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映画『ミス・ダイナマイト(Call Her Savage)』感想(ネタバレ)…ゲイバーが初めて描かれたアメリカ映画

ミス・ダイナマイト
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荒らされたけど…映画『ミス・ダイナマイト』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Call Her Savage
製作国:アメリカ(1932年)
日本では劇場未公開
監督:ジョン・フランシス・ディロン
性暴力描写 人種差別描写 恋愛描写
ミス・ダイナマイト

みすだいなまいと
『ミス・ダイナマイト』のポスター

『ミス・ダイナマイト』物語 簡単紹介

テキサスで生まれ育った破天荒なナサは自分が普通の女性と違っていることに漠然と疑問を感じていたが、裕福な男性と結婚すれば、順風満帆な生活ができると信じていた。そして、理想的な相手に巡り合えたと思った矢先、現実を思い知らされる。周囲からは奇異の目で見られ続け、投げやりになってしまうが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ミス・ダイナマイト』の感想です。

『ミス・ダイナマイト』感想(ネタバレなし)

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アメリカ映画初のゲイバー?

クィア映画史を個別の映画を取り上げて紐解く特集として、さっそく今回紹介するのは、「プレコード(Pre-Code)」の時代の作品であり、かなりぶっ飛んだ一作でもあるこちら。

原題は「Call Her Savage」、邦題は『ミス・ダイナマイト』です。

本作は1932年の「Fox Film」(1935年に「20世紀フォックス」に合併でなる前身)のアメリカ映画。ヘイズ・コードは1930年に採択され、厳格に運用されだしたのが1934年なので、明白なクィアな表現が許される最後の時期の真っ只中でした。

ただ、この『ミス・ダイナマイト』、別にクィアな主人公を描いているわけではありません。じゃあ、何を理由にクィア映画としてピックアップしたのかと言うと、「アメリカ映画で初めてゲイバーを描いたシーンがある作品」として分析されているからです。

性的マイノリティの社交的な集まりの場は、1919年のドイツ映画『Anders als die Andern』でもチラっとでていましたが、アメリカ映画ではこの『ミス・ダイナマイト』がかなり明示的に描いてみせた一作となりました。

どんなふうに描かれているかは、後半の感想で…。

一方でこの『ミス・ダイナマイト』は、クィア映画というよりは、もっと別の面で語られることが多い作品で、具体的にはかなり人種差別的なプロットなんですね。だからなのか、2026年8月時点ではどこも配信サービスで扱われていないのですけど(ただ、2028年にはパブリックドメインになるはずなので視聴は簡単になるでしょう)。

『ミス・ダイナマイト』の物語はざっくり説明すると、ひとりの破天荒な若い女性が主人公で、なかなか社会に馴染めず、滅茶苦茶なことをしていく姿を描いています。どういう滅茶苦茶さなのかと言えば、まあ、乱暴です。人目もはばからず急に暴れて殴ったりします。あと、本作は当時としてはかなり性的なシーンもいくつか目立ちます。

原作は“ティファニー・セイヤー”による1931年の小説で、この作家自身もだいぶアナーキストだったらしいのです。私は原作を読んでいないし、そもそも“ティファニー・セイヤー”の作品をひとつも読んでいないのであれですが、いつもこんな作家性なのかな。

ともあれ、今回はクィア表象に焦点を当てて、感想として掘り起こしていきます。気になる人は、後半へどうぞ。

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『ミス・ダイナマイト』を観る前のQ&A

『ミス・ダイナマイト』の見どころ
★普通にワンシーンの舞台として描かれるゲイバー。
『ミス・ダイナマイト』の欠点
☆人種差別的なプロットのオチがある。

鑑賞の案内チェック

基本 性暴力のシーンがあります。また、子どもの死が描かれます。
キッズ 2.0
暴力的な描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ミス・ダイナマイト』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

貸馬車の列が進んでいると、先住民の一団が襲ってきて、馬に乗った白人たちは「インディアンだ!」と臨戦態勢に入ります。そして男も女も手の空いている者は銃を手にし、馬で駆ける先住民に向けて発砲していきます。

荷物は守れましたが、何人かの犠牲者がでてしまいました。悲しみの送別を済ませ、一団は気を取りなまします。

そんな中、女たらしの幌馬車隊のリーダーだったサイラスはその不甲斐なさを責められつつ、娘のルース、そしてそのルースと仲が良かったピートという子どもの傍に立ちます。同年代のピートは「ルースと結婚するよ」とまだ幼いながらも息巻いていました。

18年後、テキサス州にてルースとピートは結婚してここに居着いたままでした。ピートはルースを置いて家を出発します。ピートは成功をおさめていました。

一方、家で悲嘆にくれるルースは、ロナサという名のネイティブアメリカンの男性と親しく、彼には素直に心を打ち明けていました。ある日、彼は結婚のために旅立たないといけないと告げます。彼のことを愛しているルースはすがりつきますが…。

それから月日が経過し、ルースは女の子を産みました

その子…ナサ・スプリンガーは成長し、森の中を豪快に馬で走り回っていました。ガラガラヘビにも動じることなく、鞭で攻撃して追い払うほどです。そんなナサをムーングロウという男だけが受け入れ、どんな振る舞いでも付き合ってくれました。

「私はどうして普通の女の子のようになれないの?」とナサは自分への不満を隠しません。

感情が爆発するナサはムーングロウを鞭で叩いた後、自分のブラウスの切れ端で彼の傷の手当てをし、「治ったら教えて。そしたらまた鞭で叩いてあげるからね!」と笑いながら言い放ちます。

ナサの父のピートは裕福で、生活には困っていません。ピートはこんな破天荒な娘を放置もできず、シカゴの学校に送ることにします。そこならどうにかあの態度や性格も良くなるかもしれないと考えて…。

この『ミス・ダイナマイト』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/08/17に更新されています。

ここから『ミス・ダイナマイト』のネタバレありの感想本文です。

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先住民差別とジェンダーの倒錯

『ミス・ダイナマイト』の主人公であるナサは「ダイナマイト」の異名がつくほどに振る舞いが悪目立ちしまくっており、作中でも大衆の前で乱闘、下着姿で男の前に立つ…といった自由奔放という言葉で表すにはいささか傍若無人すぎます。人生が凄まじいジェットコースターのように乱高下するのですが、ナサの言動をみると納得感があります。

『屠殺者』(1922年)の女性主人公も大荒れで暴れまくっていたので、こういう暴れ系ヒロインはこの時代から確立されていたのかもしれませんが…。

『ミス・ダイナマイト』のナサ自身は、女性らしさという社会のジェンダー規範に合致せず、そこに苦しんでいる素振りをみせますし、劇中でも何人もの自分勝手な男たちに使い捨てられてもいるので、応援したくなる感情を刺激されないわけではありません。

ただ、映画を最後まで観ると、さすがに同意できないオチがつきます。

これはもう序盤であからさまに示唆されていましたが、ナサは母がネイティブアメリカンの男との間に不倫で産んだ子であり、「ナサがそれこそ野蛮(savage)なのは先住民の血のせいである」という理屈づけが提示されます。

これは言うまでもなく人種差別に基づく偏見です。ことさらネイティブアメリカンや黒人男性というのは“生物学的に”気性の荒い暴力性を秘めた本質がある…と当時はみなされてきました(もちろん現代の生物学ではそんなコンセンサスはありません)。

これは優生思想の考え方でもあります。この時代は優生思想は当たり前の標準的な常識でした。むしろ優生思想に反対する考えを持つほうが、社会的に異常であるとレッテルを貼られることさえありました。

例えば、1934年に『Tomorrow’s Children』という映画があり、これは優生学的に欠陥があるとみなされる家系の血筋を持つ女性主人公が不妊手術を受けなければならなくなり、それに抗う…という物語です。この優生思想に真っ向から歯向かう映画は当時に反感を買い、上映禁止になったりしました。

『ミス・ダイナマイト』も最終的には出自を知ったナサがネイティブアメリカンの血を受け継ぐムーングロウと良い感じで終わり、ついに居場所を見つけたかのような後味なので、ナサを肯定するニュアンスがあるとも言えます。これはこれで反”優生思想”映画なのかもしれません。

そもそもこの映画はナサ以外にも、作中で精神的に病んでしまう(その結果、妻のナサを性的暴行しようとするという描写になるけど)夫のラリー・クロスビーなど、優生学的に“問題がある”とみなされる人たちが意図的に登場しますから。そういう人たちを主役にしようという狙いのある物語なのかな。

でも、ひとつ興味深いのは、先ほどネイティブアメリカンや黒人男性が暴力的で攻撃的な“生物学的本質”を有すると認識されている…という話をしましたけど、その男性的とされる性質が女性のナサに発現していることですね。つまり、本作のナサはジェンダー倒錯的な人物像とも受け取れる描写にもなっており、そのあたりもクィアな表象として注目できるのかもしれません。その女性の中に男性の性質が…という描写は、性転換ジャンルの草分け映画であった『A Florida Enchantment』(1914年)を彷彿とさせます。

なお、主演の“クララ・ボウ”は精神的に苦しんでいた時期で、『ミス・ダイナマイト』も休養からの復帰作でしたが、ほどなくして引退してしまい、精神科病院に送られることになります。実際の女性の現実を思い知らされる話です。

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パンジー・クラブへようこそ

次に『ミス・ダイナマイト』における「アメリカ映画で初めてゲイバーを描いたシーン」の話。

それは後半に映し出されます。シングルマザーになり、貧困ゆえに売春で稼ごうとするも火事で赤ん坊を失うという悲劇の後、相続でまたも裕福になったナサはニューヨークに移り住みます。

そこでジェイ・ランドールという男が案内してくれるわけですが、ジェイはナサに特別な人たちの憩いの場を紹介してくれます。そこが例のところなわけです。

ナサたちが到着する前の様子から描かれ、そこではメイドの衣装を着た男性2人がおどけながら歌い踊っている姿があります。傍には男性同士や女性同士のペアがいて、同性カップルなのかなと推察できます。別にカットできそうなシーンなのに、わざわざ入れているあたり、作り手はこのシーンが入れたかったのでしょう。

この場所は性的マイノリティに特化したところではなく、アナーキストな人たちが集まっているようです。ゲイバーという言いかたよりも、当時の1920年代後半から1930年代半ばにかけてを指す「パンジー・クレイズ(Pansy Craze)」という言葉を意識して、「パンジー・パーラー」とか「パンジー・クラブ」と言ったほうが適切かもしれません。

当時のニューヨークではこういうボヘミアンな自由人が集まる場所があり、パンジーなパフォーマンスは人気でした。本作の描写も当時に間違いなく存在していたニューヨークらしい風景でしょう。原作者の“ティファニー・セイヤー”もニューヨーク・シティ在住だったので、こういうところに通っていたんじゃないかな。

まあ、ナサたちはそこで酔っ払いにからまれたことがきっかけで、大乱闘をやらかすのですけどね。現代だったらLGBTQメディアでニュースになっていそうだ…。

『ミス・ダイナマイト』はその表面的なインパクトのせいで極めて突拍子もないフィクションのように思えますけど、しっかり当時の現実社会に存在した人たちや空間、それも疎外されていたであろう人々の目線でそれを描いており、なんだかんだでリアルな映画なんじゃないでしょうか。

残念ながら本作は映画全体があらゆる点(異人種結婚、不倫、性暴力、性的倒錯など)でヘイズ・コードに反していたので、しばらくこんな映画は作れなくなってしまいます。

次にアメリカ映画でゲイバーが描写されるのは、1962年の『野望の系列』(原題は「Advise & Consent」)だそうで、だいぶ後です。

その時代の映画が、その時代にそこに確かにあった人たちの居場所を映せないのは悲しいですし、『ミス・ダイナマイト』を観ているとあらためて「映画は時代を映す」という役割があることを実感させてくれます。

『ミス・ダイナマイト』
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

以上、『ミス・ダイナマイト』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)20th Century Fox ミスダイナマイト コール・ハー・サベージ

Call Her Savage (1932) [Japanese Review] 『ミス・ダイナマイト』考察・評価レビュー
#アメリカ映画1932年 #ジョンフランシスディロン #クララボウ #先住民 #ネイティブアメリカン #クィア映画史