当事者目線で家庭内暴力の生々しい体験を描く…ドラマシリーズ『メイドの手帖』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
シーズン1:2021年にNetflixで配信
原案:モリー・スミス・メッツラー
DV-家庭内暴力-描写 児童虐待描写 性描写 恋愛描写
メイドの手帖
めいどのてちょう
『メイドの手帖』あらすじ
不安定で暴力的な男に恐怖を感じた若い女性は、幼い娘を抱きかかえて、狭いトレーラーハウスを逃げ出した。後先を考えずに今は身の危険からひたすら逃れるために。しかし、そんな親子に待っていた現実は残酷だった。社会は簡単には手を差し伸べてはくれない。頼る先もない中、富裕層の豪邸の掃除をするメイドの仕事を見つけた彼女は、現実を理解していない子どもを必死に養い、良い生活を築こうと奮闘する。
『メイドの手帖』感想(ネタバレなし)
「親ガチャ」なんて安易な言葉ではなく
この前、ネット界隈で「親ガチャ」という言葉が一部で論争になっていました。
これは要するに「子どもは親を選べない=良い親が当たるか、悪い親が当たるかは運でしかない」という子ども側視点の苦しい状況を、スマホなどでは定番のガチャに例えて風刺的に表現したものです。この「親ガチャ」なる言葉が適切かどうかで賛否吹き荒れていたわけですが、それを言いたくなる側の気持ちもわからなくはないです。とにかく何かに捌け口が欲しいだけかもしれませんし、昨今のケアやサポートが欠けているのが日常化してしまった日本社会だからこそ生まれた自虐的な言葉だなとも思います。
ただ一方でこの言葉は自嘲的な空気を生むだけで、結局は根本的な問題解決にはなりません。下手をすれば個人の運の問題だから諦めろという思考を助長することもあるでしょう。
やはりちゃんと今の社会の何が問題で、それをどうしたら解決できるのか…真剣に議論して行動しないといけないと思います。親子関係など家庭で起きている問題はわかりやすいようでわかりにくいです。たいていは自分の人生というひとつのサンプルしか知りませんし、それさえも客観的に認識できていないことも多いからです。真正面から向き合うのもなかなかにキツイですよね。
ということで今回紹介するドラマシリーズはそんな親子や夫婦関係など家庭環境を少し引いた視点で考えてみる、良いきっかけになる作品ではないでしょうか。それが本作『メイドの手帖』です。
本作は家庭で起こるある問題を大きなメインテーマにしています。それが「家庭内暴力」…いわゆるドメスティック・バイオレンス(DV)です。今さら説明の必要はないであろう家庭内暴力。でも家庭内暴力とは具体的にどういう行為を指すのか、それを受けた被害者はどういう状態に陥るのか、それをした加害者はどんな人間なのか…詳細は案外と知られていません。漠然と家庭内暴力という言葉だけがフワフワ浮いている感じです。
『メイドの手帖』は、夫から家庭内暴力を受けた20代の女性を主人公に、その女性が幼い子を抱えて家から逃げ出して社会で生きようとする姿を描いています。追い込まれた環境で生きる母と子を描く社会ドラマと言えば、最近も『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』や『サンドラの小さな家』がありましたが、それに近い雰囲気だと思ってください。
ただこの『メイドの手帖』は当事者目線が重視されており、被害者・加害者・周囲の第3者などの関係性や心理、さらにはどんな社会制度が関係してくるのかなど、社会問題を問う上でのかなり丁寧で細かい描写が積み重ねられます。ここまでのクオリティだと家庭内暴力を理解する教材に使えるんじゃないかというレベルです。
『メイドの手帖』は実話がベースになっており、2019年に“ステファニー・ランド”が執筆した回顧録にインスパイアされています。ドラマ化の企画を進めたのが、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』の脚本も手がけた“モリー・スミス・メッツラー”。
主人公を演じるのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』やゲーム『デス・ストランディング』など多彩に活躍する“マーガレット・クアリー”。そして物語上の鍵を握るその主人公の母を演じるのは『レディ・オア・ノット』の“アンディ・マクダウェル”で、なんとこの2人は実の親子関係なんですね。だからなのか作中の母娘の描写が凄い生々しさがあって圧倒されます。
その主人公の夫を演じるのが『ジュラシック・ワールド』でおなじみの“ニック・ロビンソン”で、あの時の無垢さは皆無、本作では印象最悪の役柄に挑んでいます。他には『プリンセスと魔法のキス』の“アニカ・ノニ・ローズ”、『トワイライト』シリーズの“ビリー・バーク”、ドラマ『ジニー&ジョージア』の“レイモンド・アブラック”、『シーラとプリンセス戦士』の“エイミー・カレロ”など。
『メイドの手帖』は主題になっている以上、家庭内暴力の描写が明確にそれも何度もありますし、非常に生々しいです。当然ながら経験者にはフラッシュバックなどのリスクはあるので注意してください。私も鑑賞中はかなり精神的に滅入ってしまったのですが、それでも最終話を見終えて「このドラマに出会えて良かった」と心の底から思うほどには響きました。とても誠実で真摯な作品です。
『メイドの手帖』はリミテッドシリーズで、全10話(各話約47~60分)。1話1話を噛みしめながら現実の問題に向き合ってみてください。
オススメ度のチェック
ひとり | :2021年の必見ドラマ |
友人 | :興味ある者同士で |
恋人 | :素直に語り合える仲と |
キッズ | :ティーンには観てほしい |
『メイドの手帖』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):そして逃げ出た
ひとりの女性は隣の男をじっと見つめながらベッドに横たわり、寝ていることを確認してゆっくりと立ち去ります。リュックを背負い、2歳の娘マディを抱きかかえ、外に出て車に乗車。男が起きてきて外に出てきますが急発進。後方を振り返りながらも必死に車を走らせます。
こうしてアレックスは娘と共に夫であるショーンの元から逃げ出しました。
後部座席で娘マディはぐっすり寝ています。スマホにはショーンから何度もメッセージがきていますが無視。ガソリンがないので入れると所持金の18ドルは12ドルに。アレックスは朝まで泊めてほしいと知人の女性の家のドアを叩きますが、ショーンの知り合いが集まっているのを目にして「やっぱりいい」と踵を返すのでした。
車で一夜を過ごし、翌朝。警察が窓を叩き、「ここで寝ないで」と言われ、福祉事務所の存在を耳にしたので行ってみます。ラッセルというソーシャルワーカーが対応。事情を説明するアレックス。暴力的な夫に恐怖を感じた…でもDVじゃないし、ホームレスでもない…母は頼れないし、仕事はない…と。
補助住宅の申請には給与明細が2枚必要で待機者も多いのでカルメル会の救護院に泊まるといいと提案されます。しかしそれには働かないといけません。けれども子どもがいるわけで労働の間に保育してもらうには保育費が必要で、それには働かないと…。埒が明かない現状に混乱しつつ、「バリューメイド」という職場を紹介されます。
アレックスはやむを得ず母であるポーラ・ラングリーのもとへ。家におらず、トレーラーハウスで発見しました。新しい恋人バジルと調子よさそうにしています。とりあえずマディを預け、そのメイドの面接へ。管理者のヨランダは「時給12ドル、1日6時間、週1、制服は給与から差し引く、通行量や掃除機以外の道具も自前」と説明し、今から働くように指示。道具を買うと持ち金は3.45ドル。ガソリンを入れると残り2.1ドル。
仕事先のフィッシャー島の船へ乗ります。レジナの家に到着。30分遅刻を怒られ、裕福そうな家を掃除。終わって急いで船へ。母のもとに戻るとマディがいません。なんでもショーンが連れていったというのです。早々に元の家に帰宅することになり、そこでショーンは「今日は飲んでない、努力している、断酒会にも行く」と語ります。それでもここにいられないアレックスは娘を抱えて再度そこを離れます。
ヨランダから「掃除機を返していない、仕事がいい加減だとクレームもある」と電話を受け、頭がパニック。娘が窓から人形を落とし、降りて探します。その瞬間、車が追突される事故。娘は無事でした。違反切符を切られ、マイナス239ドル、レッカー費用でマイナス739ドル。「家までお送りしましょうか」と言われますが、家はありません。車も使えなくなりました。
仕方なく一番に頼りたくなかった父ハンクを呼びます。そして会話もほぼ無しで船着き場の建物に降ろしてもらいます。建物内で座り込み、夜を明かす母と娘。
明日の未来さえも見えません。
立ちはだかる社会制度の複雑さ
1話から絶望を見せてくる『メイドの手帖』。DVは逃げれば終わりということではないことがよくわかります。そこからが地獄の始まりです。あれよあれよという間にアレックスは自分では想定していないほどの窮地に陥り、完全に孤立します。基盤を失った人間がいかに脆弱なのかを思い知らされますね。
だったら家族とか親戚とか友人とかに助けてもらえばいいじゃん?…なんて声はありがちですが、『メイドの手帖』はそれがいかに根本的には役に立たないかを提示します。母のポーラ、父のハンク、友人のネイト…。確かにその場しのぎにはなるかもしれない。でもそうした繋がりさえもがアレックスをこういう状況に追い込んだ加害と結びついてしまっており、最も弱い立場のアレックスはやはり不利なカードを引かされるだけです。自助も共助もそんなものです。
だからこそ「公助」の出番なのですが、それもまた厄介で…。アレックスの前に立ちはだかるのは、専門用語だらけの公的制度の情報の洪水です。性格証人、食料支援(SNAP)、電子購入カード(EBT)、再定住支援団体(VOLAG)、保育助成金(WCCC)、貧困家庭一時扶助(TANF)、低所得家庭エネルギー支援プログラム(LIHEAP)、セクション8(住宅サポートプログラム)、TBRA(賃貸支援)…。時間をかけて覚えている暇はありません。明日生きるカネさえもないのですから。
最終的にアレックスは2度目の家出を経験し、こうした公的制度を使いこなせるようになっていきます。人は何度も失敗しながら成長する。ゆっくり確実に前に進める。そんな力強さです。
同時にレジナの紹介してくれた専門の弁護士もサポート。最初の裁判が茫然としたままに終わってしまったときとは大違いです。転居通知を出せばいい、一時的な接近禁止命令もできる、虐待で訴えてもいい…。自分にそんなことができるとも思っていなかったアレックス。専門的な支援の重要性がいかに大事かがわかります。
もちろん『ブリトニー対スピアーズ 後見人裁判の行方』で映される後見制度のように公的な仕組みが加害者に有利になるケースもあるんですけどね。
心理的虐待をドラマにする自覚
DVにもいろいろな種類があるのですが『メイドの手帖』はその中でも「心理的虐待」に焦点をあてています。これはなかなか難しいことだと思います。最も映像にしづらいです。やはり直接殴るなどの暴力があった方が映像で描きやすいぶん、そっちばかり取りあげられがち。他の映画を観ていると、これは明らかに心理的虐待なのでは?という関係性さえもお咎めなしで美談なドラマにされている事例も目にします。
アレックスは自分さえも当初はDV被害者だと認識していません。「本当のDVを受けている人に譲りたいからシェルターはちょっと…」と遠慮してしまう始末。貧乏人と思われたくないという感情もそこに加わる。これぞ心理的虐待の怖さでもあるのですが…。
そして「マクマレンハウス」というDVシェルターに避難し、他のDV被害者と触れ合うことで知ったのは、せっかく逃げてきた被害者が虐待者のもとに何度も戻ってしまう現実。まさか自分は…と思っている中で、この『メイドの手帖』はその恐怖をじわじわと見せつける。ここが何よりもキツくて…。
「お、これは安定してきたかも? あ、やっぱりダメだ。お、今度こそいいかも?」…という一喜一憂を繰り返しながら、最終的には無自覚に「スタート地点に戻る」という結末を引き当てている第8話の絶望的なエンディング。怖すぎる…。
作中で随所に挟まれる心理面を抽象化した描写も強烈でしたね。
男性に依存せずに女性が生きる困難さ
『メイドの手帖』で印象的なのはメロドラマ的な着地に一切甘えないことです。
どうしても私たち観客は理想的な着地を期待してしまいます。もしかしたらショーンと仲直りできるのではないか、父親であるハンクに頼って父子の家庭に移れるのではないか、ネイトという優しい男性のもとで幸せを得られるのではないか…。それはまさしくDV被害者自身も脳内でつい考えてしまうことなのでしょう。でもそれは本当の理想ではない…。
ショーンも「女は男が養うもの」という価値観に固執してアルコール依存症から心理的虐待支配へといとも容易く傾きます。ハンクも過去の妻ポーラへの虐待を認めずに反省するチャンスを与えられても「あれは若いカップルのちょっとした喧嘩だ、依存症のせいで怪物になるだけだ」と手放します。ネイトさえも男性的な強さ比べに興じて女の奪い合いに終始してしまいます。
アレックスが求めているのは「自立」。自立というのは日本では「実家を出て、男なら就職してキャリアアップし、女なら男の妻となって子を産む」というイメージですが、それは自立的ではなく規範的なだけです。自立の答えはひとりひとり違いますが、でも自分で自由に判断する環境を持つことは自立には欠かせないでしょう。
たぶんアレックスが中絶という道を選んでいても今度は「妊娠→中絶→また妊娠」のループで苦しんだでしょう(それもDV)。自立できなければ選択は実質無いも同じですから。
自立は自己責任で片付けられやすく、アレックスも自分を責めてばかりでしたが…。序盤のDVシェルターで親切にしてくれるダニエルの「怒っていい」という言葉が耳に残る…。
現在のジェンダー構造であれば、女性にとって男性は抑圧要因として作用します。それが表向きはどんなに“良好そうに”見えても。本作はその現実を突きつけるものでもありました。
それぞれの女性たちの手帖
『メイドの手帖』はアレックス以外の女性たちも描かれます。それぞれにそれぞれの手帖があり、それが生きる要になっていました。
フィッシャー島に暮らすレジナは子を望むもなかなか恵まれず、強迫性障害も抱えながらやがては夫に捨てられます。そして家だけが残る。家が彼女の手帖になる。アレックスとは真逆ですね。
他にもDVシェルターを運営すること、偽物の衣服ストア、大量の「マイリトルポニー」…みんなが違う手帖を持ってサバイブしている。
そしてアレックスにとって無視できない一番の女性が母のポーラです。彼女もDV被害者です。でも自覚せずに高齢になってしまい、今では双極性障害を背負い、男に支配されることをやめられません。そして共助も公助もあらゆる支援を拒んでしまいます。やがては精神病院からの車上生活に。このあたりは『ノマドランド』を彷彿とさせるものですが…。
アレックスは事実上ヤングケアラーみたいな感じでポーラと子どもの頃から接してきたわけで、アレックスにしてみれば自分を縛ってきた存在。でも戸棚に隠れた自分を守ってくれた存在でもある。
最後は共に逃げ出せる…と思いきや、やはり振り出しに戻ってしまった母の姿。あそこも切ないです。
アレックスはメイドという仕事で多くの他人の女性に関わります。この仕事も意味深いです。1時間10ドルの最低賃金ですけど、家事に対価をもらっているのです。普段は0ドルなのですから。
「この世界は全部マディのもの」と告げる爽やかなラストカット。無償で奉仕する女性としてではなく、この世界に支配されるのでもなく…。人生も社会も掃除するようなドラマシリーズでした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 84%
IMDb
8.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix メイドの手帳
以上、『メイドの手帖』の感想でした。
Maid (2021) [Japanese Review] 『メイドの手帖』考察・評価レビュー