先に進む同性愛、停滞する無性愛…映画『ガール・ピクチャー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フィンランド(2022年)
日本公開日:2023年4月7日
監督:アッリ・ハーパサロ
性描写 恋愛描写
ガール・ピクチャー
がーるぴくちゃー
『ガール・ピクチャー』あらすじ
『ガール・ピクチャー』感想(ネタバレなし)
フィンランドのLGBTQ映画の近況
いまだ理解増進すらやりたがらない日本政府のLGBTQへの姿勢には反吐がでる日々ですが、今回はフィンランドの話をしましょう。北欧のひとつ、挨拶は「モイ(Moi)」、あのフィンランドです。
フィンランドでは1971年に同性間の性行為は法的に何も問題なくなりました。そして1995年に性的指向に基づく社会での差別は犯罪化され、2005年には性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)に基づく差別も犯罪化されました。正直、2023年になっても差別禁止法が制定できない日本からすれば、もう17年以上前にそれが実現しているフィンランドは夢の世界のように見えてきます。
しかし、フィンランドの国民は最初からLGBTQに寛容だったわけではありません。2006年の世論調査では、同性結婚に対するフィンランド人の支持は45%だったと報告されています。2013年でも支持率は53%だったそうです。
つまり、国民の理解を待ってから法律を改正したわけではありません。国民への理解を促し、差別を無くすために、率先して法律を変え、より未来的な社会を築こうとしたのです。結果、フィンランドは世界で最もLGBTQに優しい国のひとつと言われるまでになりました。ちなみにフィンランド語にはもともと代名詞の性別概念はないそうです。
もちろん現在のフィンランドであっても完璧とは言い難く、LGBTQの包括的な平等の実現はまだ道半ばです。フィンランドにも「同性愛は障害であって罪だ」と声高に叫ぶ政治家とかがいたりします(ほんと、どこにでもいるもんですね…)。また、同性愛以外の他の性的指向や性同一性における社会の理解は決して深いわけでもないようで…。
そんなフィンランドではどんなLGBTQ映画があるでしょうか。
今回は2022年とわりと最新のフィンランドのLGBTQ映画が日本で珍しく公開されたので、それを取り上げています。
それが本作『ガール・ピクチャー』です。
『ガール・ピクチャー』は、現代のフィンランドで生きる10代の少女3人を描いた青春モノであり、それぞれ異なる背景があります。ひとりは、学校嫌いで他者との協調に嫌悪感があるゆえに校内でも浮いた存在になっている女子。もうひとりは、フレンドリーな性格ながらも男性と深い繋がりを持つのが当然という世間一般の常識にどうも適合できない女子。3人目は、フィギュアスケートに打ち込みながらも本当にそれだけでいいのかと悩み始める女子。この3人が互いに人生で少しずつ影響を受け合いながら、自分らしく生きる姿を模索していく…そんなドラマです。
女性同士のサフィックなロマンスが描かれたり、はたまたアセクシュアル・スペクトラムのような(作中で明言はない)葛藤が描かれたり、基本的にセクシュアリティをテーマにしています。
いわゆるZ世代を主題にするならセクシュアリティを描くのは今や何も珍しいことでもない、むしろ王道とすら言える定番のトピックなのですが、フィンランドの人間模様を覗けるというのが、こちらとしてはちょっと好奇心をくすぐられるところですね。
『ガール・ピクチャー』という邦題は英題のままですが、原題は「Tytöt tytöt tytöt」で、これは「女の子」を意味するフレーズを並べているだけですが、フィンランド語においてはやや女性を嘲るような使われ方をしていたそうです。それを本作の監督である“アッリ・ハーパサロ”はポジティブなイメージに塗り替えたいということで、このタイトルにしたんだとか。
“アッリ・ハーパサロ”監督は、フィンランド出身の1977年生まれ。2016年に『Love and Fury』で監督デビューしたそうで、女性のジェンダーを題材にした作品を主に手がけてきました。フィンランド国内では非常に高く評価されており、3作目の長編映画である『ガール・ピクチャー』では、“ダニエラ・ハクリネン”と“イロナ・アハティ”という脚本家とタッグを組んで、若い世代の等身大の物語を描きだしています。
私はフィンランドの俳優事情に全然詳しくないですが、本作に主演している3人のうち、“アーム・ミロノフ”は主演2作目、“エレオノーラ・カウハネン”は長編映画デビュー作、“リンネア・レイノ”は主演デビュー作とのことで、各自かなり重要なキャリアのマイルストーンとなる作品になったのではないでしょうか。
『ガール・ピクチャー』は日本での公開規模は少ないですけど、クィアな映画が観たい人にとっては注目作のひとつでしょう。
後半の感想では、『ガール・ピクチャー』をフィンランドのLGBTQ界隈の歴史事情も少し踏まえつつ、深掘りしています。
『ガール・ピクチャー』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :クィアな作品が見たいなら |
友人 | :悩みを語れる相手と |
恋人 | :同性ロマンスあり |
キッズ | :性描写あり |
『ガール・ピクチャー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):3人の性の触れ合い
とある高校。体育館で女子生徒たちがミニホッケー(ユニホック)をプレイしています。みんなが懸命にボールを追いかけている中、ミンミだけが全く興味なさそうに突っ立っていました。パスをだされても動く気配もないミンミに、ひとりが文句を言いに行きますが、ミンミはスティックでそのひとりを叩き、むしゃくしゃした感情を爆発するかのように喚き、体育館をあとにします。
その後に席に座って悩んでいるような感じのミンミに、親友のロッコは「何かあったの?」と心配して声をかけます。普段は多くの同級生にも冷たくあたってしまうミンミでしたが、ロッコにだけは気さくに接しますし、ロッコもフレンドリーです。
ミンミはなぜみんながあんなにたかがボールに夢中になれるのかわからないとこぼします。
一方、エマという少女はフィギュアスケートにこの若さで打ち込んでおり、今日も回転ジャンプの練習に黙々と励んでいます。しかし、コーチの指導もむなしく、失敗を繰り返し、何度やっても上手くいきません。苛立ちだけが募り、リラックスは全くできそうになく、焦るばかりでした。
ミンミとロッコはスムージースタンドのバイトをしていました。ロッコはよく店にやってくる青年に接客。今度ご飯でもどうかと誘われるも、ロッコは反応できません。物静かそうな男は脈無しと察したのか去っていきます。
それを後ろで見ていたミンミは揶揄うような目線を向けます。ミンミは交際には積極的です。そこへちょうどエマが来て、ミンミが対応。いろいろと切羽詰まっているエマはミンミがふざけているのではと考えて少し怒ります。
エマと共にいたクラスメートが2人を誕生日パーティーに誘ってきましたが、人付き合いにうんざりなミンミは気乗りしない様子です。
また、ロッコも自分なりの悩みを抱えており、男子との間に何も感じず、愛が何かもわからず、セックスにも楽しさを見い出せないと考えていました。これは経験が足りないだけで、パーティーに行けば何かが変わるのでは考え、ミンミを連れ立って向かうことにします。
2人はハシャギながらオシャレして準備。いざパーティー会場へ。ミンミはいつもの態度でしたが、ロッコはやるぞと張り切っていました。ロッコは意を決して目についた男子の近くへ行き、自然に話しかけます。しかし、会話を続けようと一生懸命になるあまりに、不自然になってしまい、相手はひいたような雰囲気でその場を去ってしまいました。
ロッコは落ち込んでバスルームに隠れていると、男女が入ってきた気配がして、何やらここで性行為をしようとしている様子。でも男子がヘマをしたのか、女子は怒り出ていってしまいます。
ロッコも音を立ててしまい、存在がバレます。そこでロッコは「私でどう?」と持ちかけますが、手でやってあげて男子は満足した感じですが、ロッコの中ではやっぱりいまいちでした。
ミンミは隅でひとりヘッドホンをしているエマを見つけ、話しかけます。エマはスマホでスケートの動画をずっとチェックしていました。ここにいてもしょうがないのでパーティ会場を抜け出し2人でクラブに車で向かい、車内の会話で急接近。エマは夜の街をバックに舞い、それを見つめるミンミ。クラブで踊り、2人はキスを交わします。
こうしてまた次の金曜日がやってきて…。
ラベル名は登場させていないが…
ここから『ガール・ピクチャー』のネタバレありの感想本文です。
『ガール・ピクチャー』はコンセプトとして、おそらく『ストレンジ・フィーリング アリスのエッチな青春白書』やドラマ『セックス・エデュケーション』なんかと同じで、タブー視されがちな「少女の性への興味関心」をリアルに描くことが本題にあるのだと思います。
『ガール・ピクチャー』の場合はコミカルな要素は薄めで、フィンランドの少女たちの姿をありのままに描いている感じです。
3人がメインですが、そのうち「ミンミ&エマ」と「ロッコ」の2パートに分けられる構成になっていました。留意点としては本作はセクシュアリティの特有のラベル名などは作中でだしていないということです。ミンミとエマは関係を親密化させるのでレズビアンかもしれませんし、ミンミは男性とも関係を持っているシーンもあったので、バイセクシュアルやパンセクシュアルかもしれません。対するロッコはミンミと対比させることで同性愛ではないと暗示しつつ、性規範に迎合できない自分を感じているアセクシュアル(アセクシャル)・スペクトラムのような描かれ方になっています。
しかし、この2パートは同等な描かれ方ではなく、結構差がでています。そこが重要な気がします。
まず「ミンミ&エマ」ですが、この2人のセクシュアリティの描き方はかなり先に進んでいます。カミングアウトや自覚を直接的な主題にしておらず、それを踏まえたうえでの「家族関係」や「将来の夢」を扱っているからです。
ミンミは母親と距離ができてしまっており、本音で語り合えません。ミンミの人間不信もこの親子の希薄な関係性に起因しているのかもしれません。エマはフィギュアスケートのプレッシャーに押しつぶされそうになっており、この年齢の若さには重すぎるものをときにスポーツは与えてしまう…。冒頭でミンミがホッケーにまるで無関心なことも合わせて、この2人は対照的ですが、2人が合わさることで、ある意味で中和されてバランスがとれているようにも受け取れます。
なのであまり作中でラベル名が登場しなくても、とくに問題はありません。『ガール・ピクチャー』における同性愛の描き方は、このフィンランド社会では同性結婚はOKで、差別は禁止されているという当然の土台あってこそであり、今さらそこに言及しないといけないこともないですから。
フィンランドのアセクシュアル事情
『ガール・ピクチャー』のロッコはまた描かれ方が違っています。ロッコの場合は、そもそもセクシュアリティが極めて曖昧です。
ロッコは何度も男性と性的関係を試みようとしますが、そのたびに自分の満足感には繋がりません。決して一方的に性的行為を男性に押し付けられて嫌がっているわけでもないので、性的同意が取れなかったという問題ではないです。自分ではしっくりきません。ミンミのアドバイスも自分には活かせるものではないようです。最終的にはまた知り合った男子に「キスもセックスもしたくない」と今の本音を告げることができるようになりますが…。
人によっては、ロッコは自分のセクシュアリティがよくわかっていないのであって、「思春期独特の気持ちの揺れ」みたいなもので片付けて受け取られるかもしれません。
これをアセクシュアル・スペクトラムとして認識することもできますが、少なくとも作中ではその言葉に辿り着きもしないので、なんだか宙ぶらりんで終わります。
正直、このロッコの描き方はアセクシュアル表象としてはやや踏み込み不足かなと思います。監督はどういう意図があるのかはわかりませんが、インタビューでは「女性が性的快楽を求めることは自然なことであることをしっかり伝えたかった」とあり、ロッコもその前提で描いているように見えます。
しかし、それだとロッコは単に性的快楽の探求がぎこちなくて下手な子になってしまい、アイデンティティとしては成立していません。フェミニズムやアロノーマティビティな性的少数者の世界でよく用いられる「セックス・ポジティブ」は、当然大切なものですが、一方でアセクシュアルの人たちには棘として刺さる…そういう痛みにややこの作品は鈍感な気がします。
アセクシュアルの当事者はLGBTQ界隈でも部外者扱いで、憂き目に遭ってきました(PinkNews)。そもそもフィンランドのLGBTQ界隈はアセクシュアルに否定的だった歴史もあります。フィンランドのアセクシュアル当事者によれば、フィンランドの最大のLGBTQ組織である「Seta」は、アセクシュアルを性的指向ではなく、性愛と恋愛の魅力関心が混ざっているだけと位置付けていた過去があるようです(The Asexual Agenda)。
そう考えるとこの『ガール・ピクチャー』のロッコの描写も「Seta」の考えるアセクシュアルの誤解定義に基づいているような感じの映し出し方にも思えなくもない…。
ということでこの『ガール・ピクチャー』は、セクシュアル・マイノリティが当たり前に生きられるようになった平等な世界…なんかではない、むしろ「カミングアウトなんかよりも先に進む同性愛」と「カミングアウト以前の段階で停滞する無性愛」という、社会における立ち位置の違いが図らずともハッキリでている作品だったのかなと私は思いました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 82%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
フィンランドの作品の感想記事です。
・『ハッチング 孵化』
・『TOVE トーベ』
作品ポスター・画像 (C)2022 Citizen Jane Productions, all rights reserved ガールピクチャー
以上、『ガール・ピクチャー』の感想でした。
Girl Picture (2022) [Japanese Review] 『ガール・ピクチャー』考察・評価レビュー