あなたの心の友達は誰?…映画『ジョジョ・ラビット』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年1月17日
監督:タイカ・ワイティティ
ジョジョ・ラビット
じょじょらびっと
『ジョジョ・ラビット』あらすじ
第2次世界大戦下のドイツに母親と暮らす10歳のジョジョは、空想上の友だちであるアドルフ・ヒトラーの助けを借りながら、青少年集団「ヒトラーユーゲント」で、立派な兵士になるために奮闘していた。しかし、訓練で不甲斐ない姿を晒してしまったジョジョは、「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名をつけられ、仲間たちからもバカにされてしまう。
『ジョジョ・ラビット』感想(ネタバレなし)
ヒトラー・ギャグもここまできた
新しい20年代の到来を告げる2020年の幕開け。しかし、その始まりとほぼ同時に世界は戦争の足音を聞くことになりました。1月3日、イランの革命防衛隊の司令官であるカセム・ソレイマニがアメリカ軍にドローン攻撃で殺されます。この突然の他国への先制攻撃に現地で反米感情は爆発するのも当然、世界からもそのやり方に非難が集まりました。対抗措置としてイランはイラク国内の米軍の拠点をミサイル攻撃し、第3次世界大戦というワードすらトレンドに上がる事態に。しかし、双方の権力者はとりあえず矛をおさめたようです。これでひと安心…。
いや、ひと安心なのでしょうか。そもそもこんな権力者の意地の張り合いで軽々しく武力を振るうなどあっていいのか。戦争にならなかったから良かったという声も聞こえますし、日本なんてガソリン・灯油価格の高騰しか心配していません(日本人の中東の価値観の乏しさ)。でもこの権力者たちが煽った対立緊張のせいで無関係なウクライナ航空機が誤って撃墜され、乗客乗員176人が全員死亡しました。
「戦争は自分が正しいと思う者同士の争いだ」…という表現がありますが、私はそれは嫌いで、なぜならその表現はともすると本当に大事な“正しさ”をないがしろにし、戦争を肯定しかねないからです。
戦争はなぜ起こるのか。それは私たち誰の心にも巣くう“弱さ”や“醜さ”が原因にあるのであって、そんな“心の存在”と向き合わないと、平和を生み出すことはできないのだと思います。
今回の紹介する『ジョジョ・ラビット』という映画はまさに戦争や憎悪に蝕まれる私たちが“心の存在”とどう向き合うかを、実にコミカルかつ大胆に描いた異色作です。
物語は、第二次世界大戦中を生きる気弱なドイツ人少年を主人公に、イマジナリーフレンドのアドルフ・ヒトラーと一緒に頑張って“敵国を殲滅”し、“ユダヤ人を絶滅”させるべく奮闘する姿を描くジュブナイルドラマです。
…なんだそりゃ…という感じですが、本当になんだそりゃです。これまでヒトラーを茶化した映画は最近もたくさんありました。現代にタイムスリップしてくる『帰ってきたヒトラー』とか、地下世界の支配者になっている『アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲』とか…。
ヒトラーはもうフリー素材みたいなところあります。『ジョジョ・ラビット』はついにここまで来たかという究極のおふざけです。イマジナリーフレンドって…。
しかし、映画自体は超高評価。アカデミー賞では作品賞・助演女優賞・脚色賞・美術賞・衣裳デザイン賞・編集賞にノミネートされ、稀有な存在感を放っています。
このアホだけど名作というバランスを確立させている『ジョジョ・ラビット』を生んだのが監督の“タイカ・ワイティティ”。MCUの『マイティ・ソー バトルロイヤル』を監督し、一般層にも知名度が上がりましたが、それ以前の『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』(2014年)や『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』(2016年)の時点で強烈な作家性を爆発させていました。私もお気に入りの監督のひとりです。
“タイカ・ワイティティ”監督は『ジョジョ・ラビット』で監督以外にも脚本・製作、そしてイマジナリーフレンドであるアドルフ・ヒトラーを熱演。ちなみに“タイカ・ワイティティ”はユダヤ系の血をひいています。ユダヤ人がヒトラーになっている…この部分だけでも喧嘩売っているギャグなのです。
ここで2019年のアカデミー賞ノミネート傾向を見ると『ジョーカー』のトッド・フィリップス監督といい、『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督といい、コメディ風刺を得意とするクリエイターが目立つ1年だったのかなとも思います。やっぱりそれは世界が不穏なことと裏返しなのでしょう。きな臭い世界になればなるほど人は風刺で対抗しようとするものです。『ジョジョ・ラビット』もあの時代のナチスだけを風刺した映画ではないとも解釈できるようになっており、それはぜひとも観てもらえばわかるはず。
俳優陣は、まず主役の子を演じる本作がデビュー作になるらしい初々しい“ローマン・グリフィン・デイヴィス”。『足跡はかき消して』で素晴らしい名演を披露した“トーマシン・マッケンジー”も対となる大事なポジション。
大人組も豪華。“タイカ・ワイティティ”はさておき、“スカーレット・ヨハンソン”、“レベル・ウィルソン”、“サム・ロックウェル”、“アルフィー・アレン”といった面々が笑わせてくれます。また、『ファイティング・ファミリー』で監督デビューしたばかりの“スティーブン・マーチャント”も登場。
SNSで「攻撃してやる」と息巻く権力者にも、その権力者を崇拝する支持者にも、そんな人たちに呆れている人にも、はたまた無関心だった人にも、幅広く観てほしい映画です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(とにかく観るべき一本) |
友人 | ◎(友達とも盛り上がる) |
恋人 | ◎(笑いあり恋あり感動あり) |
キッズ | ◯(子どもでも面白い) |
『ジョジョ・ラビット』感想(ネタバレあり)
挨拶は大事、ハイル・ヒトラー!
10歳のジョジョは部屋でひとり緊張しながら大事な日を迎える自分を奮い立たせていました。いや、ひとりではありません。彼の周りをぐるぐる回る小柄な男。ジョジョの“心の友達”であるアドルフ・ヒトラーが叱咤激励をしてくれます。
今日はヒトラーユーゲント(ナチス下の青少年団体のことです)のキャンプの初日。ここで失敗をすればみんなからバカにされてしまいます。ジョジョの父親は音信不通の行方不明で周囲からは脱走したと思われており、姉は病気で亡くなったばかりで、今は母親のロージーと二人暮らし。そんな境遇も追い打ちになっているのか、ジョジョは気弱な性格で、すでに自信喪失気味。
でも“心の友達”アドルフ・ヒトラーが自信をつけてくれたので意気揚々と外へダッシュ。道行く人々に「ハイル・ヒトラー」の挨拶をがむしゃらに連呼して、いざキャンプ広場へ。
キャンプでは子どもたちが大勢集まっていました。そして酔っぱらっているのか奇行が目立つクレンツェンドルフ大尉を中心に、教官のミス・ラームの指導のもと、座学&実技の訓練が開始。ジョジョはなんとかついていきヘトヘトに使えます。
夜、唯一の“実在の友達”であるヨーキーとテントで横になるジョジョ。メンバーの証として貰ったナイフを胸に、素晴らしいナチスになることを夢見るのでした。
翌日以降、集団訓練はさらに激しさをアップ。ユダヤ人の凶悪で醜悪な実態を学び、ハードな野外トレーニングにはやっぱりビビりのジョジョは逃げがち。それを上級生は高みから見逃しません。
ある日、ジョジョは意地悪な上級生数人にウサギを殺すように命令されます。殺せ殺せの大合唱の中、ジョジョは行動を迫られ、それでも怖気づいてしまったゆえに思わず逃そうとし…。そんなことをしてしまえば当然バカにされます。みんなから弱虫の「ジョジョ・ラビット」と嘲笑され、押し倒され、その場をトンズラするしかないジョジョ。
ひとりしょげていたところにまたもや“心の友達”ヒトラーが現れて「ウサギは勇敢でずる賢く強い」との謎の激励をもらい、あっさり気分が良くなるジョジョ(チョロい)。
自信復活して再起動したジョジョは“心の友達”ヒトラーとともハイテンションで猛ダッシュ。勢いのままに大尉から手榴弾(ポテトマッシャーと呼ばれた柄付手榴弾ですね)をすれ違いざまに手に取り、思いっきり投げつけました。勇猛果敢なところを見事にみせた…そう思った瞬間、手榴弾は木にあたって跳ね返ってしまい、自分の足元にコロリ。ジョジョのすぐそばで爆発。
病院へ緊急搬送されたジョジョ。幸いにも命に別状はなく、退院。でも顔には傷跡が残り、モンスターみたいな顔になったことでヘコみます。
大失敗のせいで完全に落ちこぼれとなったジョジョ。母のロージーの交渉もあってなんとか街のポスター張りという職をゲット。雑用でも何でも今はこれをするしかない…。
ジョジョはロージーと帰る途中、街の広場で絞首刑に処されてぶらさがったまま放置されている人々を見つけます。残酷な光景に思わず目を逸らそうとするジョジョでしたが、母はそれを許さず、直視させようとします。
それが少し月日が経ち、相変わらず「ジョジョ・ラビット」とバカにされる日々は継続中。しょんぼりと家宅したジョジョは、姉の部屋に入って物思いにふけっていると、床と壁に不自然な跡を発見。なにげなくナイフでこじあけると、そこには壁裏の狭いスペースがありました。恐怖に耐えながら明かりで照らし進むと、奥に姉と同年代くらいの少女がポツンと。絶叫するジョジョ。
幽霊だとパニックになり、階段を落下。しかし、それはお化けでもなんでもなく、生きている少女。しかも、ユダヤ人でした。最強防具と武器を揃え(ヒトラーも激励)再び少女のもとへ向かいますが、あっさり後ろに回り込まれ翻弄されるばかり。
このユダヤ人少女エルサは、ジョジョにとって敵なのか、それとも新しい友人なのか、はたまた…?
新時代のチャップリン
喜劇王「チャールズ・チャップリン」がヒトラー風の独裁者を荒唐無稽に演じたトーキー映画『独裁者』(1940年)という作品がありました。チャップリン自身がヒトラーにどことなく似ている風貌ということで見事にハマり役だったものであり、権力を見事に茶化していました。
“タイカ・ワイティティ”監督はもともとこのチャップリンの作家性に近いものを持っていましたが、この『ジョジョ・ラビット』にて完全にチャップリンからのバトンを継承してみせたなという感じです。もう“タイカ・ワイティティ”監督版『独裁者』ですね。もしくは“メル・ブルックス”の継承ともいえるのかな。
『ジョジョ・ラビット』の物語を縦横無尽に引っ掻き回すのはもちろん“タイカ・ワイティティ”監督自ら演じるイマジナリーフレンドのヒトラー。見た目のコミカルさの妙は今さら褒めるまでもないのですが、ユダヤ人である監督が自分で演じてしまったのが一番の新しさです。『独裁者』のときはチャップリンはヒトラー風の独裁者とユダヤ人の床屋の一人二役で笑いをとったわけですが、“タイカ・ワイティティ”は自分の出自でその両立ができちゃうんですから、最強ですよ。ヒトラー本人はこの映画を観たらなんと思うのかな…。
ただそれだけだと『独裁者』のマイナーアップデートで終わってしまうのですが、この『ジョジョ・ラビット』はそうはなりません。前述したとおり、本作はヒトラーが主役ではなく少年のジュブナイルドラマです。ここが斬新。これまでナチス時代の少年少女を描く作品はいくつもありましたけど、たいていは陰惨です。でも本作はあえてことさら明るくしまくって描いています。
映画の序盤。主人公ジョジョのキャンプの場面。ここなんかはもろに『独裁者』の序盤にそっくりです。柄付手榴弾に絡んだ失敗シーンなんかは共通。
ジョジョの生活は母との二人暮らし。そのライフスタイルは決して貧相ではなく、夢に溢れた希望を感じさせます。“タイカ・ワイティティ”監督作品の子ども主役映画(『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』など)では必ず片親などの欠落を抱えた境遇となっています。それは監督自身がシングルマザーの母に育てられたという人生が反映されているのでしょう。その人生に明るさを与える物語は監督からの“今、同じ状況にある子どもたち”への贈り物。
そんな少年がイマジナリーフレンドとともに人生を経験し、やがて卒業していく。『インサイド・ヘッド』などでも描かれた定番の成長譚です。
しかし、『ジョジョ・ラビット』はそれが少年の成長譚だけでなく、同時に権力や差別との決別も意味します。過去にもフィクションの力でヒトラーやナチスに一矢報いる映画はありました(『イングロリアス・バスターズ』とか)。『ジョジョ・ラビット』は蹴り飛ばすだけです。でもそれはとても大きな一歩。大舞台なんて用意してやる必要もない、ただキックすればいい。この軽快さが私たち観客にも“ハードルは思っているよりも低い”ことを教えてくれるようで心地いいです。
サム・ロックウェルはいるだけでギャグ
そんな物語の間に挟まれる、ナチス風刺の軽妙なギャグもイチイチ笑えて上手いです。
もはやお約束のナチス敬礼ギャグは、冒頭のただのY字ポーズになっているジョジョの滅茶苦茶ハイル・ヒトラーはもちろんのこと、ロージーのやる「Hey」みたいなやる気なさすぎるにもほどがあるハイル・ヒトラーも好き。ゲシュタポ家宅捜索時の連発もね。
『マリッジ・ストーリー』に引き続き“スカーレット・ヨハンソン”は今作でも本当にお見事で、母は強しを体現する存在感で輝きを放っていました。私は勝手に姿の見えない夫はアダム・ドライバーなんだと思い込むことで脳内補完してましたもん。
女性キャラと言えば“レベル・ウィルソン”もいつもどおりのお茶目さで、この人はどの国どの時代にいてもなんかアイデンティティを見失わないな、と。
そして“サム・ロックウェル”。なんでお前はこんなにもヘッポコ男が似合うんだ。『スリー・ビルボード』『バイス』に続いてのダメキャラ。画面にいるだけで面白いのはズルすぎる。私はもう彼が現れるだけでちょっとニヤニヤしてしまう、気持ち悪い症状になっている…。
ジョジョの実在の友達ヨーキーを演じた“アーチー・イェーツ”も良かった。どんなシリアスな展開になっても笑いをとってくる。あの子のスピンオフが見たいくらいです。
自分の“弱さ”に向き合おう
『ジョジョ・ラビット』は主題としてはナチスが描かれていますが、単なるナチス批判映画にとどまらず、その風刺の対象は広範に解釈できるようになっているのも個人的には大事なポイントだと思います。
何と言っても冒頭でヒトラー賛美に熱狂する大衆のモンタージュ映像に合わせてビートルズの「I Want To Hold Your Hand」が流れるわけです。まさにヒトラー支配を容認する社会はビートルズのブームと同じでしょ?という、あまりにも大胆な投げかけ。
そもそも本作は英語で会話されています。これは役者が演じやすくするためであって、よくあることですが、一方で別の見方をすれば、この世界はアメリカでもどの国でも同類の世界だから!という共通性を表しているようにも思えてきます。権力者の差別主義に心酔するのはナチスだけではない、と。それは昨今の勢力を増すナオナチに限ったことではない、私たち社会の汎用的な問題の提示でもあって。
終盤、敵軍が街に攻めてきて激しい市街戦が勃発するシーン。そこで戦う兵士たちは思い思いの格好で戦っており、その大人の戦闘と並んで子ども兵士も戦っています。
このシーンの意味するところは、結局みんな自分のイマジナリーフレンドを持って“弱さ”を隠しながら戦っているだけなんだ…ということなんじゃないかと私は受け取りました。自分だけが弱いと思っていたジョジョはその現実に気づき、初めて自分の肯定を得る。「同類である」という共感で映画の物語が集約されていくのは“タイカ・ワイティティ”監督作品の特徴ですしね。
本作はナチス側にフラットすぎではないか(善行を見せるキャラもいる)と批判する声もありますが、私はこのフラットさこそ大事なのかなと思います。これは特定のナショナリズムを非難する映画ではなく、自分の“弱さ”に向き合えない人間の性(さが)を問題視するものだと思うので。
ラスト、戦争が終わった街でジョジョとエルサはぎこちなく踊り始めます。曲はデヴィッド・ボウイの「Heroes」。ベルリンの壁を見ながら収録したと言われるこの曲。ここから次の時代が始まる。少年期から思春期へ。迫害から融和を模索する時代へ。
私たちも自分を鼓舞するだけの“心の友達”は窓から蹴り飛ばして、目の前にいる“実在の友人”を愛する努力をしてみよう。まずは一緒に踊りませんか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 95%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★
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・『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』
・『マイティ・ソー バトルロイヤル』
作品ポスター・画像 (C)2019 Twentieth Century Fox ジョジョラビット
以上、『ジョジョ・ラビット』の感想でした。
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