リチャード・ジュエル
映画『リチャード・ジュエル』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Richard Jewell
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年1月17日
監督:クリント・イーストウッド

リチャード・ジュエル

あらすじ

1996年、五輪開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエルが、公園で不審なバッグを発見する。その中身は無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。結果的に多くの人々の命を救って一時は英雄視されるジュエルだったが、その裏でFBIはジュエルを第一容疑者として捜査を開始。それを現地の新聞社とテレビ局が報道したことで、ジュエルを取り巻く状況は一転してしまう。

『リチャード・ジュエル』感想(ネタバレなし)

ある日、私は犯人扱いとなった

朝。起床して何気なくSNSをふと見たら自分が犯罪の犯人扱いされていた…。

そんな状況に遭ったらあなたはどうするでしょうか。こういう場合どういう対応をすればいいのかさっぱりわからないですよね(警察も対応外でしょうし…)。でもそういうことが昨今、頻繁に起きています。

2019年8月10日に茨城県の常磐自動車道で起きたあおり運転及び暴行事件。この時運転していた男と同乗していた通称“ガラケー女”とネットで呼ばれた女性。この女性だと特定されてボロクソに批判されることになったSNSのユーザーがいましたが、事実無根、人違いでした。しかし、簡単に批判は収まりません。デマの拡大は速いのに、正しい情報の周知は遅いのが世の現実。この間違われた女性は、ネットでデマを拡散した50代の男性に対し損害賠償を求めて裁判を起こしました。

このような関係のない人間を犯人扱いする冤罪は表面上はモラルパニックの流れで生じているように見えますが、実際の根底には差別や偏見(性別・見た目・人種など)も影響しています。日本では犯罪が起こるたびにその内容に関わらず犯人は朝鮮人だとする主張が毎度のように起こります。

この手の騒動を「正しさの暴走」と評する人もいますが私はそれは違うと思っていて、これらは明らかに「差別や偏見の暴走」じゃないでしょうか。

少し前置きが長くなりましたが、今回の映画『リチャード・ジュエル』もまたそんな差別や偏見の暴走が冤罪を生み出してしまった実話を描く作品です。

舞台は1996年のアトランタオリンピック。この大会中に屋外コンサート会場で爆破事件が発生。その容疑者として疑われてマスコミや世間の注目のまとになった「リチャード・ジュエル」という男性を描くものです。

まあ、本作は内容云々かんぬんよりもまず監督が“クリント・イーストウッド”であるという部分が最注目になっているのでしょうけどね。“クリント・イーストウッド”について今さら語るまでもないです。アメリカを代表する俳優&監督の両立を成功させた第一人者であり、その人気は日本でも絶大。2017年の監督作『15時17分、パリ行き』はアメリカ本国での評価はかなり低めだったのですけど、日本では圧倒的に高評価という逆転現象。続く2018年の『運び屋』も日本の評価はトップクラス。なんなんだろう、この日本の“クリント・イーストウッド”への突出した支持層…。やっぱり日本人男性が考える古典的な英雄像マスキュリニティを描いてくれるからなのかな。

無論、アメリカでも基本は“クリント・イーストウッド”監督は素晴らしい映画人として認知されています。最新作『リチャード・ジュエル』は高評価で、また右肩上がりに勢いに乗っている感じです(ただ興収は低かったみたいですけど…公開時期が悪かったかな)。

賞レースに上がってきても良さそうですが、配給のワーナー・ブラザースは『ジョーカー』に全力投入していますので、『リチャード・ジュエル』の扱いはちょっと可哀想。あのピエロがいなければ間違いなく賞に推す映画になっていただろうに…。

ただ俳優の演技は賞に輝いています。冤罪として容疑者になってしまう男を演じるのは、あの『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』や『ブラック・クランズマン』でどうしようもないクソ野郎を演じていた“ポール・ウォルター・ハウザー”。彼は『リチャード・ジュエル』の名演を評価され、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞のブレイクスルー演技賞を受賞しました。個人的にとっても嬉しいです。

また、その“ポール・ウォルター・ハウザー”演じる男の母親役となる“キャシー・ベイツ”もゴールデングローブ賞やアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされるほどの称賛。彼女が賞ステージに上がるのなんて、1990年の『ミザリー』以来だと思いますから、こちらも素直に喜びたい良い出来事。

他の俳優陣は、“サム・ロックウェル”“オリヴィア・ワイルド”“ジョン・ハム”らが出演。役者のドラマを堪能できます。“サム・ロックウェル”は今回は真面目な役ですので、アホ全開な彼を観たい人は同日公開の『ジョジョ・ラビット』の方を鑑賞してください。でもシリアスな彼も良いもんです。

“クリント・イーストウッド”主演ではないせいか、『運び屋』のときと比べて客足はかなり鈍いような印象も感じますが、“クリント・イーストウッド”監督作を観ない理由はありませんね。

オススメ度のチェック
ひとり◎(映画ファンは必見)
友人◯(監督好き同士で)
恋人△(重い物語で気軽さはない)
キッズ△(シリアスな大人のドラマ)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『リチャード・ジュエル』感想(ネタバレあり)

正しいことをしたはずなのに…

1986年。リチャード・ジュエルは小さな法律事務所で雑務係として働いていました。仕事は主に事務用品の補充。そこでワトソン・ブライアントという弁護士とたまたま知り合います。細かいところまで気配りができ、好物のスニッカーズもばっちり用意してくれたリチャードに「レーダー」とあだ名をつけて親しくしてくれるワトソン。二人はゲームセンターで仲良く遊ぶ間柄に。

どうやらリチャードは法執行機関で働くことを望んでいるようでした。しばらく後、リチャードは警備員として働くためにこの事務所を離職するとワトソンに伝えます。すっかり友となったワトソンは気優しいリチャードに餞別を渡し、権力は人をモンスターにするので気を付けるように忠告しました。

それからジョージア州の大学の警備員といて雇用されたリチャードでしたが、強すぎる正義感のせいか、学生からは反感を買い、立場を超えて行き過ぎた行動をとってしまったことが積み重なり、クビになってしまいます。

月日は流れ、1996年のアトランタ。足が悪くて手術をしたばかりの母親バーバラ(ボビー)の実家のアパートに戻ってきていたリチャードはそこでオリンピック関連の警備の仕事を見つけます。おりしも、その時期はアトランタ・オリンピックの開催が迫り、街は大勢の人で賑わい、警備の人手が大量に必要でした。

ちなみに作中、あんまりオリンピック感がないように見えますが、五輪マークが映画で使えないせいもあるのかな(オリンピック委員会はマークの使用にすごく厳しいです)。

大会7日目の7月27日。オリンピック公園(Centennial Olympic Park)の屋外コンサート会場。ステージイベントが行われており、埋め尽くすほどのたくさんの観衆が熱狂中。ボビーも楽しそうにしており、この場所を担当して警備中のリチャードと会話を少しします。また、同じ会場内にはFBIのトム・ショーとアトランタ・ジャーナルのキャシー・スクラッグスもいて、仕事以上の親密な関係にあった二人も賑やかムードに身をさらしています。

リチャードは相変わらずここでも真面目一辺倒で働き、不審者がいないか目を光らせます。さっそく怪しいバックを持った男を見つけますが、ビール缶を配っていただけ。今度は騒いでいる若者集団を見つけ、注意しますが、逆に「デブ」とバカにされてまともに相手をしてくれません。仕方がないので警察を呼んで対処してもらうことに。

そんなとき、ちょうどベンチの下あたりに不審なバッグを発見。どうせただの忘れ物だと楽観視する同僚をよそに、マニュアルどおり対応しようと専門班を呼ばせるリチャード。その頃、警察には不審な電話がかかってきていましたが、公園にいる一同は知る由もありません。

専門チームが到着し、バッグを慎重に調べると…そこにあったのはパイプ爆弾。一瞬で緊張の顔になる一同は、すぐさま何も知らない観衆の退避に動き出します。リチャードも必死で離れるように声をあげますが、事態を掴めない周りは訝しげ。

そして、爆発。飛び散るクギ。騒然とする公園。2名が死亡、111名が負傷する事態でした(死亡者のうち一人は作中でも描写があるように写真を撮っていた女性二人の片方。もうひとりの死亡者は心臓発作)。

幸いなことにリチャードは爆発が届かない裏側にいたために無事。そして被害を最小限に食い止めたことはすぐさま称賛され、メディアも世間もリチャードを「ヒーロー」として褒めます。謙遜しつつもやっと自分の頑張りが認められたことに喜ぶリチャードと母。

一方、1972年のミュンヘンオリンピック事件以来の大惨事を見す見す見逃してしまったFBIは面目丸つぶれで大慌て。犯人逮捕に必死になります。

事件から数日後、信じられない急展開が。FBIが容疑者候補として捜査している人間はリチャードであると報道され、メディアリンチのターゲットとなったリチャードは称賛の眼差しから一転して疑惑の目を向けられることに…。

彼が疑われた理由

冤罪を描く映画は山ほどあります。例えば『偽りなき者』は私も大好きな一作。“クリント・イーストウッド”監督もこのテーマを得意としており、『トゥルー・クライム』(1999年)、『ミスティック・リバー』(2003年)、『チェンジリング』(2008年)と描き続け、『ハドソン川の奇跡』(2016年)なんかは英雄と崇められた男が一転して疑惑を向けられる展開は全く共通しています。

そして『リチャード・ジュエル』はそんな冤罪モノの中でも、前述したとおり「差別や偏見の暴走」が背景にあるタイプの物語です。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『プリズナーズ』は障がい者、ドラマシリーズの『ボクらを見る目』は黒人…このように個々でその差別や偏見の対象は変わってくるものですけど、『リチャード・ジュエル』は一概には言えないのですが、主人公であるリチャード・ジュエルのいち属性ではなく存在自体そのものが偏見視されています。とくに彼の太った体格は全く犯罪と関連性がないのにメディアに中傷される主因となっているのは日本人観客にもわかると思いますが、他にも趣味で銃を持っている、母親と暮らしている、オタクっぽい、貧しい…といった諸々で勝手なネガティブ・イメージを植え付けられることに。フィラデルフィア・デイリーニュースが「BUBBA the BOMBER?」と見出しをつけていることからも(「Bubba」は保守的な南部白人を意味するスラング)、単純に太っているからだけでないアメリカ特有のダメな白人・ステレオタイプに合致していることが土台にあります。

でもこういう人間が犯罪者的な決めつけで見られるのは日本でも理解できなくはないことですよね。おそらくどの国のマスコミも世間でもこういう人間は(何も悪いことをしていないのに)マイナスで評価されてしまいます。

本作を観ているとどこまでが真実なのかと気になると思いますが、FBI側のストーリーはかなりリアルなようです。本作はマリー・ブレナーというジャーナリストが1997年に「Vanity Fair」誌に寄稿した記事が基になっています。そこではFBI側が作中でも描かれたようにビデオ撮影を装ってリチャードを騙して連れてきたことや、家に盗聴をしかけたことが事実であると説明されています。なお、FBI側の登場人物は実名ではありません。

リチャード・ジュエル

信念は愛国者を別つ

一方で大幅に脚色された部分もあります。

とくにメディア側の代表として描かれるアトランタ・ジャーナルの実在のキャシー・スクラッグスはかなり改変されており、そこは本作の批判を集める結果にも。例えば、作中でFBIのトム・ショーと寝ること(枕営業)でリチャードの名の情報を仕入れたことになっていますが、そういうことをした確かな証拠は無いです。“クリント・イーストウッド”監督も「誰もわからない」とインタビューで答えています。ちなみにキャシー・スクラッグスは2001年に亡くなっています。

『リチャード・ジュエル』のマスコミ側の描写はかなりリアルとフィクションが極端に入り乱れているのが特徴。キャシー・スクラッグスのキャラクター性は大胆にアレンジされる傍ら、作中でリチャードがTV番組に出演して答えているシーンがありますが、あそこは本物の番組映像を使っているのでリチャード本人です(声だけは“ポール・ウォルター・ハウザー”みたいですが)。このへんの演出は『15時17分、パリ行き』を思いだしますね。

本作で事実上のマスコミ側のヴィランをキャシーひとりに集約してしまったのはちょっと強引だったかなとも思います。そのため、あんなに序盤から嫌~な感じを全開にしていたキャシーが、中盤以降いきなりコロッと善意が芽生え、会見を見ながら涙を流しているという転身の急激さには面食らった観客もいるのでは。

そもそも本作は「証拠」という部分が過程でクローズアップされるわりに、FBIでの双方の対面シーン以降、物語がバン!とブツ切れになり、88日後に時間は飛びます。そして検事からの調査対象ではなくなったという手紙を受け取り、リチャードは自分が逮捕も起訴もされない状態になったことに安堵します。

観客としては結局なんでリチャードは最悪の事態を逃れることができたのか、その理屈はイマイチあやふやです。

でもたぶん“クリント・イーストウッド”監督は証拠を積み重ねてリチャード側が反論していくようなロジックを重視したサスペンスにする気はさらさらなかったのでしょう。

それどころか本作はロジックの危険性も描いています。マスコミが取り上げたリチャードは犯罪者のプロファイリングに合致するという根拠。あれは当時はそんなデータはなかったそうです。また、リチャード側もポリグラフでワトソンが無罪を納得するというシーンがありますが、こういう嘘発見器的なものは科学的な根拠がありません。つまり、リチャードを有罪と見なす側も無罪と見なす側も、双方ともに根拠のないロジックで信じ込んでいるんですね。

“クリント・イーストウッド”監督は常に「信念」で物語を引っ張る人です。『リチャード・ジュエル』も、リチャードが自分の信念を貫く物語でした。法執行機関を夢見る、いわば愛国心に溢れたリチャードが、自分の目指す先にいる法執行機関の醜さを直視し、それを乗り越えた信念の進化を見せる。これが描ければもうリチャードの物語は完結なんだ、と。

あのFBI事務所で双方が対面するシーンは、実際はあんなメンバーではなかったそうで(ワトソンすらもいなかったとか)、それでもあの構図にしたのは本作の明確なメッセージを象徴するものだと思います。

ラスト。2005年、警察官として働くリチャードのもとにワトソンがやってきて「エリック・ルドルフ」という名前の人間が自白したと説明します。この真犯人であるエリック・ルドルフはキリスト教原理主義の男で、1997年にも事件を起こし、LGBTと中絶施設を狙っています(ヘイトクライム)。皮肉にもこの本当の犯人も、南部出身の白人男で、銃器に詳しく、母子家庭でした。きっと彼にも何かしらの信念はあったのでしょう。

この二人を別つものは何だったのか。同じ愛国者でも善と悪のどちらに進むか…それは紙一重なのか。

『ザ・レポート』(孤独な真面目な主人公という点でも共通)でも見られたこの愛国者の在り方を追求するテーマは今のアメリカに問われる題材なのでしょうね。

イーストウッドのユーモアが好き

“クリント・イーストウッド”監督の良くも悪くも得意技と言えるのですが、どうしても複雑な背景を持った実在の人物をいつものイーストウッドっぽい「世に理解されない不屈の英雄像」に型どりしてしまうので、単純化しすぎな結果になっているところは否めません。

でもベタな退屈さになっていないのは、さすが“クリント・イーストウッド”監督の腕前。

そもそも本作はもともと“クリント・イーストウッド”監督の企画ではありませんでした。当初は他の監督であれこれと進んでいたものが(レオナルド・ディカプリオとジョナ・ヒルの共演を予定していたそうで)、企画を持っていた20世紀フォックスがディズニーに買収され、企画はワーナー・ブラザースが買い取ります。これが2019年5月。イーストウッドに監督が決まったのはおそらく4~5月。撮影の開始は6月後半。とんでもない早撮りであり、相変わらずの職人監督っぷりです。

序盤のテロが起こるまでの緊張感漂うシーンの演出も見事でハラハラしますし、個人的にはやっぱり“ポール・ウォルター・ハウザー”の名演は最高でした。あのFBIによる家宅捜索&押収シーンも、悲しい辛い出来事なのに、ついつい喋っちゃうリチャードとか、タッパを気にするボビーとか、どこか絶妙に笑いを持たせる手際がなんかイーストウッドっぽいなと。ただでさえ容疑者になってしまっているのに、手榴弾(空)とかよりにもよってマズいものを持っているリチャードへの、ワトソンの呆れツッコミなど、シリアスなのになぜか愉快さもある。イーストウッドのギャグセンスは私は結構、好きです。

まあ、とにかく今回も“クリント・イーストウッド”監督らしい作品になっていたなと思います。なんだかんだでハリウッドは“クリント・イーストウッド”を手放せませんね。

『リチャード・ジュエル』を観て得意げに「マスゴミ」だなんだとバカにしてはいられません。今は誰もがマスコミになれてしまう時代ですから。メディアリテラシーは私たち全員に求められることなのです。この映画のどの登場人物になるかはあなたの行動しだいで決まります。

それにしてもつくづく思ったけど、やっぱり弁護士って大事だなぁ…。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 74% Audience 96%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

関連作品紹介

クリント・イーストウッド監督作品の感想記事の一覧です。

・『運び屋』


・『15時17分、パリ行き』


作品ポスター・画像 (C)2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC リチャードジュエル