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『魂のゆくえ』感想(ネタバレ)…ポール・シュレイダーの結末

魂のゆくえ

ポール・シュレイダーの結末…映画『魂のゆくえ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:First Reformed
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年4月12日
監督:ポール・シュレイダー

魂のゆくえ

たましいのゆくえ
魂のゆくえ

『魂のゆくえ』あらすじ

ニューヨーク州北部の小さな教会「ファースト・リフォームド」の牧師トラーは、ミサにやってきた女性メアリーから、環境活動家である夫のマイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれ、彼女の家を訪れる。そこでマイケルがメアリーのお腹の中にいる子を産むことに反対するほど、地球の未来を心配して心が追い詰められていることを知る。

『魂のゆくえ』感想(ネタバレなし)

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「タクシードライバー」に憧れた人

1976年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』。アメリカン・ニューシネマの時代の終わりを飾る名作として高い評価とともに映画史に名を残すこの作品は、決して“過去の映画”という枠で片づけられない、現代にも響くテーマ性を持っていました。『タクシードライバー』はトラヴィスという若い男が主人公であり、彼が抱く社会への不満と孤独が「自己流の正義をベースにした暴力」というカタチで発散されていく過程を描きだしています。公開当時はこのトラヴィスに共感し、憧れた人も少なくなかったそうで、一種の理想的なルサンチマン(弱者が強者に対して反発意識を持つこと)として受け入れられたのかもしれません。

現代的な価値観で見ればこのトラヴィスのような人間を「中二病」の一言でバカにする人もいるでしょうが、残念なことにそんな軽い事柄でもないです。なぜなら今はヘイトクライムに代表されるように、社会への不満と孤独が「自己流の正義をベースにした暴力」へと発展し、その思考に染まった若者が大量殺戮犯罪を引き起こす事件が連発しているからです。言ってしまえば、今の世の中にはトラヴィスがいっぱいいるのです。

『タクシードライバー』の脚本を手がけたことで映画界でも名の知れたライターとなった“ポール・シュレイダー”も、この現代の情勢を忸怩たる思いで見ていたのかもしれない…そう“ポール・シュレイダー”監督最新作である『魂のゆくえ』を鑑賞して感じとりました。

“ポール・シュレイダー”は御年72歳になりますが、初期脚本作が『ザ・ヤクザ』(1974年)であり、フィルモグラフィーでも作品内にちょこちょこ日本要素を入れ込んだりすることからもわかるように、自他共に認める親日家。そのわりには日本では『タクシードライバー』の脚本家くらいの紹介の仕方しかされません。それもそのはず、あまり大作を手がけるといったキャリアアップに興味がなく、これまでほとんどインディペンデント系の世界にとどまり続けているため、全然目立ってきませんでした。最近の監督作も『ドッグ・イート・ドッグ』などかなり人を選ぶようなマニア嗜好。

そんな“ポール・シュレイダー”監督の最新作『魂のゆくえ』が各映画祭や賞でノミネートされたり、受賞したりと、高評価を集めていると聞いたときは、正直、「えっ!?」となりました。もうそういう世界とは無縁なのかなと思っていましたから。

本作はアカデミー賞でも脚本賞にノミネートされ、この歳にして“ポール・シュレイダー”の脚本家としての実績に光があたる、なかなかの異例な事態(2018年5月公開の映画なのでそれがこの時期の賞レースに食い込むのも凄い)。逆に言えば、それだけ同業の脚本家から今回は支持されたということですけど。

そして実際に私も鑑賞してみて“なるほど”と思いました。確かに本作はこれまでの“ポール・シュレイダー”作品のテーマ性がギュギュっと凝縮し、かつさらに踏み込んだ到達点になる一作でした。監督本人も50年の構想から生まれたと語っており、思い入れも強いのでしょう。

といっても、一般受けするようなわかりやすい映画ではないです。『タクシードライバー』との類似性も指摘されていますし、実際似た部分も多々見られるのですけど、あれほど共感を安易に得るような映画にはなっていません。ぼーっとしているとよくわからないままなので集中力の持続が必須。でも“ポール・シュレイダー”という人間の人生と重ねながら、深く追求するように読み解く面白さはあります。

主演は“イーサン・ホーク”で彼のベスト・アクトだという称賛もあるほど、今作では葛藤を抱えた人物を熱演。ほとんど“イーサン・ホーク”のひとり芝居メインだと思っていいです。彼はこういう孤独に悶々と悩む役が本当に似合いますよね。

共演には『マンマ・ミーア!』でおなじみの“アマンダ・サイフリッド”が出番少なめながら登場。彼女にしては珍しいシリアスな演技が見られます。

『タクシードライバー』に熱狂した人ほど観てほしい、考えてほしい映画です。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(じっくり鑑賞すると良し)
友人 ◯(このタイプの映画好きなら)
恋人 △(ロマンチックな要素は無い)
キッズ △(シリアスで大人向き)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『魂のゆくえ』感想(ネタバレあり)

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映画を知るキーワード:「カルヴァン主義」

『魂のゆくえ』は「ファースト・リフォームド教会」という小さな教会で牧師として務めるエルンスト・トラーという男の物語です。トラー牧師はいわゆる「エコテロリスト思想(環境保護のためなら過激な暴力活動も辞さないという考え)」に染まりつつあるマイケルという自分より若い男に出会い、大きく信仰心を揺るがされることになります。

作中のほとんどが淡々とした会話劇で人によっては非常に退屈でしょうが、こういうフィルターで本作を変換してみると少し面白いのではないでしょうか。それは、トラー牧師を“ポール・シュレイダー”自身、マイケルを『タクシードライバー』のトラヴィスに憧れてそうなろうとする観客に当てはめてみること

まずトラー牧師を“ポール・シュレイダー”監督と重ねることですが、ここでひとつ知っておきたいのは、“ポール・シュレイダー”監督は厳格な宗教を信仰する家庭で育ったという生い立ちがあるということ。

その宗教は「カルヴァン主義」と呼ばれているもの。日本人にはさっぱり耳慣れないですが、これは神学体系のひとつで、その特徴として「全的堕落」と「予定説」が一般には挙げられます。「全的堕落」というのは超簡単に言えば“人間ってみんな罪を持っているよ”という考え方。また「予定説」というのは“救済されるかどうかは神があらかじめ決定する”という考え方(良い行いをして帳消しにするなどはできない)。どちらも神の主権を強く意識したもので、ローマ・カトリックや正教会とは違います。

おそらく本作も幼少期からカルヴァン主義の世界で育った“ポール・シュレイダー”監督の価値観が強く反映されたものになっているのでしょう。ちなみに原題の一部の「Reformed」はカルヴァン主義を採用する「改革派教会」のことです。「魂のゆくえ」という邦題も良いセンスだと思います。

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国も神も信じられない

トラー牧師は信仰心にあつく、真面目に職務をこなしています。

そこへやってきたのはメアリーという女性で、環境保護活動団体に関与してカナダの刑務所に収監されてつい最近に釈放された夫のマイケルに会ってほしいと頼まれます。迷える人間の助けになるのが宗教に身を投じる自分の役目。さっそく家に尋ねると、マイケルは悩みを吐露。人類がしている地球環境の破壊は深刻で、もう取り返しがつかない…その絶望から抜け出せずにいるようです。

神はこんな人間でも許すのか?と聞かれ、正しく生きなさいと歯切れの悪い解答で濁すことしかできないトラー牧師。後にメアリーがガレージで自爆ベストを発見し、それを預かったトラー牧師は、マイケルが今も真剣に葛藤していることを痛感。

このマイケルは、『タクシードライバー』のトラヴィス的な自己正義で解決を促すべきか悩んでいるわけですが、結局、自死という選択をすることに。神は彼を救うべき相手とみなさなかったのか。

加えて自分の所属する教会コミュニティが自然環境を破壊する産業界と癒着している実態を垣間見ることで、ますます神を信じられなくなっていくトラー牧師。この教会は「メガ・チャーチ」と呼ばれて、例えるなら大企業的な教会のことで、もはや信仰心を利権のための売り物にしているようなところ。こういう宗教の一面もあるんですね。

こうなってくるとカルヴァン主義のような考え方も虚しくなるだけ。いまさら信仰でどうにかなるような希望は何も持てないのも当然な話です。

そのトラー牧師が宗教以外にも自分の存在を固定するものとして頼っているのが、ノートに自分の思ったことを書き留めること。このあたりも脚本家で物書きだった“ポール・シュレイダー”監督と通じる一面です。思考の整理で自分を落ち着かせるというのは、ブログを書いている私もよ~く理解できる行動でもあります。映画の感想を文章にまとめると、鑑賞後のごちゃごちゃした気持ちを整頓できるのが良いんです。

それはともかくトラー牧師は自身でも実はもともと迷いを抱えていて、それは愛国心が強く従軍家系だったために息子にも入隊を勧めたものの、イラク戦争で帰らぬ人となってしまったこと。国に裏切られたかたちのトラー牧師は宗教に救われ、そして今、宗教にも裏切られた…。さらには自分の体もまた癌に蝕まれ、未来は見えない。

追い込まれていく過程がじっくり描かれます。なんの助けの手もなく、ひとり悶々と佇むしかない牧師の孤独が映像から滲み出るのが良いです。

“イーサン・ホーク”もマッチしていますし、彼の“良き人”であろうとしているのだけど“無力”という現実的などうしようもなさが味わいあります。ちなみに“イーサン・ホーク”本人はわりとリベラルな人で、そうした活動にも積極的なので、そのギャップもあってこの映画の中の彼はますます“正しさへの満たされない感情”が表出しやすいのかもしれません。その役者が普段はどんな信念を持っているかというバックボーンも映画の存在感を形作りますよね。

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衝撃エンディングを読み解く

“ああ、これはトラー牧師がトラヴィス的な攻撃行動に手を出す流れなのか”…と誰もが思うところ。

メアリーとの謎のシンクロという、イマジナリービジュアル演出により、環境保護意識が共有されていくシーンは、トラー牧師の確定的な変化を示すようです(それにしてもなかなかにストレートな演出でした)。
自爆ベストを着こんでみたり、ネットで自爆テロの動画を漁ってみたりと、ふんわりしたイメトレも完了。

教会設立250周年を祝う式典に大勢が集うなか、ひとり自爆ベストを身に着け、行動に向けて覚悟を決めるトラー牧師。しかし、土壇場になり、自爆ベストを脱いで中断。しかも、上半身半裸の状態で体に有刺鉄線を巻きだすというまさかの行動。そのまま血がにじむ状態で祭服を身にまとい、なぜか現れたメアリーと抱擁。画面暗転。END。

観客、茫然。そりゃあ、そうですよ。完全に説明放棄なエンディングです。

でも、あのトラー牧師が最後にいた建物は、なかなか来ないことに心配になってやってきたジェファーズ牧師が鍵が閉まっていて戻ってきたことからわかるように、施錠されているはずで、じゃあ、メアリーはどこから?ということになります。

つまり、ラストシーンはこれぞ映画的ともいえる、かなりリアルから飛躍した場面です。解釈は観客にぶん投げていますが、間違いなく言えるのは『タクシードライバー』のトラヴィス的なオチの繰り返しではないということ。

そもそも監督いわく「いろいろなパターンのエンディングを考えていた」そうで、自爆を決行する案もあったとか。それでもああいう着地にしたのは、これは“ポール・シュレイダー”監督自身の今の気持ちなのかなと。幼い事から厳格な宗教の下で過ごし、一方で三島由紀夫からも影響を受けたというほどですから、彼自身も常に「神や社会が救ってくれるのか、それとも自分で過激な手段でもいいから改革に出るべきなのか」という命題を抱えてきたのでしょう。まさに作中のとおり有刺鉄線でがんじがらめにされるような葛藤だったのかもしれません。

そんな“ポール・シュレイダー”監督の成り代わりのようなトラー牧師が今、目の前にある愛を受け止めることにしたのは、結局それしか信じられないからなのか。あの結末があらかじめ神の意志で決まっていたかは知りませんが、私は少なくともトラー牧師の決断だと信じたいところです。メアリーを置いていったマイケルとは違う、愛に気づく決断。

“ポール・シュレイダー”監督がこういうオチにたどり着いたのが感慨深いですね。

トラヴィスに憧れる前に、まずは誰かを抱きしめましょうってことです。抱きしめる相手がいないなら、そうですね…愛に溢れる映画を観ればいいんじゃないですか、『パディントン』とか…。

『魂のゆくえ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 68%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Ferrocyanide, Inc. 2017. All Rights Reserved.

以上、『魂のゆくえ』の感想でした。

First Reformed (2018) [Japanese Review] 『魂のゆくえ』考察・評価レビュー