メル・ギブソン出演のバイオレンス・スリラー…映画『ブルータル・ジャスティス』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:カナダ・イギリス・アメリカ(2018年)
日本公開日:2020年8月28日
監督:S・クレイグ・ザラー
ブルータル・ジャスティス
ぶるーたるじゃすてぃす
『ブルータル・ジャスティス』あらすじ
ベテラン刑事のブレットと相棒のトニーは、なりふり構わない強引な逮捕が原因で6週間の無給の停職処分を受けてしまう。どうしても大金を必要としていたブレットは、極悪な犯罪者たちを監視し、彼らが取引した金を強奪するという計画を練る。ブレットはトニーを誘って計画を実行に移し、ボーゲルマンという男に狙いをつける。それは想像を超える惨劇の幕開けだった…。
『ブルータル・ジャスティス』感想(ネタバレなし)
マニアが唸る“S・クレイグ・ザラー”監督
「警察」の歴史はいつ始まったのでしょうか。
昔は軍隊が治安維持にあたっていました。警察はいません。その中で人類史上最初の中央組織化された警察と呼べるものは、1667年にフランスで創設され、当時においてヨーロッパ最大の都市であったパリを警備していたそうです。
そうやって警察という存在が身近になったことで民衆は安心を獲得できたのか。残念ながらそういうわけにはいかなかったようです。今日に至るまで“警察による暴力”が市民を脅かす事態が多発し続けています。アメリカから世界に拡大するBLM(Black Lives Matter)もそれが原因にありますし、警察誕生の地であるフランスでも過剰な暴力を働く警察への怒りで抗議デモが増大しています。香港、インド、それ以外の国々でも…。警察の暴力に関するニュースは後を絶ちません。「police brutality」とネットで検索すればいくらでも見つかるでしょう。
アムネスティ・インターナショナルなどの人権団体がそうした警察の暴力を監視していますが、改善の気配はありません。
こうした世相を反映して映画やドラマなどの映像作品でも、警察による暴力を描いたものは無数にあります。最近においても、ラ・ジリ監督の『レ・ミゼラブル』はまさにそうでしたし、ドラマ『ウォッチメン』は警察風刺が巧妙に仕込まれた物語でした。どちらも高評価です。
今回紹介する映画も警察の暴力をゴリゴリに直視させる強烈な作品です。それが本作『ブルータル・ジャスティス』。
まずなによりも本作の監督を説明しないわけにはいきません。監督の名前は“S・クレイグ・ザラー”。この人、確かに一般の認知度は低いですが、コアな映画ファンには無視できない存在です。“S・クレイグ・ザラー”監督の作品はそのインパクトの絶大さから目の肥えた好事家たちの間でカルト的な支持を集めています。
2015年の長編監督デビュー『トマホーク ガンマンvs食人族』から凄かったです。邦題はなんだかB級映画みたいなタイトルですけど、中身は予想外にしっかりしており、ふざけぎみなジャンル映画を極めて真面目にブラッシュアップする姿勢が人気の理由かな、と。2017年の『デンジャラス・プリズン 牢獄の処刑人』も素晴らしい出来栄えで、マニアのみならず批評家の間でも大好評な、低予算スリラー監督の名手として定着しています。
“S・クレイグ・ザラー”監督作品の持ち味のひとつに情け容赦のない人体破壊描写というのがあり、毎回毎回凄惨なグロテスク映像が要所要所で目に飛び込んできます。かといってグロありきのチープさではないのがまた良いところですけどね。なお、本作はゴールデンラズベリー賞にてその年に新設された「人命と公共財を軽視する無謀さに対する最低賞」にノミネートされました。といってもこれは皮肉を込めたものですし、決して本作が駄作だとか言っているわけではないですよ。
今作『ブルータル・ジャスティス』もその人体破壊描写はもちろん用意されつつ、ジャンルとしては倫理を無視してでも悪を打とうとする警察を描く「ビジランテ」ものになっています。しかし、そこまで単純なビジランテ…というわけでもないあたりが“S・クレイグ・ザラー”監督の上手さです。本作は過去作品と比べて現代社会風刺の色合いが強く、“S・クレイグ・ザラー”監督のさらなる挑戦が窺えます。
そのヤバい警官を演じるのが“メル・ギブソン”と“ヴィンス・ヴォーン”。この2人と言えば最近だとこれまた凄まじい人体破壊描写がある『ハクソー・リッジ』で監督と出演俳優の関係にあり、いつもの旧知ですね。なんかこのペア、しっくりきます。
日本の宣伝ではこの2人が主演であるかのようにアピールされ、ポスターでもデカデカと映っていますが、実際の中身では群像劇になっています。
他には『ソウルガールズ』やドラマ『TRUE DETECTIVE』で活躍する“トリー・キトルズ”、ドラマ『ARROW/アロー』の“マイケル・ジェイ・ホワイト”、ドラマ『リミットレス』の“ジェニファー・カーペンター”、『異端の鳥』の“ウド・キア”など。
『タクシー運転手 約束は海を越えて』で絵に描いたような善人を象徴するジャーナリストを演じていた“トーマス・クレッチマン”が今作では吐き気を催す邪悪なキャラクターを怪演しているのも要注目です。
『ブルータル・ジャスティス』はちょっと見づらい理由として人体破壊描写という人を選ぶ映像があるほかに、映画時間が約160分もあるということが挙げられます。配給のライオンズゲートからも短くできないかと言われたらしいですが…。確かにねっとり物語が進むのでメリハリあるテンポ感はないですが、膠着した人間模様にヒリヒリするスリルは存分に味わえます。
本作で“S・クレイグ・ザラー”監督ワールドを初体験するのもよいでしょう。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(監督作の初めてもこれで) |
友人 | ◯(バイオレンスOKな人に) |
恋人 | △(かなり人を選びます) |
キッズ | ✖(残酷描写がたっぷり) |
『ブルータル・ジャスティス』感想(ネタバレあり)
適切な報酬を得るために
ヘンリー・ジョンズは仮釈放となり、久々に外の世界に帰ってきました。抑圧された管理社会とはおさらばで、もう自由に欲望を発散できます。しかし、そう呑気でもいられません。
ヘンリーが実家に帰ってくると、「イーサン?」と部屋から呼ぶ声が聞こえます。ドアを閉めた部屋では母が客の男と寝ていまいした。バットで男を脅すヘンリー。どうやら母は店員の仕事はクビになり、最近になってこの売春を始めたらしいです。
その家の他の部屋には弟のイーサンがいます。久しぶりに再会を分かち合う2人。イーサンは車椅子が手放せない生活で、外には出づらい状態です。
この状況から家族と一緒に抜け出さなくては…。それに必要なものは明白。カネです。
3週間後。ある場所でブレット・リッジマンとトニー・ルセッティという2人の刑事は張り込みをしていました。そして突入しようとします。狙いはバスケスという男の住処です。表からトニーがドアをたたき、それで陽動しつつ、ブレットは裏の外階段で待ち伏せ。まんまと出てきたターゲットの男を銃をつきつけ捕まえます。足で首をおさえ、その場で尋問。続いて部屋にいた女のもとへ行き、下着1枚の女に「バックは?」と聞きだします。相手が悪人とあれば全く容赦をしません。
しかし、そのツケはすぐに払わされることに。ある日、上司に呼び出された2人。どうやらあのときの暴力的な取り締まりが周辺の人によって映像に撮られていたらしく、無給で6週間の停職を命じられます。しぶしぶ従う2人。
不満を我慢してブレットは帰宅。すると妻から娘のサラが道を歩いていただけで黒人の子たちにソーダをかけられたと教えられます。妻も元警官でしたが、今は多発性硬化症でサポートがないと動けません。妻はなんとかしないと娘はいずれレイプされるかもしれないと不安を煽ります。ブレットもわかってはいるのですが、引っ越ししたくてもカネが豊富に有り余っているわけはなく、手詰まり。
けれどもブレットは「考えがある」と告げます。しかしその具体的な案を話しはしません。
ブレットは唯一の仕事仲間であるトニーに持ちかけます。世の中のバカな悪人をせっせと取り締まっているのに横暴だからと停職され、でも娘は襲われているのは放置。それでいて安月給。警官は一番貧しい市民だとブレットは不満をぶちまけ、「適切な報酬を得る権利がある」と熱弁。
そして提案してきたのは“とある強盗”からカネを強奪する作戦。悪人からカネをとるのは悪くない…そういう理論です。ひとりでもやれるがお前はどうだと誘いますが、「マズくないか」とトニーは少し慎重になります。それでもトニーもまたカネが必要でした。
ところがブレットとトニーは知りませんでした。この目を付けた“とある強盗”がとんでもない奴らだということを。
その強盗のひとりは、コンビニに強盗する際、躊躇なく店員・客もろとも撃ち、気に入らないものを無造作に撃ちながらゆったり歩いて出ていきます。その姿からは人間らしい感情が全く見えません。
その強盗団は銀行強盗の計画を練っており、エアレスタイヤ付きのカスタマイズされた防弾バンを入手していました。そして運転手も。その運転手として雇われたひとりがヘンリーでした。
3者の思惑が交錯する中、ついに事件は起きます。カネを手にするのは誰なのか…。
意外に賢く戦う一同にスリル満点
『ブルータル・ジャスティス』は序盤はいかにもな「ビジランテ」風に見えます。
ブレットとトニーという「悪人滅ぶべし」を初志貫徹する男2人が、それでも自分たちの行為を世間が理解してくれないことに憤慨し、独自に悪を成敗することを考え始める。『デス・ウィッシュ』などでも見られる王道のスタイルです。
ブレットなんかは妻も娘もかなり哀れな現状にあり、そこでも同情を誘わせる構成要素が揃っています。仕方がないじゃないか、と。
一方で本作はそこから安直な「ビジランテ」のスタンダードにはいきません。先にも言ったように本作は群像劇で、別の主役がいるわけです。それがヘンリーであり、彼もまた家庭環境がどん詰まりであるゆえに、人種や職業は違えどブレットと似たり寄ったりな状況にあります。
ブレットとトニー、ヘンリーとビスケット。この2つのコンビは作中では明らかに対比で描かれています。印象的なのは2人で車に乗りながら会話するシーン。しかもちょっと長めに撮られていて、なんだか妙な空気感です。
どちらもその車中の会話を観ていると「こいつら、大丈夫なのだろうか」とちょっと心配になってくる部分があります。本作はシリアスなのに妙に薄っすらとユーモアを漂わせる感じがあるというか。ブレットもどこまで真面目に計画を立てているのか真意が読めないです。だからたぶん相方のトニーも半信半疑があるのだろうけど、でも旧友だから当然信頼はしている。かたやヘンリーとビスケットもこんなヤバい犯罪に関わっていいのかと内心では不安爆発しているけど、それをあえて口に出さずにあの車中でのヘンテコな空気での会話がボトボトと続く。
そんな「大丈夫?」という気持ちになってくる前半に対し、本作は後半に一気にスリルが増します。そしてこのコンビたちが意外にもちゃんとしていることを見せつけられます。
強盗犯のバンと対峙するブレットとトニーはスポッターと狙撃手の見事な連携を見せ、相手を用意周到に攻撃。車で突撃してバンを横転させた後にしっかりまた元の狙撃ポイントに戻るべく後退させるあたりがいいですよね。決してバカな突撃はしません。
ヘンリーとビスケットも予想以上の奮闘を見せます。ビスケットの鍵を飲み込む決死の覚悟(1回、吐き出しちゃうあたりのハラハラもすごくいい)、そしてブレットらと強盗団の膠着状態を近くでじっと観察して好機を窺うヘンリーのあの冷静な対応。
作品内にマヌケがいないことでの一瞬の隙も許されない緊張感。これが“S・クレイグ・ザラー”監督の真骨頂ですよ。
その主人公勢が対決することになる悪役と言えるボーゲルマンとその手下2人(ブラック・グローブとグレー・グローブという名前がついている)。こいつらの極悪非道っぷりがまた凄まじくて…。恐ろしいまでに純粋悪で、理解不能。もう政治的な動機とか、個人的背景とか、そういうものを考えさせる余地もない。なぜこいつらこそが野放しなのか、そこが怖い。真の恐怖。
私はあのエアレスタイヤを確認するためにわざわざ撃つあたりのシーンが好きですね。あれ、確認のために撃ったのか、テキトーに撃ってたまたま当たっただけなのか、全然わからないのが怖くていいんですよ。喋らないし…。喋らないと言えば銀行強盗でのテープでの指示出しも妙におかしいです。そんな会話を想定してわざわざ用意したの!?っていう…。録音セリフも凝ってるし…。
“S・クレイグ・ザラー”監督らしい造形で、この存在も本作のジャンル映画的面白さを底上げしてくれています。
ブルータル・ライオン
『ブルータル・ジャスティス』の登場人物たちはトランプ大統領を支持しそうだという指摘も世間ではチラホラありますが、私がその論点で注意しないといけないのは、ブレットら白人だけでなく、あのヘンリーら黒人たちもトランプ支持者であろうということだと思います。
トランプ支持者は白人だけではなく有色人種などマイノリティの中にも賛同を示す人はいます。「マジョリティvsマイノリティ」みたいな、そんな単純な構成ではありません。
ブレットは言うまでもないですが、あのヘンリーも困窮した生活苦と先の見えない展望からそういう力を追い求める側についてしまう弱さがあるでしょう。実際、あのボーゲルマンにそそのかされて利用されちゃっていたのですから。
つまり『ブルータル・ジャスティス』はトランプ支持者同士で争い合っている姿が描かれていることになります。ここが何よりも本作を捉えるうえで大事なことなんじゃないかな、と。
本作はもちろん自警主義を安易に肯定するものではないです。それよりは、純粋悪に振り回されるしかこの底辺から這い出る道を見いだせない、白人や黒人たちの四苦八苦が見えてくるものだと私は思います。
その風刺は最近だと『ラストデイズ・オブ・アメリカン・クライム』であったのですが、それなんかよりはよっぽどスマートに、『ブルータル・ジャスティス』は今のアメリカ、いや今の世界全体の“劣等感に沈む者たち”を的確に活写しているでしょう。
本作の原題は「Dragged Across Concrete」です。映画ファンからの人気も高い“ライムスター宇多丸”氏はラジオの本作の映画批評で「狼たちのはらわた」という邦題を提案していました(『狼よさらば』関連にちなんで)。
ただ、本作で頻繁にピックアップされる動物は「ライオン」です。ブレットが娘と語るドキュメンタリー、ヘンリーがイーサンとするゲーム、「Street Corner Felines」という冒頭から流れる劇中歌…。なお、「feline」は動物分類学において「ネコ科」を意味しますが、それだけでなく猫のような性質(ずる賢い、狡猾な、しなやか、爪を隠すとか)を示します。
本作の登場人物たちもライオンに例えることができるのかもしれません。けども、ライオンと言えども大自然の中で百獣の王として『ライオン・キング』風に生きる野生個体ではなく、しょせんはサーカスのライオンといった感じですけどね。要するに飼い主から鞭で叩かれて他の奴らを吠えたててこいと命令されているだけの…そんな見かけ倒しの猛獣です。
ちなみにあのケリー・サマーという女性も、子どもを家に奪われて、自分は仕事に出かける(狩りをする)という意味ではライオンのメスっぽさと重なりますね。
邦題も「ブルータル・ライオン」でよかったのでは…とも思ったり。
ラストにて同族という意味で“骨肉の争い”をして、その結果の勝者はヘンリーに。豪邸を手に入れて悠々自適に家族と暮らしています。でも彼はサーカスのライオンから自然界に戻れたのか。いや、きっとまた資本主義の鎖で繋がれて檻にいるだけじゃないか。そんな直視したくない不安を感じながら、やっぱりあの「ショットガン・サファリ」のゲームをする。このエンディングの何とも言えない味わいもいいですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 76% Audience 69%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 DAC FILM, LLC. All RIGHTS RESERVED ドラッグド・アクロス・コンクリート ブルータルジャスティス
以上、『ブルータル・ジャスティス』の感想でした。
Dragged Across Concrete (2018) [Japanese Review] 『ブルータル・ジャスティス』考察・評価レビュー