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『ベネデッタ Benedetta』感想(ネタバレ)…地獄に落ちてもレズビアニズムは燃え尽きない

ベネデッタ

地獄に落ちてもレズビアニズムは燃え尽きない…映画『ベネデッタ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Benedetta
製作国:フランス(2021年)
日本公開日:2023年2月17日
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
性暴力描写 自死・自傷描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写

ベネデッタ

べねでった
ベネデッタ

『ベネデッタ』あらすじ

17世紀、イタリアのペシアの町。聖母マリアと対話して奇蹟を起こすとされる少女ベネデッタは、6歳で出家してテアティノ修道院に入る。成人した彼女は、修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアを助け、秘密の関係を深めていく。そんな中、ベネデッタは聖痕を受けてイエスの花嫁になったとみなされ、新たな修道院長に就任。民衆から聖女と崇められ、以前では考えられないような権力を手にするが…。

『ベネデッタ』感想(ネタバレなし)

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ナンスプロイテーションの最新版か、それとも…

宗教における共同体の中で誓願の下に生活する女性、とくにキリスト教では「修道女」「シスター」といった表現が有名です。英語では「nun」と言います。「ヌン」じゃなくてどっちかと言えば「ナン」ですね。

この修道女は映画と浅からぬ関係が歴史的にあります。それは「ナンスプロイテーション」です。

ナンスプロイテーションというのは、エクスプロイテーション映画のサブジャンルのひとつで、その名のとおり修道女を主題にしたもの。なぜ修道女がエクスプロイテーション映画(今風な説明をするなら、過激なことやタブーな題材に手を出して一部でバズらせることを狙った世間的には低俗とみられやすい作品群のこと)となりうるのか。それは修道女のコミュニティは一般社会的には内部が見えず、表面上は敬虔に振舞っているので、実は何か隠しているはずだという猜疑心や、その内側を知りたいという覗き心が働きやすいからでしょう。

なのでナンスプロイテーション映画では、もっぱら修道女の、抑圧された性が淫らに露わになったり、暴力や陰謀めいた側面が露呈したり、はたまた悪魔と密接に関わっているといった闇深い“真実”が描かれたりします。当然、これは娯楽なので、事実に即しているわけではありません。修道女を都合よく消費しているだけです。

ナンスプロイテーションの歴史は古く、昔の作品だと1947年の『黒水仙』が有名ですが、60~70年代の流行期を経て、今も『死霊館のシスター』のようなバリバリのホラー映画から、ドラマ『シスター戦士』のようなZ世代向けのアメコミな作品まで、幅広く取り揃っており、ジャンルは健在。

そんな中、先ほど「事実に即しているわけではありません」と書いてしまいましたが、中には案外と事実に基づいている作品もあったりします。とりわけ、修道女コミュニティの中で育まれるレズビアンな関係性というのは、ナンスプロイテーション作品の中ではレズビアンをポルノ的に消費している側面が否めないのですが、同時に歴史の一片を描いているとも言えます。

今回紹介する映画は、そんな「修道女×レズビアン」の題材のものとしては決定的な一作となったのではないでしょうか。

それが『ベネデッタ』です。

「修道女×レズビアン」を描く作品としては『クローズド・ガーデン』(2017年)といった映画も過去にありましたが、この『ベネデッタ』の特徴は実話に基づいているということです。

『ベネデッタ』は「ベネデッタ・カルリーニ」という17世紀に実在した修道女を主人公とする歴史映画です。このベネデッタは幼い頃からキリストのビジョンを見続け、聖痕や奇蹟を起こし民衆から崇められたという逸話が残っており、さらに同性愛の罪で裁判にかけられたのでした。このベネデッタについて当時の記録をまとめた「Immodest Acts: The Life of a Lesbian Nun in Renaissance Italy」という本があり、これは近代西洋史レズビアニズムの手がかりを知るうえでの貴重な資料となっています。

本作はその本を基に映画化しているのですが、監督はあの“ポール・ヴァーホーヴェン”(ポール・バーホーベン)。『氷の微笑』『ショーガール』『ブラックブック』など、女性を題材にした映画も数多く生み出してきましたが、いずれも一癖も二癖もある作家性を全開にする人物です。前作の『エル ELLE』も相当に尖った一作で、観客も批評家も「これはなんなんだ」と騒然とさせていました。

その“ポール・ヴァーホーヴェン”がただでさえもともと論争的な主題であるベネデッタ・カルリーニを取り上げるのですから「どんな映画になっちゃうんだ!?」と思っていましたけど、蓋を開けてみると表面的にはナンスプロイテーションの皮を被りつつ、芯の部分はしっかり“ポール・ヴァーホーヴェン”節が暴れまくっていました。

あらかじめ言っておくと、本作を観てレズビアン当事者がエンパワーメントをもらえる!みたいなそんな単純な反応にはならないと思います。そもそもこのベネデッタという人物が一筋縄ではいかない存在で、レズビアンだけでは語り切れないほどに論点ありすぎる女性ですから(なお、このベネデッタが実際にレズビアンだったかどうかは定かではないです。あくまで歴史分析としてレズビアニズムで論じられる人物ということです)。

でも映画自体はベネデッタというこの実在の人物の主体性を堂々と描き抜き、消費的な欲望で手を伸ばす輩をぶったぎるだけのパワーは感じられるんじゃないかな、と。

まあ、このあたりは観客しだいですけどね。“ポール・ヴァーホーヴェン”監督作ならいつものこと、本作も観た人で反応はさまざまですから。もちろん反LGBTQなキリスト教団体からは猛然と苦情が殺到したみたいですけど。

なお、監督の作風を知っている人なら予想がつくとおり、本作にも暴力的な描写が多く、性暴力、拷問、自死などのシーンが散発的に観られるので、その点はご留意ください。

それにしても2021年の映画を2023年に公開するのはちょっと遅いな…。

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『ベネデッタ』を観る前のQ&A

✔『ベネデッタ』の見どころ
★監督らしい癖のある人物の描き方。
✔『ベネデッタ』の欠点
☆暴力描写が目立つ。
☆裸体の描写が多い。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:個性的な映画を観るなら
友人 3.5:感想を自由に語り合って
恋人 3.5:同性ロマンスはあるにはあるが
キッズ 2.5:性描写&残酷描写が多め
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ベネデッタ』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):

17世紀のイタリア。馬車から降りた女の子、ベネデッタが外で祈りを捧げていると、乱暴な男たちに囲まれます。金品を奪う男たちに「聖母様が見ています。バチがあたりますよ」と毅然と警告するベネデッタ。すると男のひとりの顔に鳥の糞が命中。男たちは笑い、金品を返して立ち去っていきます。

両親に連れられて修道院に到着。今日からここで暮らすことになります。

部屋でドレスを脱がされ、質素な服に。お気に入りの聖母の人形は引き出しにしまわれます。先輩の修道女は欠けた指を見せて律するも、ベネデッタも動じません。

用意されたベッドで眠りますが、寝付けず、聖母像の前で祈りを捧げているとその像が倒れて身体に圧し掛かってきます。しかし、ベネデッタはその聖母の胸に吸いつくのでした。

他の人が駆け付け、怪我が無かったのは奇蹟ではざわつく中、修道院長のフェリシータは奇蹟は安易に信じてはいけないと静かに語ります。

18年後。ベネデッタは劇で聖母マリアを迫真の演技で演じていました。横になり、イエス役の人を見上げた時、平地でイエスに呼ばれているビジョンを見ます。

巷ではペストが流行っており、司教も亡くなっていました。そんな不穏な時代、ある日、突然逃げ込んでくるみすぼらしい格好の女性がひとり。男に引っ張られ強引に連れ戻されそうになりますが、ベネデッタは助けてあげてと懇願。

こうしてこの女性はここで過ごすことに。ベネデッタは女性の身体に水をかけ、面倒を見ます。名前はバルトロメアというそうです。カーテン越しのバルトロメアの裸が見え、彼女がよろめいたときに、思わず手が胸にあたりそうになります。

一緒にトイレに並ぶも、下品さを気にしないバルトロメア。バルトロメアの体は傷だらけで、父が虐待的だそうです。「私は美しいと思う?」と問われ、「美しいわ」と答えるベネデッタ。

2人は見つめ合うも、修道女クリスティーナが近づいてきたのでその場を去ります。別れ際、バルトロメアはベネデッタに口づけして去っていきました。

ベネデッタは部屋に戻るなり、すぐに祈ります。神の御導きがありますように…。

それ以降、ベネデッタはバルトロメアを意識するようになり、厳しく接します。ある日はバルトロメアに熱湯から落とした巻糸を取り出せと命じ、バルトロメアはムキになってやってみせて大やけどを負います。

修道院長に叱られるベネデッタ。「彼女について何か気になることでも?」「いいえ」「憎いの?」「いいえ」「他の想いが?」「…憎しみではありません」

朝、喚いて暴れまわるベネデッタの声で騒然となり、医者に見せるも原因不明。縛りつけられたままベネデッタは過ごすことになります。そこにバルトロメアが来て、そっと口づけして去っていき…。

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簡単に理解されない人物像

『ベネデッタ』を観ていてまず気になるのは「これはどこまでが史実なのか」ということ。

当然、原作もあくまで審問会などの記録をまとめたものにすぎないので、そこに書かれていることが事実とは限りません。なのでこの映画も不確かな歴史的資料をさらに希釈・拡大したような内容と考えるべきでしょう。

ただ、原作に記述されている一応の資料どおりの描写になっているシーンは多々あります。例を挙げるなら、ベネデッタが頻繁に見るビジョン。男たちに襲われるビジョンもそうですし、あれらはベネデッタが実際に経験したと記録されている内容だそうです。本当はもっと他にも多種多様なビジョンがあったらしいですが、さすがにそれを全部映像化していると本作の上映時間が3時間を超えるので無理ですね。

ちなみに冒頭のあの野蛮そうな男たちに囲まれるシーンも、妙に男たちが物分かりよくて、どこか違和感のあるリアリティの場面になっており、あそこもビジョンなのかもと解釈できる手触りになっていました。

また、聖母像が倒れてきたというのも出来事としてあったそうで、ベネデッタは奇蹟や聖痕のエピソードには事欠きません。

逆に映画独自の創作になっているのは、あの木製の聖母マリア像。ディルドとして使用されるというインパクトあるシーンばかり印象に残りがちですが、映画内では童心を暗示するなどのキーアイテムとして巧みに活用されており、かなり映画的な小道具になっていました。

ただ、私が鑑賞していて一番の本作独自のアレンジだろうなと思ったのは、ベネデッタのキャラクター性です。史実ではやはり修道女なのでベネデッタにできることには限界があったはずですが、本作ではベネデッタが相当な強キャラ化しており、何よりも複雑性をそのままに、超越的に見えて、でも人間臭い…絶妙なバランスで描き切っているな、と。

この描き方が実に“ポール・ヴァーホーヴェン”監督らしいです。

“ポール・ヴァーホーヴェン”監督って『エル ELLE』でもそうでしたけど、観客が期待する「わかりやすい人物像」をあえて避けたがる傾向にあって、典型的に解釈しづらいですよね。

このベネデッタも本当に真意が読めません。決して救世主として安易に崇めるような描き方もしないですし、無邪気にリーダーシップを発揮するフェミニストやレズビアン・アイコンとして消費することも許さない。

私を理解できるのは私だけ!と高らかに言い切るような存在感が今作にもありました。

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性愛、信仰、権力…全てを手中に収めたい花嫁

本作のベネデッタをもう少し細かく見ていくと、見ようによっては、イエスでエロティックな妄想をしていた女性が、新しいそれも現実的な性愛を自覚するに至る物語だとも受け取れます。

あのビジョンも滑稽に見えるほど大袈裟に描かれており、イエスの映画化であれば『キング・オブ・キングス』(1927年)など昔からありましたが、それらのパロディにすら思えるレベルです。あれはベネデッタの妄想、それもエロい妄想にすぎないのだと…。まあ、修道女みたいな極端に抑圧的な環境しか知らない女性なら、イエスをアイドル化して性的に空想に浸るのも無理ないです。

そんなふうに妄想にふけっていると、リアルでセクシーな女が現れて、自分に色仕掛けをしてくる。どうしてもそっちに目がいってしまうベネデッタは、「いや待て、私にはセクシー・イエス様がいるけど!」と自分を律するも、しだいに「イエスよりもこの実際に触って一緒に乱れる女の方がいい!」と傾き出す。

いや、それだけでなく、このベネデッタは欲しいものは全部手に入れようとどんどん行動が大胆になっていきます。性愛、信仰、権力…全てを手中に収めたい。これほど豪傑な生きざまを貫く女性がこの男社会の世界にいただろうか、と…。

その転換点があの木製の聖母マリア像で、それをバルトロメアが引き出しから外に出して飾ったことで、ベネデッタは封印していた童心的な欲望が沸き上がります。

一方でバルトロメアは当初の粗雑な性格そうに見える雰囲気とは裏腹に意外に誠実で、倫理観を持っています。きっとバルトロメアは愛だけ欲しかった人なのでしょう。だからこそ聖痕を偽造した疑いが強まるベネデッタに対して一線は越えたことで、最後は「地獄に落ちろ」と絶縁を突きつける。

本作は、“あなただけを食べたかった女”と“もっといっぱい全部を食べたかった女”の、切なく虚しいすれ違いのラブストーリーなのかな。

本作のラストは、ベネデッタとバルトロメアが裸で町の外にある放棄された厩舎脇で目覚め、そのまま全裸で自分の想いをぶつけて決裂し、ベネデッタが修道院へ戻っていくシーンで終わります。これは聖母マリアやアダムとイブのエピソードをなぞっていると思われ、なぞりつつもそこに当てはまりようもない新しい女性像の誕生を示唆するようでもある。

“ポール・ヴァーホーヴェン”監督は当初はイエスの映画を作ろうとし、その後にジャンヌ・ダルクの映画を作ることも試みたそうで、『ベネデッタ』はその集合体です。“ポール・ヴァーホーヴェン”監督独自の新しい章が書きあげられたとも言えるのか…。とにかくこれほど突っ切った物語はやはり現状も“ポール・ヴァーホーヴェン”監督くらいしか作れないんじゃないかと思います。

追加で余談を少し。「修道女×レズビアン」の歴史映画の代表作となった『ベネデッタ』ですが、もちろんレズビアンで修道女な人は今もいます。「Jeanne Cordova」なんて著名な元修道女のレズビアン・アクティビストもいて(この人は2016年に亡くなってしまったけど)、「Lesbian Nuns: Breaking Silence」は画期的な書籍として評判です。

もう「修道女×レズビアン」はエクスプロイテーションの枠から飛び越えて存在しているということは最後に明記しておきたかったので、これにてこの映画の感想は閉幕です。

『ベネデッタ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 90%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

作品ポスター・画像 (C)2020 SBS PRODUCTIONS – PATHE FILMS – FRANCE 2 CINEMA – FRANCE 3 CINEMA

以上、『ベネデッタ』の感想でした。

Benedetta (2021) [Japanese Review] 『ベネデッタ』考察・評価レビュー