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『よこがお』感想(ネタバレ)…映画も人の一面しか見えない

よこがお

映画も人の一面しか見えない…映画『よこがお』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:A Girl Missing
製作国:日本・フランス(2019年)
日本公開日:2019年7月26日
監督:深田晃司

よこがお

よこがお

『よこがお』あらすじ

信頼されている訪問看護師の市子は、1年ほど前から看護に通っている大石家でも歓迎されている。とくに大石家の長女・基子には、介護福祉士になるための勉強を見てあげてもいた。ある日、基子の妹・サキが失踪する。1週間後にサキは無事に保護されるが、誘拐犯として逮捕されたのは意外な人物だった。この誘拐事件を転機に市子は理不尽な状況へと追い込まれていく。

『よこがお』感想(ネタバレなし)

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あなたは自分の横顔を認識していますか?

私は写真に撮られるのが嫌いな人間なので全く馴染めていませんが、今や自撮りは当たり前の文化。若者たちにとって「自分をいかに上手く撮れるか」というのはステータスに直結します。こんな時代になるとは夢にも思いませんでしたよ。写真を現像していた頃が懐かしい…。

でもこの自撮り。他人のものをいろいろ見ていると勉強になるというか、人の顔って不思議だなと再発見できたりもします。どんな角度から撮るかで印象が全然違うんですね。化粧とかアプリの加工とか関係なしに、角度や光のあたり方で別人に見えたりします。

そんな意外とミステリアスな「顔」ですが、たいていの人は真正面からの顔をよく想像することが多いです。鏡とかでよく見るアレですね。それで自分の顔がどういうものかを認識しているのではないでしょうか。

でも現実的に他人が自分の顔を見るときは真正面の顔以外を見ていることが多いです。後頭部とか横顔とか。仮に向き合って話しているときでも相手に真正面の顔を常に向け続けている人は普通はいないでしょう(にらめっこになる)。たいていは少しうつむいたり、目をそらしたり、何かしら顔は傾くのが一般的。でもその他者がよくみる顔は自分では認識しづらいですよね。そう考えると自分と他者では顔にズレがあることになります。

急に顔の話題で始めてしまいましたが、これから紹介する映画はまさにこの顔の認識のズレがキーポイントになっている作品といえると思います。

それが本作『よこがお』です。

物語は上記のあらすじで書いているとおり。これ以上はネタバレになってしまうので言えません。

ジャンルとしては心理サスペンスですかね。狡猾な凶悪犯に追われて逃げ惑うとか、難事件を解決するとか、そんなエンターテインメント性をともなったアトラクション的なスリルではありません。じわじわと精神を削っていくような心理に刺さるスリラーです。

それもそのはず。監督は心理サスペンスならお任せな“深田晃司”『ほとりの朔子』(2013年)など以前から人間の心の不安定さを浮かび上がらせる映画を世に送り出してきた人でしたが、『淵に立つ』(2016年)がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞したことで国際的な評価を獲得。一気に日本を代表する映画監督として世界的業界認知度がさらにあがりました。

この『淵に立つ』がまた非常にいや~な人間の得体の知れなさを主題にした一作であり、観ている間は常に落ち着かない気持ちにさせられ、観終わった後は他人不信になりそうな、なんてことしてくれるんだ!という物語でしたけど、でも秀逸な作品であったのも事実。ほぼほぼホラーでしたし、海外の人もジャパニーズ・ホラーとして受け取っている人もいたみたいですね。まあ、怖いよね、あれ…。

そんな“深田晃司”監督がまたも繰り出してきたのがこの『よこがお』という心理サスペンス。今回も不気味さが本編ずっと観客に濃厚接触してくる…そんな感じの映画です。

その不気味さの中心にいるのが主演の“筒井真理子”。間違いなく彼女のベストアクトなのではないかというくらい、映画を支配する魅力を“薄っすらと”全開にしています。“薄っすらと”ってとこが大事ですね。

共演は“市川実日子”、“池松壮亮”、“吹越満”。みんな不気味をやらせたらピカイチな人ばかりじゃないか…。“池松壮亮”は『宮本から君へ』のあの感情爆発状態とは真逆で今作は常時ローテンション。相変わらずのアップダウンの激しい演技幅ですね。そんなプロフェッショナル不気味俳優に埋もれまいと、“須藤蓮”“小川未祐”の若手も奮闘。“小川未祐”は私は全然知らなかったのですが、2019年の『スペシャルアクターズ』や今後も主演作が控えているそうで、観る機会はどんどん増えるのかな。『よこがお』でも才能を感じる良い演技でしたので楽しみです。

“深田晃司”監督作が好きな人はこの作家性を思う存分味わえるでしょうけど、初見の人は恐る恐るになるかもしれません。でもこの不気味さ、結構クセになったりするのですよ。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(ここから監督作を知るも良し)
友人 ◯(心理的なスリルが好きなら)
恋人 △(恋愛気分は盛り上がらない)
キッズ △(大人のサスペンスです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『よこがお』感想(ネタバレあり)

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「私を嫌いにならないで」

『よこがお』は主人公が「市子」であった過去パートと、「リサ」と名乗っている現在パートの、2つの軸を交互に描いて進行していきます。

美容院を訪れた女性。リサという名のその女性は「和道」という美容師を指名します。さっそく仕事にかかる米田和道。「前に一度いらしてないですか」「どっかでお会いした気がするのですけど」となぜ見ず知らずの人が自分を指名したのか疑問を口にします。それに対してリサは「ちょっと懐かしくてつい」「あなたの名前同じだったんです、死んだ夫と」とサラッと回答。その後も世間話は続き、「仕事やめたんです、だから気分を変えたくて」とここに来た目的を語り、その仕事とは「いろんな家でお手伝いする仕事」だとも。そして、リサは口を大きくあける仕草を繰り返すのでした。

別の日、ゴミ捨て場で米田和道に出くわしたリサ。「近くに知り合いがいるってだけでホッとした」と米田和道に気弱そうに話しかけ、近くのあのマンションに住んでいると説明。そこまで歩きながら「良ければ連絡先教えてもらえないかな、なんかあったときとか」とさりげなく頼み、米田和道もとくに警戒もなく連絡先を交換して別れます。彼が離れた後、リサはマンションに行くように道路を渡ったと思いきやUターン。全く違うアパートへ向かいます。

そしてそのアパートの自室の窓からある建物の覗くリサ。そこからは米田和道と他の女性がいる部屋が見え、リサは何を思ったのかどこかで聞こえる犬の吠え声をマネするように吠えかけるのでした。ワンワン、ワンワン、ワン…。

物語は別の時間軸へ。市子は訪問看護ステーションで真面目に働いており、今は訪問先の大石家で献身的に仕事中。この家では、塔子という認知症の高齢女性がいて、彼女の介護のサポートとして丁寧に接しています。塔子は昔は芸術家だったこともあり、家には絵が多く、タバコをすぱすぱ吸いながらも芸術家肌は消えていない豪快さを性格から滲ませていました。

この大石家は他に、母である洋子、長女の基子、次女で高校生のサキがいます。とくに市子は基子とは仲が良く、わざわざ彼女のために介護福祉士の勉強を教えてあげるほどでした。そんな無償の優しさを見せてくれる市子を基子はとても信頼している様子です。

ある日、喫茶店にて市子は基子とサキにいろいろ教えてあげていると、辰男という若い男が店内に入ってきます。彼は市子の甥で、どうやら北海道へ行くようで荷物が多め。そこへ先に店を出たはずのサキが戻ってきて外から窓を叩き、おカネの心配をしますが、OKと合図を送る市子。そのサキを一瞬チラリと見る辰男。

翌日、いつものように市子は医師の戸塚と塔子の定期検診にやってきます。戸塚と市子は実は交際しており、バツイチ子持ちである彼ともうじき再婚する予定で、準備を進めていました。

しかし、大石家はいつもどおりではありません。なにやらサキが学習塾から出たっきり帰ってきていないらしく、洋子は大慌て。その後、ニュースでもサキの失踪事件が報道され、大事になってきました。洋子は「なんであの子なの」とこぼし、それを聞いた基子は「私ならよかったのにね」と呟き…。

また別の日、日課のように塔子の介護をしていると「サキ、見つかった」と基子が部屋に駆け込んできます。安堵している洋子。どうやらサキも無事で病院にいるようで今から向かうとのこと。そこでテレビの報道が目に入ってきて、そこには衝撃の映像が映っていました。「20歳の男が逮捕されました」とニュース画面に映っていたのは「鈴木辰男容疑者」。市子のあの甥です。ショックを受けつつ、洋子にこのことを言いかける市子でしたが、基子がやんわりとそれを止めるのでした。

サキの無事な発見を職場のみんなが祝ってくれますが、市子の心はそれどころではありません。心配になって妹に電話しますが、完全にパニック状態なようで…。

夜の公園で市子は基子と会話します。「病院でサキと話したんですけど、犯人とは初対面だと思っているし、市子さんの親戚だとも気づいていない」「今のままなら市子さんとの関係はわからないと思います」そう言い切る基子。しかし市子は嘘はつけないと納得いきません。それでも基子は「別に市子さんが悪いわけじゃないですか」「うちに来れなくなっちゃう」「私は嫌だ」と断固拒否。

こうして市子と基子、事件の誰も知らない事実を共有する二人が存在することになりましたが、その関係性は意外に早くも脆く崩れていくことに…。

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見え方の変わる顔、見えなくなる顔

『よこがお』は振り返ってみると話としては凡庸というか、人生を狂わされたので復讐しようとしたけどなんか上手くいかなかった…という流れで、特段のショッキングもサプライズもありません。ましてや鮮やかな復讐劇でもないわけで、カタルシスもゼロ。スリルを高められていくわりにはこのオチですから、この心のザワザワをどこにぶつければいいんですか状態ですよ。

しかしそこはさすがの“深田晃司”監督。平凡そうな物語から予想外の見ごたえを引き出します。まさに日常にこそ不気味さがあると言わんばかりに。
もちろんそれを直に支えているのは俳優陣の怪演の妙。“筒井真理子”なんて本作を観ちゃったらこれから別の作品に出演した時も微妙に信用できない人に見えてきかねない。それくらいの傷跡を残す、恐ろしい名演でした。

けれども役者陣の演技だけでなく、細かい演出も本当によく練られていて、ここも“深田晃司”監督らしいこだわりだなと思うのです。

わかりやすいのは「顔」を映すいくつものシーン。本作は『よこがお』というタイトルなだけあって、とにかく顔が大事になってきます。

例えば冒頭の美容院。ここでは皆さんも想像できるように美容院なのでリサは鏡に向かって自分の真正面の顔をずっと直視しながら米田和道と直接は向き合わず対話しています。

一方で終盤の出所した辰男を迎えて車を運転しているシーンでは、映画のラストはサイドミラーに映った市子の横顔でフィニッシュです。

この対比によってこの物語を通して市子は自分の見方が変わったんだなと思わせられます。

さらに真正面の顔が見えないという場面がいくつかあって、最初は公園シーンでの共犯関係を確認するときの基子の顔は暗がりで不自然に見えませんし、その後、彼女が裏切り的に市子に不利な証言をマスコミの前でしているシーンでは完全に基子の顔が判断できません。それは市子にとって基子がわからない存在になってしまったかのようです。その後にインターホンのモニター越しに基子の真正面の顔が見えますが、もはや手遅れでした。

それが物語終盤のまたも車のシーンにて、介護福祉士に無事なれたと思われる基子が車の前で落としたものを拾っているとき、車の中にいる市子の真正面の顔が見えません。つまり、今度は市子自身がわからない存在になってしまっている。観客にさえも真意が読めない。

対する基子は「私、市子さんみたいになる」と発言したとおり、かつての市子と同じ立場になったように見える。でも市子の人生を見てきた観客にしてみれば、それは喜んでいいものか判断できません。次は基子が市子のように崩落の経路をたどるのかもしれないのですから。

また、市子がリサと名乗り、ターゲットを監視するために窓を覗くシーンは、ヒッチコックの『裏窓』的な構図ですし、その後の夢のあまりにも現実離れした四つん這い徘徊といい、一瞬ただならぬ飛躍をするあたりに“深田晃司”監督の不気味さがこぼれでて怖面白いです。

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こういう日本人はよくいる?

『よこがお』は安易な立ち位置に登場人物を置きません。

とくに市子は被害者でもなければ加害者でもない、とても微妙なラインの上にいます。普通、甥が加害者であるというのは限りなく他人。「無関係です」と言い張っても世間は責めないレベルの話。根本的には作中で起きる事件の全容がわからないので観客は何も評価できないのですが…。

ところがこの市子は善良すぎるのが仇になってきます。そもそも市子は序盤から人の良さが溢れています。仕事っぷりも真面目ですし、明らかに仕事外の付き合いで基子に勉強まで教えている。しかもそれが無償どころか、場所となる飲食店のおカネさえも払っている。何もそこまでしなくても…という過度な他人関係にすら見えます。

さらにメールをCCを使わずに一件一件送信したり、なんだかんだで問い詰められると最後は本当のことを喋ってしまったり、明らかにバカ正直なところすらあります。

そのバカ正直さが一周回って怖くなるシーンが動物園の場面です。辰男が4年生くらいのときに勃起をみてズボンまでおろしてみたとサラリと語る市子。これは彼女の言うとおり変質者的な目的はないにせよ、でも真っ当な言い訳も普通は思い当たらない、完全に限りなく狂気一歩手前。それを他人に喋ってしまうのが余計に狂気じみています。

こうやってみると単に人付き合いの距離感がよくわかっていないだけの人なのかもしれません。

しかし、そんな無防備に善良な市子を基子は慕う。基子は家で疎外感を感じていたようですし、おそらく市子のことを「母」として見ていた気配もあります。

だからこそ市子が別の家族に傾倒した事実を知ったとき、そこに子どもじみたと言っていいまでの嫉妬が芽生える。母を盗られた娘の嫉妬心です。

そういう意味では市子に加害者性があるとすれば、この疑似的な娘である基子の苦悩の想いに気づいてやれなかったことなのかなとも思います。勉強はみてあげていたけど、基子の孤独には無知だった。そこは他人行儀だったんですね。

それで仕事も家族も失って復讐モードに突入した市子。ここで洗車場のシーンで、車に浴びせられた赤いペンキを手につけて服でふくという、傍から見ると「この女、殺りました」的な見た目になるのが印象的。その後に「わたしどものほうでお力添えできることはありません」「ここは被害者を支援する団体ですので」と支援者センターに断られ、完全に彼女は真の加害者になってやる方向に傾きます。

しかし、市子はハッキリ言って不器用で、復讐すらろくにできない女。あまりにもお粗末な失敗で復讐は終わります。

ここも妙にリアルだなと思います。映画では華麗な復讐劇がいっぱいありますけど、現実では上手くいかない。そんなもの。

本作の市子も狂った人間に見えますが、すごく日本人的性質を持った女性だと思うのです。周りに迎合するばかりでただ世間体のいい善人であることに徹してしまった人…という。だから市子をダメな奴だと一概には切り捨てられない。あの最後のクラクションは「お前も同類だよ」という市子からの観客への叫びにも感じました。

正直、この『よこがお』も観終わった後は清々しい気持ちになれるわけもなく、下手したら一緒に鑑賞した家族や友人、恋人すらも若干の不信感を抱きかねないのですが、人間なんてそういう生き物。そんな得体の知れなさと付き合うことからは逃げられない。

映画も人間も一面しか見えていないことを覚えておきたいです。

『よこがお』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 60% Audience –%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

以上、『よこがお』の感想でした。

A Girl Missing (2019) [Japanese Review] 『よこがお』考察・評価レビュー