ウィーアーリトルゾンビーズ
映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:WE ARE LITTLE ZOMBIES
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年6月14日
監督:長久允

ウィーアーリトルゾンビーズ

あらすじ

火葬場で出会ったヒカリ、イシ、タケムラ、イクコは、両親を亡くした境遇にありながら、全く泣けなかった。ゾンビのように感情を失った彼らは自分たちの心を取り戻すため、もう誰もいなくなってしまったそれぞれの家を巡りはじめる。やがて彼らは、冒険の途中でたどり着いたゴミ捨て場で「LITTLE ZOMBIES」というバンドを結成し、それが意外な話題を呼ぶが…。

ネタバレなし感想

夏休みは終了したけれど…

8月31日。この日が誕生日ですという人には申し訳ないですが、多くの子どもたちにとっては嫌な日でしょう。なぜなら「夏休み」の終わりを告げる終焉の宣告なのですから。

もちろん休日の関係上、多少日付は前後しますし、地域によってはもう1~2週間前にすでに夏休みが終わっているところもあります。まあ、ともかく8月31日付近になれば、日本の全夏休みは死に絶えているものです。

この時期になると子どもたちは心理的にとても不安定になると言われています。家庭から学校へとガラッと激変する環境の変化、友人関係やイジメ等の理由で学校に行きたくないという気持ち、夏休みというプライベートの出来事を学校で語る不安…。子どもたちはプライドがあって易々と弱さを見せようとはしないものですが、確実に心は揺れ動いています。

そのため夏休み終了間際もしくは夏休み明けのシーズンは、LINEなどのSNSによる子ども向けカウンセリングを実施していることも珍しくなくなってきました。ニュースなどでこうした心のケアに関する活動を伝える報道を見ていると、“これで救われる子どもが少しでもいるなら”と願わずにはいられません。

一方で、ケアだけでなく、いっそのこと夏休み完全終了の8月31日は「子どもパラダイス・デー」にすればいいのにとも思います。その日に子どもがコンビニに行くとお菓子が1個無料になるとか、本屋では漫画が1冊に限り10円とか、ゲームセンターがスペシャルで豪華になっているとか、映画館では鑑賞料金が1作100円になるとか…。子どもたちには同じ機会のもと、楽しい思い出を作ってほしいものです。宿題に追われるよりも…。

でも儲け主義に憑りつかれる大人たちはクソだから…そんなことは起こりえない…そう思っていたら、そうじゃない大人もいました。それこそ本作『ウィーアーリトルゾンビーズ』の製作陣です。

この映画、なんと2019年8月31日限定で公式サイトで本編が無料配信されました。序盤の一部とかではなく、フルです。1日限定とはいえ、劇場公開真っ最中の映画をインターネット上で無料配信するのは、日本では極めて異例中の異例。

その常識外の行動の理由は、本作の“長久允”監督の言葉で以下のとおり語られています(公式サイトからの引用)。
8月31日 世界一憂鬱な日に!

『ウィーアーリトルゾンビーズ』という映画の主人公たちは13歳の中学生です。

彼らは親を亡くして、否応無しに冒険に出なければならない・・・そして・・・という物語です。僕はこの映画を、今、悩んでいる中高生の方や、当時悩んでいた自分自身へ向けて作りました。

もしあなたが中学生で、そして何かに悩んでいたらこの映画を試しに観てみてほしいです。
なにか少しでも、たとえば今のままでもありだな、など思ってもらえたらと願っております。

8月31日、夏休み最後の日に。
絶望的なこの日に、どうか絶望しないように、
13歳のあなたに。かつて13歳だったあなたに。
この徹底して子どもたちに寄り添おうとする視線は、まさに『ウィーアーリトルゾンビーズ』という映画のスタンスそのものであり、創作物の中だけでなく、外でもそれを貫く監督の姿勢はこのゾンビ以下な大人たちしかいない社会で信頼と称賛に値するのではないでしょうか。

そんな偉そうなことを言っている私もゾンビです。ええ、ゾンビですとも。

さっきから「ゾンビ、ゾンビ」と連呼していますが、一応、未鑑賞の人のために言っておくと、『ウィーアーリトルゾンビーズ』はゾンビ映画ではありません(公式も散々忠告している)。どちらかといえば少年少女の青春映画ですね。しかも、オーソドックスではない、かなり変わったタイプの。

本作はサンダンス映画祭で高く評価され、「審査員特別賞・オリジナリティ賞(World Cinema Dramatic Special Jury Award for Originality)」を受賞しました。サンダンス映画祭は、死や理不尽な社会への不満を爆発させる“持たざる者”を描く映画を応援してくれる傾向が強くて、過去にも『ぼくとアールと彼女のさよなら』『この世に私の居場所なんてない』『スイス・アーミー・マン』などいろいろな類似の映画が注目を集める舞台になりました。




そんな中で、日本の作品に光があたるとは…別に自分は関係ないのに嬉しいものです。

ただ、本作の“長久允”監督はすでに前フリとなる実績があって、過去に手がけた短編『そうして私たちはプールに金魚を、』がサンダンス映画祭ショートフィルム部門でグランプリを受賞しているんですね。だから、長編デビュー作となる『ウィーアーリトルゾンビーズ』の好評も期待どおりというか、さすがですといった感じ。

あまりネタバレするのもあれなのでこれ以上は内容に言及しないようにしますが(続きは後半感想で)、とにかく強烈にクセの強い作家性を持った監督で、それは『そうして私たちはプールに金魚を、』を観たことのある人にはすぐに想像がつくとおり。だからこそ、ハマる人は忘れられない映画になるので、お楽しみに。

なお、映画のエンドクレジット後にワンシーンがあって、作品の印象すら変わるほどとても大事なので、しっかり最後まで見届けてください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(人生よりは退屈しないよ)
友人◯(友達、いるのかよ)
恋人◯(観たいなら観れば?)
キッズ◎(大人はクソだと思うなら)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

無感情な僕たち4人の物語

「両親、死んでるー」で始まる『ウィーアーリトルゾンビーズ』は、この一言が全ての現状をこれ以上ないほどに簡潔に説明しているように、何らかの理由で同時期に両親を亡くして火葬場に集って偶然に出会った13歳の少年少女4人の物語です。

4人の名前はヒカリ、イシ、タケムラ、イクコ

メガネでいつもゲームばかりしている(とくにポケットゲームという携帯型ゲーム機を持ち歩いている)ヒカリは、子どもの目から見ても仲が冷めきっている両親に育てられていました。家庭は裕福で、マンション住みで、ファミコン、スーファミ、ディスクシステム、最新のVRまで欲しいと願えばなんでもゲームを買ってもらえ、恵まれた子に見えますが、そこに愛は感じていないヒカリ。

離婚寸前、子育てにも意義を見いだせないヒカリの両親は、何かの希望にすがったのか、それとも最後の思い出作りなのか、「幸せ行き♡野いちご狩り放題!ときめきワイルドバスツアー」というヒカリいわく“最低の名前のツアー”に二人だけで参加し、その行きの道中、観光バスの横転事故で死亡しました。

太めな体型のイシは、中華店を経営する両親に育てられた少年。「パパは何も自分で決めずに生きてきちゃったんだよ」という父親の指導のもと、空手を学ばせられますが、そこにイシ本人のやる価値は見いだせず。こういう自分の弱さの克服を自分の子に担わせる親って、嫌なものですよね…。

イシが帰宅すると、家は全焼して、親はこの世から消えていました。チンジャオロースで燃えた家の真っ黒な燃えカスから無事に見つかったのは中華鍋だけ。

ちなみにイシを演じた“水野哲志”は4人の中でもっとも芸歴が長く、2歳でデビューしているんですね。

万引き慣れしているタケムラは間違いなく4人の中でも最貧の家庭出身。小さな工場で懸命に働く父は借金まみれで、いつもおカネに付き纏われています。彼からは裕福さという存在の意義を疑問視する声が駄々洩れ、それがひとつのかたちを成したのがメルセデス自転車(自家製)。そんな家庭で、父からの家庭内暴力を日常的に受けつつ、他の兄妹とともに生きてきたタケムラ少年は、牛乳を飲むしかなく…。

そんな人生も唐突に終わり、タケムラの両親は自殺してしまいます。子どもたちを残して…。

4人の中では唯一の女子であるイクコは、他の3人と状況がかなり違っています。なにせ両親の死因が殺人。ただ、その殺人事件の発生の原因が、イクコへの異常な想いを暴走させたピアノの先生による変質者的行動なため、少なからず加害者を生み出す一端を担ってしまったのではないかという不安がイクコの心にはあります。同年代男子よりも精神的に成熟している女子ゆえに考えすぎてしまう、複雑で安易に救えない大きな悩みです。その心の欠損が、左手の薬指がないことに暗示されているような気も。

このイクコの両親を演じるのが、“永瀬正敏”“菊地凛子”という、国際的にも活躍している俳優陣というキャスティングも面白いですね。

はい、泣けませんでしたー

親の喪失という、不幸な境遇にある子どもたちの子どもたちによる物語。『ウィーアーリトルゾンビーズ』のようなこの前提のあるストーリーを持った映画は、他に挙げるなら枚挙にいとまがないですが、『ぼくの名前はズッキーニ』なんかとは違うのは、救ってくれる大人の庇護者が一切存在しないことです。


『ウィーアーリトルゾンビーズ』では、本当にひとりもまともな奴は手を差し伸べてはくれず、あらゆる大人が無関心か、無慈悲か、無能です(ホームレスの人がいましたけど、あれ、結局、なんかしたのかな…)。

本作は全編にわたって、そういう大人社会への強烈な子ども目線による風刺がバシバシと突き刺さる映画になっています。

まず序盤のプロローグ「どうして僕は親が死んだのに泣けなかったのか。」における、ヒカリによる日本のお葬式という死の追悼の文化をボロクソに酷評する一連のシーン。誰も聞き取れないお経を神妙に聞く大人たち、後の食事の席で酔っぱらって歌う大人たち。ところどころ挟まれる、子どもならではの“それを言っちゃあ”な残酷なツッコミもキレッキレ。告別式で人で賑わう火葬場の人に「繁盛してるんですね」、遺体を焼く行為に疑問を持つ子に対して「死んでいるから熱さを感じない」と説明すると「じゃあ、良かったね、死んで」

こういうシーンを見て、どこか私は爽快感を感じますが、それはきっと(たぶん他の大人も薄々思っていることでしょうけど)日本の葬式システムへの純粋な違和感を代弁してくれているからです。そもそも葬式は変なことだらけです。なぜ普段は無宗教ぶっている日本人が急に宗教色全開の行為になんの疑問もなく参加するのか。なぜこんな無駄に金のかかる面倒な過程を自ら課すのか。内心では「?」と私もずっと思っていますけど、いざ現場では口に出せないんですよね。

本作は海外でも高評価だったそうですが、こういう日本文化をディスるシーンは、外国人という客観的な立場にいる人から見ても、ユーモアとして面白かったのでしょうね。

ウィーアーリトルゾンビーズ

CONTINUE? →YES NO

そんなこんなで出会った4人が「LITTLE ZOMBIES」というバンドを組み、それがなんかバズってしまって、音楽デビューし、ロックスターにジョブチェンジし、でもやっぱり大人の都合で解散する…そんな展開を怒涛の如く迎えます。

ここでも大人社会批判はたっぷりあって、儲けに突っ走るエンタメ業界、何の配慮も欠片もない番組を作るテレビ業界と、無邪気な初期装備の剣で大物モンスターを切り倒しまくります。監督が元「電通」出身ということで、フィクショナルな味付けをしていても、なんだか無性に説得力のある気がする描写ばかり。

それだけでなく、犯人狩りに興じるインターネット住人たちの残酷性や、飽きっぽい大衆の移り変わりと、全方位にその範囲魔法をぶつけてくるので、本作を観ればどんな大人だって後ろめたさを感じるのは当然。

8bitなレトロゲームな演出ですけど、その風刺の威力はさながら戦争FPSゲームの激しい銃撃戦並みですよ。

最後は自然あふれる田舎で「映画的じゃない平凡な人生」を謳歌するためにどこかへ行く4人という、打ち切り漫画みたいなラスト…と思いきや、エンドクレジットのアレ

つまり、その最後の最後のオチを踏まえると、この物語は全てヒカリの“叶うはずもない妄想”であり、“現実逃避の塊”ということに。あの出産シーンに始まる「さあ、冒険が始まる。名前は何にしますか」のシーンでさえ、二重の夢物語なのだとしたら、ヒカリには全然救いは与えられていないわけです(何も始まってすらいない)。

そこでこの映画は観客に「救いますか?」と目を向ける。一方的にしゃべっていただけの映画が、初めて答えを求める“反転”をラストに見せる。このあたりもただエキセントリックな映像を詰め込んでいるだけのキワモノ映画ではない、監督の確かなセンスと優しさを感じます。

子どもに「絶望ダッサ」と言わせないのは、「大人」というジョブの役割ですからね。

『ウィーアーリトルゾンビーズ』を鑑賞することで、救われる子ども、救いたいと思う大人が、ひとりでも出現するならいいじゃないですか。なんなら、毎年8月31日になったら無料配信される映画として、なかば都市伝説化していってほしいなと思います。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 86% Audience --%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS