彼が正しさを貫けた理由…映画『名もなき生涯』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ・ドイツ(2019年)
日本公開日:2020年2月21日
監督:テレンス・マリック
名もなき生涯
なもなきしょうがい
『名もなき生涯』あらすじ
第2次世界大戦下のオーストリア。山と谷に囲まれた美しい村で、妻フランチスカと3人の娘と暮らしていたフランツは、激化する戦争に従事するように命令を受けるが、ヒトラーへの忠誠を拒んだことで収監される。裁判を待つフランツをフランチスカは手紙で励ますが、彼女自身もまた、裏切り者の妻として孤立する生活を強いられていくことになり…。
『名もなき生涯』感想(ネタバレなし)
テレンス・マリック監督がまたやってきた
突然ですが、日本国憲法第19条を答えることはできますか?
正解は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」です。
では「思想・良心の自由」とは何でしょうか。ずいぶん漠然とした表現なのでイマイチわかりにくいです。
映画ファンに身近な話題で例えるなら、「劇場ではエンドクレジットも最後まで観る!」という人もいますし、「いや、本編が終わったらすぐに帰る!」という人もいます。どっちをとるのも「思想・良心の自由」です。「え、じゃあ、エンドクレジットを観ない奴とは映画を観ないから!と言って、友人を拒絶したら、憲法に反するの?」という疑念に関しては、たぶん私人間効力が適用されないので別に問題ない…はず。まあ、もしそれがアウトならSNSなんて「思想・良心の自由」違反だらけとかになりますもんね。無論、もし国が「国民全員は映画のエンドクレジットを最後まで観ないと罰を与えます!」とか強要しだしたら、それはきっと「思想・良心の自由」の侵害でしょうけどね。
そんな映画好きしか興味ないような話題例はさておき、「思想・良心の自由」が関与してくるトピックに「良心的兵役拒否」というものがあります。
簡単に言ってしまえば「兵になりたくないです!」と宣言し、仕事を拒絶することであり、これは基本的人権として今では認められています。しかし、かつては、そして今も多くの国ではこの良心的兵役拒否は実現されておらず、たいていは兵役拒否した人は罰せられます。日本の自衛隊はどうなっているのでしょうね。銃を撃つ任務は嫌ですと言ったら認められるのかな…。
今回の紹介する映画『名もなき生涯』はそんな良心的兵役拒否を実際にした人間の実話の物語です。
まず本作の監督を語らねばなりません。アメリカ人ながらハリウッドの商業世界とは距離を置き、独自の創作の道をずっと突き進んできた“信念”の巨匠映画監督“テレンス・マリック”です。
“テレンス・マリック”監督の作家性は観たことのある人ならすぐにわかります。私の言葉で表現するならば「映画で詩を綴る」ような人で、その生み出す作品はどれも哲学的というか、形而上学的です。そのため慣れていない人が観れば、高確率で退屈さを感じ、眠くなるでしょう。ゆったり動く映像、モノローグの多用、起伏のないストーリー…全てが非エンタメ的です。
しかし、その映画芸術はとても批評的には高く評価されており、『天国の日々』(1978年)、『シン・レッド・ライン』(1998年)と世界的に称賛され、2011年の『ツリー・オブ・ライフ』はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝きました。寡作な映画監督なので、作品数自体は少ないのですが、映画芸術を観覧する嗜好がある人にはじゅうぶん堪能のしがいのある映画ばかり。
そんな“テレンス・マリック”監督の最新作『名もなき生涯』は2019年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門にも出品され、開催中の評判ではパルム・ドール筆頭候補作として有力になる評判だった…のですが『パラサイト 半地下の世界』に譲るかたちに。まあ、“テレンス・マリック”監督、もうパルム・ドール獲ってるのでね…。
とにかく『名もなき生涯』が注目作であることには変わりありません。そして誤解を生みそうですが、あくまで私の感想として注釈を入れて言及させてもらうなら、この『名もなき生涯』、これまでの“テレンス・マリック”監督作の中でもかなり見やすい一本だと思います。といっても監督史上最長の173分(約3時間!)もあるし、相変わらずの監督らしい作風なのですが、それを抜きにすれば本作はお話が直線的なので観客が迷子になりません。少なくとも一部の過去作にあった「これは何を見せられているんだ…」という困惑はないと思います。
そして何よりも実話ベースというのが理解しやすさを担保してくれています。本作は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに併合されたオーストリアを舞台に、信仰に基づき良心的兵役拒否を貫いて命令を拒否した「フランツ・イェーガーシュテッター」の生涯に迫ったものです。
出演陣は『ヒトラーの贋札』『イングロリアス・バスターズ』でおなじみの“アウグスト・ディール”、『エゴン・シーレ 死と乙女』で絶賛された“ヴァレリー・パフナー”。また、2019年2月に亡くなった“ブルーノ・ガンツ”の遺作となっています。
ただなんとなく鑑賞していてもあれなので、なぜ“テレンス・マリック”監督が今、この映画を撮ろうと思ったのか…それを考えながら向き合ってみるのがよいのではないでしょうか。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(監督作が好きなら必見) |
友人 | △(ちょっと人を選ぶ作風) |
恋人 | △(さすがに長すぎるか) |
キッズ | △(大人のドラマです) |
『名もなき生涯』感想(ネタバレあり)
この国は悪魔に支配されたのか
1939年。オーストリアのオーバーエスターライヒ州にあるザンクト・ラーデグントという小さな小さな村。山間にあり、地域のほとんどは森林か農地。2018年時点で人口は589人だそうで、作中当時の人口はどれほどだったのかは不明ですが、少ないことには変わりなさそうです。
この平穏すぎるくらいの村でフランツ・イエーガーシュテッターは暮らしていました。以前は鉄鉱石の採掘人として働いていた時期もありましたが、今は養父の農場を引き継いで小作農を静かに営んでいます。
フランツには愛する妻ファニ(フランツィスカ)がいて、農業も家畜の世話でもプライベートでもいつも一緒に寄り添って生きています。子どもが生まれ、3人の娘とともに温かい家庭を築いていました。それはまさに平和そのもの。
しかし、そんな争いとは無縁のこの地にも誰が始めたのやら戦争の足音が近づいてきているのでした。
1940年、エンス基地での軍事訓練に召集されたフランツ。家族と離れるのは嫌でしたが、半ば強制的にここに集められ、銃剣の使い方などの訓練を受けることになります。農具を持っていた手は今では武器を持つための手になりました。それに違和感を感じつつ…。一体、自分の国に何が起きているのだろうか…。
季節は変わり、戦況の変化にともない、フランツは愛する家族の待つ地元に帰れるようになります。再会を喜ぶ夫と妻。母とファニの姉レジーとの、平穏な共同生活に戻りました。
ところが戦争の気配は消えません。いや、消えるどころかますます濃くなっていくばかり。村の男たちは当然のように兵力として期待され、召集されていきます。そんな中、フランツだけは自らが信奉するキリストの教えに従い、それを断固拒否。神父や司教からさえも「祖国への義務」を諭されますが、それでも拒否の意思を通します。
そのフランツを村人は敵視するようになります。イジメのように拡大するその嫌な感情は、昔は一緒に働いていたはずの仲間さえも浸食し、平然とフランツを「裏切り者」呼ばわりする始末。フランツの子どもたちすらも他の子にイジメられ、その理不尽さに怒りを溜めこんだフランツは思わず農作業中、男と揉み合いの喧嘩にまで発展。
それでも信念を捨てないフランツのもとに、とうとう召集令状が届き、またもや家族と離れないといけないことになります。1943年3月、フランツは出頭し、ヒトラーと第三帝国への忠誠宣誓をやはり拒絶し、ただちに逮捕・連行され、牢屋に入れられました。
1943年5月。ベルリンの拘置所へと移送されるフランツ。そこではたぶん地元の村の人口よりも数の多い人間がわんさかいるような場所ですが、その世界でもフランツのような信念を貫く人間は“オカシイ奴”扱いです。所内でまたも嫌がらせを受け、あげくには暴行され、それでもまだなおも意思を曲げないひとりの男。
1943年7月。帝国軍事法廷にて裁判が開かれ、この男に審判が下るのでした。信仰を貫いたフランツに救いはあるのか…。
ロケーションの価値
『名もなき生涯』はまず撮影が非常に印象的で、観客をあのロケーションに放り込んだような錯覚にさせます。これまでも長回しとカットを巧みに組み合わせた独特な編集スタイルが特徴でしたが、今作は舞台となった場所が格別でしたね。
実際にフランツ・イエーガーシュテッターの暮らしたザンクト・ラーデグント、さらには彼の家でも撮影をしているので、ほぼ本物。遺族の許可を得て実現できたというそのリアリティを損ないたくないためなのか、なるべく自然光だけで撮られており、それがまた映画を映画っぽくないものにさせています。“テレンス・マリック”監督が実話を手がけるとこうなるのかという新鮮な感覚ですね。
自然風景の演出もお見事で、濃い緑の森、轟々と流れる川、不吉さを連れてくるような分厚い雷雲などなど、その地にある何気ない自然がズバリ映画の視覚効果として活きてくる(でもわざとらしくない)。過去作ではこの視覚効果がかなり唐突でそれで観客の混乱を招くこともありましたが、本作ではそれは無し。今作はこのロケーション・パワーで相当に作品の質がランクアップしている気がします。
デジタルカメラで長回しを、しかもなるべく風景を映るようにグーっと撮っているので、本当に大スクリーンに映えます。本音は超特大スクリーンで見たいところですが、日本だとあまり大きい映画館では上映していないのが残念な点。
撮影を手がけたのは、これまでの“テレンス・マリック”監督作でおなじみであったエマニュエル・ルベツキとの関係も深い“イェルク・ヴィトマー”。監督との相性は抜群でした。
あの作品と芯は同じ
2019年はナチスを題材にした映画として『ジョジョ・ラビット』という話題作が生まれました。こちらはブラックコメディであり、ユーモア全開で実にハイテンションな作品です。あまりに風刺が研ぎ澄まされすぎて、史実への冒涜じゃないかと嫌悪感を出す人もいるほどに。
『名もなき生涯』はそれとは真逆と言っていい、表面上のルックは正反対なのですが(冒頭のナチスの実際の映像で始まるところからして使い方が180度違う)、実は中身の芯の部分はそっくり通じているのが興味深いです。
例えば二作ともナチスに敵対する連合国側の人間でも、ナチスに迫害されるユダヤ人でもなく、どちらかといえばナチス側にいる人間を描いている点。普通に従順にしている限り、生きるのに不都合は発生せず(多少の苦労はあるけどもユダヤ人よりはマシ)、この言い方はあれですけど社会の底辺で踏まれることはない立場のはずです。
なのにそういう道を選ばない。『ジョジョ・ラビット』は正義の信念に目覚める少年の物語であり、『名もなき生涯』は正義の信念に目覚めた後にそれを貫く大人の物語です。
そして同時にそんな主人公と周囲の社会との関係性を主軸に世界が描かれていきます。
『名もなき生涯』での典型的な村八分は陰惨であり、見ているだけでこちらの心もズタズタになっていきますが、こういう集団の同調圧力、とくに“正しさ”を貫こうとする者への攻撃というのは現代でも普通に見られますからね。人権運動へのバックラッシュなどその構造は全く同じ。
それでも本作の主人公フランツは信念を貫き通す。そんなので世の中は変わらないよと嫌みを言われても挫けない。そんなフランツを目にして、映画を観た誰しもが自分だったらどう行動するだろうかと考えてしまいます。
主人公が信仰していたものは…
では『名もなき生涯』は信仰の大切さを説いた宗教映画なのかというと、私はあまりそうは思わなくて。
というのも本作では神父や司教でさえもナチスに従うように諭してきますし、あんなに信仰に身を捧げたフランツにも救いは訪れずに虚しく処刑されてしまうわけです。おそらくフランツ自身も相当に悩んだはずです。なぜ自分がここまで報われないのか、と。
結局、死刑によって命を奪われたフランツですが、1960年代にフランツの伝記が出版されるまで彼の存在は世間に知られることさえなかったというのですから、本当に酷い話で…。本作はカンヌ国際映画祭で、キリスト教系組織が贈るエキュメニカル審査員賞を受賞しましたが、まあ、これも一種の罪滅ぼしなんでしょうかね。
そう考えるとあのフランツを根底から支えたものは何だったのか。
“テレンス・マリック”監督はその信念の源を「妻であるファニ」に見いだしているのだと思います。
実はフランツは昔から信仰深かったわけではなく、敬虔な妻との結婚を機に信仰に目覚めたそうです(オートバイでローマ巡礼の旅に夫婦で出たのが起点なのだとか)。つまり、フランツは神を信仰するということは、妻を信仰するも同じ。彼にとって妻こそが全てだったのではないか、と。
だから本作ではフランツとファニの夫婦関係がとても多量に描かれています。招集から帰ってきたフランツを感無量で抱きしめるファニの姿。それを黙って受け止めるフランツ。他にあらゆる場面でそれは充満しています。夫がいない地元でも、偏見や陰湿な攻撃に耐えながら、たくましく農具を引っ張って土を耕し、井戸に降りる妻の存在は、確かに崇めたくなるようなものがあります。この夫婦の愛こそが信仰そのものだったのか。
“テレンス・マリック”監督はメディアに出てこないことで有名で、プライベートも全然語らないので実際の気持ちはわからないのですが、フィルモグラフィを見ていると妻想いなんじゃないかと思わせます。監督作『トゥ・ザ・ワンダー』も半自伝的に妻との関係を描いていましたし、極めつけはこの『名もなき生涯』です。
愛が既存の信仰を上回っていくという意味では最近公開された『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』にも似たところがありましたね。
“正しさ”が脅かされたとき、それに対抗できるのは愛しかいない。今の時代を生きる私たちにとってこの映画はまさに辛い時の道標になり得る存在でしょう。そうすることで初めてフランツは本当の意味で報われる気がします。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 72%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2019 Twentieth Century Fox ア・ヒドゥン・ライフ
以上、『名もなき生涯』の感想でした。
A Hidden Life (2019) [Japanese Review] 『名もなき生涯』考察・評価レビュー