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『対峙(Mass)』感想(ネタバレ)…この映画は観客を何と対峙させるか

対峙

観客を何と対峙させるか…映画『対峙』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Mass
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2023年2月10日
監督:フラン・クランツ

対峙

たいじ
対峙

『対峙』あらすじ

静かな教会の奥の小さな個室に2組の夫婦が集まる。立会人もなく顔を合わせた4人はぎこちなく挨拶を交わし、おもむろに対話を始めるが、偶然に互いが居合わせたわけではない。実はこの夫婦は、高校で起きた生徒による悲惨な銃乱射事件によって子どもを亡くした遺族であった。一組の夫婦は被害者の子の両親。もう一組の夫婦は加害者の子の両親。あの痛ましい事件から6年。この対峙は何をもたらすのか…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『対峙』の感想です。

『対峙』感想(ネタバレなし)

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“銃社会”アメリカだから生まれた映画

アメリカでは2023年もまだ半分も過ぎていないものの、銃乱射事件がすでに相次いでおり、収まる気配は全くありません。銃乱射事件が起きるたびに銃規制の機運は高まっているように見えますが、社会に根付いた銃依存の代償は大きく、銃の利権団体による激しい抵抗によって、銃規制は現実的になる様子は無しです。殺傷能力が高いアサルトライフルがいとも簡単に購入でき、子ども用の銃でさえも普通に販売している地域もあるアメリカという国の現在進行形の病理です。

銃は子どもすらも殺しています。統計によれば、アメリカで銃によって死亡した子どもと十代の若者の数は、2019年から2021年の間に50%増加し、2021年は2590人が死亡したと報告されています(Pew Research Center)。この数値は過小評価であり、実際はもっと多くの銃で死亡した子どもがいる可能性があります。

つい最近もアメリカでは子どもと十代の若者の死亡原因の1位が「銃」となり、自動車事故や癌を上回ったと伝えられていました(Kaiser Family Foundation)。これは他の国々には見られない特徴で、アメリカだけが異様です。

そんな社会だからこそ、こんなアメリカ映画も生まれるわけで…。

それが本作『対峙』です。

シンプルな邦題ですが、原題も「Mass」と単刀直入。「mass」はいろんな意味がある単語ですが、「集団」という意味もあり、「mass shooting」「大量無差別銃乱射」となり、そこからとったタイトルでしょう(それ以外にも意味は考えられるのだけど)。

物語はとてもミニマムなスケールで展開します。ある2組の夫婦が一室に集い、話し合いをするのですが、穏やかな談笑が目的ではありません。これはもう宣伝でも普通にネタバレしながら語られているので、もう隠すことでもないと思うので書いちゃいますが、この2組の夫婦はそれぞれ、銃乱射事件の被害者と加害者の子どもの両親です。すでにその被害者と加害者の子どもは事件で亡くなっており、いわば遺族となった被害者側と加害者側の子どもの両親が対面する…というのがシチュエーションの肝です。

両者が複雑な想いを抱えているのは言うまでもないことで、ではそんな両者が何を語り、どんな結果が待っているのか…そこが見どころです。

銃乱射事件を扱った映画はすでに無数にありますし、『ニトラム NITRAM』は加害者、『テキサスタワー』『フォールアウト』『私は世界一幸運よ』は被害者と、扱われる対象もさまざま。加害者と被害者の双方を扱うこともあります。

とは言え、題材が題材なだけにショッキングな映像も含まれることが多いです。一方で『対峙』は銃乱射事件の被害者と加害者の子どもの両親の対談が描かれるだけで、当時の銃乱射事件が回想で描かれることもなく、ひたすらその語り合いの場だけで展開するというのが特徴。残された親の苦悩に焦点をあてるというアプローチでは『君が生きた証』にも通じますが、『対峙』は捻りも無くしてより削ぎ落とされてシンプル化が極まっています。

この映画『対峙』を手がけたのが、『ダークタワー』『ジャングルランド』など俳優業で活躍してきた“フラン・クランツ”。今回『対峙』にて監督&脚本家として鮮烈なデビューを飾り、一気に注目を集めました。なんでも小さい頃からホームムービーを作っているくらい、映像制作に興味があったそうです。

今後はどうするのかわかりませんが、監督業のキャリアも重ねていくのかな? インディペンデント映画界の新星として動向が見逃せないですね。

シンプルな構図の映画なので各役者の演技が直球で問われることになりますが、俳優陣も見事にその仕事を果たしている人たちばかりです。『オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体』“ジェイソン・アイザックス”『或る人々』“マーサ・プリンプトン”、ドラマ『メディア王 華麗なる一族』“リード・バーニー”『ヘレディタリー 継承』やドラマ『ハンドメイズ・テイル 侍⼥の物語』など強烈な役も多い“アン・ダウド”など。110分の映画ですが、全編にわたってその演技に魅入ってしまいます。

映画『対峙』は会話による緊張感を主軸にする作品なので、派手な映像はないのですが、結構ガッツリ精神力と体力を持っていかれると思います。題材も悲痛なものですから、観ているこっちもゴリゴリとメンタルを削られることになります。それでも鑑賞後にはほんの少しの明るい兆しが見えているような気がする…そう願いたくなる映画でもあるのではないでしょうか。

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『対峙』を観る前のQ&A

✔『対峙』の見どころ
★感情が溢れ出す名演技のぶつかり合い。
✔『対峙』の欠点
☆悲痛な題材なのでメンタルが削られる。
☆会話量が多く、地味なので好みが分かれる。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:静かな良作を味わって
友人 3.0:気楽さはない
恋人 3.0:デート向きではない
キッズ 3.0:大人のドラマです
↓ここからネタバレが含まれます↓

『対峙』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):ある部屋で始まる

平穏な空気に包まれている教会。1台の車が止まり、荷物を抱えたジュディが中に入って席に座り、ひと休み。中では子どもがオルガンを弾いており、その音は響いています。ジュディはいつもの朝の準備にとりかかります。

ある小さめの部屋に行き、そこは椅子と机は脇にどかされている殺風景な場で、十字架のイエスが壁に飾ってあるくらいです。丸いテーブルを広げてセットし、椅子も並べます。数は4つ…。

駐車場に1台の車。降りてきたのはケンドラで、ジュディはあの部屋に案内。ケンドラは椅子を2つずつ横に並べ直し、他に必要なものは何かと検討します。机にティッシュボックスを置くのをやめたり、窓にある子どもが作ったハートなどのステンドグラスが邪魔ではないかと思案したり…。

その頃、教会のすぐそばで車内から建物を見つめる一組の男女。ジェイゲイルのペリー夫妻です。妻のゲイルは複雑な表情で教会を睨んでおり、落ち着きがない様子で苛立っています。そんな妻をジェイは心配そうにハンドルを握りながらも声をかけて様子を窺います。少し離れた場所に車を移動させ、ジェイはまた話しかけるも自分でも言葉が見つからない状況。2人は覚悟を決めたようにシートベルトをして、また車を走らせ、あの教会へと向かいます。

教会の駐車場に停車し、中へ。迎えにでてきたケンドラたちに挨拶。ジュディたちも「食べ物もコーヒーもなんでもありますので」と礼儀正しく対応します。

そしてあの部屋に行きます。その時を待つジェイとゲイル。落ち着かずに立っています。

そこへ別の男女が到着。リチャードリンダです。「お元気ですか」とリンダ。白い花を持ってきたようで、「小さくてすみません」と控えめな態度。

4人は席に座り、ケンドラが簡単にあらためて挨拶し、その後に部屋をでます。4人だけになりました。

気まずい沈黙。ジェイは白い花をゲイルの前に持っていき、ゲイルは「素敵ですね」と素っ気なくコメント。感謝の言葉を述べて中央に戻します。ジェイはさすがにここにあると邪魔なので、リンダも花をわきにどけます。

「どうやってきましたか」などと他愛もない会話から始まり、ジェイは「今回はこうやって集まっていただきありがとうございます」と繰り返しこの場に集った感謝を述べ、探り探りながらも丁寧に会話が始まっていきます。

しかし、これはただのお喋りではありません。この2組の夫婦はある事件によって繋がってしまった存在同士でした。それは6年前に起きた銃乱射事件。ジェイとゲイルの息子のエヴァンはその銃乱射事件によって殺されてしまいました。そしてその銃乱射事件を引き起こしたのが、リチャードとリンダの息子であるヘイデンでした。ヘイデンもその事件の最中に命を絶っています。

今回の会合は互いの言いたかったことを打ち明けるためです。事件から数年が経過しても、両者の心には深い傷が残っており、今、目の前にする相手に対してもどう接すればいいのか、答えは見つかりません。

それでも口を開かないといけない。各自が少しずつ自分の想いを言葉に変えて発し始めます。ずっと言いたかったこと、ずっと疑問だったこと、ずっと悩んでいたこと…。

対峙の時間です。

この『対峙』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/01/06に更新されています。
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初監督作とは思えない演出力

ここから『対峙』のネタバレありの感想本文です。

映画『対峙』は、被害者と加害者の遺族の対面という、構図だけ見ればかなりセンセーショナルになりかねないものなのですが、作品自体はそういう煽りが一切なく、非常に淡々と進んでいきます。全く商業化されていないというか、エンターテインメント的な好奇心の視線を介在させない空間です。

そもそも事件から6年経っているということも大きいでしょう。当然、あのジェイ&ゲイル、リチャード&リンダ、それぞれは初対面ではありません。事件当時はその話題性もあるでしょうし、報道されまくったはずです。とくに加害者側はどういう人間だったのかとマスコミも掘り下げようと必死になるでしょうし、捜査や裁判も行われれば、被害者側もそれなりの事件の概要などはしっかり把握できています。今後このような事件が起きないためにはどうするべきかという、その後の余波の運動もアメリカなら起こっていると予想され、ジェイ&ゲイルもどこまで関わったのかは不明ですが、多少なりとも関係したでしょう。

それだけのことがあったであろうに、この今になってなぜまた両者は対面することになったのか。誰かの策略でもない、互いの意思で「会おう」と思い立った理由。

そこには漠然とした「もっと知りたい」「自分を納得させたい」という苦悩があったということは、作中の各キャラクターの姿で痛いほどに伝わってきます。あの事件直後では満たされなかった想いがあるということです。

それぞれが「理由」を求めています。なぜあんな事件が起こってしまったのか…。

暴力的なTVゲームのせいか? 親の育児が間違っていたのか? 友達付き合いのせいなのか? 学校の対応の問題なのか? 銃が身近にあったせいなのか?

被害者側も加害者側の、残された親にしてみれば、その疑問に思っていることは同じで、「なぜ?」と繰り返していく。その問いかけは相手に向けられると同時に、自分にも向けられているような…そんな感じです。話を重ねても傷がまたえぐられて、虚しさがこみ上げる。辛すぎるスパイラルです。

本作はこれを会話劇だけで見せきる演出力が唯一の武器であり、それでもしっかり外さずにやりきるという誠実さ。ショッキングな映像演出などについ頼ってしまう同様の題材の作品も多い中で、このミニマリストみたいな作品作りのセンスはお見事としか言いようがないです。さりげなくティッシュボックスが演出に活かされているのも良かった…(ティッシュ箱は部屋にあるべきなんだな)。

“フラン・クランツ”監督、これ、本当にデビュー作なのか…。実はちょっと前に別名で作品発表とかしてない?…と疑いたくもなる…。

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修復的司法の理想

演出と言えば、映画『対峙』の場となっているあの部屋も象徴的でした。あれはただの部屋に見えますが、普通の部屋のようで普通ではありません。教会の部屋だからです。

教会というところがアメリカらしいですが、教会は教会でも、本作のあの教会は「聖公会」です。これはキリスト教の教派のひとつですが、比較的“保守”ではない、公民権運動やLGBTQ、中絶などにも寛容な姿勢を示す教派としてアメリカでは位置づけられています。

銃乱射事件は単なる暴力ではなく、その背景には政治的な問題があります。前述したように銃規制に反対して銃の所持の権利を掲げているのは保守派の政治家や国民だからであり、多くのそうした保守層は今のアメリカではキリスト教の保守グループと密接に結びついています。

なので「聖公会」でああやって対話するということは、その時点でこの保守的な政治思想とは距離を置くという無言の意思表明であり、すでにここだけで本作の政治的スタンスが見えます。まあ、実際、保守的な教会でこんな対話はできないでしょうからね。

最後に被害者側の中でも最も憎しみを抱えているように見えたゲイルの口から「赦す」という言葉がこぼれる展開、そしてラストの教会から聞こえてくる讃美歌の音色といい、本作は非常に宗教色が濃いです。ここまでくるとほぼ宗教映画です。

本作の原題の「Mass」には感謝の典礼としての「ミサ」の意味もありますから、その信仰性は作品の骨格になっているでしょう。たぶんこうやって信仰心に訴えるくらいしか、今のアメリカで保守層にも呼びかける手段が他にないんじゃないかな。

一方で“フラン・クランツ”監督はこの『対峙』の着想となったアイディア元として、「南アフリカ真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)」をインタビューで挙げていました。

これはアパルトヘイトなどの悲惨な人権侵害が行われた南アフリカの歴史において、被害者を司法の場に呼び、そこでその被害の実情や苦しさを語ってもらうと同時に、加害者もその場に呼び、加害者側からも語ってもらい、最終的に恩赦するかどうかを決めていくという、当事者主体型のシステムです。このプロセスは「修復的司法」とも呼ばれます。

和解に重点を置いており、ナチスの戦争犯罪を断罪したニュルンベルク裁判のようなものとは、その方向性が全然違います。

これが有効かどうかは議論の余地があり、この『対峙』だって観客側が第3者の立場になってしまうので、少し外野気分で図に乗りかねない懸念もあります。和解自体の意義は否定できませんが、和解するエピソードに酔いしれてしまうのはそれはそれで危険だと思うし…。

本作はしっかりそこは理解できているのですけど、現実では勝手に対立する両者を対面させて“話し合いごっこ”させて中立ぶる輩も多いですからね…。ほんと、今の時代はこんな映画みたいな理想的な対話は無理なんじゃないかな…。

結局のところ、本作は観客がこの映画から何を受け取り、観客こそちゃんと対峙できたのかを問われるのかなと思います。

『対峙』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 90%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

作品ポスター・画像 (C)2020 7 ECCLES STREET LLC

以上、『対峙』の感想でした。

Mass (2021) [Japanese Review] 『対峙』考察・評価レビュー