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『アメリカン・ユートピア』感想(ネタバレ)…デイヴィッド・バーンがスパイク・リーと融合する

アメリカン・ユートピア

デイヴィッド・バーンがスパイク・リーと融合するとどうなる?…コンサート映画『アメリカン・ユートピア』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:David Byrne’s American Utopia
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2021年5月28日
監督:スパイク・リー

アメリカン・ユートピア

あめりかんゆーとぴあ
アメリカン・ユートピア

『アメリカン・ユートピア』あらすじ

デイヴィッド・バーン。元「トーキング・ヘッズ」のフロントマンでグラミー賞受賞アーティスト。彼の生み出した音楽はその時代を象徴するものとして今も多くの大衆の心に刻まれている。そのデイヴィッド・バーンが2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーが映像作品として生まれ変わる。斬新なパフォーマンスを通して現代の揺れ動く社会に何を残すのか。

『アメリカン・ユートピア』感想(ネタバレなし)

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デイヴィッド・バーンを知っているか

生きていれば誰かに批判されるときもあります。間違いを犯すこともあります。

そのときに「マウントをとられた!」とついムキになって反応してしまうのが今のインターネット世界ではよく見る風景。現代社会は「いいね」が全てですから、ちょっとでも自分の欠点となりそうな事態になると過剰に不安が芽生えるものです。評価を気にしすぎて他者の意見を素直に受け止められません。

しかし、この人は違いました。

「僕ら自身、身中に毒を抱え込んでいる。僕らの全員だ。そして大事なのは、自分がその影響をこうむらずにはいられないと知ることだ。関係ないやつは誰一人としていやしない。だから、そいつをきっちり処理してやらないとならない。その毒を拒もうとしなくちゃならないんだ。そして、そいつを体から出してやらないとならないんだが、しかし、これがただ放り出すというわけにもいかない。ある意味では仕事だ。時にはものすごく時間がかかる。生涯かけて、ということだって有り得る。どうもそういう手順になっているんだなと、僕もようやくわかってきたよ」

引用:Rolling Stone Japan

そう語るのは“デイヴィッド・バーン”。今回はそんな彼のお話。

まずは“デイヴィッド・バーン”を知っているかどうかですね。彼と言えば、アメリカのロックバンド「トーキング・ヘッズ」の活動で何よりも有名です。1974年に結成して1991年に解散した「トーキング・ヘッズ」。“デイヴィッド・バーン”はボーカル&ギターです。よく知らないという人でも代表曲の「Psycho Killer」とかなら耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。

バンド解散後は“デイヴィッド・バーン”はソロ活動に専念。そんな彼も今では2021年時点で69歳。すっかり高齢者です。しかし、その才能は衰えるどころかさらに研ぎ澄まされ、社会の風刺性を増しています。そんな中で過去に自分もパフォーマンスでブラックフェイスをしたことがある経験に自ら触れつつ、自身の加害性に自覚的にならねばと語っていたのが上記で紹介したインタビューでした。年をとってもこうやって自分の過ちに向き合い、社会に何を発信すべきか考えられる。私もこういう年齢の重ね方をしたいものです。

その“デイヴィッド・バーン”は2018年には14年ぶりの単独ソロアルバム「アメリカン・ユートピア」をリリース。この「アメリカン・ユートピア」がブロードウェイのショーとなり、そのパフォーマンスを1本の映像作品におさめたのが本作『アメリカン・ユートピア』です。

なので本作はいわゆるコンサート・フィルムですね。舞台裏やメイキング、解説などはほぼなく、本当にパフォーマンス・ステージがそのまま映し出されます。しかし、カメラワークなど演出は非常に凝っており、全編退屈することはなく、まるで生で観劇しているような没入感があります。

「トーキング・ヘッズ」絡みだと1984年にジョナサン・デミ監督による『ストップ・メイキング・センス』というライブフィルムが公開されたことがありましたが、あれと同じ系統です。

しかし、今回の『アメリカン・ユートピア』は監督を手がけるのがあの“スパイク・リー”であり、そこが何よりも注目ポイント。なんで“スパイク・リー”!?と思うかもしれませんが、“デイヴィッド・バーン”とは交友があるそうで、確かに2人は年齢も近く、ニューヨークで活動していて、音楽にも映画製作にも精通しているので共通点だらけ。満を持してのコラボという感じでしょうか。

そして『アメリカン・ユートピア』はしっかり“スパイク・リー”らしさが炸裂しているのです。『ブラック・クランズマン』『ザ・ファイブ・ブラッズ』と最近もアフリカ系アメリカ人を取り巻く人種差別に対して誰よりも鋭い問いかけを常に実践してきた“スパイク・リー”。今回も抜群の信頼感です。

ということで「私、デイヴィッド・バーンって全然知らないんだよな~」という人でも大丈夫。みんなを温かく受け入れてくれるのが今回の作品のテーマでもありますから。

なお、以下の後半の感想ではとくに曲の解説はそれほどしていません。そこはどっか詳しい人にお任せします(丸投げ)。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:ここからファンになれる
友人 4.0:ファン同士で盛り上がる
恋人 3.5:趣味が合うなら
キッズ 3.5:良いセンスしてるね
↓ここからネタバレが含まれます↓

『アメリカン・ユートピア』感想(ネタバレあり)

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こんな脳みそでも

『アメリカン・ユートピア』はさっそく始まると意表を突かれます。

無機質で何もない空間。すだれ状のカーテンに囲まれたステージ。色は全体的にグレーで、中央に椅子と机がポツンとあり、そこに座っている白髪の“デイヴィッド・バーン”もグレーのスーツ。そして、パフォーマンスが始まると歌とともにすだれ状のカーテンの奥からひとりまたひとりとパフォーマーが出てきて、どんどんと増えていく…。

このミニマリズムと言っていい最小限の構成は「トーキング・ヘッズ」時代からの“デイヴィッド・バーン”の特徴なのですが、今回はそれがさらに洗練されており、バカみたいな感想ですが、むちゃくちゃカッコいい…。

派手さは全然なく、シネマティックな視覚効果も入れていない。ダンスなんてパントマイム的なちょっとした動きだけ。横にステップをしたり、腰をかがめたり、手をちょっと動かしたり。でも魅入ってしまいます。

印象的なのはカメラワークで、かなり縦横無尽に映し出します。すだれ状のカーテンの奥からのショットもあれば、俯瞰視点のショットもあって、相当に計算されていることがわかります。丸いライトが追うみたいな光の演出もクールでしたね。あれは各パフォーマーの肩に小さな追跡装置がついていて(よく見るとわかる)、それを自動でライトが追っているらしいです。フラッシュ演出は『ストップ・メイキング・センス』でもやってました。今回は明らかにジョナサン・デミ監督の演出センスを“スパイク・リー”が取り入れている感じがする…。『ストップ・メイキング・センス』から『アメリカン・ユートピア』へと連続性がある構成ですよね。

使用している楽器も最新のテクノロジーを活用してコードレスになっており、なので各パフォーマーが自由に動けて、舞台の床も綺麗なまま。とにかく無駄なものが置いていません。

そんなクールなパフォーマンスなのですが、冒頭でいきなり“デイヴィッド・バーン”が脳みその模型を持ち上げて歌い出すという、ちょっとサイコかよという演出がぶっこまれます。今回は「Psycho Killer」を歌わないからここでサイコ成分を出したかったのかな…。赤ん坊の神経細胞から脳の衰えの話になっているのですが、それを高齢となった“デイヴィッド・バーン”が語る皮肉と、それでも高齢の脳の持ち主でもこんなパフォーマンスができるんだ!という自虐からの反逆。すごいキマってました。

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多様性を奏でる。灰色のユートピア

『アメリカン・ユートピア』というタイトルのとおり、本作には理想郷の姿を映し出そうというメッセージがあったと思います。

“デイヴィッド・バーン”はもともと多民族的な音楽の取り入れ方を実践してきた人で、それは本作でもいかんなく発揮されています。ラテン系のリズムが流れたかと思えば、スっとアフリカンな楽器が奏でられ、自由自在に音楽の色が変わります。

今回はパフォーマーの中にアンドロジナスなジェンダー表現を有する人もいました。ちなみにその人、“クリス・ジャルモ”という名前の人は実際にクィアな人物です。

面白いのはそれほどまでにダイバーシティな構成になっているのに、全体としてはみんなが灰色のスーツで裸足という、均質的なスタイルになっていること。もしダイバーシティを表現したかったら、もっと単純に思いつくのはレインボーカラーを活用したり、これみよがしにシンボルを掲げたりすることなのですが、そういうことはしないんですね。

あくまでビジュアルはシンプル・イズ・ベストを貫きつつ、ミュージックだけでダイバーシティを表現していく。このスマートさが良かったです。

でも観客と一体になって盛り上がる部分は堂々とカメラに映します。カメラは背中から観客を映したり、引いて“デイヴィッド・バーン”と観客を一緒に映したり、観客を中心に映したり、遠慮がありません。もちろんそれは観客含めてのダイバーシティだという証でもあって…。

多様性って最高に楽しいじゃないか!…という賛歌であり、これぞニューヨークらしさだろうという自信に溢れている。

最近は日本でも“多様性”という言葉にシニカルな反応を見せるのが賢さのアピール要素みたいになっている面もありますけど、“デイヴィッド・バーン”みたいに実践的に多様性を示す人の方がやっぱり素晴らしいなと思います。

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名前を叫べ。逆さまのユートピア

そんな多様性賛歌の『アメリカン・ユートピア』ですが、そこにはしっかり例の「身中に毒を抱え込んでいる」という自覚もまた示されます。逆さまのユートピアの現実を…。

終盤で歌われるのは“ジャネール・モネイ”のカバー曲「Hell You Talmbout」

「say his name / say her name」と掛け声とともに連呼されるのは、警察や白人至上主義者によって無残にも殺された黒人たち(ラテン系も含む)の名。

「ERIC GARNER」。2014年7月17日にスタテンアイランドで警察官によって逮捕にあたって絞め殺されました。

「TRAYVON MARTIN」。2012年2月26日にフロリダ州のサンフォードにおいて自警団員によって丸腰の状態で射殺されました。

「BOTHAM JEAN」。2018年9月6日にテキサス州のダラスで巡回警官が泥棒だと勘違いしたとして射殺しました。

「FREDDIE GRAY」。2015年4月12日にメリーランド州のボルチモアで警察によってバンで勾留され運ばれている間に死亡しました。

「ATATIANA JEFFERSON」。2019年10月12日の早朝、テキサス州フォートワースで警察官によって自宅で射殺されました。

「SANDRA BLAND」。2015年7月13日にテキサス州ヘンプステッドの刑務所の独房で死亡が確認されました。

「SEAN BELL」。2006年11月25日にクイーンズにて警察から50発もの銃弾を浴びせられながら殺されました。

「MARIELLE FRANCO」。ゲイ&バイセクシュアルを公言するフェミニストな政治家でしたが、2018年3月14日に暗殺されました。

「EMMETT TILL」。1955年8月28日に集団リンチで死亡した14歳の少年。ドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』でも取り上げられています。

「TOMMY YANCY」。2014年5月11日にカリフォルニア州でハイウェイパトロールに殺されました。

「JORDAN BAKER」。2014年1月にストリップモールで非番の警官に殺されました。

「AMADOU DIALLO」。1999年2月4日にニューヨークで私服警官によって殺されました。

本作では2020年に新たに発生した被害者、「AHMAUD ARBERY」「BREONNA TAYLOR」「GEORGE FLOYD」の名を追加で表示し、さらに映像いっぱいにびっしりと赤い文字で埋め尽くして大勢の語りきれない被害者を示します。これはただの黙祷ではなく、被害者の存在を運動の要とするブラック・ライヴズ・マター特有のアクションですが、“デイヴィッド・バーン”さえもこのパワーに参画しているというのがひとつの時代の変化ですね。ニューヨークに暮らす者なら、アメリカに暮らす者なら、声を上げて当然だろうという…。

最後は自転車で街中へ帰っていく“デイヴィッド・バーン”が映って終わりですが、結局は彼もいち市民。ユートピアを作れるかどうかはひとりひとりの行動にかかっていると教えてくれる体験でした。

『アメリカン・ユートピア』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 87%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED アメリカンユートピア

以上、『アメリカン・ユートピア』の感想でした。

David Byrne’s American Utopia (2020) [Japanese Review] 『アメリカン・ユートピア』考察・評価レビュー