シークレット・ヴォイス
映画『シークレット・ヴォイス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Quien te cantara
製作国:スペイン・フランス(2018年)
日本公開日:2019年1月4日
監督:カルロス・ベルムト

あらすじ

女性がベッドで目覚めた。彼女は自分の名前も覚えておらず、記憶が空白となっていた。見舞いに来たブランカという女性から、自分は「リラ・カッセン」という国民的歌手だと聞かされるが、今は歌うことすらできない。そんななか、ブランカは、バーでリラの曲を本人のように歌いこなすシングルマザーのヴィオレッタと出会い、ある依頼をする…。

ネタバレなし感想

魔法少女の次なる題材は…

突然ですが、英語の勉強の時間です。「dream」「aspiration」の違いは何なのでしょうか。「dream」は日本人でも日常的に使いますよね。「aspiration」は辞書をひくと「願望・憧れ」と書いてあります。同じことのようにも思えますが、ニュアンスは異なるのかな?

気になって調べていたことがあるのですが、その際、やたらとカッコいい説明を見つけました。
「dream」は目を閉じて思い浮かべるもの。「aspiration」は目を開いて見据えるもの。
なにこれ、考えた人、ナルシストなのか…でも上手いなと思っちゃった…。なお、単語の意味の違いとして正しい解説かどうかは保証しません。英語に詳しい人に聞いてください(丸投げ)。

ちなみに「aspiration(アスピレーション)」は医学用語で、「吸引」や「誤嚥」という意味でも使われます。吸引は、口腔内、のど、鼻腔、気管などに溜まっている分泌物を吸引器などを利用して体外に出すこと。誤嚥は、本来は食道を通り胃の中に入らなければならないものが誤って気管内に入ること。

不思議なことに正反対とも言える異なる一面を持った単語なんですね、「aspiration」は。でも深読みするならそれも意味がある気がしてきます。夢(dream)はただ空想にふけって思い浮かべればいいだけですけど、願望(aspiration)となるとそこには“犠牲”が必要になる…そういう側面があるのも事実ですから。

そしてこの「願望と犠牲」の両面を独自のタッチで映画に表現することに長けているスペインの奇才が“カルロス・ベルムト”監督です。『マジカル・ガール』という映画で日本でも一部映画ファンの間に強烈なインパクトを残しました。普通、スペインの映画監督なんてあまり日本では話題にすら上らないものです。でも“カルロス・ベルムト”監督の場合、特殊で、この人は日本文化の要素を映画に取り込むゆえに注目を浴びたのでした。

『マジカル・ガール』ではその名のとおり「魔法少女」がキーワードになっており、日本の魔法少女に憧れる余命僅かの少女が抱いた願望が、周囲の人間を巻き込んで、ある悲劇的な結末に突き進んでいくという、非常に大胆なプロットが衝撃的。映画をたくさん観ている私も初めて味わう新鮮さで、すっかり魅了されました。
『マジカル・ガール』感想(ネタバレ)…魔法少女に魅入られた男たちに救いはあるか
その“カルロス・ベルムト”監督の最新作が本作『シークレット・ヴォイス』です。当然、どんな物語なのだろうとワクワクしながら私も鑑賞。先に結論を言ってしまえば、“カルロス・ベルムト”監督、やっぱり凄いと。そう確信できるクオリティと揺るぎない作家性を感じまくる映画でした。

『マジカル・ガール』とは題材は全然違うのですけど、根底にあるテーマ性みたいなものは明確に通じているのがよくわかります。

あまりにも『マジカル・ガール』の「魔法少女」のインパクトが強すぎたのであれですが、確かに“カルロス・ベルムト”監督は日本のいわゆる「サブカル」とも言われるコンテンツにも精通しています。でも決してオタクに媚びたウケ狙いの映画を作る人では全然ないんですね。必然的なパーツとして日本文化要素を用いているだけで、そのクリエイティブ姿勢はストイックなくらいです。『シークレット・ヴォイス』でも日本文化要素が出てきますが、そこをそう使うのか!という意外性があります。

また、本作でも『マジカル・ガール』に引き続き、音楽要素が重要。なんていったって歌手を題材にしていますから。そこにも注目です。

さらに俳優陣の名演も見ごたえが尋常ではない。本作は、スペインのアカデミー賞とも言われる「ゴヤ賞」で、主演女優賞・助演女優賞にノミネートされ、新人女優賞を受賞しています。“カルロス・ベルムト”監督は、なんでこんなにも役者の力を引き出すのが上手いのでしょうかね。

結構重要なシーンがさりげなく映ったりするので、よそ見せずに映像に注視して鑑賞してください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(謎めいた映画好きなら)
友人◯(考察しながら楽しめる)
恋人△(かなり人を選ぶ映画なので)
キッズ△(残酷・暴力シーンあり)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

最初から伏線だらけ

“カルロス・ベルムト”監督はとにかく説明的ではない映像で暗示させるストーリーテリングのテクニックが巧みな人で、本作でもその手腕は全編にわたって発揮されています。まず冒頭のシーンから伏線だらけであり、最終的な核心に迫る要素もすでに顔を出しています

最初に画面に映るのは、海辺で倒れた女性に救命措置をとる女性。そこからシーンは切り替わって、指をアップで映すカットに。その指がつーっと動き、女性の顔を這います。そこからCTスキャンの青い光がこの女性の顔をまた這うシーンに。これらの一連の場面は、彼女が何者なのかその実体を探っているような、不吉感があります。

この女性、リラ・カッサンはどうやら国民的な大物歌手だったようですが、しかし、今の彼女は記憶喪失で自分に関する情報が欠落していました。マネージャーのブランカいわく、海で溺れて気を失ったらしいことがわかります。ただ、これは最後まで本作を観た観客には“自殺だったのでは”と推察できるのですが、この場面ではブランカはこれ以上何も言いません。

そしてブランカはリラにタブレットである女性の写真画像を見せて、誰だかわかるか問います。その写真はリラのもの。でもリラは一瞬「リリ」と言って「リラ・カッサン」と言い直します。これも本作を最後まで観た観客には「あれか」とわかるシーンですね。

また、この病室ではブランカがリラが目覚めるまでの時間つぶしだったのでしょう、そのへんの紙を折って小さな船をいくつも作っています。これはリラが溺れていたことを踏まえると、ブランカのリラを助けたいという気持ちの表れともとれますが、この“助けたい”がどこまでを意味しているかが重要ですよね。

この折り紙の船を手にしたリラに対して、「教えてあげましょうか。元に戻して折り直すと上手くできるわよ」と言葉をかけるブランカ。この何気ないやりとりも、この後、記憶を失ったリラが再び歌手に戻るための計画を実行していく展開を考えると、まさにそれ自体を示唆するセリフに思えますし、リラの抱える“秘密”に迫っている言葉とも深読みできます。

本作は基本女性4人(+1人)の物語であり、それぞれでいろいろな二人の駆け引きが生まれるのですが、序盤ではリラとブランカにフォーカス。とくにブランカはリラのことをどこまで知っているのか、そこはかなり気になる部分です。

音楽は破局の合図

次に物語は別の人物の視点にガラリとチェンジ(これも『マジカル・ガール』と同じ)。

その人物は、ヴィオレッタという女性で、シングルマザーで家には非常に精神不安定で過激な行動をとるマルタという娘がいます。自分の首にナイフをあてて金をせがむという、サイコパスの領域ですらある娘なのですが、そんな崩壊しかけている家庭にヴィオレッタのストレスは限界ギリギリ。

凄惨な家庭から逃げるようにヴィオレッタがハマっていたのが、リラ・カッサンでした。リラの大ファンであり、カラオケバーではリラの曲を完コピして熱唱。ウィッグをかぶって見た目まで本人になりきるあたり、相当な思い入れです。ここのカラオケで情熱的に歌い上げるシーンはじっくり長めに撮ってあり、魅入ります。

でも、“カルロス・ベルムト”監督作あるあるなのですが、パッション溢れる音楽がかかり始めるシーンは盛り上げているように見えて、実は登場人物が破局に向かっているのがいつものオチなんですね。ということでこのヴィオレッタも…。

そんなヴィオレッタはブランカの目にとまり、スカウトのようなかたちで極秘にリラと顔を合わせます。その目的は、記憶喪失で歌い方さえ忘れたリラを元の歌手のリラに戻す手助けをすること。憧れのリラと仕事でき、なおかつ貧しい経済事情の中で報酬ももらえるとなれば、渡りに船。支援に身を投じるようになります。

このあたりで本作の物語構造がようやく見えてきた感じになります。「あ、これはオリジナルのリラと、コピーのヴィオレッタの交流の話なんだ。もしかして立場の逆転とかが起こる展開かな?」…しかし、これは“カルロス・ベルムト”監督作。さらに捻った凶悪魔法を発動してきました。

シークレット・ヴォイス

ヴィオレッタ・カッサン

ある日、呼吸荒く目覚めるリラ。記憶が戻ったらしい彼女は、長年一緒にいたブランカに対して「もう以前のリラには戻れない」と決別。そして、ヴィオレッタにだけ自分の秘密を打ち明けます。

リラには歌手を目指していたリリという母がいて、実は母の曲を歌ってリラはブレイクしたのでした。負い目を抱えるなかで、ひたすらそのことは秘密にし、母の名声を奪った自分。しかも、ヘロイン中毒になった母を死に追いやるような行動までもとってしまい…。

つまり、リラもまた母のコピーにすぎなかったという事実。ゆえにリラはもう歌手にはなれません。憧れの対象を失い、代償を払いすぎたのですから。

一方のヴィオレッタは、娘との確執が臨界点を突破し、一線を越えます。彼女は「娘の死」という犠牲を捧げて、憧れと完全に重なるのでした。船の折り紙から“折り鶴”を作るシーンは、ヴィオレッタが独自物を生み出す才に目覚めたことを象徴するアイテムの見せ方です。

リラの前でオリジナル曲を熱唱するヴィオレッタ。その姿はいつのまにかシームレスに大舞台で歌う女性へと切り替わります。その女性の名は「ヴィオレッタ・カッサン」

一方の新たな原点となったヴィオレッタは会場をタクシーで帰宅。家には無残な血塗られた娘の遺体。そしてヴィオレッタは、かつての今は“亡き”リラへと転身し、海へ歩み、海面の下に消えます。コピーの役割を全うするように、完全なリラになるために…。

まさかの「ちあきなおみ」

本作は、創作の世界にはよくありがちな、何がオリジナルで、何が模倣なのかという普遍的テーマを土台にしながら、そこに“カルロス・ベルムト”監督の色をガンガンに塗りたくった映画です。

折り紙の他に欠かせない本作の日本要素は「カラオケ」でした。「Karaoke」はわりと世界共通語なんじゃないかというくらい広く浸透している日本文化なのですが、基本は有名な歌手など他人の曲をなりきって歌うものです。まさにコピーして遊ぶショーみたいなもの。

しかし、本当に歌手になりたいのならば、どうすればいいのか。そのステップ…夢が願望へと変わる過程をミステリアスに描きつつ、犠牲と成功の両軸をパワフルに映し出す。個人的には、本作は“カルロス・ベルムト”監督版の『スター誕生』でしたね。
『アリー スター誕生』感想(ネタバレ)…2018年、スター誕生しすぎです
ちなみに、リラやヴィオレッタには、インスピレーションの元になったモデルがいるそうで、監督のインタビューでは、レディー・ガガ、モニカ・ナランホ、ミーナ・マッツィーニ、エディット・ピアフといった名だたる女性歌手と並んで、日本の「ちあきなおみ」の名前を挙げていました。夫の死をきっかけに一切の芸能活動を休止した日本では著名な女性歌手ですけど、“カルロス・ベルムト”監督、いったいどういう情報通なんだ…。

それにしてもこの監督は、描かれる女性が常に現代社会の“女”ゆえの呪縛にとらわれてもがく者たちばかりで、しかも安易なフェミニズム的な救済もないので、キッツイ映画を作るなとも思いますが、同時にリアルを切り取るセンスが気持ちいい感じもします。あらためてその才能に驚かされるばかりでした。

“カルロス・ベルムト”監督は今度は何を見せてくれるのかな。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 75%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

関連作品紹介

おすすめ PiCKUP!
↑『マジカル・ガール』…同じくカルロス・ベルムト監督作。全然ファンシーじゃない、ノワール・サスペンスです。
作品ポスター・画像 (C)2018/ Apache Films, S.L. / Las Peliculas del Apache S.L. / Aralan Films S.L. / Les Films du Worso All rights reserved