トランスジェンダー女子は好きに恋をする…映画『エニシング・イズ・ポッシブル』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にAmazonで配信
監督:ビリー・ポーター
イジメ描写 LGBTQ差別描写 恋愛描写
エニシング・イズ・ポッシブル
えにしんぐいずぽっしぶる
『エニシング・イズ・ポッシブル』あらすじ
『エニシング・イズ・ポッシブル』感想(ネタバレなし)
トランスジェンダーの10代を映画の主人公に
とても残念な話ではありますが、今、世界中でトランスジェンダーに対する排外主義が強まっています。トイレ、更衣室、スポーツ…そうした場所からトランスジェンダーを排除する動きに始まり、それが暴力や殺人にまで繋がり、事態は悪化し続けています。その差別の裏にあるのは「よくわからないものに対する漠然とした恐怖や不安」。そしてそれを利用しようとする政治や宗教の暗躍です。
このトランスジェンダー差別(トランスフォビア)の影響を受けているのは子どもたちもそうです。
学校でのトランスジェンダーに対する不平等な扱いのせいで、不登校になってしまったり、はたまた地域から引っ越しをせざるを得ない状況に追い込まれたり…。トランスジェンダーの子どもの葛藤に向き合わず、まるでトランスジェンダーであるのは一時の気の迷いであるかのように印象操作したり、トランスジェンダーとして生きることは健康に有害だと誤情報をばらまいたり…。あまりにも酷い現実がそこにはあります。
それでもトランスジェンダーの子どもたちはこの世界で生きていくしかありません。ほんのわずかでも希望を探しながら…。
こういうとき、映画やドラマなどでのレプリゼンテーションはマイノリティ当事者が活力をもらうエネルギー源になりうるし、その姿を正しく伝える機会になるのですが、これまた残念ながらトランスジェンダーが表象として描かれることは多くありません。メディアにおけるLGBTQの描かれ方をモニタリングする専門組織「GLAAD」の2021年の「Studio Responsibility Index」というレポートによれば、主要なスタジオで公開された2021年の映画の中にトランスジェンダーのメインキャラクターはひとりもいませんでした。
そんな中、2022年に公開されたこの青春学園映画はとても大きな意義があるでしょう。
それが本作『エニシング・イズ・ポッシブル』です。
『エニシング・イズ・ポッシブル』(原題は「Anything’s Possible」、ほぼ同様の原題の他の映画もあるので注意)は、トランスジェンダーの女子高校生を主人公にしたアメリカの青春学園映画です。その女子が家庭・進路・友情・恋愛などに悩んでいく姿が軽やかに描かれていき、ジャンルとしては鉄板の要素が全部揃っています。
もちろん本作の特筆点は主人公がトランスジェンダーだということ。しかも、アフリカ系の女子で、お相手となるボーイフレンドは中東系の男子高校生。人種的にも非常にレプリゼンテーションが前向きです。
主演を務めるのは、本作で映画初主演となる“エヴァ・レイン”。実はライターとして活動している人物で「them」などのLGBTQメディアで自身のトランス経験も踏まえて執筆をしていました。
共演するのは、『ウォーキング・デッド:ワールド・ビヨンド』の“アブバクル・アリ”、ドラマ『アリー my Love』の“レネー・エリス・ゴールズベリー”など。
そして『エニシング・イズ・ポッシブル』の監督も話題にしないわけにはいきません。なにせあの“ビリー・ポーター”なのです。“ビリー・ポーター”は1990年代からブロードウェイやオフブロードウェイで活躍し、『ドリームガールズ』『エンジェルス・イン・アメリカ』『キンキーブーツ』などで高く評価されてきた俳優であり、最近はドラマ『POSE ポーズ』でもエミー賞で主演男優賞を勝ち取るなど注目されました。
ファッションアイコンであり、クィア活動家としても有名で、その発言もよく取り上げられます。
映画では大胆なアレンジ版の『シンデレラ』でファビュラス・ゴッドマザーを強烈に演じていましたが、今回の『エニシング・イズ・ポッシブル』ではついに監督デビュー。“ビリー・ポーター”監督が10代のトランスジェンダーを応援するのもこんなご時世だからなのでしょう。
『エニシング・イズ・ポッシブル』は制作が「Orion Pictures」でこのスタジオは「MGM」の傘下であり、そのMGMが2022年にAmazonに買収されたこともあってか、本作も劇場公開されず「Amazonプライムビデオ」での独占配信となってしまいました。Amazonのオリジナル映画は目立たないので探しづらいのですが、ぜひ気になる人はウォッチリストに入れておいてください。
オススメ度のチェック
ひとり | :題材に関心があるなら |
友人 | :青春学園モノ好き同士で |
恋人 | :ロマンスがメイン |
キッズ | :子どもを応援する |
『エニシング・イズ・ポッシブル』予告動画
『エニシング・イズ・ポッシブル』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):私たちはサバイブする
「私が動物を好きな理由は名前が個性を表しているから。お気に入りの動物は…ヒメアルマジロ、アオアシカツオドリ、ビヨンセアブ、ニュウドウカジカ。個性はサバイブするための術」
そう自身の投稿する動画で語るのはケルサという女子高校生です。
ケルサは動物が好きで、家族や友人も動物に例えます。
「人間も動物の仲間。ママはゾウみたいに過保護」…確かに母は今日もあれこれうるさく、学校に行こうとするケルサの服装に小言をぶつけてきます。
ケルサの親友はエムとクリス。オシャレして2人と合流です。「生存のために警告色を利用する動物もいる。エムも同じ。彼女はパンサーカメレオン」「クリスはホエザルか、ラーテル。自己主張が強め」
学校生活は生存です。生き残りはクリエイティブなこと。ケルサたちは思い思いの生き方でそれを実現していました。
クリスはケルサに「ボーイフレンドを作ったら?」と提案しますが、どうも積極的にはなれません。高校を卒業したら新しい生態系が待っている…それは慎重になるのも当然です。
学校にて美術講師のもとでデザインを学ぶ授業。パートナーを組んで絵を描くことになり、ケルサはカール(カリッド・ズアビ)とペアになります。彼には優しいところがあるとケルサは前々から気づいていました。
帰宅すると母は大学入試の準備で張り切っていました。「何かに挑戦したり挫折を味わったとき、勇気を持って対処したか。その経験を述べよ」という課題をしないといけず、ケルサは「トランスの話はしたくない」と口にします。「パパのことは?」「それはちょっと…」「それを乗り越えて強くなったでしょ」…母はひとりで乗り気です。
一方、カールは「reddit」で不特定多数から恋愛相談に答えるのを趣味にしていました。幼稚園から友人のオーティスも部屋にいますが、カールだけの日課です。
何気なくケルサについてネットで調べると、彼女が投稿した動画がでてきてそれを視聴します。そこにはホルモン遮断薬を試した自分について語っていたり、トランスのデート問題を語っていたり、赤裸々な気持ちが映っていました。
ある日、ケルサたちは自分の好意を持っている相手について話題になり、エムはカールだと恥ずかしそうに語ります。それを聞いて動揺するケルサ。自分もそうだとは言えない…。
しかし、エムはノートに雑な愛のメッセージを殴り書きし、「渡してきてよ」とあろうことかケルサに頼んでしまい、渋々渡すことに。
ケルサとカールの関係は深まっていき、気持ちは高まります。恋愛相談をネットで答えている割には自分の恋愛経験は乏しいカールは、兄弟のアーウィンに「花でも送れば?」と言われ、とりあえずそれを実行することに。ところがそれが大きな波乱となってしまい…。
現代社会の今を青春に映す
トランスジェンダーの子どもを描く作品は少ないです。『リトル・ガール』や『ジェーンと家族の物語』といったドキュメンタリーならあります。
ドラマ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』でも群像劇のひとつではありますが、トランスジェンダーの女子がみずみずしく描かれていました。
では『エニシング・イズ・ポッシブル』はどうなのか。内容は王道です。青春、とくに恋愛が軸になっています。トランスジェンダーを主役にこういうスタンダードな物語を描けるというのが大事な部分です。
クィアを描くのはいいけどやっぱり恋愛なのか…と恋愛ばかりが主軸になるのにやや辟易する人もいるでしょうし、その気持ちもわかりますが、今回に関しては恋愛を描く重大な意義があると思います。
というのも、巷のトランスジェンダー差別主義者の人たちは「ホルモン遮断薬(ブロッカー)を思春期の10代の頃から使うと恋愛できない身体になってしまう!」「アセクシュアルやアロマンティックにさせられる!」と根も葉もない主張をしているからです。それに対して「いや、恋愛はできますけど? 性的関係を持つこともできますけど?」とこの映画が平然と示すメッセージ性は重要です。
『エニシング・イズ・ポッシブル』は単なるロマンス青春モノというだけでなく、上記のようなトランスジェンダーにまつわる「イシュー」をかなり多数盛り込んでおり、これは作り手も意識しているのでしょう。
例えば、花プレゼント事件から巻き起こる「ケルサvsエム」「カールvsオーティス」の友情のヒビは、そのままトランスジェンダーをめぐる世間の対立へと発展し、学校を騒がせていきます。ジェンダーをあえて間違えるor理解しようとしないミスジェンダリング、「女性の安全を守る」という建前で女性スペースからトランスジェンダー女性を追い出すTERF的な言動、トランスジェンダーと交際する異性愛者をゲイと呼んでしまう世間の雑な認識…。
この映画で描かれることは今まさに起きているトランスジェンダーの10代が直面するストレスそのもの。こんな厳しい環境で生存しないといけない当事者はどれくらい辛いのかわかりますか?という切実な訴えです。
ビリー・ポーター監督には次も期待したい
そうした問題提起が後半にいけばいくほど増すのでキツイ展開もあるのですが、基本的に『エニシング・イズ・ポッシブル』はハッピーなタッチで進みます。トランスジェンダーの10代でも幸せな人生を生きてほしいという製作者の思いが感じられます。
とくにやはり恋愛パートはロマンチックで、2人とも恋愛経験が乏しいという設定上、とても初々しい恋模様がゆっくり進んでいき、見守りたくなるほんわかなムードです。野花をプレゼントするとか普通はやらないだろうし、せめて店で買おうと思わないのか…。
植物園でのデートとかはあの2人らしくて良かったですけど。この2人ならではのベストマッチング感がありましたね。絶対にカールはエムと付き合っていたら全然気が合わなくて数日で破局だろうな…。
そんな『エニシング・イズ・ポッシブル』ですが、起承転結としてはやや雑に流されているところが多すぎる欠点は目につきます。前半はいいのですけど、例のトランスジェンダー・イシューが続々と起き始めるとその解決はかなりざっくりしています。
まあ、これらの問題はそもそも現実社会で解決していないことですし、この映画はその現実社会に対して「どうですか?」と投げかけているわけで、無理に作中内で完全解消する必要もないのですけど、何かしらの方向性を示すなどのストーリーテリングとしての感動は欲しいところではあります。トランスジェンダーをめぐる諸問題を正しく理解している人ほど、ここは物足りなかったかもしれないです。
進路もかなりとんとん拍子で難なく理想どおりに着地していきますからね。あそこでも波乱があって、そこで対立していた友情が復活して乗り越えていくくらいの山場は欲しかったかもしれないかな。
あと、今作の主人公は動物好きということになっていましたけど、動物好きを主役にする青春映画には『アレックス・ストレンジラブ』もあったけど、あれと比べるとこの『エニシング・イズ・ポッシブル』は動物オタクっぽくなくてイマイチ動物好き10代のリアルさは無かった気もする…。
そんな苦言も書きましたが、『クラッシュ 真実の愛』と同じようにこの『エニシング・イズ・ポッシブル』もZ世代のクィア映画を象徴する一本でした。こういうような作品がぼんぼん作られまくる世界になるといいのですけどね。
『エニシング・イズ・ポッシブル』のエンドクレジットでは校内でのダンスパフォーマンスという実に楽しい映像で締めくくっていましたが、“ビリー・ポーター”監督には次はクィアなミュージカル映画を撮ってほしいかな。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience –%
IMDb
4.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Orion Pictures, Amazon エニシングイズポッシブル
以上、『エニシング・イズ・ポッシブル』の感想でした。
Anything’s Possible (2022) [Japanese Review] 『エニシング・イズ・ポッシブル』考察・評価レビュー