あの人もお気に入りの隠れた名作…映画『未来を乗り換えた男』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:ドイツ・フランス(2018年)
日本公開日:2019年1月12日
監督:クリスティアン・ペッツォルト
未来を乗り換えた男
みらいをのりかえたおとこ
『未来を乗り換えた男』あらすじ
ドイツで吹き荒れるファシズムから逃れてフランスにやってきた青年ゲオルクは、パリからマルセイユへと流れ着く。偶然の成り行きから、パリのホテルで自殺した亡命作家ヴァイデルに成りすますことになったゲオルクは、そのまま船に乗ってメキシコへ行こうと思い立つ。そんな時、必死に人捜しをしている黒いコート姿の女性マリーと出会う。
『未来を乗り換えた男』感想(ネタバレなし)
鑑賞前に原作小説の前提を知ろう
1年の終わりが迫ってくるのを感じる瞬間と言えば何か。いろいろな人がそれぞれの答えを持っているでしょうけど、私みたいな映画好きな人間は「その年の映画ベスト10を発表しだす時期」として認識している側面が大きいかもしれません。まあ、別に誰かに急かされているわけでもない。ただ、なんとなく映画ベスト10をまとめたくなる。そうなったらあなたは立派な映画趣味人です。
私を含む一般観客ファン層の映画ベスト10もとても個性があって楽しいのですが、批評家のベスト10はかなり意図が明確にあって興味深いです。単に「好きだった」という好み以上に、芸術としてどう価値を見いだせるのか…そこが重要視されてきます。「私はこの俳優が好きだからこの作品をプッシュします」「ボクはアニメ派なのでなるべくアニメ映画を入れていきます」という“推し”みたいな感覚とは全然違うんですね。なんかこう、上手く言葉にできませんが、批評の際に主軸になるもの(趣味ではなく)が常に一貫して存在している感じ。もちろん趣味ありきで仕事している批評家もいますけど。
そんな独自性を持つ批評家たちの2019年の映画ベスト10を流し流しで見ていくと、ある作品が目につきます。それはあまり話題になっていない映画であり、おそらくコアな映画ファンにも知らない人が少なからずいるのではないかという隠れた名作扱い。
それが本作『未来を乗り換えた男』。原題は「Transit」です。
この映画、元大統領バラク・オバマも2019年のお気に入り映画のひとつに選んでいました(それにしてもオバマさんはどんだけ映画を観ているんだろう。もう批評家レベルじゃないか…)。
『未来を乗り換えた男』は批評家評価は非常に高いです。「Rotten Tomatoes」の批評家スコアは94%ですからね(別にこれだけが指標ではないですが)。
ではなぜこうも目立っていないのかというと、本作はドイツ映画なのですけど、ドイツを含むヨーロッパ圏での公開が2018年4月。アメリカでの公開が2019年3月。かなり間が開いてしまっています。ここまで年をまたいでしまうと、グローバルに話題になりづらいので、どうしても注目度合いも分割されがちです。
そんなに面白いのかと関心を持った人。『未来を乗り換えた男』の鑑賞前にお節介ながら忠告します。この映画、初見時はかなり戸惑います。その理由は世界観説明が全然ないからです。そもそもどういう映画なのかというと、おそらく現代と年代はそれほど変わらないと思われるヨーロッパが舞台。そしてここからが重要なのですが、この世界ではファシズム的な排外主義が相当に勢力を増しているということ。
つまりいわゆる「歴史改変SF」…もっといえば「Invasion literature」と呼ばれるような、大衆が不安に感じている近未来の悪い予測に基づく仮想物語なのです。
本作は原作があってドイツの作家アンナ・ゼーガースが1944年に発表した小説です。彼女はユダヤ系の家族に生まれ、パリに移住し、次にマルセイユに引っ越しするのですが、ナチズムが徐々に迫り、1941年にメキシコに逃げます。この原作小説はまさにその体験をそのまま描いたようなものです。リアルタイムな時期にこんな小説が書かれていたこと自体驚きですね。
要するに原作小説はほぼほぼ作者の体験ベースの実話風なのですが、それを映画ではなんと現代に置き換えてしまったわけです(まあ原作小説は刊行時は現代の話だったのですけど)。それは当然、今のヨーロッパで再びネオナチが再始動していることの表れということなのでしょうけど、かなり大胆な改変。しかも、それを全然作中で説明もしないので、ヨーロッパ事情を知らないと頭の中はずっと「?」です。逆に知っておきさえすれば何も複雑でも何でもないのですが。
監督は『イエラ』『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』と世界的に高い評価を得ている“クリスティアン・ペツォールト”。私は彼の作品で初めて観たのが『あの日のように抱きしめて』だったのですけど、なかなかにショッキングな内容で、負の歴史が個人の人生に残す傷の重さみたいなものをズッシリと痛感させる力がありました。『未来を乗り換えた男』は現代歴史SF的テイストになり、また違った“クリスティアン・ペツォールト”監督の手腕が光っています。
主演は『ハッピーエンド』『希望の灯り』『名もなき生涯』とそうそうたる作品で活躍する若手俳優“フランツ・ロゴフスキ”。そしてヒロインはフランソワ・オゾン監督の『婚約者の友人』で印象的な演技を見せた“パウラ・ベーア”です。
ヨーロッパ映画好きで未鑑賞ならば忘れずに観ておくとよいと思います。今の時代に観ることで意味がある映画ですから。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(隠れた高評価作をお探しなら) |
友人 | ◯(シネフィルな映画好き同士で) |
恋人 | △(かなり地味です) |
キッズ | △(大人のドラマです) |
『未来を乗り換えた男』感想(ネタバレあり)
逃げる。それはどこまで…
ゲオルクはフランスのパリにいました。彼の祖国はドイツでしたが、すでに故郷だった国は変貌。再びファシズムが台頭してきたことで、身の危険を感じたためにパリに逃げてきました。
ところがこの滞在していたパリも平穏な地ではなく、封鎖されてドイツ軍が街中を堂々と進行しており、見つかればどんな目に遭うのかもわかりません。早く次の一手を打たなければ捕まるのも時間の問題。警察(私たちの知っている警察組織ではないかもですが)のサイレンが鳴りやまない街で不安だけが増長します。
パリの小さなカフェで監視を光らせる権力の目をやり過ごしていたゲオルク。静かに焦っている彼のもとに、マルセイユを通過して最終的にアメリカに行くという予定の仲間が現れます。そして報酬は出すから頼みがあるとある手紙を届けてほしいとい言ってきました。それは「ヴァイデル」という人物にあてた手紙。作家のようです。「自分で届けろ」と関心なさげなゲオルクでしたが、この仲間の男は他人不信からもう他に信用できそうな人もおらず、自分も目を付けられて迂闊にウロウロできないとのこと。差出人はヴァイデルの女房。手紙はもう1通あり、こちらはメキシコ領事館。自分も逃避行すべきであり、そのカネにも使えるので、依頼を引き受けたゲオルク。
パリ市内のホテル。ゲオルクは指定された部屋に入るのですが、肝心のヴァイデルは自殺してしまった後で、死体はスタッフによって片づけられ、血まみれのバスルームだけが残っていました。
当初の目的は微妙に達成していない感じではありますが、他にどうしようもないのでゲオルクはヴァイデルの遺した原稿とパスポートを手にして知人の元へ。街中は取り調べが強化されており、ヤバくなったゲオルクは思わず警察を殴り、逃走しつつ隠れて進んでいき、やっと知人宅へ。
その後、成り行きから大怪我をしているハインツという男を連れて行くことになってしまいます。このハインツはかなりの重傷のようで横になるしかできず、車で列車まで行き、真っ暗な夜の闇の中、マルセイユ行きの貨物列車の寂しい貨物内にハインツと共に隠れ乗ります。列車は何事もなく走り出し、外は明るくなりました。しかし、ハインツは苦しそうで、ゲオルクは鎮静剤をうってあげます。
その貨物内で他にすることもないのでヴァイデルの原稿と彼に渡すはずだった手紙を読みます。そこからなんとなくヴァイデルの事情を知るゲオルク。けれども不自然な内容です。ヴァイデルの妻マリーから差し出された手紙は2通あり、その2つはそれぞれ、ヴァイデルに別れを告げる内容と、ヴァイデルを探しているという内容で食い違いがあります。これはどういうことなのか。赤の他人であるゲオルクにはさっぱりわかりません。
列車は到着したのか停止。ハインツに声をかけるも返事なし。いつのまにか死亡していたようです。困惑していると、貨物列車を調べる警察官が近づいてきます。しかも嗅覚に鋭い犬も一緒。ハインツの死体を放置し、すぐにその場を離れることにしたゲオルク。
マルセイユ。これからどうしようかと街で看板を見ていると、ゲオルクの肩に触れる見知らぬ女性と遭遇。けれども人違いだったようで足早に去っていきました。
ゲオルクは、亡くなったハインツの自宅を訪ねることにします。妻はおらず外で息子のドリスが遊んでおり、しばらくサッカーに付き合うことに。そしてハインツの妻メリッサが帰ってきます。彼女はどうやら声を発せないようで、息子を通して手話でコミュニケーションするしかありません。ゲオルクはハインツの死を伝えますが、メリッサはショックを隠せず…。
さて本当にどうするか。旅行ではなく逃避行なのでプランもない。この街に留まるのもいいですが、カネはバカ高く話になりません。メキシコに渡る決心を固め、領事館へ。ところがここで思わぬアクシデントが。ゲオルクはヴァイデルと勘違いされます。ヴァイデルの身分証と小切手を図らずもゲットしてしまい、その後もヴァイデルに成りすましている方がメリットがあることに気づいたゲオルク。
そしてあのふいに接触してくる女性の正体がヴァイデルの例の妻マリーだとわかり…。
わかりにくいから怖い
『未来を乗り換えた男』は本当にドラマ内での説明が何もないので、世界が今どういう状況にあるのかを観客は察するしかありません。テレビとかネットとかメディア描写があればヒントになるのですが、それさえもなく、製作陣が意図的にぼかしているのはわかります。いや、あえて“こうですよ”という正解を明示しないことで、今の不安定な現実社会とシンクロしやすい幅を持たせていると言えるかもしれません。
ファシズムの台頭と言っても、おそらく第2次世界大戦のときのナチス支配とは全くイコールではないと思います。しかし、権力による抑圧と迫害という本質的な部分はきっと同じです。冒頭のゲオルクのシーンを見る限り、知人は反体制の記事を書いたことで身の危険を感じているようですし、もう人種や宗教だけの問題でもありません。たぶんこのブログも権力批判な映画を扱っているので、あの『未来を乗り換えた男』の世界ならすぐさま閉鎖されて、執筆者の私も檻の中でしょう。
ただ本作はそういう“権力による抑圧と迫害”をこれ見よがしに凄惨に直接的に描くことはしないんですね。取り締まりのシーンはありますけど、それだけです。ましてや「こんな腐った世界は変えてやるぜ!」と声をあげることもない。たぶん「横暴な権力って怖い!」みたいなインパクト多めの映画を求めていた人はこの時点でミスマッチです。
けどもこのスタンスこそ『未来を乗り換えた男』の味わいでもあって。あくまで背景にだけしか描かれない“権力による抑圧と迫害”。透明な敵にいつのまにか包囲されていくようで、当事者にとっては不気味で怖い。
実際、ナチスの支配が強まる前触れの時期はこんな感じだったのではないかと思わせます。権力はいつのまにか私たちの世界に浸透して“当たり前”であるかのようなカモフラージュをしていくものです。リアルな私たちの社会だってそう。例えば、権力側に都合の悪い映画の助成金を取りやめるとか、不祥事を何気なくもみ消すとか…。そんなことが連発していると私たちは慣れてくる。
『未来を乗り換えた男』に登場するゲオルクや主要人物たちはその圧力のターゲットなので恐怖を肌で感じ取っていますが、そうじゃない人は何食わぬ顔で通常どおり仕事したり生活をしたりしています。結局、そういうことなのでしょうね。
作中でメディアが登場しないのも、権力側の規制が強いからなのかもしれないと深読みもできる。
『未来を乗り換えた男』の世界が“つまらないほどに”、もしくは“わかりづらいほどに”普通に見えたのならば、それこそ本当の怖さなのじゃないでしょうか。
トランジットは終わるのか
『未来を乗り換えた男』の原題は「Transit」であり、その意味は通行のことですが、海外旅行によく行く人ならわかりますよね。旅行でも仕事でも何でもいいですが航空機で目的となる国に行く途中、一時的に別の空港に立ち寄って経由することを「トランジット」と言います。
ゲオルクはまさにトランジットしています。というか、目的地となる明確なゴールがありません。何度も言うようにこれは逃避行、彼は政治難民です。そしてどこの世界でも着々と権力支配が拡大しています。そのためどこの国や街にたどり着いたとしても、そこは目的地ではなく、トランジットの一時地点に過ぎないような感じです。
そういう物理的な居場所という意味の他に、本作では心理的な居場所としてのトランジットも描かれます。それがゲオルクがヴァイデルとして別の身分で第2の人生を歩むという転機が訪れること。それをずっと続けられる見込みはありません。しょせんは偽装。これもまた一時的な地点であり、トランジットです。
そんな意図せず別人になれてしまったゲオルクの前に現れたのはヴァイデルの妻マリー。彼女もまた自分の居場所に迷っていました。かつての夫であるヴァイデルを信じて待つべきか。リヒャルトという新しいパートナーと一緒に新天地に行くべきか。そこへ出現したのがゲオルクであり、それは第3の選択肢になるのか、それともただのその場しのぎのトランジットなのか。
本作はゲオルクとマリーのロマンスになりそうな雰囲気もチラっとだしますが、そんな安易なハッピーエンドには転がりません。それどころか結構解釈の余地があるラストを迎えます。ゲオルクが振り返った先にいたのは誰なのか。それをどんなに辛い世界でも救いはあると捉えるか、はたまた辛い世界では虚しい夢にすがるしかないと捉えるか。その答えはあなたしだい。
難民問題を扱うという観点の寓話的映画と言えば『アトランティックス』がありましたが、あれほど露骨なフィクションは登場しません。でも『未来を乗り換えた男』を「御伽噺」と片づけることもできません。それはあまりにもリアルな空気が私たちの今の社会と共有しているから。
本作を観て、冷静な気持ちでいられる人は「権力者側にいる人間」か、もしくは「無知でしかない人間」…そのどちらかだと厳しい言い方をすればそうなるのかもしれません。本作を観て、どうしようもない不安な気持ちにかられる人はもう脅かされていることを実感している人でしょう。後者の人間が増えてしまうのも嫌なものですが、前者の人間ばかりになるのもそれはそれでヤバい世界です。せめて映画の中で終わってほしいものですけど、そうもいかない。
旅行はいつでもキャンセルできますけど、このトランジットは引き返せません。
ちなみに原作者のアンナ・ゼーガースはベルリンで1983年に亡くなりました(ベルリンの壁崩壊の1989年を迎えることなく)。彼女が今この時代に生きていて、本作を観たらどう思うのでしょうか。まさか自分の作品が現代に舞台を移しても通用するなんて思いもしないのかな…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 63%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 SCHRAMM FILM / NEON / ZDF / ARTE / ARTE France Cinéma
以上、『未来を乗り換えた男』の感想でした。
Transit (2018) [Japanese Review] 『未来を乗り換えた男』考察・評価レビュー