創造はときに自分も他人も傷つける…映画『マンティコア 怪物』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スペイン(2022年)
日本公開日:2024年4月19日
監督:カルロス・ベルムト
性暴力描写 自死・自傷描写 児童虐待描写 性描写 恋愛描写
まんてぃこあ かいぶつ
『マンティコア 怪物』物語 簡単紹介
『マンティコア 怪物』感想(ネタバレなし)
怪物は誰ですか?
『動物寓意譚』という文学が12~13世紀のヨーロッパで普及していました。これはいろいろな動物の形態や生態を図版と共に紹介したもので、動物図鑑みたいな感じです。しかし、現在の動物図鑑と決定的に違うのは、そこにはドラゴンやユニコーンなど空想上の生き物まで含まれていたことです。
なぜそうなってるの?と疑問が浮かびますが、これにはわけがあって、実はこの『動物寓意譚』は現代の動物図鑑のように科学的知見をわかりやすく伝えるものではありません。これの目的は、キリスト教の道徳的教化にあり、空想上の生き物も含めて紹介しながら、宗教上の善悪や教義を大衆に伝えていくことなのでした。
その『動物寓意譚』にも掲載されている空想の動物のひとつが「マンティコア」です。
マンティコアは、ライオンのような胴体と人間のような顔、サソリのような尾をもつ怪物。人間を食べるとされ、人間の顔を持った存在が人間を食べるため、食人として一種の禁断の欲求の象徴となっていました。
こんな生き物が実在していたら、人間を食べなくてもじゅうぶんすぎるくらいに怖いですけどね。それにライオン単体でも人間を食うし…。
今回紹介する映画はそんな恐ろしいマンティコアの名を冠した作品です。
それが本作『マンティコア 怪物』。
こんなタイトルですが、ホラー映画ではありません。実物のマンティコアもでてきません。
じゃあ、どういう内容なのか。主人公はゲームデザイナーの男。その男は普段はモンスターのデザインをしています。たぶんファンタジーゲームとかでよくある、フィクション系のモンスターです。その主人公が…まあ、いろいろする…。これ以上は書くとネタバレがすぎる気がする…。
展開を書くと「ああ、そう…」という感じですが、演出がやっぱり印象に刺さります。
何よりもこの監督の名をだせば、説明した気分になる。その人とは”カルロス・ベルムト”。スペイン人のこの監督は、2014年の長編映画監督デビュー作で、魔法少女を題材にした異色のスリラー映画『マジカル・ガール』で日本でも一部映画ファンの間に強烈なインパクトを残しました。2018年には監督2作目の『シークレット・ヴォイス』も公開し、相変わらず独自の才能を発揮。唯一無二の作家性を保持し続けています。
その”カルロス・ベルムト”監督の2022年の最新作が『マンティコア 怪物』です。2022年に第35回東京国際映画祭でも公開されたのですが(映画祭上映時タイトルは『マンティコア』)、日本での一般公開は2024年になりました。
ということで”カルロス・ベルムト”監督の作風を知っていれば察せるとおり、この『マンティコア 怪物』も独特の語り口となっています。
”カルロス・ベルムト”監督と言えば、日本サブカルチャーからのおつまみですが、今回はすぐにわかるかも。ハッキリ画面に映るものもあるし、なんなら予告動画に映ってるし…。
主人公を演じるのは、2019年の『SEVENTEEN/セブンティーン』でゴヤ賞の最優秀新人男優賞にノミネートされた“ナチョ・サンチェス”。
共演は、ドラマ『The Invisible Girl』の”ゾーイ・ステイン”。まだ新人のキャリアの浅さのようですが、全く隙のない演技をみせてくれます。
そして、重要な登場人物として役割を果たす子どもがいるのですが、その子を演じるのが”アルバロ・サンス・ロドリゲス”。子役ですけど、幼少期より活動していらしく、“ナチョ・サンチェス”や”ゾーイ・ステイン”よりもキャリアの経験値があり、そのせいか本作でも貫禄があります。
『マンティコア 怪物』は思いっきり人を選ぶ映画なので、あまり万人にオススメできはしないのですが、”カルロス・ベルムト”監督作が好きならチェックしてみるといいでしょう。
『マンティコア 怪物』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり鑑賞 |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :子どもには見せづらい |
『マンティコア 怪物』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
VR空間で、CGの手が動き、ニュルニュルとモンスターが肉付けされてデザインされていきます。その作業をVRゴーグルでやっているのがフリアン。ここは自宅の一室です。傍から見れば、何もない虚空で手を動かしているように見えますが、バーチャルではモンスターのデザインが出来上がっています。
スペインのマドリード中心部のアパートにひとり暮らしをしているフリアンはゲームデザイナーでした。
リュックを肩にかけ、アパートを出ます。到着したのはゲーム会社。映像の確認をする会議に参加します。
アパートに戻ると、隣のアパートで勢いよく炎があがっているのに気づきます。火災です。しかも、建物内に子どもが取り残されているようで、声をかけると、返事があります。慌てて建物同士が繋がっているドアを開けようとします。開かないので蹴破ろうと何度か挑戦し、ドアは開き、子どもを自分のアパートに避難させ、消火器で炎を消します。
救急も駆け付け、とりあえずひと段落。怪我はありません。近くで子どもはうなだれて座っています。ちょうど2人きりになったとき、その子に話しかけてみます。その子はこちらに目を向けず、たどたどしく喋ってくれます。少しの会話で2人はやや打ち解けます。クリスチャンという名らしいです。
そのとき、母親らしき女性が到着し、子を抱きしめます。
また、家の部屋に戻り、液晶ペンタブレットのディスプレイで仕事を再開。しかし、夜にベッドで眠りについていると、どうも落ち着かず、起きて立ち上がり、廊下を歩きます。胸に手をあて、鎮めようとしますが改善しません。
フリアンは息がやや粗いままタクシーに乗り、病院へ。受付で倒れてしまいます。
医者は抗不安薬を処方し、ひとりで抱え込まないようにアドバイス。
フリアンは気分転換でクラブバーに足を運び、そこで女性と出会い、体を交えます。けれども、ここでもフリアンは落ち着けません。後日の仕事でもどうも集中できません。
また、会社での会議。そこでNPCを制作するための子どもキャラクターのボディのデータをもらいます。
ある日、レストランであのクリスチャンが母と来ているのを目撃。その存在に気づき、少し離れた席からチラっと見つめます。
夜中、家に佇むフリアンはある行動にでます。例の人間のNPC用のボディ・データと、見かけた少年を写生した手描きのスケッチをもとに、フリアンはVR上でクリスチャンを精巧に再現し始め、朝まで没頭し、その完成したCGキャラクターの出来上がりに満足感を得ます。両手でそのVR上にあるCGの体をなぞり、眺め、快楽を感じ…。
別の日、職場の同僚サンドラのために開催されたパーティーで、遠隔教育で美術史の学位を学んでいるボーイッシュな若い女性のディアナと出会い、知り合います。
そのディアナとの関係に専念しようとするフリアンでしたが…。
VRで欲を満たすこと
ここから『マンティコア 怪物』のネタバレありの感想本文です。
『マンティコア 怪物』はテーマとしては観ればわかるとおり、わりと露骨で、ペドフィリア(小児性愛)を主題にしています。この児童への性的欲求を禁断の欲望として抑圧的に描いており、それをコントロールできず、一線を越えていく姿を描いています。この大まかなプロット自体は古典的です。
正直、テーマ性としてはステレオタイプな「ペドフィリアの悪魔化」に終始している部分は否めません。怪物として重ねるアプローチ自体も何も珍しくはありません。
ただ、本作は描き方のタッチとしては一方的な社会に有害な存在という他者化で見放さず、比較的主人公であるフリアンの内面的葛藤を軸にしており、そこは多少の寄り添いがあります。この映画を観て不快感を感じたならば、それは映画自体の質というだけで語れず、観客であるその人自身の拒絶反応も混入しているでしょう。このテーマを完全に冷静に見つめられる人はそういないのもわかります。
それでもオチの在り方といい、私は起承転結は今回はそんな好きじゃないですが…(やはりステレオタイプな表象からは抜け出ていないと思う)。ディアナの描かれ方ももっとトリッキーな存在にしてもよかったのではと思ったり…。ちょっと予定調和的に収まった感じもあるかな。
『マンティコア 怪物』の特徴は、このテーマを「VR(バーチャルリアリティー)」という現在における最新のテクノロジーを組み合わせて映し出していることです。
これは「フィクションで性的欲求を発散するなら良いだろう」という、よくある意見を踏まえたうえでの、あえての強烈な事例を示しています。
ちなみに、日本では絵といった二次元などのフィクションの表現物ならば児童ポルノに該当しないという通例があるみたいですが、実在の子どもを元にCGなどで表現物を製作した場合、児童ポルノに該当すると判断された判例もあります。そのため、近年は生成AIによる学習の過程を得て作られた児童ポルノが新たに問題視されています。なのでフリアンの行為は日本でも違法になる…はず。
スペインだとどうなっているのだろうと思って調べたのですが、たぶんスペインでは漫画やアニメでも児童ポルノに該当するみたいですね(OHCHR)。ということで、作中でフリアンのやったCG作成行為は、かなり言い逃れできないレベルで法的にアウトで(もう内心の自由がどうこうという話ではなくなっている)、企業側があそこまで深刻に扱うのも無理はないです。
”カルロス・ベルムト”監督による今作における最大の日本サブカルチャーからの引用はまさにこの「児童ポルノ的な創作物」なのでしょう。作中ではフリアンとディアナが『ギャルズパニック』という実在の1990年代の日本のゲームをプレイするのも印象的です。これは脱衣麻雀的な仕組みで、ゲームを進めていくと背景の女性の服を脱げていき、裸体が見えていくという内容。創作物で欲を満たすという先例で、それが最新版となったのが今作がみせるVRですね。
現在のVRでもアダルトゲームはありますが、作中のフリアンはデザインスキルを活かして、自分で自分用の”娯楽”を作り上げることができてしまいます。
とは言え、本作はこれを社会問題として「どう思いますか?」と突きつけるほどのトーンはありません。『キューティーズ!』と違って加害者側の視点なのもありますが…。
創造力の呪いに魅せられる
ペドフィリアうんぬんはここで一旦置いておき、『マンティコア 怪物』が”カルロス・ベルムト”監督らしいなと思うのは「創作物の呪い」を描いていること。
過去作とその視点は一貫しています。
『マジカル・ガール』では魔法少女アニメのコスプレをしたい女の子の創作的欲望が基軸で、『シークレット・ヴォイス』では歌手というキャリアの岐路に立つ人間の創作的欲望が基軸にあります。いずれも模倣するという行為を重ねて、闇に堕ちていきます。
”カルロス・ベルムト”監督は「創作って素晴らしいよね」みたいな賛歌よりも、「創作ってときに不気味な一線を超えるよね」という代償に興味があるのだろうな、と。
誰しも何かを創作するとき、そこに自身の願望が混じっていくものです。でも「これはフィクションだから」といって誤魔化すことも容易いです。そうやって自分や他者を騙し、傷つけてしまうことはあります。破滅が待っていることすら…。
”カルロス・ベルムト”監督作は常に破滅の結果が待ち受けます。しかし、その行為自体を悪いことだったと断罪しているわけでもなく、そういう顛末を描くことの寓話性に関心があるんでしょうね。
そして、たいていは「創作物vs創作物」みたいな対立構図が描かれます。
今作の場合、その要素はないなと思って観ていると、最後の最後に静かにガツンとぶちかまされます。
周囲からの信頼を失い、孤立したフリアンはクリスチャンとまた家で2人きりになり、クリスチャンに薬をもって眠らせるという、完全に傷害罪に相当する行為に手を染めてしまいます。そしてその先は躊躇していると、ふとクリスチャンの部屋の壁に「絵」が飾ってあるのを発見。それはトラの胴体に人間の顔がついたもので、「フリアン」と書かれていました。フリアンが「トラになりたい」と思っていたと打ち明けたことからこの絵を描いたのだと思われます。
クリスチャン的には何の狙いもなく気軽に描いた子どもらしい絵だったのでしょう。しかし、フリアンにはそれは「お前は怪物だ」という最終通告のようになってしまい…。
最後はクリスチャンの生み出した創造物が、フリアンの創作力を圧倒する。子どもの他愛もないクオリティの絵が、精巧なVRスキルを持つ男を上回る。
クリエイティブというのは、技術的な品質ではなく、その切り出すタイミングで最悪の殺傷力が呪いとして発揮される…そんな”カルロス・ベルムト”監督がずっと描いていることが今回もグサっと牙を突き立てて刺さりました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 78%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Aqui y Alli Films, Bteam Prods, Magnetica Cine, 34T Cinema y Punto Nemo AIE マンティコラ
以上、『マンティコア 怪物』の感想でした。
Manticora (2022) [Japanese Review] 『マンティコア 怪物』考察・評価レビュー
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