現代の中年ゲイ世代のもしも…映画『異人たち』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2023年)
日本公開日:2024年4月19日
監督:アンドリュー・ヘイ
自死・自傷描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
いじんたち
『異人たち』物語 簡単紹介
『異人たち』感想(ネタバレなし)
日本の小説が英国クィアに塗り替え
実家を出て自分の住まいを持っている人もいれば、実家になおも住んでいる人もいるでしょう。
この「実家」という言葉。英語にすると「parents’ house」もしくは「parents’ home」で、要するに「親の家」という単純な意味の単語の組み合わせです。こうやって並べると、やっぱり日本語の「実家」という言葉は、英語とは意味合いが違う気がしてきます。
確かに日本においても実家は親の家なのですけど、わざわざ「親家」ではなく「”実の”家」と表現するんですからね。他に「生家」という言葉もあって、これは嫁の立場である女性が自分の生まれた家を指すときに使われるので、つまるところ「実家」というのは非常に家父長的な言葉だな、と。どの家に属するかを表明させるための戸籍的な言葉とも言えます。
こういうことを意識するようになってから、私は「実家」という言葉を日常で使わなくなりました。たいていは「親が住む家」とか、だれだれの暮らす家…と言えば事足りますから。私が住んでいる家は、私の家です。誰が世帯主か・購入したのか…そういうのは関係ないです。
今回紹介する映画は、ある主人公が実家に帰ってくる話なのですが、里帰りみたいなものではありません。ちょっと変わったシチュエーションで、不思議なことが起きます。
それが本作『異人たち』。
本作は、イギリスが舞台のイギリス映画なのですが、原作はなんと日本の小説です。その元になっているのが、数々のテレビドラマの脚本家として国内では有名な“山田太一”が1987年に発表した『異人たちとの夏』。日本では”大林宣彦”監督の手で1988年に映画化されています(この映画も相当にヘンテコな映画ですが)。
そんな国際的に評価の高い小説とかだったのかと驚いたのですけど(私が無知なだけか)、2024年にイギリスで映画化されるとは…。『生きる LIVING』といい、日本の名作をイギリスで映画化する潮流ができているのかな。
ただ、今回のイギリス映画『異人たち』は、“山田太一”の小説を大まかに翻案したもので、中身はだいぶ違っています。
中年男性の主人公が実家に帰るのは同じで、そこで起きる展開の仕掛けもほぼ同一。一番に異なるのは、主人公が同性愛者として設定されていることです。
これは物語上でもとても重要な影響があり、本作は想像以上にクィアな体験を練り込んだストーリーになっています。作品の髄までクィアですよ。クィアを語らずにこの映画を語れるのか?ってくらいに。
この『異人たち』の監督・脚本を手がけたのが、“アンドリュー・ヘイ”です。『WEEKEND ウィークエンド』(2011年)、『さざなみ』(2015年)、『荒野にて』(2017年)と、いずれもその監督作は孤独との静かな戦いを内面的に進行するかたちで描いたものばかり。
今作『異人たち』もその“アンドリュー・ヘイ”監督の作家性がたっぷり漂っているのですが、今回は監督自身が「最も個人的な映画」と言い切っているだけあって、特別なようです。“アンドリュー・ヘイ”監督もゲイであることをオープンにしていますが、そのプライベートな葛藤が反映されているんだろうなということは、鑑賞するとじゅうぶん伝わってきます。今回ばかりは監督が自分を慰めているような感じです。
主演は『OSLO オスロ』やドラマ『Fleabag フリーバッグ』の“アンドリュー・スコット”。“アンドリュー・スコット”もゲイをオープンにしており、当事者起用です。
共演は、『aftersun アフターサン』や『もっと遠くへ行こう。』で静かな名演をみせ、今後の活躍も間違いなしの”ポール・メスカル”。そして、ドラマ『シャイニング・ガール』の”ジェイミー・ベル”や、『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の”クレア・フォイ”などです。
『異人たち』の評価は“アンドリュー・ヘイ”監督作ではトップクラスに上々で、英国アカデミー賞にて英国作品賞、監督賞、脚色賞、助演女優賞、助演男優賞などにノミネート(米アカデミー賞では全無視されているのは、まあ、あちらはね…)。さすがです。でも“アンドリュー・スコット”の評価が低くないか?とは思うけど…。
かなり陰鬱で暗い作品ですし、同性愛差別的なリアルな会話もあるので、鑑賞すればエンパワーメントが!…みたいな気分の良さは全くないですが、人によっては非常に心に沁み込んでくる味わいはあるでしょう。クィア当事者だと、自分事として少し揺さぶられすぎるくらいの鑑賞経験になるかもしれません。
映画を観終わった日、静かに夜空でも見上げてください。きっとあなたと同じような境遇の人が、その同じ空を世界のどこかで見ているはずですから。
『異人たち』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり味わう |
友人 | :信頼できる相手と |
恋人 | :盛り上がる内容ではないけど |
キッズ | :性描写あり |
『異人たち』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
40歳のアダムは脚本家。独りで生活しており、家にいるのはいつも自分だけ。活気はなく、無気力さが漂っていました。住んでいるのはロンドンの高層ビルの1室。都会を一望でき、夜景が見えますが興味ありません。
ある夜、警報が鳴り、渋々ビルを出ます。とくに大ごとでもなかったようです。下から見上げるとある上階の一室の窓が明るく、人の姿がこちらを見降ろしています。アダムは無言でまた部屋に戻ります。
するとドアをノックする音。隣人のハリーで、どうやら少し酔っているようです。あまり隣とコミュニケーションをとる人間ではないので、あらためて初対面として互いに名乗り、ぎこちなく握手。
「一緒に飲まないか」と誘われますが、アダムは淡々と断り、なおも酔っている感じのハリーの前でドアを閉じます。
翌日、ノートパソコンに向き合い、執筆作業をしますが、進みません。そこで奥からケースを取り出し、中のものをいじります。カセットテープなどの小物に混じって、子どもの頃の写真がありました。そこには幼い頃に住んでいた家が映っています。
アダムは思い立ってその実家に足を運んでみることにします。
家はありました。写真のままです。生垣からのぞき込むと、窓辺に子どもの自分がいるような気がします。
周辺の景色を眺め、空気を感じ、物思いに耽ります。そして夜には車の急ブレーキ音がどこから聞こえてくるような…。
もう一度、実家に寄ってみると、不思議なことに30年前に他界した父と母が当時のままの姿で普通にそこにいました。食卓を囲み、今はロンドンに住んでいてライターであると事情を説明。2人は息子を慈しむような目線を向け、温かく接してくれます。
話は弾みます。安らぎを感じ、アダムの表情に感情が戻っていきます。心が解きほぐされ、2人に別れを告げ、家を出ます。玄関前でも「またすぐに来てね」と優しく見送ってくれました。
あの高層ビルに戻ると、エレベーター前でハリーと再会。家の中に入れると、自然と自分のセクシュアリティの話題をすることができました。そしてキス。ちょっと緊張するアダムでしたが、2人は体を交えます。
アダムはいつの間にかまた実家に足を運んでいました。そこで自分を打ち明けてみますが…。
現代の中年ゲイ世代にとっての親
ここから『異人たち』のネタバレありの感想本文です。
『異人たち』はいわゆる「sob story」と呼ばれる、個人的な感傷に浸るセクシュアル・マイノリティを描くうえでの定番構成です。ゲイと死を主題にするあたりは、近年も『ザ・ホエール』や『aftersun アフターサン』などいくつも見られました。
その中でも、今回の『異人たち』は、当事者監督&主演の織りなす語り口の質感がとても繊細かつリアルで、真に迫るものがありました。
まず本作の特徴は、これが「現代を生きる中年男性」の物語だということです。40歳のイギリス人。そしてゲイ。これだけである程度の時代性を人生が背負っています。
イギリス在住の同性愛者にとって現代は昔よりも差別は減り、同性婚もできるようになり、暮らしやすくなりました。でもだからといって何でもハッピーというわけではない誰しも過去を引きずっています。その過去は簡単に忘れられません。
本作の主人公であるアダムは、独身らしく、あまり交友があるほうには見えません。そして親にもカミングアウトはしていないようです。
そんな彼が実家に帰るのですが、普通ならここで親との対話が再開され、セクシュアリティの開示も揺れていくはずです。しかし、ここが本作の重要ポイントで、肝心のその両親はもう亡くなっています。しかも、自分が12歳になる前に、交通事故という不慮の悲劇で…。
なのでアダムにしてみれば、最もセクシュアリティに悩んでいる時期に親と対話する機会は失われ、ある意味では宙ぶらりんの状態で放置され、中年になってしまったんですね。ここで親が生きていて思いっきり自分のセクシュアリティを否定してくるなら「じゃあ、縁を切るしかないな」と踏ん切りもつくものです。でもそれすらできなかった。
親が自分を受け入れてくれるのか、受け入れてくれないのか、全くわからないという、当事者にとっては一番嫌な心理状態のままになっています。
そんなアダムが空っぽの実家で、自分の想像の両親に再会します。年をとっていない両親。これはあの世との交流です。そういう点では、実家や生家でもない、この家は”実”も”生”もない極めて死に溢れている家ですね。
そしてアダムの心の投影でもあります。過去を思い出しているわけじゃないです。もしもこうだったら…というアダムの心の葛藤です。もし両親が生きていたらこんな会話をしていたのだろうか…みたいなことです。
なので、想像してしまう親の反応は非常にベタな偏見や恐怖心がこぼれでています。例えば、母にカミングアウトしてみると、「gay」を「homosexual」と言い直され、「いつから?」とか「そうは見えない」とか「結婚や子どもは?」とか「繊細なんだよね」とか、勝手な質問や断定を繰り返されます。クィアな子を前にした極めてありえそうな親の態度です。
父と対話では、父親のステレオタイプで粗雑なジェンダー観が言葉の端々から飛び出します。大人のアダムはそれに言い返せるわけでもなく、子どものように泣くしかないです。
けれどもそんな親でも「どこかで理解し合えるタイムラインがあるのではないか」というわずかな希望を捨てきれない。そのアダムの心残りを表すように、親と分かち合う瞬間も描かれます。願望ですけどね。
2020年代に40歳の当事者にとって、10代の年齢のときは1980~1990年代。ちょうどエイズ危機の時代であり、ゲイに対する世間の風当たりは冷たいです(ドキュメンタリー『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』も参照)。
こういう時代を経た当事者ならなおさら「親」との関係が複雑になるのも当然です。
私も君もここにいる
『異人たち』において、両親以外にもうひとつ印象的に登場して、アダムに絡んでくるのがハリーという男性です。
隣人のようで、アダムとは打ち解け合い、ゲイクラブで楽しんだり、体を交えたり、関係を深めます。しかし、その正体は最後に明らかになるとおり、もうすでに亡くなっている人物で、作中のハリーはこれまた想像の存在でした。
このハリーが、現代の実在の人間だったのか、それとももっと昔にアダムが出会った人間なのか、より想像的な架空の人間なのか、詳細は曖昧なままです。本作は冒頭から虚実が入り乱れ、現実味が薄いので、判断がしづらいです。
ハリーが40歳になるまでどういう人生を生きてきたのかわかりませんし、おそらく全ての時間で独りだったとも思えません。何か別の死別を経験しているかもしれません。
とは言え、このハリーは年齢的にアダムよりひと回り若い世代に思えますが、そのわりには結構アダムと感覚が合います。
「gay」と「queer」の言葉に対する所感を語り合うところなんて象徴的ですが、ここでも現代を生きる40代らしいゲイ・カルチャーとの距離感がでています。世間のそういう文化に対して、どうしても乗り切れていない自分がいることへの不安、孤独、恐怖…。
そう考えると、あのハリーはアダムのもうひとりの自己アイデンティティとも受け取れますね。こちらもまた自己対話です。
上手く現実感を薄めている演出も素晴らしいのですが、ハリーを演じる“ポール・メスカル”の演技も良くて…。それとの“アンドリュー・スコット”との組み合わせ。受けとか攻めとかそんな消費的な図式ではなく、心を通わせる者同士のペアとして、ベストな2人でした。
時代は変わったのに、自分は変われていない気がする。自分だけが孤独なのではないだろうか…。そんな彷徨いを感じている人、言ってみれば互いに見知らぬ人(stranger)はたくさんいると思いますが、本作はセクシュアル・マイノリティにそのテーマを巧みに調整してみせました。
ラストでアダムはハリーに「ここにいる」と言葉をかけますが、時代や経験の違いはあれど、やっぱりみんながここにいるってことが大事なんじゃないかなと思います。ここにいる者同士、寄り添い合う瞬間は大切にしていきたいですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 91%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved. オール・オブ・アス・ストレンジャーズ
以上、『異人たち』の感想でした。
All of Us Strangers (2024) [Japanese Review] 『異人たち』考察・評価レビュー
#イギリス映画 #アンドリュースコット #ポールメスカル #ゲイ