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『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』感想(ネタバレ)…自由な不自由の世界へ

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

Amazonオリジナルの隠れた傑作…映画『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Sound of Metal
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2020年にAmazonビデオで配信
監督:ダリウス・マーダー
恋愛描写

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

さうんどおぶめたる きこえるということ
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

『サウンド・オブ・メタル』あらすじ

ドラマーのルーベンは恋人と一緒にバンド活動で各地を転々とする生活に充実感を感じていた。しかし、ある日、聴力を失い始める。医師にもさらに悪化すると言われ、絶望するしかないルーベン。やむを得ず恋人との日常を捨てて、ろう者のコミュニティに参加し、そこで共同生活を歩む道に進む。当初は苛立ちを隠せないルーベンだったが、その音のない世界に馴染み始め…。

『サウンド・オブ・メタル』感想(ネタバレなし)

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デフ・コミュニティを描く

何らかの理由で耳が聞こえない状態にある人、いわゆる聴覚障害者。しかし、この表現は「障害」の文字を含んでいるために避けたがる当事者もいて、日本語では「ろう者」という言葉が使われます。日本では「全日本ろうあ連盟」という組織もあるくらいであり、当事者ではこちらの呼称の方が好まれているようです。

それだけでなく「ろう者」にはその人たちの文化コミュニティがあり、歴史があります。それは人種やLGBTQなどに固有のカルチャーがあるのと同じこと。社会の片隅に追いやられるマイノリティとして、互いに寄り添い合って助け合ってきた証です。

英語では「ろう者」は「Deaf(デフ)」と呼び、こちらも文化やコミュニティと密接に関与した、切っても切り離せない言葉です。

しかし、そのデフ・コミュニティの実態はなかなかマジョリティ側には見えてきません。世俗とは少し離れた位置にあるものであるせいか、それともマジョリティゆえに無意識に気にもかけていないせいか、とにかくそのコミュニティがどんなものなのかを知っている人は少ないでしょう。

映画でも「ろう者」を描く作品はいくつもありました。例えば、京都アニメーションの『聲の形』は繊細なアニメ表現と声優の名演でその葛藤を巧みに活写していましたし、『ワンダーストラック』では映画的な表現技法と歴史を混ぜ合わせるという独自のアプローチをとっていました。

けれどもそれらの作品でもコミュニティを描くまでは到達していません。『ザ・トライブ』はコミュニティを描いていたと言えなくもないですが、ややグロテスクな描き方だったので素朴なリアリティという感じでもなかったです。

そんな中、今回紹介する映画はデフ・コミュニティにかなりリアルに向き合った作品となっており、その世界を覗かせてくれる入り口になります。それが本作『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』です。

なかなか聞いたことがないタイトルかもしれませんが、実は2020年の賞レースの有力作品となっています。とくに主役を演じている“リズ・アーメッド”はアカデミー主演男優賞も狙える高評価を獲得しており、『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンと競い合っているかたちに。“リズ・アーメッド”はパキスタン系イギリス人で、『ナイトクローラー』など小粒の作品に初期は出つつ、最近は『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』『ヴェノム』といった大作にも出演しており、多岐にわたる活躍が目立ちます。ここで賞に輝いてさらなる飛躍をしてほしいところです。

『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』の映画自体も絶賛されており、文句なしの傑作として2020年の代表作になっています。

この映画を生みだす原案となったのは『ブルーバレンタイン』でおなじみの“デレク・シアンフランス”。監督はその“デレク・シアンフランス”監督作『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』で一緒に脚本を手がけた“ダリウス・マーダー”で、今回が長編映画デビューとのこと。なかなかにとんでもない大成功をおさめたのではないでしょうか。“デレク・シアンフランス”監督作が好きな人はこの『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』の雰囲気も気にいると思います。

本作は2019年にはトロント国際映画祭でプレミア上映されていたのですが、Amazonが配給を手がけることになり、Amazon Prime Videoでオリジナル映画として配信されたのは2020年。日本でもすでに観れるのですが、相変わらずAmazonは宣伝を全然しないので、映画ファンの間でも認知度は低めです。

“リズ・アーメッド”以外の俳優陣は、『レディ・プレイヤー1』で大衆にも知られることになった“オリヴィア・クック”。若手ですが、『ぼくとアールと彼女のさよなら』(2015年)、『切り裂き魔ゴーレム』(2016年)、『サラブレッド』(2017年)など、器用に多才な演技力を見せているなかなかの逸材です。『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』では出番は少ないのですが、主人公の恋人役で、熱唱も披露しているので注目してください。

他にもドラマ『ウォーキング・デッド』に登場した“ローレン・リドロフ”もちょっとだけ出演。

そして何よりもここが大事ですが、デフ・コミュニティを描くにあたって多数の「ろう者」当事者が出演しています。これによって本当にドキュメンタリーを観ているかのような映像になっています。

映画ファンであればぜひとも見逃さないでほしい2020年の隠れた名作です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(見逃せない2020年の傑作)
友人 ◎(映画好き同士でオススメしよう)
恋人 ◎(ラブストーリーとしても切ない)
キッズ ◯(大人向けのドラマだけど)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『サウンド・オブ・メタル』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):音と恋人を失った男

小さなライブ会場。ドラマーのルーベン・ストーンがステージに立っています。恋人のルーが激しく歌い上げる中、ルーベンはその歌唱を煽り立てるようにドラムをパワフルに叩いていきます。いつもの音楽パフォーマンスです。

朝、目覚めるルーベン。ルーをピックでつついて起こします。ミキサーで作ったスムージーを呑み、2人は外の空気を吸いに出ます。ここは駐車場にポツンと停車したトレーラーハウス。

もう4年ほど2人はこんな根無し草で暮らしてきました。車を走らせ、次のパフォーマンスの場に向かい、音楽を披露し、また移動する。落ち着きがない生活に見えますが、2人は満足です。裕福ではない環境でしたが、互いと一緒にいることが何よりの幸せでした。

2人で音楽に合わせて踊ります。いいムードです。車を走らせて、とりとめのない会話をするときも歌を口ずさみます。音楽が2人を繋げる鎖です。

ある会場にて普段どおりグッズを並べるルーベンとルー。するとルーベンは急に耳鳴りがして音が聞こえなくなります。それはすぐに治った感じでしたが、妙な違和感です。

また朝、同じように目覚めると、こもった音がします。耳をいじり、声を出すのですが、振動で伝わる鈍い音しか聞こえてきません。咳き込んでみても、シャワーを流しても、いつものミキサーも…音がないのです。呆然とするしかないルーベン。

慌てて薬局に駆け込みますが、店員の声も全然聞こえません。とりあえず今すぐ病院で診てもらえることに。聴力検査の結果、右耳は28%、左耳は24%の音しか認識できておらず、単語をほとんど聞き取れない状況でした。

「治療は?」と医者に聞くと「大音量にさらされる環境を取り除くことです」と淡々と答えてきます。ルーベンが聞きたかったのは根本的に治す方法です。それでも医者はこう宣告します。

「内耳インプラントはありますが、高額ですし、保険も適用されません」「さらに今度悪化するでしょう」「失った聴力は二度と戻ってきません」「やるべきは今の聴力を維持することです」

この衝撃的な診断を誰にも告げず、その日のバンドでドラムを叩くルーベン。しかし、ここでも聞こえなくなり、耐えきれずに外へ。ルーが「どうしたの?」と駆け付けるが聞こえないのでどうしようもなく、耳が聞こえないことを吐露しました。

筆談で会話する2人。ルーベンは頑なに現状維持を望み、「とりあえずやってみよう」と繰り返すばかり。しかし、ルーの方が深刻さを理解しており、耳を心配し、演奏は無理だと告げます。その反応に荒れ気味のルー。ルーに急かされて知り合いに連絡をとると「ろう者」の支援グループを提案されました。しぶしぶ向かうべく車を走らせます。

そこは人里離れた場所にあり、到着するとひとりの男、名前はジョー…が出迎えてくれます。ルーに聴導犬を抱かせてルーベンを連れていくジョー。

ジョーは唇を読んでいるらしく、彼の声は読み取られてモニターに文字が表示されています。ルーベンは聞かれます。「ドラッグをやったのか」と。「ヘロイン」と過去にクスリに手を出したことを答えるルーベン。「聴力を失ってからまたやろうと思ったか?」と聞かれ、「考えがまとまらない」と状況を咀嚼できずに困惑します。

「私はアルコール依存症だ。ベトナム戦争で失聴した。妻も子どもも失った。耳ではなく酒のせいだ」と自分の境遇を語るジョーは、「いつからやっていない?」と質問し、「4年前」とルーベンは答えます。

「ここは聴覚障碍者のコミュニティだ。解決する問題は頭であり、耳ではない」

そう語るジョーは、ここでのルールを説明します。外との接触も禁止で、もちろんトレーラーでの暮らしはダメで、ルーとも離れないといけないとのこと。

さすがにそれは論外だとして「終わりだ」と切り上げて帰るルーベン。キューを出してくれればライブもできるし、問題は治療のカネだけだ…そう考えていました。

しかし、ルーは父の家に戻ると決め、ルーベンにあのコミュニティで過ごすように訴えます。「頼むから俺を待っていてくれ」…そうルーベンは立ち去るルーに弱々しく言葉をかけ、ついに独りになってしまいました。

愛する者と音楽が消えた世界で…。

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音を失って音楽と出会う

『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』を鑑賞して誰しもがハッと気づく本作の凄さは音の演出です。

観客の大多数は聴覚に障害などは持っていないと思いますが、本作はそんなマジョリティの人に「音を失う」とはこういうことだという疑似体験をさせてきます。

いきなり音がくぐもったり、プツンと切れたり、キーンと耳障りなノイズが鳴る。本作をパソコンやタブレットなどでイヤホンやヘッドホンを使って鑑賞していた人もいると思うのですけど、一瞬、「あれ、機器が故障したのか?」と勘違いするような演出です。これ、劇場で公開していたとしてもシアターの音響トラブルに思われかねないですね。

あのルーベンがパニックになるのもわかります。日常の音に自分はこんなにも囲まれていたのかということ、そしてそれを失ってしまったときの言葉にしようがない恐怖。

その恐怖体験の前半部を過ぎると今度はジョーの運営する「ろう者」コミュニティでの生活です。

ここでも当然のように音のない世界。しかし、自分を可哀想な人に向ける目で見つめる人は周囲にひとりもおらず、なんだったらやけに陽気で楽しく会話をしている人たちばかり。もちろんそれは手話です。

最初、ルーベンは手話もできないので、ある種の「耳が聴こえる人」でも「ろう者」にもなれていない、狭間の存在として浮いてしまっています。明らかに馴染めていません。「くだらない」と言って暴れるしかできない人間です。

でもここでいいなと思うシーンが転換点になるのですが、ルーベンは滑り台をおもむろに手で叩くことで、その振動で「ろう者」の子どもに音楽を伝えることができると発見します。つまり「ろう者」になってまた「音楽との出会い」を経験できたのです。これは予想だにしていない出来事。音が聞こえなくなって巡り合える音楽があるなんて…。

「叩く」という動作が聴力を失ってからは怒りの発露として破壊衝動になってしまい、机とかドアとか叩きまくっていたのが、それが音楽としての「叩く」に舞い戻っていく。この演出ひとつで心の変化を描くセンスはお見事。

そうしてルーベンはこのデフ・コミュニティの空間で活力を取り戻していきます。

このわざとらしくない自然な描写を実現できたのも、ジョーを演じた“ポール・レイシー”の賜物なのかなと思います。彼自身は「ろう者」ではないのですが、聴覚障害を持つ両親に育てられたことで、手話に堪能で「ろう者」の世界を知り尽くしています。「Deaf West Theatre」という劇団やバンドでも活動しており、手話を駆使した「ろう者」に楽しめるエンターテインメントを提供している代表的な人物です。

“ポール・レイシー”の精神というのが作中のあのデフ・コミュニティの表現にもたっぷりと出ていて、特殊な描き方でも何でもなく自然体の姿を垣間見ることができます。

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治すものではない

ルーベンはジョーのデフ・コミュニティにすっかり溶け込んでいく中、それでもルーベンは治療を諦めきれずに手を出してしまいます。

ここでまたデフ・コミュニティ特有の葛藤に直面します。「耳が聞こえない」ということは治さなければいけないものなのか、と。

ルーベンは人工内耳に希望を抱いており、自分でわざわざ医者にコンタクトをとって、大切なバンまで売り払って費用を工面し、手術に臨みます。ところがやっとの思いで手に入れた内耳を取り付けると、聞こえてきた音は…あれ? 思っていたのと違う…。あのショックを受けた顔。ルーベンは音を失うという失望を人工内耳によって2度も経験したことになります。

マジョリティには経験できるはずもない感覚ですが、こういう人工内耳をめぐる複雑な立場はデフ・コミュニティ内にあるようです。全日本ろうあ連盟でも公式サイトにてそのことを丹念に説明しています。

人工内耳を装用しても、きこえる人と全く同じ「きこえ」にはならないということである。いわゆる、軽・中度難聴児と同じであるということである。

従来、聴覚に障害のある人たちに対する教育は、きこえる社会の中で生きていくために、「きこえて、話せる」ことが追及されてきた。しかし、長年にわたる聴覚障害当事者団体の社会的な運動、また国連の障害者権利条約批准とこれにともなう国内法の整備等が行われたことをきっかけに、きこえない・きこえにくいことをありのままに受け止め、音声言語にアクセスできる環境整備とともに、聴覚に障害のある人たちの言語である手話を認め、きこえない・きこえにくい人たちに寄り添うようになりつつある。

作中でジョーも言います。「ここにいるみんなは“耳が聞こえない”ことを障害ではないと思っている。治すものではないと」

人工内耳を取り付けたルーベンはマジョリティの空間に戻りますが、とりあえず一緒にいてくれる人はいれど完全に孤立します。人工内耳を持ったことで逆にまた孤独になってしまう。

ラスト、人工内耳をふと外で外すことで少し和らいだ顔をするルーベン。少なくとも今の彼にふさわしい世界はどこなのか。しっかりマジョリティにもわかるように提示するエンディングでした。

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聴力も愛も永遠に一緒ではないからこそ

また、『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』は『ブルーバレンタイン』と同じような“別れるしかない男女の物語”でもあります。

ただそれは安易に悲劇と論ずることもできない。それぞれの幸せを考えた結果の最良の道…という感じです。

表では描かれないルーは、冒頭にリストカット痕が手首に生々しく残っていることからわかるように、彼女も彼女なりに過酷な人生を経験してきました。裕福な家庭だったようですが、親の別居、喪失、そんな辛い経験の中で、ルーベンに救われます。確かの当時のルーにとってはルーベンは必要な存在でした。当時は…。

でも男女(別にジェンダーは関係ないので同性でも何でもいいのですが)がずっと寄り添い合っている必要もないのではないか、と。それは不幸ではなく、ひとつの選択なのではないか。

それこそ人は聴力というパートナーと別れることもあるのと同じ。永遠に一緒にいるとは限らない。それを不幸せと嘆くのではなく、ポジティブに捉えることができれば…。

そんな達観したパートナーシップ論がそのままデフ・コミュニティの精神と重なり合うという、非常に上手く練られたストーリー構成だったと思います。

失うことの恐れを和らげてくれる、優しい映画でした。

『サウンド・オブ・メタル』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 89%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Caviar, Ward Four, Amazon Studios サウンドオブメタル

以上、『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』の感想でした。

Sound of Metal (2019) [Japanese Review] 『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』考察・評価レビュー