君の膵臓をたべたい
映画『君の膵臓をたべたい』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:君の膵臓をたべたい(英題:Let Me Eat Your Pancreas)
製作国:日本 
製作年:2017年 
日本公開日:2017年7月28日 
監督:月川翔

Plot Summary

高校時代のクラスメイト・山内桜良の言葉をきっかけに教師となった“僕”は、教え子の栗山と話すうちに、桜良と過ごした数カ月間の思い出をよみがえらせていく。高校時代の“僕”は、膵臓の病を抱える桜良の秘密の闘病日記を見つけたことをきっかけに、桜良と一緒に過ごすようになる。

ネタバレなし感想

“さけぶ”の次は“たべる”なのか?

“君の膵臓をたべたい”!? なんだ、食人族の映画か!…そんな『グリーン・インフェルノ』ファンの映画オタクの皆さんはお呼びではありません。森にお帰りください。

↑膵臓どころか何もかも食べちゃう「君の全部をたべたい」映画。

本作『君の膵臓をたべたい』はそんな内臓グログロの作品ではありませんし、ましてや世界の変わったグルメを追いかけたドキュメンタリーでもありません。

原作を知らない人でも、タイトルとビジュアルでそれとなく察することができると思いますが、本作はいわゆる「青春ドラマ×難病モノ」の作品。それにしてもなかなか目をひくタイトルで、原作のネーミングセンスが光っています。

この「青春ドラマ×難病モノ」という金鉱脈の存在を日本映画界に知らしめたのは、やはり2004年に公開された『世界の中心で、愛をさけぶ』でしょう。今の10代の若い人はこの映画を知らないかもしれませんが、この『世界の中心で、愛をさけぶ』(略称:セカチュー)は興行収入85億円を記録し、その年の実写映画No1の大ヒットとなった社会現象映画でした。主題歌の平井堅が歌う「瞳をとじて」が大流行りして、TVで何度も何度もかかっていたのを私も覚えています。 このジャンルでここまでの大ブームは異常な盛り上がりであり、今、振り返ってもあれは何だったのかと不思議な気持ち…。

↑当時は流行りすぎて笑いのネタにもよくされました。

そんな『世界の中心で、愛をさけぶ』と『君の膵臓をたべたい』は、表面的には似たものがありますよね。まずタイトルがキャッチーだということ。そして、「青春ドラマ×難病モノ」による「泣ける」という要素を全面に押し出していること。製作陣も企画段階でこの類似性を意識していたらしく、『世界の中心で、愛をさけぶ』と同じプロデューサーが本作にも関わっています

ベストセラーとなった原作小説ファンは、やっぱり原作と映画、どこが違うのか気になるところですが、実写映画版では、原作にはない「12年後を描く“現在”パート」があるというのが大きな改変ポイントでしょうか。この“現在”パートで大人になった「僕」を演じるのはなんと“小栗旬”。散々ふざけまくったキャラを演じていた『銀魂』から一転、ずいぶんシリアスな役に…この夏は、いろいろな“小栗旬”が見れますね。

『世界の中心で、愛をさけぶ』は“長澤まさみ”が大ブレイクするきっかけになりましたが、本作のヒロインを演じ、咲 Sakiに続いて2度目の映画主演となる新人“浜辺美波”もこれで注目を集めるのでしょうか。

時期的には「泣ける映画」としては『心が叫びたがってるんだ。』という、こちらも“さけぶ”映画と激突することになる本作。どっちに軍配が上がるのかな…?

予告動画







↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

天使はお前だ

膵臓って食べれるのかな…(食人族思考が抜けていない映画オタクの妄想)。

そんなことをずっと考えて鑑賞するのはバチ当たりな気がするくらい、実際の中身はピュアいっぱいだった本作。タイトルばかりが先行して印象に残ってしまいますが、話自体は案外王道でした。

原作にはない「12年後を描く“現在”パート」があるという改変ポイントに関しては、原作への熱い想いがあるファンはどう思っているのかは知りませんが、個人的にはいいアレンジかなと思います。この追加によって、生徒パートの物語自体が回想になり、結果、少し当事者による批評的な視点が加わります。生徒パートでは言ってしまえば割と恥ずかしいやりとりも多く、ゆえに邦画がよくやりがちなわざとらしいドラマも「まあ、昔は若かったですよ」と反省込みで観るのであれば許容できるかなという感じ。

またそれ以上にこの“現在”パートによって映画の格調が上がったなとも感じます。それを支えているのが間違いなく大人の俳優陣。

とくに「僕(大人版)」を演じた“小栗旬”です。堂々たる貫禄でした。結構、過去作では損な役回りだなと思うのもあって時々バカにされがちですが、この男の真摯さは本物。

それは演技力だけでなく、演技以外の部分でも見られること。本作では、撮影中に一度しか会えていないらしい「僕(生徒版)」を演じた“北村匠海”にそうとう“小栗旬”の方から合わせていることが窺えます。なんでも左利きを右利きにしたり、ほくろを描いたりしたとか。すでに共演して知っているからイメージで合わせたと発言しており、なんだ、この男、天使かよと…。“浜辺美波”以上の天使がここにいたんだ…。
どこの誰とは言いませんが世にいる大物俳優の中には「私が中心だ!」と言わんばかりに自分全開で振る舞い、周囲がそれに合わせて必死になる状態もあるなかで、“小栗旬”はちゃんと「若手」に合わせてあげる…もはや若者を導くメンターとしても役割を果たしているという素晴らしい先輩魂でした。こういう良き先輩感は『銀魂』でも見られましたね。

他にも「恭子(大人版)」を演じた“北川景子”も、作中の一番肝となるドラマチックなピークの場面で、アドリブで「なんでこんなタイミングで……バカ」と付け加えるなど、経験値の高さで映画全体のドラマをワンステージ上にあげているのでした。

死神は天使を殺すのか

もちろん若手俳優陣もそんな大人陣に負けじと頑張っていました。

“浜辺美波”は「透明感のある若手です」という言葉をそのまま体現したかのような存在感を発揮しており、これはもう起用がこれから増えるな…と確信。こういうタイプのロール・キャラは邦画にはいっぱいありますものね。

ただ演技ではなく、根本的なキャラ設定に個人的には引っかかるものがあったのも事実。

“浜辺美波”演じる山内桜良というヒロインが、あまりにも天真爛漫すぎて「さすがに現実離れしすぎ」という邪念が頭に浮かんだ部分もあって。それに対して、主人公が「殻にこもった内向的な少年」という超テンプレなため、結果、主人公を全肯定しすぎている山内桜良がコワイくらいでした。本当に行動まで天使になったらダメでしょうと。共病文庫を通してわかる山内桜良の本心も、この年齢にしてはあまりに死について達観しすぎているものだから、「えっ、マジで天使なのか…」と思うくらいの存在感。“浜辺美波”が天使すぎる問題ですね。

もちろん対比させるためにわざと極端な性格づけなのはわかりますが。

あとは主軸となる物語のオチもあんまり乗れず。

病気で死ぬと思わせて通り魔で不意打ちのように亡くなるというのは、「難病の女の子が難病で死ぬとは限らない」という映画的ストーリーへのアンチズムみたいな仕掛けで、やりたいこととしてはわかるのですが。通り魔というところに余計にフィクション性が増してしまって、う~んと。これが実話だったら無理やり納得するのですけど、さすがに都合が良すぎるシナリオかな。せっかくドラマチックな死を回避しても、また別のさらにドラマチックな死が待っているなんて、まるで宿命みたいで…。あれですか、デスノートですか。死は回避できないんですか。死神は天使を殺すんですか。

かといって、山内桜良は階段から落ちて死にましたとか、交通事故で死にましたというふうにすればいいのかと言うとそれも違う気がしますが…。少なくとも大人時代に過去の新聞記事かなんかで死の理由がわかる、あっさりした感じの方が個人的には好みだったかな。あ、山内桜良が食人族と壮絶な激闘を繰り広げ、相打ちというかたちで戦死したとかでもいいですよ(誰も望んでいない)。

いつか“浜辺美波”が膵臓を食べる映画が見たいです。

ROTTEN TOMATOES ※
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IMDb ※
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★
※2018年8月20日時点

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