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映画『プリシラ』感想(ネタバレ)…ソフィア・コッポラの考察は見せてくれない

プリシラ

ソフィア・コッポラの考察は見せてくれない…映画『プリシラ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Priscilla
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2024年4月12日
監督:ソフィア・コッポラ
DV-家庭内暴力-描写 恋愛描写
プリシラ

ぷりしら
『プリシラ』のポスター。プリシラとエルヴィスが顔を寄せ合ってキスしそうな姿を映したデザイン。

『プリシラ』物語 簡単紹介

プリシラは14歳だった頃、すでにカリスマ性を発揮して周囲の人を惹きつけていたエルヴィス・プレスリーと出会い、話しかけられたことで恋に落ち、夢中になってしまう。エルヴィスはスーパースターとして確実に頭角を現していき、このままでは手が届かない場所に行ってしまいそうだった。やがて彼女は両親の反対を押し切って、体験したことのない大邸宅でエルヴィスと一緒に暮らし始めるが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『プリシラ』の感想です。

『プリシラ』感想(ネタバレなし)

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資産も男女関係も揉め事の定番

私には資産が全然ないのでここまでくるともう開き直りの境地ですが、世の中には資産運用で頭がいっぱいの人もいるそうです。

「キング・オブ・ロックンロール」として音楽業界に君臨した「エルヴィス・プレスリー」の資産もなかなか大変な様子。

1977年にエルヴィス・プレスリーが亡くなった後、その資産に首を突っ込んできたのがトム・パーカーという名の当時のマネージャーです。彼のことは最近の映画『エルヴィス』でたくさん描かれていましたね。

その亡くなった直後は、父親のヴァーノン、祖母ミニー・メイ、そして当時9歳の娘リサ・マリー・プレスリーが信託者となったそうです。「あれ? 妻は?」と思った人もいるかもしれません。そうです、妻は弾かれています。ただし、ヴァーノンの死後、エルヴィスの妻が管財人のひとりとなり、資産運用を任されます。その妻こそが「プリシラ・プレスリー」でした。

プリシラは「Elvis Presley Enterprises」という組織を作り、ライセンスや財産を管理。最も若いリサ・マリーが資産を長く受益できる人物と思われたのですが、なんと2023年に54歳の若さで亡くなってしまい、まだ存命のプリシラは資産運用に頭を悩ますことになってしまいます。

いろいろな揉め事があったようですが(リサ・マリーの結婚歴はかなりビッグです。例:マイケル・ジャクソン、ニコラス・ケイジなど)、結局、娘で現在俳優として活躍する“ライリー・キーオ”が中心で相続していく模様。

そんな最中、2022年の『エルヴィス』に続いて、2023年もエルヴィス・プレスリー関連の映画が公開されることになりました。

それが本作『プリシラ』です。

タイトルで丸わかりのとおり、今度はエルヴィスの妻であるプリシラ・プレスリーを主題にした伝記映画です。プリシラがエルヴィスに出会い、結婚し、離婚するまでの半生を抜きだして描いています。

プリシラ本人が1985年に出版した自伝『私のエルヴィス』が原作となっているのですが、実際のところ、脚色はされています。それも「Elvis Presley Enterprises」はかなりお怒りだったようで、撮影前にリサ・マリー・プレスリーは脚本に反対していたとか(でもプリシラ・プレスリー本人は製作総指揮に参加していて綿密に連絡しながら映画製作をしたそうで、当事者反応が複雑です)。

で、それも確かに映画を鑑賞したら納得でした。これは…エルヴィス・プレスリーの印象は間違いなく悪くなります。資産的には価値が下がるやつですから…。

まあ、でもこの監督がどういう意図で作ったのかはわかりません。その『プリシラ』の監督とは、”ソフィア・コッポラ”です。もうこの監督起用だけ渋滞してますよ。そもそも“ニコラス・ケイジ”繋がりで、”ソフィア・コッポラ”もエルヴィス・ファミリーと完全な無縁ってわけでもないような…。

”ソフィア・コッポラ”監督なら恐れずに手をつけられるのもわかりますが…。それにしても”ソフィア・コッポラ”監督、こういう題材、ほんと、好きですね。2006年の『マリー・アントワネット』は当時は物議を醸した感じでしたが、今作『プリシラ』はそんなでもないのは、社会の認識の変化なのかな…。

主人公のプリシラを熱演するのは、ドラマ『メア・オブ・イーストタウン』、映画『パシフィック・リム アップライジング』『ザ・クラフト: レガシー』で活躍中の“ケイリー・スピーニー”。今作でヴェネツィア国際映画祭で女優賞を受賞と、キャリアが羽ばたきました。

そして問題のエルヴィスを演じるのは、ドラマ『ユーフォリア EUPHORIA』“ジェイコブ・エロルディ”『Saltburn』に続き、いつも性的関係のスキャンダルの渦中にいるキャラクターばかり演じてる気がする…。

本作『プリシラ』はエンターテインメント性が主軸になく(ライブショーな盛り上げもない)、エルヴィス・プレスリーが大好きなファンには全くオススメできませんが(ファンの人と一緒に鑑賞したら険悪になりそう…)、スターダムの影にある男女の権力勾配に興味あれば観てみてください。

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『プリシラ』を観る前のQ&A

✔『プリシラ』の見どころ
★俳優たちの歪な関係性を表現する熱演。
✔『プリシラ』の欠点
☆未成年への加虐的な描写があるので注意。
☆エルヴィス・プレスリーの音楽要素はほぼない。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:俳優の演技を楽しむ
友人 3.5:関心あれば
恋人 3.5:歪な恋愛だけど
キッズ 3.0:大人のドラマです
↓ここからネタバレが含まれます↓

『プリシラ』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

1959年、西ドイツのヘッセン州。アメリカ軍基地の敷地に近いダイナーでひとり佇んでいるのは14歳のプリシラ・ボーリューでした。すると背後から青年に話しかけられ、「エルヴィス・プレスリーは好き?」と聞かれます。何でも彼が来るパーティーがあるらしいです。プリシラは「両親に聞いてみないと」とその場で大人しく答えます。

プリシラの義父はアメリカ空軍の将校であるポール・ボーリューで、基地を転々とする人生でした。多感な時期を迎えたプリシラにとっては刺激もなく退屈です。

母親のアンも含めて両親は最初はそのパーティー参加を渋りますが、他にすることもないので、プリシラはなんとか許可を得ます。

パーティーと言っても部屋で行われる小さなものです。しかし、プリシラには大人の世界です。部屋には大勢がいて、肝心のエルヴィスを紹介されます。当時のアメリカは徴兵制度があり、すでにエンターテインメント業界で若くして有名になり始めていたエルヴィスもアメリカ陸軍の兵役についていました。

ソファに座って2人だけの会話。ちょこんと大人しくやや緊張して座るプリシラは、聞かれたので9年生だと説明すると、「すごく若いね」とエルヴィスは口笛を吹いて反応します。

するとエルヴィスは呼ばれてピアノを陽気に弾き、奏でるリズムに周りが盛り上がります。プリシラはその姿を顔を高揚させて見つめていました。

またパーティーに誘われ、より大人っぽい衣装で、会話の距離は前よりも近くなりました。誰もいない部屋で2人っきりになり、エルヴィスはホームシックな心境を吐露。エルヴィスから手を握り、2人はキスします。

それからというもの、学校でも特別な人ができた喜びをひとりで噛みしめるプリシラ。両親は心配しますが、プリシラはもうエルヴィスのことしか考えられません。

ある日、エルヴィスが家を訪ねてきます。父は年齢差に懸念を抱いていますが、しかし、エルヴィスは淡々としており、映画館などデートに誘ってくれます。プリシラにとっても幸せな日々。

しかし、エルヴィスにはすでに熱狂的な女性ファンが取り巻いており、兵役を終えてそそくさとアメリカに戻ってしまいました

残されたプリシラは学校でも気が抜けたように失意の中にいました。今までの一緒の時間は何だったのだろうか…。雑誌に映るのは名声を獲得してどんどん手が届かない場所に行ってしまったあの人の顔。連絡が来るかもと期待しましたがそんなことは起きません。母は忘れたらと声をかけます。

1962年、自分でもあり得ないと思っていましたが、一本の電話が鳴ります。それはエルヴィスの声。まるであのときのままのように甘く囁き自分に接してくれます。

しかも、グレイスランドの邸宅に招待してくれるというのです。手紙にはファーストクラスのチケットがあり、まさかのチャンスが巡ってきました。

こうしてプリシラは憧れのあの人のもとへ飛び立ちますが…。

この『プリシラ』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/10/15に更新されています。
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幼さしか存在感がない主人公

ここから『プリシラ』のネタバレありの感想本文です。

最初に書いておきますが、プリシラ・プレスリー本人は元夫であるエルヴィスから未成年搾取的な虐待を受けたとは主張していません。本人が書いたこの映画の原作となった自伝本もそうしたことを告発するためのものではないです。

映画『プリシラ』を脚本含めて手がけた”ソフィア・コッポラ”もインタビューで「エルヴィスを悪者にしたくはなかった。でも時代が異なるということもハッキリさせたかった。プリシラが見たとおりのエルヴィスを映したかった」と答えていますDeadline

この”ソフィア・コッポラ”監督の発言は、まあ、いろいろな大人の事情を察せるものでもあります。リスクヘッジ的な言葉の選び方ではありますよね。「Elvis Presley Enterprises」が睨みをきかせ、エルヴィスの楽曲使用の許可も貰えず、板挟みはあったでしょう。著名な”ソフィア・コッポラ”監督と言えど、現在進行形で商業的管轄下にあるここまで厳しい題材に手をつけるのは大変だったはず。

そんな製作者側の複雑なパワー関係に晒されているうえでの姿勢はさておき、映画本編はどうかと言えば、どう言葉で取り繕っても、やっぱりかなりプリシラはエルヴィスによってグルーミング的な「abuse」にあったことをひしひしと突きつけるような映像にはなっていたと思います。

まず初登場時のプリシラですが、設定上は14歳なのですが、演じている“ケイリー・スピーニー”の容姿が衣装やメイクも合わせてめちゃくちゃ幼く見えます。プレティーンくらいに見えると言っても過言ではないです。これに関しては”ソフィア・コッポラ”監督の”女の子”趣味も混じっているのだと思うんですけど…。

そんな幼さ満載のプリシラが軍基地という成人男性ばかりの世界にポツンと佇んでいて、この出だしのシチュエーションからして『ハードキャンディ』みたいなジャンルでも始まるのか?と感じるほど露骨。

しかも、容姿だけでなく本作で描かれるプリシラは常に控えめというか、ボソボソこじんまり喋る子で、いかにもコミュニケーションは下手そうで脆弱な感じにも描かれています。要するにコントロールされやすそうな存在です。

それはエルヴィスの邸宅であるグレイスランドに来てからも変わらず、わざわざ周りの大人から「あの子、ずいぶん小さい(little)ね」と言わせて、その異質さを強調します。住み始めてからも邸宅内で浮きまくりで、小型犬と遊ぶくらいしか対等な存在がいない…(小型犬と同等という皮肉)。

そのプリシラがエルヴィス好みにスタイルを変えて、あの独特の髪形も登場し、どんどん痛々しさが増していく感じ…ちょっと見ていて辛い…。

成績が落ちぶれている中で迎えた学校のテストで「あなたはエルヴィスのファン?」と持ちかけて同級生からの不正サポートで事なきを得るあたりも、このプリシラにはエルヴィスとのコネしか武器がないという自立性の無さが際立つので、もの悲しいです。

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エンターテインメントに捕食される

一方のこの映画『プリシラ』のエルヴィス・プレスリーですが、控えめに言っても、う~ん、これは「性的捕食者(sexual predator)」の典型っぽさが序盤から出まくっていました。

プリシラと初対面時の年齢告白での「ひゅ~」と口笛吹く仕草の軽さとか、一見すると相手の年齢を気遣っているように見えつつ“お預け”で焦らしている感じにさえ見える振る舞いとか、このエルヴィス、やることなすことが全部怖くて…。

“ケイリー・スピーニー”は童顔なのですが、“ジェイコブ・エロルディ”も結構、童顔で、そんな彼が演じる今作のエルヴィスはそれゆえに幼い純真な加虐という印象を強めていた感じもしました。

今作では心理的虐待だけでなく、椅子を投げつけるとか、押し倒すとか、物理的な方面でもしっかり描いていて、あんまり擁護する箇所もないような…。初期から薬を与えている描写まで入れてましたからね。

そのエルヴィスと後に浮気関係が取りざたされるアン=マーグレットですが、こちらは俳優としても歌手としても自立していて、残酷なくらいに本作のプリシラとは真逆。

プリシラはいよいよ「エルヴィスの都合がいい可愛い子犬」を演じられなくなり、あのグレイスランドの邸宅を車で飛び出していき、エンディング。ドリー・パートンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が精一杯の抵抗みたいだった…。

このラストを見たうえで全体を振り返ると、個人的には締めの転換が物足りない気持ちはあります。あれだけ加虐されるパートが長々続いて、「これで終わりか…」という印象は残りますね。

実際の歴史では、この後もプリシラには波乱万丈の人生がありますし、むしろここからが面白いと思うのです。ただ、なんというか、世間はこういうポップカルチャーで有名なカップルとかで女性を描くとなるとたいていは男女関係に焦点が絞られやすく…。男女関係以外も描いてほしかったなとは思ったり…。

とは言え、加虐シーンはあれど、性的な描写を直接的に見せしめにするようには描いていないのは救いです。それをやってしまって『ブロンド』はとんだ中身になったわけだし…。

こういう「男性的支配構造から最後は飛び出していくアイコン的な女性」を描くことは、『スペンサー ダイアナの決意』といい、今のひとつの定番プロットだと思います。

あとはそこからどれだけオリジナリティをだせるかでしょうか。

いろいろ感想を述べましたが、2022年と2023年に立て続き、同じスターを土台にした2本の映画が公開され、どちらも支配構造が描かれたのは興味深いことでした。映画『エルヴィス』ではエルヴィス本人が音楽業界に虐待され、映画『プリシラ』はプリシラがエルヴィスに虐待され…。もう単にエンターテインメントに熱狂してもいられませんよっていう、時代を表す二本立てですね。

『プリシラ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 63%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0

作品ポスター・画像 (C)The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023

以上、『プリシラ』の感想でした。

Priscilla (2023) [Japanese Review] 『プリシラ』考察・評価レビュー
#ソフィアコッポラ #ケイリースピーニー #伝記