足跡はかき消して
映画『足跡はかき消して』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Leave No Trace
製作国:アメリカ(2018年)
日本では劇場未公開:2019年にDVDスルー
監督:デブラ・グラニック

足跡はかき消して

あらすじ

オレゴン州ポートランドの広大な都会の中にポツンと存在する森林公園で、文明社会から離れたキャンプ生活を送る父親と13歳の娘。毎日のほとんどを森で過ごし、街中に出ることは滅多にない。最小限の資源と道具で暮らすこの日々に、父と娘は満足していた。しかし、ある日、その日常は急に終わってしまい、二人の関係性にも少しづつ変化が起こり始める。

ネタバレなし感想

アメリカにはこんな人たちもいる

アメリカの有名な映画レビューサイト「Rotten Tomatoes」では批評家の評価を集積して「%」で映画ごとにスコアを算出しています。例えば、ある映画のスコアが「70%」だったらレビューした批評家のうち7割の人がポジティブな評価をしたことを示します。細かい採点は反映されていないので、基本は大雑把な“良し悪し”しかわかりません。でもさすがに「100%」という数値が出ることは滅多にありません。ましてや大勢のレビュアーの評価が集まったうえで「100%」を叩き出すのはまず難しいです。全員がポジティブな評価を与えたことになります。普通は何人か「私はこの作品は好きじゃない」くらい言ってもおかしくないですからね。

しかし、世の中にはそれでも「100%」スコアを記録した映画が出てくるものです。

最近だと『パディントン2』がそうでした。226のレビューが満場一致でポジティブ。まさにみんなで拍手してスタンディングオベーションしているようなものです
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そして、最近の映画でもうひとつ「100%」スコアを記録した映画がありました。

それが本作『足跡はかき消して』です。

215のレビュー全員がポジティブ評価。こうなってくると期待も高まってくるというもの。ただ『パディントン2』のようにスタンダードな絶賛で一般ウケするタイプの映画ではないということはハッキリ言っておくべきでしょう。

本作の監督は“デブラ・グラニック”という人。あまり映画も数を撮っていませんし、マイナーな作品ばかりなので、よほどの映画ファンでもないと知らないと思います。

“デブラ・グラニック”監督への評価が高まったきっかけとなった作品が、2010年の『ウィンターズ・ボーン』です。非常に評価が高く、アカデミー賞では作品賞、脚色賞、主演女優賞、助演男優賞にノミネートされ、まだ当時はデビューしたてな感じもあったジェニファー・ローレンスを一躍トップ女優に押し上げました。

この『ウィンターズ・ボーン』は題材となっているコミュニティが特徴的。アメリカに移民してきた「スコッチ・アイリッシュ」と呼ばれる人たちを源流とする「ヒルビリー」と称される独自の集団社会を描いた映画なのです。「ヒルビリー」は外界とは関わらず、文化技術などの文明や政治などの社会システムとも距離を置き、自分たちの掟に従って山奥で生活しています。私も本作を観て、“アメリカにはこんな人たちがいるんだ”と驚きました。

それで『足跡はかき消して』もまた、アメリカの知られざる社会の片隅で生きる人たちにスポットをあてた映画になっています。

具体的にどういう人かと言うと、これは言ってもネタバレというほど映画の面白さを損なうことにはならないので書いてしまいますが、「退役軍人」を描いています。“退役軍人ってそんなに特殊なの?”と思うでしょうし、私も観る前は思っていたのですが、退役軍人と言うと『アメリカン・ソルジャー』で描かれているように基本は軍人になる前に住んでいた家や土地に戻ってきて、そこで人生の続きを歩むものです。
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ところがいろいろ軍隊経験のトラウマによりPTSDが深刻になった人の中には、文明社会から離れた森などで暮らし始める人もいるそうです。そんな人たちを描いたのが『足跡はかき消して』なんですね。これもまたひとつのアメリカ社会のマイノリティと言えるでしょう。

『足跡はかき消して』は「Rotten Tomatoes」の評価だけでなく、多くの批評家が2018年のトップ10に選ぶほどの傑作であり、インディペンデント・スピリット賞でもノミネートされました。

日本では劇場未公開(ビデオスルー作品)となり、完全に注目もされない蚊帳の外に置かれてしまったのですが、ぜひとも映画愛好者の方は“観るリスト”に加えてみてください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(じっくり人物心理に寄り添って)
友人◯(マイナー映画好きなら)
恋人△(わかりやすい感動系ではない)
キッズ△(シリアスな大人向けのドラマ)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ここはアメリカです

鬱蒼とした木々と下草が生い茂る森林の中を練り歩く男女。鼻歌交じりでまるでピクニックでもしているかのようです。会話を聞いていると、どうやら父と娘らしく、ウィルとトムという名前で、森の中でテントを張っていました。普通に考えれば、レジャーでキャンプしているのだろうかと思うくらいの平穏な光景。

しかし、どこか違和感があります。必死に火をつけようとする父に対して、濡れているから無理だとプロパンで調理する娘のトム。レジャーにして装備が不足しているような…。

そうこうしているうちに、父親の男が、訓練だと言って森で身を隠すトレーニングをトムにやらせます。そして隠れ方を評価し、痕跡の消し方を教えていく父。完全に軍隊がよくやるアンブッシュやステルスと同じ。明らかにレジャーではありません。何かから逃げているのか、ここは危ない国の危険地帯なのか、だったら理解できなくもないですが…。

また、トムは森林内であった伐採業者の人たちを隠れて窺うような素振りを見せます。犯罪でもして逃亡しているのか…。

その後、二人はさすがにいろいろな必要必需品が尽きたのか、森を抜け道路へ出て、橋を渡り、ゴンドラに乗り、都市部へ向かいます。ここでこの二人がいた場所が、街の中に存在する森だったことが判明。森林公園的な場所ですね。予想外に狭いスケールに面食らいます。

そのまま買い物をするほかに、退役軍人省の退役軍人保険局(Veterans Health Administration)に寄る父。やっとこのウィルという男の正体が推察できます。イラク戦争に従軍した軍人だったということ。ヘリなどの大きな音に怯え、森暮らしをしているのは重度のPTSDのせいだろうということ。

ウィルは退役軍人保険局で処方された鎮痛剤など薬をあの森に暮らすホームレスの人たちに売ることで小金を稼いでいたのでした。

序盤からいろいろと勘繰りたくなるような怪しい二人に見えましたが、蓋を開けてみれば、シンプルで、でもドスンと重たい現実が。これはアメリカの経済社会の中心で起こっているアメリカ人の物語なんですよと、何も知らない私たちに突きつける静かにショックな始まりです。

社会に捨てられた人間

『足跡はかき消して』はピーター・ロックが2009年に発表した小説「My Abandonment」が原作になっています。この人は社会から置き去りにされてしまった人たちを題材にすることが多いらしく、『足跡はかき消して』はまさしくな作品でした。

まずはあらためて退役軍人の環境の苦しさを痛感します。『アメリカン・ソルジャー』でも描写されていましたが、愛国心だなんだと大旗振って国民一同出迎えしておきながら、精神を病んだ退役軍人のことはろくに見向きもしない社会。サポート体制は人手不足もあって全く整っておらず、支援もないまま、苦境に立たされた退役軍人の多くは自殺を選んでいく。それがひとつのケース。

一方、『足跡はかき消して』の主人公ウィルは自殺という道は選ばなかったにせよ、社会からは離脱するという状況に追い込まれており、これはこれで残酷。しかも、仕事につけないとか、そういうレベルにとどまらず、森でテント暮らしするような、アンダーグラウンドというか、文字どおり“外野”です。

支援がないわけではありません。作中では森暮らしのウィルとトムが警察に捕まり、社会福祉施設に連行。そこで少しの取り調べの後、田舎に車で連れていかれ、新しい家と仕事場を与えられます。表面上では支援として最低限のことはしてもらえている…そう言ってもいいはずです。

しかし、ウィルの状態は想像以上に深刻。提供された新生活でもそれは変わらず。他人も社会も技術も宗教も何も信用できず、孤独に沈むのみ。

ウィルが派遣された職場が「クリスマスツリー農園」だというのも皮肉な意味合いを感じます。クリスマスツリーはある時期のみ皆から愛され、それが終われば要らなくなる存在ですから。それにしてもツリーってあんな風に生産されているんですね。

もちろん社会福祉施設で働く人たちは決してずさんな仕事をしているわけではありません。むしろできる限りの支援をしていると思います。でもその救いのつもりで投げ入れたロープは全然ウィルのような人間の手元には届いていないという現実。そのロープを握るための握力すらもウィルにはないという現実。社会制度の網からこぼれる人たちの虚しさが伝わってきます。

足跡はかき消して

ミツバチから学ぶ

ところが、ウィルには唯一、自分に完全に寄り添い、かつ信頼もできる、最良のサポートが存在します。それが娘のトムです。

トムはずっとこの生活なのでこれが当たり前になっているのですが、別に父親のことが嫌いということもありませんし、むしろ一番に考えて好いています。そして何よりもポッキリ折れそうな父を最も身近で支えてきた人間です。ウィルが自殺しなかったのも、トムがいてくれたからかもしれません。

作中でペットのウサギを扱う「4H」クラブにトムが参加しますが、そのあたりからもトムが“弱い生き物(ウサギ=父)”に優しく接することに長けていることが暗示されるようでした。

トムは別にPTSDではないですから、父の巻き添えで今の状況にいるだけで、そう考えると被害者なんですけどね。でも本人はむしろそれを自分の役割ぐらいに思っているような…。

しかし、その父と娘の関係も、森を離れて新しく始まった文明的な生活(それでもド田舎ですが)とその生活からさらに逃亡して別の森にある“社会に捨てられた人たち”のコミュニティにたどり着いたことで、徐々に変化していきます。常に一緒で同じラインを歩いていたはずの二人の痕跡がずれ始め、最終的には大きな分岐点にぶちあたり、別々の道を歩むことに。

非常識な環境下で唯一無二の共依存関係を構築する親子…その親子がしだいにずれていき、やがて子どもが親の世界から脱する。このテーマ性、ものすご~く是枝裕和監督作品っぽいです。『足跡はかき消して』のラストの味わいとか、もろにそうです。

本作の場合は、トムの積極性が印象的だったかなと。トムがこれ見よがしではないにせよ、ウィルの精神的自立を後押しするかのような描写がさりげなくあったと思います。

そのひとつが後半にミツバチと接するシーンです。彷徨ったあげく怪我をして、通りすがりの人に助けられ、古びたキャンピングカーに案内されて一時的に住むことになる二人ですが、トムは近くのおばあさんにミツバチをみせてもらいます(たぶん蜂蜜採取用に飼っている)。それでトムは父にもミツバチを見せ、ハチを素手で掌にのせながら「怖がることはない」「温かいよ」と説明します。ミツバチは社会性の昆虫ですから、言ってしまえばウィルが恐怖の対象としている“社会”をミニマムにしたような存在。ミツバチを使って社会に慣れさせるような、そんな優しい気遣いを感じさせる場面です。

また、作中でも説明されていましたが、ミツバチは一匹ではとても弱く、それこそ針で敵を刺すと自分の内臓まで針と一緒に抜け出るという捨て身の小さな生き物。だからこそ集団で暮らすことで過酷な自然環境でも種を存続できるんですね。ミツバチはコミュニティの強さを象徴する存在でもあります。

いつかどこかに自分の居場所となる巣と群れを見つけられる。トムとウィルの対比的な姿を見ながら、そう強く信じるしかない、そんなちっぽけな私。

『足跡はかき消して』は、『万引き家族』や『わたしは、ダニエル・ブレイク』、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』に並ぶ“社会に捨てられた人たち”を描く名作でした。
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ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 82%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

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↑『ウィンターズ・ボーン』…同じくデブラ・グラニック監督作。
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