ヘイトクライムを起こした犯人と被害者の対峙…Netflix映画『7月22日』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信
監督:ポール・グリーングラス
7月22日
しちがつにじゅうににち
『7月22日』あらすじ
2011年7月22日、ノルウェーに激震が走った。国の中心部で起こった爆発事件はその始まりに過ぎなかった。未来を夢見て語り合う若者たちが集まる島に悲劇が迫る。そして、その悲劇の後も当事者たちの戦いは続いていく。
『7月22日』感想(ネタバレなし)
対立煽動が起こした史上最悪の事件
映画について素直に好き嫌いを言える世の中になればいいと常々思っていますが、残念なことにそうはいっていないようです。2018年10月に発表された研究は映画ファンにとっても大きな衝撃を与えるものでした。全世界で大ヒットする一方で賛否両論を巻き起こした『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』。その関係者に向けられたツイートを分析した結果、作品に否定的なツイートの多くがボットか政治的な意図のあるユーザーによるものだと判明。ボットの大半はロシアからのものだったというのです。つまり、映画を政治的対立(人種など)を煽る道具に使っている者がいるということです。その研究論文は以下のリンクから読めます。
もちろん、本当に映画を気に入らなくて否定的な意見を言う人もいます。でも、こういう仕組まれた対立煽動が存在すると証明されてしまうと、もうTwitterなどのネガティブなコメントも素直に信じられなくなってきます。
残念なことに映画に限らず、インターネットには対立を煽る目的で情報を発信しているサイトがたくさん存在します。最近も大阪市である“まとめサイト”をヘイトスピーチ(憎悪表現)に認定するとした審査結果が初めて公表されましたが、氷山の一角にすぎません。対立煽動をやっている人たちは、実は政治的な意図もなく、ただ無意識なのかもしれません。アクセス数を集めたいだけかもしれないし、もしかしたら自分ではバランスをとるためにあえて反対意見を書いただけかもしれません。「別にいいじゃないか、表現のひとつにすぎないし、大きな影響もない」…そういう人もいるでしょう。
でも、その何気ない対立煽動が史上最悪の事件を引き起こしてしまうことがあります。いや、もう起こってしまいました。
その事件を描く映画が本作『7月22日』です。
描かれるのは、2011年7月22日にノルウェーの首都オスロとウトヤ島で発生した連続テロ事件です。といっても、日本人の多くは記憶から忘れていると思います。当時は日本でもニュースで報じられましたが、遠く離れた日本では印象に残るまでもなく一瞬で風化しました。しかし、この事件の背景にある問題はまさに今の日本で起こっていることであり、全く他人事には思えません。
監督は“ポール・グリーングラス”。ご存知マット・デイモン主演のアクション『ボーン』シリーズを手がけたことで一般にも有名ですが、この監督は実はもとはジャーナリスト。そのため、『ブラディ・サンデー』『ユナイテッド93』『キャプテン・フィリップス』など史実の事件を扱った作品の評価が高いです。その作風はとにかくリアリティ重視で生々しいこと。対立的な題材でもどちらかの視点に偏ることなく、ストレートに描きます。それが逆に史実の事件の残酷性を際立たせるのですが。
その“ポール・グリーングラス”監督が2011年にノルウェーで起きたテロ事件を“今”描くことには大きな意味があります。それは観ればわかるでしょう。
とにかく重い作品です。2018年は史実の事件を扱った『デトロイト』という映画があり、あれも重たいテーマでしたが、『7月22日』は現代社会に凄まじくダイレクトにつながるぶん、それよりも相当に重く感じます。
140分超えの大作ですが、この重さは現代にのしかかっているものだと思って、覚悟して観てください。
『7月22日』感想(ネタバレあり)
観客の心理を煽る演出
『7月22日』は題材が題材なだけに冷静に観ているのが非常に困難な映画です。何の罪もない被害者たちに襲いかかる理不尽すぎる暴力に目を背けたくなり、一瞬で人生が絶望に変わってしまった遺族の悲しみに心が苦しくなり、そしてその惨劇を平然と起こした犯人の姿に怒りを隠せないと思います。
ただ、一応、本作は映画なので、その感情的なフラストレーションはあえて脇に置いて、ここでは映画的な視点から本作の感想を書いていきます。
まず、序盤の事件発生に至るまでの流れと事件自体の描写。ここはもうさすがの“ポール・グリーングラス”監督と称賛したくなる、実に手際のいいストーリーテリングと映像のインパクトでした。
冒頭、最悪のテロを単独で起こす犯人であるアンネシュ・ベーリング・ブレイビクが、人里離れた森の小屋で爆発物の原料をミキサーで混ぜたりしてテロの最終準備を着々と進めるカット。それと交互に、ウトヤ島で行われる労働党青年部主催のサマーキャンプに参加した10代の若者たちが無邪気に交流し、夢を語り合うカットが組わせる見せ方。これだけで観客は「ああ、この平穏がこれからぶち壊されるんだ」という最低に嫌な気分に初っ端からなります。
もちろんこの後のオスロ政府庁舎で起こる爆発やウトヤ島での大量銃撃というダイレクトな惨劇を映像で示すことも恐ろしいのですが、“ポール・グリーングラス”監督はさりげない演出でも観客の心理をざわつかせるのが上手いですね。
例えば、オスロ政府庁舎で起こる爆発であれば、爆発の起こるタイミング。爆発物を積んだ白いバンが放置され、しばらく画面はその車を映すわけです。当然、通行人も通ります。観客にしてみれば「いま爆発したらこの人、死んじゃう…!」とただごとじゃない不安とともにその映像を見ないといけない。恐怖です。結局、セキュリティが車のナンバープレートを覗いた瞬間に爆発が起こるのですが、こんなの見たら、リアルでも道端に止まっている車が怖くなってきますよ。
また、犯人のブレイビクが、オスロ警察を名乗り、島に乗り込むシーンも非常に嫌悪感MAX。「フェリー、来ないで…来るな…来るんじゃない…」そんな意味のない祈りを画面に向けてした人もいるんじゃないでしょうか。そして、いつ引き金が引かれるのかという恐怖。男性が身元を確認させてくれと聞いてしまった瞬間の死亡フラグ。観客が「ダメだ!」と思ったのも束の間、そこには2名の射殺体が転がっているのでした。
島での惨劇の情報を知り、急行した警察が何気なくもたついているのも、観客的にはざわつかせます。あの島に向かう警官を乗せたボートのエンジンが一発でかからないとか、そういう小さいことでも「早く、早く!」と観客を焦らせます。
湖岸の崖に隠れていたビリヤルが犯人に見つかるシーンでは、5発も撃ち込まれ、最後は目にあたるのですが、そこでカチッと弾切れを起こします。明らかにブレイビクはもう一発撃ちこもうとしていたわけで、ここでもう一発でも弾があったらと思うとゾッとします。
こんな感じでただでさえ悲惨な事件なのに、観客をさらにどん底な心理状態にさせる、“ポール・グリーングラス”監督の残酷なまでの追い打ちが強烈な映画でした。
事件後こそ現代の縮図
しかしです。『7月22日』はいつもの“ポール・グリーングラス”監督作とはちょっと違うなと思う点もあります。これまでの過去作なら直接の事件部分をメインにして映画を展開するものであり、その後の話はエピローグで済ますのが基本でした。ところが、今作は違って、事件自体は映画開始30分ほどで描き終わり、その事件後がメインになっているのです。
つまり、“ポール・グリーングラス”監督が重要だと思っているのは、事件後なのでしょうね。それがなぜかは監督に聞かないとわかりませんが、私としてはまさに現代がこの事件後に該当するからなのではと思います。この「7月22日」の事件を現代の抱える問題の縮図にしてみせたいという意図を強く感じました。
この事件後パートでたっぷり描かれるのは、ビリヤルを中心とした被害者とその家族の状況、事件対応の評価をされる首相陣営の状況、そして弁護士とブレイビクの加害者側の状況、この3つです。とくに被害者側と加害者側は対比的な描かれ方をしています。
被害者でありサバイバーであるビリヤル。彼は奇跡的に一命をとりとめるも、銃弾の破片が頭に残っていつ死ぬかわからない状態。これが今の不安定な世界そのものを象徴するようです。そして、リハビリをしながらも、外に出るシーンが多いのですが、そこは北欧らしいどんよりした暗い世界。全く先が見えません。スノーモービルで爆走するシーンはなんとかそこから抜け出したいことを表すものにも感じました。映画のラストもやはり外で暗い世界を見つめるビリヤル。ウトヤ島ではあんなに希望に満ちた未来像を語っていた彼ですが、今では明るい希望が見えません。
対する加害者側。ブレイビクは当然外に出れず、建物内にいるシーンが全てなのですが、ビリヤルと違って非常に生き生きとしています。それこそ事件を起こす前より輝いているかもしれません。“俺はやってやったぜ”という優越感と自分の正義に陶酔している感じが、観ている観客のイライラ度を上げるし、作中の周囲の人物も同じ気持ちでしょうが、そんなのはお構いなし。「私を弁護するのは名誉だ」「世界中の精神科医が羨ましがっている」…不快指数最悪のセリフのオンパレード。個人的には、犯罪者にも権利があるという立場を示した結果、“だから思ったとおり、俺の行動で炎上しちゃったよ~やれやれ…”みたいな態度をとる姿が、ああ、ネットの世界でこういう人、たくさんいるな…と妙に実感が湧いてしまいました。
2度目の対決で目を射抜くのは…
『7月22日』の最後に待つパートは法廷です。被害者と加害者が事件以来、2度目となる対決する場面。ここは序盤の事件と呼応するような演出になっています。法廷に向かう前の、ビリヤルとブレイビクが交互に映るカット。唯一違うのはあの事件と違って一方的ではないこと。初めて互いにぶつかり合うシーンです。
ここで注目してほしいのは視線です。最初、話し始めたビリヤルはブレイビクを右目でチラチラと見る感じで顔を向けます。当然、右目は失明しているのでブレイビクの姿はほとんど見えていないはずです(ジョークにしてました)。しかし、最終的にはブレイビクを両目で見据えながら話すんですね。逃げるしかなかった被害者が視線という銃口を犯人に向ける、「彼はひとりぼっち」そんな言葉という弾丸を撃ちこむわけです。その言葉にブレイビクは視線を落として裁判シーンは終わります。
精神鑑定による無罪を蹴ってまで裁判をすることにしたブレイビクの動機は「主導権をにぎること」でした。しかし、あの視線のやり取りで、完全に主導権はビリヤルに移ったことがわかります。ウトヤ島で目を撃たれ倒れたビリヤルが、今度はブレイビクの目を撃ち返す。さりげないカタルシスです。
また、ブレイビクは「右vs左」という政治的対立にこだわっていることが作中ずっと描かれていましたが、実はそんなブレイビクの考えている対立構図はないことを突きつけられるのも興味深いです。そもそもビリヤルら被害者は労働党青年部とはいえ、左派を名乗りたいわけではありません。右派を潰すつもりもないです。ただ、夢を語っていただけ。そして、ブレイビクは、さらに憧れていた極右の人物からもまるで勝手に暴発した銃のように見放される始末。
ブレイビクは職場などリアルでは極端な思想や行動を見せてはいなかったそうです。いわゆる典型的な「ネット右翼」で、おそらくネット上の対立煽りにどんどん乗せられて気分が高揚して「テンプル騎士団の指導者」と名乗るまでになったことが映画でも推察できるようになっています。そう考えると、彼もまた対立扇動の被害者かもしれません。
忘れてはならない弁護士ゲイル・リッペスタッドとの関係性も印象的。ブレイビクは勝手に仲間だと思い込み自分を増長させる傾向が見てとれます。ラストで「また会いに来てくれる?」という言葉も虚しくゲイルに握手を断られたブレイビクは、孤立を知ってもなお「繰り返せるならまたやる」と言い放ちます。それがまさに今の時代ですね。
ちなみに、作中では「無期懲役」の判決が下ったことになっていますが、これは日本人の考える無期懲役とは少し違って、実際は禁錮最低10年、最長21年で、かつ予防拘禁というかたちで何度も無期限に延長できるものだそうです。ノルウェーは死刑や無期刑がなく、犯罪者であっても人権が保障され、結構自由に暮らせます(そのあたりは『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』というドキュメンタリーが詳しいです)。
劇中でも捕まったあとも悠々自適と休憩中にピザを食べているブレイビクの姿がありましたが、ノルウェーらしいですね。といっても、さすがに今のブレイビクは隔離状態にあるらしく、そばにいるのは新しい弁護士、タイプライター、ゲーム機だけとのこと。
最後に、ブレイビクは日本を多文化主義を否定している国として褒めていたことを付け加えておきます。私たちに向けられた握手。その手を握り返す人はいない…そう思いたいです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 90%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『7月22日』の感想でした。
22 July (2018) [Japanese Review] 『7月22日』考察・評価レビュー