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『シークレット・スーパースター』感想(ネタバレ)…インド映画も新時代へ

シークレット・スーパースター

インド映画も女性の描き方を変えようとしている…映画『シークレット・スーパースター』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Secret Superstar
製作国:インド(2017年)
日本公開日:2019年8月9日
監督:アドベイト・チャンダン

シークレット・スーパースター

しーくれっとすーぱーすたー
シークレット・スーパースター

『シークレット・スーパースター』あらすじ

インド最大の音楽賞のステージで歌うことを夢見る少女インシアだったが、厳格な父親から現実味のない夢だと大反対され、自由に歌うことを禁じられてしまう。それでも歌をあきらめられないインシアは、母親の応援もあって顔を隠して歌った動画をこっそりと動画サイトにアップ。インターネットを通じて彼女の歌声は大人気を博すが、辛い出来事が待っていた…。

『シークレット・スーパースター』感想(ネタバレなし)

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アーミル・カーンなら傑作です(必然)

「インターネットで動画を視聴する」というのは今では日常茶飯事になりました。最近の調査では、とくに10代の実に90%以上がスマホで動画を見ていると回答し、その時間も約40%が「1~3時間」、約20%が「3時間以上」と、すでに1日のかなりの時間をネット動画に費やしています。もちろん、娯楽的な動画もいっぱいありますが、他にもニュースや生活情報、雑学などを伝える動画もあって、動画の役割は多様です。しかも、企業が提供するものだけでなく、個人が公開している動画も満ち溢れています。映画の感想だって動画で語る人も少なくありません。まさか誰でもTVみたいに動画提供ができる時代が来るとは、ひと昔前までは夢にも思いませんでしたね。

こんな時代なら子どもが「YouTuber(ユーチューバー)」に憧れるのも当然というもの。そういう子どもを冷笑する空気もあったりしますが、でも言語や国境を越えて“自分”をアピールできる動画に夢を抱くのは自然なことじゃないでしょうか。考えてみれば革新的すぎる変化です。以前までの子ども時代と言えば、狭い世界でどう楽しみを見いだすかということばかりを考える感じでしたが、今はネットによって一気に世界が広がりに広がりきった状態からロケットスタートするのが普通。それが良い影響をもたらすか、悪い影響をもたらすかは、その子の選択と周囲しだいです。

そんな時代変化の中で生きる子どもの在り方を象徴する、素晴らしいインド映画が公開されました。それが本作『シークレット・スーパースター』です。

本作の物語はとてもシンプル。歌が好きな少女が動画サイトに自分の歌っている姿を投稿し、それが話題になって、スターになるという夢を叶えていく…本当にその主軸一本の、寄り道のないストーリーです。なので真新しさ的なものはほぼ無いですし、今さらネットデビューなんて珍しくないですから、“そうくるか”という驚きもゼロ。

しかし、『シークレット・スーパースター』、その王道の物語がまた見事に丁寧に練られているのが凄いところ。

なんといっても製作しているのは「Aamir Khan Productions」。製作・出演は“アーミル・カーン”です。彼について今さら語るまでもない(『ダンガル きっと、つよくなる』の感想で語っています)、もはやインド映画界を牽引する真のスーパースター。初製作の『ラガーン』に始まり、『きっと、うまくいく』 『チェイス!』『PK』『ダンガル きっと、つよくなる』と手がける映画はみんな大ヒットし、どれも社会的な風刺性とエンタメ性を両立している…ほんとになんてクリエイターなんだと心底感心するしかない人物です。

そんな“アーミル・カーン”がプロデュースした最新作が『シークレット・スーパースター』なわけで、そりゃあ、面白くないはずがない。というか、傑作です。

ちなみに監督は“アドヴェイト・チャンダン”という人で、今作が映画監督デビュー作らしく、もともと“アーミル・カーン”とよく一緒に仕事をしていたそうです。

今作では“アーミル・カーン”は主演ではなく(ポスターでは顔が大きく映っていますが)、主人公は少女であり、演じているのは“ザイラー・ワシーム”。『ダンガル きっと、つよくなる』で映画デビューを果たし、魅力を振りまいた彼女ですが、『シークレット・スーパースター』では圧倒的なヒロイン力を確信させてくれます。その主人公の少女の母親で、実は影の主人公的な立ち位置でもあるキャラを演じるのは、日本でも多くの観客を感涙させた『バジュランギおじさんと、小さな迷子』でも少女の母親役だった“メヘル・ヴィジュ”。こちらも名演。この二人の年齢の異なる“女性”が『シークレット・スーパースター』のスターです。

コアな映画ファンには人気が深まっているインド映画ですが、その一方で一般層への知名度はまだまだ不十分だと痛感することもあります。ぜひ「今週は映画を観ようかな?」と思ったら、このインド映画をチョイスしてみてください。損はさせません。もしくは誰かを誘ってインド映画を観に行くことで、ファンを増やす作戦もよいかもしれませんね。

とにかく観終わった後は、爽やかな気持ちで劇場を後にできるでしょう。ネット動画とは違った極上の体験を味わってください。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(元気をもらえる)
友人 ◎(みんな仲良く気持ちよく)
恋人 ◎(感動的な体験を)
キッズ ◯(子どもでも夢を抱ける)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『シークレット・スーパースター』感想(ネタバレあり)

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母と娘のフェミニズム

『シークレット・スーパースター』は、一言で言ってしまえば、これ以上ないほどの“フェミニズム”全開の映画です。明らかに制作陣もそれを意図しています。

そもそも昨今のインド映画の動向を見ていると、女性を主体にした映画が目立ち始めました。これまでのインド映画は何が題材であれ、男性が主役であり、女性は主にヒロインとして恋愛ポジションにいるのが定番。ところがその定番が崩れてきました。

その定石を誰よりも率先して破壊しているのが“アーミル・カーン”であり、とくに前作の『ダンガル きっと、つよくなる』からその傾向が強まっています。こちらの作品は、女の子がレスリング選手を目指す物語であり、その過程でジェンダーのステレオタイプをぶち破るのが大きなカタルシスのポイント。『シークレット・スーパースター』はそこからさらに踏み込んで、女性の“性”からの解放をストレートに描いています

『シークレット・スーパースター』は、インシアその母の二人の女性が主軸。娘と母の物語であり、抑圧された“女性”という呪縛から飛び立とうとする娘と、それを複雑な思いで見つめて最終的にはその背中に自分では果たせなかった未来をみて希望を託す母。この世代の異なる母娘の関係性を描くといえば、サウジアラビア映画の『少女は自転車にのって』を思いだします。『シークレット・スーパースター』はそこに“歌”という、どの世界の人でも共感しやすいテーマがプラスされ、しかもインターネットを利用した解放がきっかけになるという展開も時代性にドンピシャ。

あくまでネット動画はその最初の扉に過ぎないというのが重要です。インシアはYouTuberになってアクセス数を集めたいという自己顕示欲を満たすのが目的でなく、ありのままの自分を知ってもらうこと、そして身近な女性である母の解放(離婚)が目標になるのですから。

ラストにインシアが歌うシーンがないのは残念だと思う人もいるでしょうけど、私はテーマ的にあれがベストだと思います。最初は拍手すらも見えないネット動画、続いて拍手が見えるけど防音ガラスで聞こえないレコーディングスタジオ、そして最後はブルカを取り払って母と一緒に喝采を浴びる。女性の解放と自立が最終目標ならば、そこに観客ウケを狙った歌はいりませんし、あれでじゅうぶんでしょう。

『シークレット・スーパースター』という到達点は、インド映画の新時代の到来を感じさせます。このインド映画における女性像の変化は、当然ながら世界的潮流となっているフェミニズム・ムーブメントの影響が大きいのは言うまでもないですし、インド映画界でも「MeToo運動」が起こりましたから、それがクリエイティブに変化をもたらすのは当然です。

ただ、『シークレット・スーパースター』は単に“フェミニズムに乗っかりました”みたいな浅はかな作りではなく、そのフェミニズムとはなんたるかをしっかり理解したうえで本質的な正しさを誠実に描いていると思います。ほんと、“アーミル・カーン”、やっぱり“わかっている”な、と。映画界をリードする人間はさすがですね。

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明確にダメな男と無自覚にダメな男

一方で、そんな女性の解放と自立を妨げる、ジェンダーの平等性を阻害する“男性”の象徴として登場するのが、インシアの父と、シャクティ・クマールです。

インシアの父はもう誰から見ても“コイツ、最低だな”と思わせる、徹底したクソ野郎。インシアの母の登場時の滑稽なくらいのサングラスの姿から、それを外したときにわかる、あまりにもエグイ目の傷跡。この笑わせと思いきや観客にズーンとダメージを与えるギャップ・インパクトが、演出としては巧妙です。このギャップによるあからさまな陰と陽の対比は、この後も随所に登場します。

家での日常生活パートもそうです。父は週一くらいで帰ってくるらしく、父のいない間の家庭はとても明るい空間。みんながキラキラし、インシアがノートパソコンを手に入れてインターネットという広い世界とつながってからはさらに空間が輝きます。

しかし、父がいる時は一転、同じ家族とは思えないほどの暗さ。もはや刑務所。インシアにとっても観客にとっても本当にやめてくれという父の横暴の連続。母娘が夜中にTVを見ている姿が、この二人の女性を照らす唯一の光になっているのが印象的。

そして、意外なことに、“アーミル・カーン”演じるシャクティも、“男性的な抑圧”を象徴する存在になっていました。初登場時からもの凄いクセを放つ個性派キャラでしたが、これまでの“アーミル・カーン”作品で言えば、彼の役は導き手になるのが一般的。しかし、『ダンガル きっと、つよくなる』もそうでしたが、最近の“アーミル・カーン”の演じるキャラは、導き手にはなることはなるのだけども、当人には問題も抱えている…そういう人物であることが目立つようになりました。

『シークレット・スーパースター』のシャクティもなかなかの問題男であり、インシアの才能を見いだすも、それは非常に無自覚な男性の上から目線

それを示すキーワードにここで“音楽”を使うのが上手いところ。

シャクティが最初にインシアに歌ってみろとレコーディングスタジオで指示する曲は、いわゆるインド映画によくありがちな“ノリノリダンス・ミュージック”。なんか変な喘ぎ声風の指導とかまでしだして、若干の可笑しさもありながら、これを14、5歳の少女にやらせれば、控えめに言わなくてもセクハラ。あの高圧感は、父を思いださせもします。そんなシャクティに対してインシアは自分らしい歌で能力を見せて、彼すらも改め直させます。

またインド映画によくありがちな“ノリノリダンス・ミュージック”を、無自覚な男性による抑圧として位置付けているのが特筆できます。つまり、インド映画の定番を相対化してみせて、問題点を指摘している、インド映画批評にもなっているんですね。今までインド映画では、男性中心で周りに女性を配置して好きなように踊っていたけど、あれってジェンダー的にどうなの?…という視点。

ラストの受賞式会場では、インシアに対し、シャクティの「よくやったぜ」みたいな大仰な拍手がこれ見よがしに映るのですが、ちゃんとその後にオチがつくのも良いです。

エンドクレジットでのシャクティの滑りっぷり。“アーミル・カーン”は自らが体を張って自虐的にインド映画の男性のダメな部分を見せつける。こんな芸当、“アーミル・カーン”にしかできないですし、それをやっちゃうのはやっぱりわかっていますよ。

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男性の目指すべき手本

インシアの輝かしい姿を見て感動して拍手している男性観客に対して「おやおや、感動しているだけでいいんですか?」と皮肉をぶつける本作ですが、じゃあ、男性を批判してばっかりなのかと言えば、そうではありません。

ちゃんと男性の理想的な姿も描いています。

その理想を体現するのが、チンタンと、インシアの弟

チンタンはインシアに好意を寄せる少年で、非常に初々しい恋模様が描かれます。彼は実は裕福な家庭で、それは彼の身なりやモノをよく提供してくるあたりでわかるのですが、最初はインシアに物品を貢ぐという、いかにもお金持ちのボンボンがやりそうなアプローチばかりで、案の定、失敗します。しかし、そこからインシアの夢の支援に寄り添うことを身につけるチンタン。彼が空港へインシアを向かわせるために学校脱出を手伝うシーンで、塀を乗り越えるために彼女の足場になってあげますが、あれなんてまさにあの塀こそが男性社会で生きる女性の障害の暗示だと考えれば、印象的です。

また、インシアの弟でとてもキュートなあの子。父をテレビから離れさせるためにやるナイスプレイとか、いちいち可愛いのですが、あんな幼い彼でも、しっかり男性の理想を見せています。父の命令でインシアが外に放り投げてバラバラになったノートパソコン。実は弟が密かにテープで繋げてカタチだけでも復元していたことが明らかになります。もちろんパソコンとしての機能は回復しません。でもあれは、男性社会で傷つけられた女性の尊厳を修復してあげているとも解釈でき、その行為は誰よりも献身的で、素晴らしいものです。

男性社会の中で立ち往生している女性がいたら、塀を飛び越えるのを手伝い、破損した尊厳を直してあげよう。そんな全ての男性の目指すべき手本を、二人の若き男から学べる映画でもあるのでした。

男女が平等になれば、きっとみんながスーパースターになれるはず。そんな世界を信じたくなります。

『シークレット・スーパースター』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 87%
IMDb
7.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)AAMIR KHAN PRODUCTIONS PRIVATE LIMITED 2017 シークレットスーパースター

以上、『シークレット・スーパースター』の感想でした。

Secret Superstar (2017) [Japanese Review] 『シークレット・スーパースター』考察・評価レビュー