に誰が殺したのかという手がかりはなく、いつしか都市伝説化し、あいつが犯人では、いやこいつだろう…と噂だけが独り歩きするようになりました。

『アイリッシュマン』はその謎だらけのジミー・ホッファの死に対してひとつの説に基づいて映像化しています。原作はチャールズ・ブラントが2004年に発表したノンフィクション作品「I Heard You Paint Houses」。なのでジミーの怪死を知っている人は「おお、こうくるのね!」となるわけです。それを逆に知らないと「なんかやけにあっさり死んだな…」と消化不良になるし、サスペンスも伝わりにくいでしょう。

他にもマフィアとケネディ大統領家族とのコネクションなど、アメリカ人なら超有名な話も絡んできて、かなりリアルな歴史を絡めとった骨太なドラマです。鑑賞後も自分なりに調べてみると発見があるのでオススメですよ。

オススメ度のチェック
ひとり◎(俳優・映画ファンは必見)
友人◎(映画好き同士で語り合おう)
恋人◯(ちょっと時間は長いけど)
キッズ△(大人のドラマです)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『アイリッシュマン』感想(ネタバレあり)

3つのパートで巧みに描く一本の物語

『アイリッシュマン』は大きく分けて3つのパートがあります。それぞれが時間軸が違うのですが、それだとまだ普通に思えますが、ひとつひとつが一見するとわかりづらい構成になっており、やや混乱します。

ひとつは「晩年のフランク・シーランが老人ホームで独りで過去を語る」というパート。最初に登場するパートであり、つまり本作の物語は全てフランクによる“信頼できない語り部”の映像化です。ここに謎多き実話を扱う映画として絶妙な立ち位置を感じますね。冒頭のセリフである「家でペンキを塗った」という言葉の真意はもちろん「ジミー・ホッファを殺したのは私だ」という自供であるは全編を見終えればわかるとおり。

2つ目は「フランクとラッセル・ブファリーノ、その二人の妻であるキャリーとアイリーン…この4名が車でどこかへ向かう」というパート。最初はバファリーノ夫妻のグレース=アンの結婚式のためにデトロイトに行くだけの行程だとフランク本人が言っています。道中で集金をするけど、と。しかし、実はラッセルの真の目的はジミー・ホッファの殺害でした。これにはフランクと観客も衝撃です。

3つ目は「まだ若いフランクがギャングの世界でのし上がっていく」という一番時間スケールの長いパート。2つ目のパートの道中でフランクとラッセルが初めて出会った場所を通りかかり、そこからこのパートが始まります。トラック運転手で肉塊を運んでいたフランクが、この肉塊をスキニー・レイザーという高利貸に密かに売って小金を稼ぐと、会社に訴えられ、そこで頼った弁護士ビル・バファリーノと仲良くなり、その流れで従兄弟のラッセル・バファリーノと親密に。実は彼らこそ地域を取り仕切る「ブファリーノ・ファミリー」というギャングなのでした。

運転手ではなくて組合の仕事がしたいフランクはラッセルに相談。そこで紹介されたのはあのジミー・ホッファ。以降はラッセルとジミーの間で行ったり来たりすることに。しかし、この二人はしだいに利害を対立させ、ラッセルはフランクにジミーの殺しを…とまあ、2つ目のパートに接続します。

なので、総括するとパートの流れは、①⇒②⇒③(途中で①と②を挟みながら)⇒②⇒①となるわけです。

この時間軸の移ろいを、CGメイクで表現した老化状態と、俳優の演技力だけで見せきってしまうのは、“マーティン・スコセッシ”監督の力量あってこそ。意味もなくダラダラと3時間半もやっているわけでありません。脚本の“スティーヴン・ザイリアン”(代表作は『シンドラーのリスト』)も良い仕事をしました。

笑い話にできるならいいけど…

『アイリッシュマン』はスコセッシ監督のフィルモグラフィーの中でも、個人的には最高クラスにユーモアとサスペンスのバランスが上手い一作だなと思いました。この配合が楽しめれば3時間半を退屈しないのですが、わからないとよく知らない人間の人生史をひたすら見せられるだけです。

本作は結構序盤からユーモア多めです。そもそもフランクという主人公のキャラが妙に抜けており、ちょっと『キング・オブ・コメディ』的な「事態をよくわかっていない男」っぽさがあります。

「すべての道はラッセルに通じる」とすっかり調子に乗り、もうちょっとおカネが欲しいなと欲を出し、ウィスパーズという男の依頼を受けるシーン。ユダヤ系だというライバルのクリーニング会社を「ベルリンみたいにしろ」という直球すぎる焼き払い命令を真に受けて、観客的にも「マジでそんな仕事をするのか?」と心配しながら、いそいそと準備しているフランクにブファリーノ・ファミリーからのお説教。ホッとしますが、同時に「大丈夫か、こいつ」感が膨れ上がります。

フランクが出会う新キャラ登場のたびに人生の顛末が表示されるのもシュール。「フィル・テスタ 釘爆弾によりポーチ下で爆死 1981年3月15日」「フランク・シンドーネ 路地で3発撃たれる 1980年10月29日」とかはまだわかる。「ジョセフ・P・ケネディ 1969年 長い闘病の末 他界」「アンソニー・トニー・ジャック・ジアカローネ 万人に好かれ自然死 2001年2月23日」みたいにツッコミ待ちとしか思えないテロップもあったり。こいつら偉そうに映ってますけど、死にますから…という死亡ネタバラしで威厳もクソもない感じになってます。

実在の人物だからこそ生まれる笑いと緊迫も印象的。例えば、ケネディ大統領暗殺のニュースが流れ、ショックを受ける一同の中、フランクだけ「あれ…」みたいな顔をしている場面があります。無論、これはケネディ嫌いを公言するジミー・ホッファが殺ったんじゃないかと疑っているからです(実際にケネディ大統領暗殺の黒幕としてジミー・ホッファ説がある)。個人的に作中一番好きな“ロバート・デ・ニーロ”の表情。

そしてついになんてことはない車旅だと思っていたものが、ジミー・ホッファ殺害へと向かっていることがわかるシーン。一気に観客含めて緊迫度が増します。ここでジミーを拾うためにジミーの養子のチャッキーの運転する車に乗るのですが、チャッキーと助手席のメガネのサリーがすごくどうでもいい会話をしているわけです。魚を載せたくだりのトーク。物語上関係のない雑談に見えますが、ちゃんと意味はあって、そもそもこのチャッキーは昔のフランクっぽいんですね。今は運び屋であり、今日は魚を運搬してきた。それはフランクがかつて牛肉を運んでいたのと同じ。そして事情を全然理解していないマヌケさも通じるものがあります。加えて死んだ生き物を載せてきた後部座席に今からジミーを乗せるのです。それはジミーの死を暗示するということは言うまでもなく。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』みたいに運命を回避するルートに転換する…わけもなく(そうだったら逆に見てみたいですけど)、殺害を実行するフランク。

物語はいつしか笑えない不可逆の悲劇へと突き進みます。笑い話にできるならまだマシ。そういう笑いにもできなくなった瞬間が本当に怖い…。

アイリッシュマン

ホモ・ソーシャルな世界の栄枯盛衰

『アイリッシュマン』は世間的な宣伝はスコセッシのこれまでの監督作『グッドフェローズ』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ディパーテッド』と同じく「ギャング映画」というジャンルで語られます。

でも実際に観てみるとギャングというよりは「ホモ・ソーシャル(男社会)」を生々しく描いた一本に私は思いました。それはフランクの立つ世界が必ずしもマフィアではなく、割合としては全米トラック運転組合(チームスター)の占める部分が多いからでもあるでしょう。

よくこんなことを言う人がいます。「反社会組織は悪い存在だけど、仁義や渋さは良いものだ」と。でもそれこそ冷静に考えればヤクザ思考そのものであり、トキシック・マスキュリニティと呼ばれる歪んだ男らしさの体現なんじゃないか。だから本作の男たちをカッコいいと思った人ほど要注意ですよね。

本作ではとにかく男社会の実態が痛烈に描かれています。あのジミーが連呼していました。「連帯(Solidarity)」と。でもこの男たちが熱狂する「男の連帯」は、昨今もクローズアップされる「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜならあの男たちは労働者の人権を守るという本来の目的を逸脱し、すっかり既得権益に酔いしれたいだけになってしまっているからです。ジェンダーとして最初から強者である男が欲するのはさらなる力。誰かの上に立ち、力をふるいたい。それは本質的には不平等な社会での独り勝ちがゴールです。

その男たちの慣れ合いや奪い合いの醜さたるや。

フランクは序盤からちょっと有力者と関係を持っただけで、家族のためを称して暴力で自分を誇示するようになります。険悪なジミーとトニーの対立シーンもアホそのもの。「イタ公って言ったから謝れ」「お前も遅刻したことを謝れ」と、小学生でもやらないレベルの喧嘩です。

それでいて妙な過信もあるんですね。ジミーにフランクが最終通告を説明するシーンでは、ジミーは頑なに「あり得ない(They wouldn't dare)」を連発。自分の男社会における立場は何を根拠にしているのかは不明ですが不動だと思い込んでいる。

でもそれはジミーだけじゃない。フランクさえも実はラッセルの道具に過ぎない。この直前のシーンでは、ラッセルから世界で3人しか持っていないという同じ金の指輪を貰い、「お前に手を出す奴は許さない」と熱い言葉をもらうフランク。もうこれなんかはホモ・ソーシャルな世界における結婚の儀ですよね。そんなアツいプロポーズの後に殺害指令が下るとは…。

何も残せない男のエンドロール

主人公であるフランク・シーラン。彼の生き方はホモ・ソーシャルな世界ではよくありがちな男だと思います。つまり、中立ぶって上手く立ち回っている気になっている系

ラッセルとジミー、どちらの権力者にも良い顔をし、それぞれからおこぼれを貰いながら、いつかは自分も権力者になりたい…と渇望している。でも現実はただの駒に過ぎない。けどそれは認めたくない。

年老いたフランクは周囲の顔見知りが死に絶え(抗争ではなく病気で)、若い介護スタッフもジミー・ホッファの名を知らないことを知り、自分が何のために生きていたのかと不安になり始めます。しかし、今さら何もできない。だから、終活する中で、アイルランド・カラーの緑色の棺を購入したり、神父から祈りの言葉を一緒に唱えてもらったり、民族や信仰に慌てて傾きだします。でも遅い。遅すぎる。

『アイリッシュマン』は徹底して男社会の男だらけワールドが全編にわたって続くのですが、唯一、女性の視点があります。それはフランクの娘ペギーの目線。彼女は幼いときから、この父が所属する男社会の脆さと醜さを見抜いていました。それは大人になっても同じ。「いい父親じゃなかった」なんてベタな言葉も手遅れで、償いも謝罪もできない老体は消えるのを待つのみ。

男社会を滅ぼすのは「ポリティカル・コレクトネス」でも「フェミニズム」でもない、自身の自惚れなのか。

面白いのはスコセッシ監督は昨今のジェンダー・ムーブメントを意識してこの映画を作ったわけではないのに、見事に男社会の痛いところを突く物語を生みだしている点。やはり卓越したクリエイターは無意識に現代社会の急所を射抜ける才能を持っているのでしょうか。この男社会は何もギャングや労働組合だけでなく、映画業界にだって当てはまるでしょうし、おそらく老いていく監督と仲間たちも含めての自虐的なストーリーでもあるのでしょうけど。

ラストでは、神父に頼んで自分のいる部屋のドアを少し開けておいてもらうフランク。彼を見ているのは作中内では誰もおらず、後は観客のみ。そして、彼の人生のエンドロールのようなエンドクレジットが始まる。旧態依然な男社会に生きる以外の道を選ばなかった男の末路はこうやって終わります。

男であればこうはなりたくない、女であればこんな男はいてほしくない。そんな落日を見せてくれる素晴らしい映画でした。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 86%
IMDb
8.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Netflix