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映画『蜜蜂と遠雷』感想(ネタバレ)…音楽を極めた者の世界を映画で覗く

蜜蜂と遠雷

音楽を極めた者の世界を映画で覗く…映画『蜜蜂と遠雷』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Mitsubachi to Enrai
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年10月4日
監督:石川慶

蜜蜂と遠雷

みつばちとえんらい
蜜蜂と遠雷

『蜜蜂と遠雷』あらすじ

ある理由でピアノを弾くことから遠ざかったかつての天才少女・栄伝亜夜は、7年の時を経て再びコンクールへの出場を決意する。そこには他にも3人のピアノに人生を賭けている者たちがいた。立場はバラバラで、音楽表現も全く異なる者同士。しかし、熱い戦いの中で互いに刺激しあい、それぞれ葛藤しながらも成長していく4人は一体となって導かれていく…。

『蜜蜂と遠雷』感想(ネタバレなし)

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正真正銘、音楽が主役の映画

私が小学生の頃を象徴する楽器といえば「鍵盤ハーモニカ」でした。あの楽器は実は1960年代半ばから70年代にかけて学校授業での導入が進み、その背景には日本の楽器メーカーのビジネス戦略があったみたいですが、まあ、そんな生々しい商業主義の話はさておき。

子ども時代にどんなに楽器に触れさせても私みたいに楽器にまるで心をそそられない子がいたように、楽器というのはどうしたって感性が必要ですよね。音楽を聴くのが好きなのはわかるにしても、楽器を演奏するとなると別次元。アートの世界です。

選ばれた者だけがそこに生きがいを見いだせるものなのであって、私は早々に「わからん!」となっていたわけですが、でもその世界に才能を持って踏み出せた人もその人で過酷な選択をしてしまったのかもしれません。音楽が人生を彩るのか、はたまた音楽に人生を蝕まれるのか…。こうやって考えるとアートって一歩間違えればドラッグですよ、ほんと。

「音楽」っていう漢字の語感としてはいかにも楽しそうなのですけどね…。詐欺じゃないか…。

そんな音楽を極めようとする者の世界を、私のような凡人が覗けるような感じがする体験を与えてくれる映画が本作『蜜蜂と遠雷』です。

原作は直木三十五賞や本屋大賞を受賞するなど高い評価を獲得している恩田陸の長編小説。国際ピアノコンクールを舞台に4人の若きピアニストたちの葛藤や成長を描いた群像劇で、687ページもある大ボリューム。原作者自身も「絶対に小説でなければできないことをやろう」という決意で書いたものだそうで、ちょっと簡単に手を出せる原作ではありません。

ところがそんな原作を映画化するという難題を見事に手がけて映画ファンを驚嘆させたのが監督の“石川慶”です。彼は2017年の『愚行録』で長編映画デビューしたばかりでキャリアは浅いのですが、その一作目から他にはない異才を放っており、注目した人もいたと思います。

“石川慶”監督はポーランドで創作を学んだそうで、なんか最近も『37セカンズ』のHIKARI監督といい、海外で映画を身につけたクリエイターの日本映画界での活躍が輝いています。既存の邦画業界にはない新しい風を吹き込んでくれて、映画好きな観客からしても新鮮な体験ができるし、いいですよね。

その“石川慶”監督はこの難易度の高い原作を華麗にクリアしてみせた結果、『蜜蜂と遠雷』は多くの国内の映画賞で受賞やノミネートを重ね、2019年のベスト級に好きな邦画として挙げる人もたくさんいました。これはもう名監督への直線コースに入りましたね…。

またその難易度の高い原作の映画化が成功したのは俳優のおかげでもあります。4人の群像劇なのですが、そのひとりを演じた“松岡茉優”は言わずもがなの若手トップ女優としての才能をここでもフルに発揮していました。どこまで高みに登りつめるのやら…。

2人目は『新聞記者』より内閣情報調査室からジョブチェンジした“松坂桃李”。もうTwitterの監視はやりません! 彼もまた何でもこなすマルチな人ですが、今回もやっぱり上手いな、と。

3人目は『レディ・プレイヤー1』よりガンダムからジョブチェンジした“森崎ウィン”。あちらの作品ではガンダムのインパクトばかりだったのですが、今回演技をじっくり堪能できたことで、なかなか味のある役者だなと発見できました。

4人目は本作が本格的俳優デビューとなる“鈴鹿央士”なのですが、彼がまた抜群に魅力的。これは新しい原石であり、その出発点としてこの本作に出会えたのは最高のスタートだったと思います。

そして役者陣だけでなく、『蜜蜂と遠雷』ならではの功労者としてまさに題材である音楽家の皆さんも忘れるわけにはいきません。本作の4人の主役であるピアニストにはそれぞれ専属としてピアノ演奏担当者がついており、“河村尚子”、“福間洸太朗”、“金子三勇士”、“藤田真央”という一流が揃っています。さらに劇中のオリジナル楽曲「春と修羅」を“藤倉大”がイチから作曲。この曲は即興部分があり、それを4人分も作っています。ここまで音楽に本気を投入した邦画はなかなかないでしょう。有名曲を単に弾くというだけじゃない、登場人物の個性を考えて、場合によっては作り出さないといけない。これほどの全身全霊が注ぎ込まれているからこそ、『蜜蜂と遠雷』は鑑賞しているだけで「音楽って凄いんだ…」という饒舌に尽くしがたい畏怖すら感じるほどです。

正真正銘、音楽が主役の映画。『蜜蜂と遠雷』。

劇場での音響が一番に最高なのは言うまでもないのですが、もし家で観るのであれば、なるべく音質重視の環境で視聴してみてください。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(2019年を象徴する一本として)
友人 ◯(音楽業界がわかる者だとなお良し)
恋人 ◯(王道な感情を煽るものではないが)
キッズ ◯(ピアノに興味ある子なら)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『蜜蜂と遠雷』感想(ネタバレあり)

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「世界はね、いつでも音楽に溢れているんだよ」

「いつの記憶なのかはわからない。けれどそれはまだ歩き出したばかりのほんの幼い時であることは確かだ」「明るく力強い音色が世界を震わしていた」

芳ヶ江国際ピアノコンクール。その第一次予選が終わりました。53か国1地域から512名の参加があり、二次予選に進むのは24名だけ。日本のイチ地域で行われているコンクールですが、海外メディアの姿すらも見えます。3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として注目されるこのコンクールですが、実は過去にここで優勝した子が有名なプロになったことで特別な業界の関心を集めているのでした。

ひとりの若い女性が周囲の視線を浴びています。「天才少女って言われていた栄伝亜夜だよね」「7~8年も姿を消して」「逃げたんじゃない?」「20を過ぎたらもうただの人間でしょ」…そんな陰口も聞こえていないのか無視をしているのか、栄伝亜夜は真っすぐ歩くのみ。

すでにかなりの知名度を誇り、実力もじゅうぶんなマサル・カルロス・レヴィ・アナトールは、ルックスの良さからか大勢の女性たちのサインに応えており、アイドル状態です。そんな彼を知り合いのピアニストであるジェニファ・チャンが呼びつけます。

楽器店勤務のサラリーマンで妻と息子がいる高島明石は、今回は年齢制限ギリギリでの参加となり、仕事と家庭と音楽を両立させなければならないハンデを抱えつつも、メディアのインタビューに答えています。彼には彼なりの勝機を狙っているようです。

そして誰からも注目を浴びていない少年がひとり。正規の音楽教育を受けておらず、コンクール経験すらもない風間塵は関心を集めないのは当然な話。しかし、審査員たちは彼がピアノの神様と称されるユウジ・フォン=ホフマンからの推薦状を受けてここにきていることに慄きながらも驚愕。また、調律師たちが風間塵がピアノを弾いた後に音色が格段に変わっていることに驚いています。そして栄伝亜夜も風間塵のただならぬ存在感に敏感に気づいていました。

周りをシャットアウトしていた栄伝亜夜はふいにマサルに話しかけられます。「アーちゃん?」「マーくん?」…久しぶりの懐かしい顔の再会に興奮して会話する二人。「先生は元気?」とマサルが尋ねると、「お母さん、7年前に亡くなったの」と答える栄伝亜夜。実は栄伝亜夜は母の死をきっかけにステージをドタキャンしてピアノの世界から去っていたのでした。今回は復帰戦でもありラストチャンスでもあります。「あのときのアーちゃんと先生の即興連弾はどんな音でも出てくるおもちゃ箱に見えてた」と語るマサル。マサルにとって栄伝亜夜はピアノへの憧れを抱かせた大事な存在。

また別の場所では栄伝亜夜は高島明石にも話しかけられます。「“プロコの3番”、あれはとくに好きでした」と彼女の才能を丁寧に称える高島明石。栄伝亜夜は「昔はもっとピアノは楽しかったし、嬉しかったよな~って」とこぼすと、高島明石は「俺は楽しいし、嬉しいですけどね」と返事をします。

一方、誰にも真意の掴めない風間塵もまた栄伝亜夜のことが気になっているようです。その理由には今は亡き恩師からの言葉があり…。

いよいよ第二次予選が始まります。課題曲は「春と修羅」。曲内ではカデンツァ(即興演奏)があるので、それぞれのピアニストたちの個性がそこでアピールされることに。

全く異なる4人のピアニスト。音楽の神様は一体誰に微笑むのか…。

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四者四様がハーモニーを奏でる

『蜜蜂と遠雷』を前線で引き立てる主役はやはり4人の若きピアニストたちです。三者三様ならぬ四者四様が魅力的に映し出されていきます。この違いがとても印象的。4人とも才能はあるのですが、バラバラの個性があるんですね。

まず栄伝亜夜は登場時点の段階では最も自分を見失っている状態です。それこそ音楽が楽しいかどうかもわからないくらいに。それでも予選を突破できるのですから相当な素の実力があることがわかります。母の死という音楽と密接に関わってしまったトラウマをどう乗り越えるか…という壁があり、これは観客にとっても協調しやすい葛藤です。

演じた“松岡茉優”は『ちはやふる』のときといい、こういう素の凡人感と天才性が同居したキャラを熱演するのが抜群に上手ですね。

マサルは海外で学んだ実力者で最初の雰囲気からは気取った天才肌の奴なのかなと思わせますが、物語が進行していくと、意外にも努力を積み重ねてきた人だとわかります。栄伝亜夜ともフラットに気楽におしゃべりしますし、後半では彼なりの葛藤が見えてきたり…。優秀ゆえの焦りやプレッシャーというのもわかる気がする…。

対する高島明石は「あ~こういう人もいるのか」と思わせるキャラでした。四六時中練習しているような音大生と戦わないといけない彼は彼のロジックで挑んでおり、「音楽は生活の中にあるもの」「音楽だけを生業にしているだけの人には絶対にたどり着けない領域があるはずだから」と自分に言い聞かせるような物言いといい、最後に予選落ちしたときの「今の気持ち、いや~…落ちちゃったよ。生活者の音楽は敗北しました。俺の音楽人生の第1章はおしまい」と呟く彼のね…。確かに負けはしたけど、高島明石の音楽性は実は一番現代的かもしれないですね(今はプロとアマチュアの境界が薄れてきていますし…)。

一方の風間塵の、“なんかわからんがとんでもない奴”感。世界にひとりだけで聴く人がいなくてもピアノを弾くという風間塵は、もうコンクールの勝ち負けとか、プロになるかどうかとか、そういう次元を超越しており、ある種の音楽という概念そのものな人間です。

ギフトにするか厄災にするかは我々にかかっていると言われている風間塵は、栄伝亜夜に大きな影響を与えていくのですが、本作ではこの4人が互いに刺激をもらって進化していく様を描いています。それこそ、ひとつひとつの音符が連なってメロディになるように。まさしく相乗効果です。

単純なライバルとしてのキャラ映画になっていないあたりは『蜜蜂と遠雷』の大きな特徴かなと思いました。

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音楽の世界がわかった気がする

『蜜蜂と遠雷』はこの四者四様だけでも濃厚なのですが、それだけにはとどまりません。他の音楽の才を持った者たちの世界も少しだけ見せてくれます。

例えば、審査員たち。ジュリアード音楽院の教授でマサルの師匠でもあるナサニエル・シルヴァーバーグや、コンクールの審査委員長でどうやら彼女も天才少女だった過去がある嵯峨三枝子。作中ではこの審査員たちはある意味“高みの見物”的ポジションなのですが(まあそういう仕事だしね)、彼ら彼女なりの音楽性がきっとあるんだろうなと窺い知ることができます。

また、本選のオーケストラを指揮する世界最高峰のマエストロとして国際的な評価も高い小野寺昌幸。彼とピアニストたちのリハーサルでのぶつかり合いもまた見ごたえあり(リハなのにこの緊張感)。

他にもベテランステージマネージャーの田久保寛や、「春と修羅」の作曲家の菱沼忠明、調律師たち、名前もわからないけど印象に残るあのフルート奏者など、それぞれのプロフェッショナルがそれぞれの音楽の世界をみせ、互いに影響し合う。ピリピリと張りつめたプロならではの譲れない関係性の火花。

これぞ“奏でる”という行為そのものですよね。と同時に、音楽とはここまで多様で複雑なんだと見せつける。すごく音楽に対して真摯な映画だなと思います。

そんな中でも作中では一切登場しないけど名前だけは語り継がれるユウジ・フォン=ホフマンというピアノの神様。この人は文字どおり“神”的な存在として、何かしらの力を注いでいて、各音楽家たちはその全容をわからずとも、その状況にひれ伏しつつ、自分の表現をするしかない。

私は音楽業界のことは全然わからないですけど、なんか勝手に「あ、音楽の世界ってこういうことなのか」と納得できたような気がします。

映画の立ち位置としては『セッション』がひたすらに個人世界だけで音楽を狂気と一緒に描き切り、『羊と鋼の森』は双方向の関係性で音楽を映し出したと表現するならば、この『蜜蜂と遠雷』は音楽という世界の生態系そのものを全部浮き彫りにさせたような、そんな映画かな、と。

“石川慶”監督の作家性は作品が少ないのでまだ何とも言えないのですが、『蜜蜂と遠雷』を見ているとものすごくロジカルな感じがします。

こういう題材ならもっとエモーショナルに強引にやっちゃいかねないのですが(実際にそうしてしまう邦画は多いし…)、『蜜蜂と遠雷』は泣くシーンか多少あれど露骨な感情表現は極力抑え、人間の感情がほぼすべてあの演奏に注ぎ込まれる。それを撮影の“ピオトル・ニエミイスキ”のさりげない演出力でさらに高める。このスマートなテクニックは“石川慶”監督作だけの体感でしょう。

説明的なセリフが乏しい極限に研ぎ覚まされた無駄のない作風なので万人ウケはしないかもしれませんが(でも“ブルゾンちえみ”演じるメディアの人の言葉で代弁させたり、そのへんも巧みです)、音楽に言葉の説明なんて蛇足だという思いっきりの良さはこの原作には正しいアプローチだったんじゃないかな。

最後にコンクールの順位が表示されますが、あれを見ても凡人の私にはなぜその結果なのかはわからないです。でも何か凄いものを目撃してしまった興奮が残る

とにかく音楽というアートを極めた者だけが到達しうる世界を覗けるなんて、普通はありえないのですから、『蜜蜂と遠雷』は純粋無垢な音楽映画として、未知の業界への覗き穴として、惹かれないわけのない一本でした。

『蜜蜂と遠雷』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

以上、『蜜蜂と遠雷』の感想でした。

『蜜蜂と遠雷』考察・評価レビュー