さあ、確認しよう…映画『屠殺者』(1922年)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(1922年)
日本では劇場未公開
監督:セシル・B・デミル
とさつしゃ

『屠殺者』物語 簡単紹介
『屠殺者』感想(ネタバレなし)
女性同士のキスを初めて描いた映画?
クィア映画史の初期に触れるとき、よく論点になることのひとつが「同性同士のキスが初めて描かれた映画は?」という疑問です。
ちなみに異性同士のキスが初めて描かれた一般公開の映画は、1896年の十数秒の短編『M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻』だと言われています。これは明白です。なにせタイトルのとおり、キスがメインの作品ですから。
同性同士のキスの場合、この質問に応えるのはやや難しいです。なぜなら19世紀後半にせよ20世紀初頭にせよ、西洋では同性愛は公ではタブーとされ、表立って描けませんでした。
一方でだからと言って同性同士のキスが映画に登場しなかったわけではないです。問題はそのキスは見逃すと一瞬で過ぎるようなシーンでの極めてさりげないものであったことと、「恋愛感情によるものなのか」がイマイチよくわからなかったことです。
それゆえに「これが同性同士のキスが初めて描かれた映画だ!」と断言できる作品はありません。
今回紹介する映画もその候補のひとつ…程度に思ってください。
それが本作『屠殺者』。英題は「Manslaughter」。
1922年のアメリカの無声映画なのですが、題名があまりに物騒です。でも邦題は「屠殺」になっていますが、別に家畜を殺したりはしないですし、本作はスラッシャーやホラーのジャンルでさえもありません。
英題の「manslaughter」というのは「過失によって死亡させてしまうこと」を意味します。『屠殺者』の物語は、自由奔放な女性が自分の運転する車で人を死なせてしまい、罪に問われていく…という内容です。
そのざっくりしたあらすじだけだと、クライム・サスペンスみたいにも思えますが、どちらかと言えばコメディ寄りではあると思います。
『屠殺者』を監督したのは、映画創成期の巨匠のひとりとして名を残している“セシル・B・デミル”。一般的に“セシル・B・デミル”監督と言えば、『地上最大のショウ』(1952年)や『十戒』(1956年)といったキャリア後期の大作と共に語られやすく、少なくともこの『屠殺者』を代表作に挙げる人はそうそういないです。まあ、確かに『屠殺者』から“セシル・B・デミル”監督に触れるのはあまり私もオススメはしない…。
でもこの記事はクィア映画史の初期を整理する一環でやっているので、今回のその目的の場合は“セシル・B・デミル”監督作だったら『屠殺者』から触れないといけないのです。
というのも『屠殺者』は「女性同士のキスを初めて描いた映画」のひとつとして挙げられることがあるからで…。
クィア映画史を起点すると「なんでそんな作品を紹介するの?」という意外なチョイスになっていくのは、これはこれで面白いのですけどね。
『屠殺者』は本当に女性同士のキスを初めて描いた映画なのか?…その真相は後半の感想にて…。
『屠殺者』はパブリックドメインになっているので、日本でもインターネット上にある本編を自由に観ることができます。
『屠殺者』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 無声映画なので低年齢の子どもにはわかりにくいです。 |
『屠殺者』本編動画
「Internet Archive」の映画本編動画です(パブリックドメインとなっているので著作権の問題はありません)。
『屠殺者』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
リディア・ソーンは横の線路を走る蒸気機関車に負けじと高速で自分の運転する車を飛ばしていました。助手席には犬だけ。あまりの暴走ゆえに遮断機の下りた踏切に突っ込んでしまい、危うく列車に轢かれるところでした。
しかし、そこへバイクで警官が通りかかり、停車を命じられます。聞き取りを受けますが、リディアは警官を前にわざとブレスレットを落とし、相手をおちょくり、立ち去るという大胆さをみせます。「これは落ちていたものだから、もう私の所有物ではない」…そう言い放って、実質的には賄賂になる行為も正当化。若い警官はその堂々さに何も言い返せずに立ち尽くすしかありません。
リディアの奔放さはパーティーでも健在。誰よりも飲みまくり、酔いつぶれながら周囲に介抱されますが、本人はそれを恥とも思っていません。ここでも宝石を渡すなどして自分の行為の不始末を無かったことにしようとし、この手癖に周りも呆れ顔でした。
検察官であるダニエル・オバノンはそのリディアを一番に愛している男でありましたが、そんな彼にもリディアは止められません。
今度はリディアはホッピング・レースに嬉々として参加し、他の女性たちに交じってはしたなく醜態を晒しています。お次は女性たちがボクシングをしています。
あんなデロンデロンになって他の男の前に佇むなんて問題すぎると、ダニエルはリディアを叱ります。
これはパーティーだけの一時のハメ外しではありません。リディアは家でも自由気ままです。メイドのエヴァンスが病気の息子のためにおカネを借りたいとお願いをしてきても、リディアはあっさりと断ってしまいます。
追い込まれたメイドは家の指輪を盗み、質に入れてしまいますが、ダニエルはそんな困窮したメイドを怒るに怒れません。
一方で、リディアはダニエルに慰めてもらっているメイドが気に入らず、あろうことかその窃盗を告訴し、そのメイドには懲役刑が言い渡されてしまいました。
そんなあるとき、以前にリディアの暴走運転を見逃してしまった真面目な警官のドラモンドは、またもリディアがスピード違反をしているのを見つけ、今度はしっかりやろうと追跡を開始します。
ところが、リディアの車はコントロールを失ってスピンアウト。そのいきなりの停車に咄嗟に対応できず、警官のドラモンドのバイクはリディアの車に衝突。勢いで身が投げ出されたドラモンドは重体となり、死亡してしまいます。
さすがにダニエルは今回ばかりは看過できないと、リディアに厳しい罰を与えるべく、法の正義のもとに彼女を突き出しますが…。

ここから『屠殺者』のネタバレありの感想本文です。
女性同士のキスを探す
さてここからは『屠殺者』のクィア表象にしか焦点をあてません。こんなピンポイントにこの映画を批評する記事もあまりないでしょう。
『屠殺者』の女性同士のキスのシーン、気づいたでしょうか? 流し見しているだけだと、まず見逃す確率が高いぐらいには、ほんの一瞬です。
普通に観ていると本作に同性同士のキスなんて登場する気配もないですよね。メインの物語では、女性と男性の関係性の亀裂という、異性愛的な人間模様が映し出されているのですから。
本作はなかなかにトリッキーなかたちでクィア表象が紛れ込みます。
それは作中の序盤、主人公のリディアのあまりの自由奔放さを風刺する意味合いで、大昔のローマの快楽的な宴会を描くかなり大規模な群衆シーンが唐突に挟み込まれる演出で始まります。
そのシーンにおいて、兵士が現れてみんなが囃し立てる中で一騎打ちで余興的に戦い始めるのですが、その手前、兵士が入場する場面の横で、女性が2人います。座り込んで一方の女性がもう一方の女性を支えるような仕草をしているのですが、その2人が一瞬キスをしたようにみえます。
このローマのシーンは全体的に破廉恥で、実際に性行為は描かれていませんが(当時の表現規制的にそれは不可能ですが)乱交的ないち場面であります。そのせいもあって、この女性2人の雰囲気もイチャついている感じにみえ、それがこのキスはエロティックなものなのではないかという解釈を後押しします。当時の感覚を考えれば、じゅうぶん性的なシーンだと言えるかもしれません。
それでもこのわずかなシーンだけでは、この女性2人が、恋愛感情があったのか、性的な欲情があったのか、単に酔ってじゃれついていただけなのか…そこまでを確定することは無論できません。そもそも「キス」という行為にそういう背景を特定すること自体が不毛なのかもしれませんけど…。
もっと言えば、完全に背景キャラクターがやっている一瞬の仕草なので、これは製作陣の意図的な演出ではない可能性のほうが高く、もはや考えるだけ無駄なのかな…。
不本意な表象ではあるけども…
少し範囲を広げて、なぜ『屠殺者』で大昔のローマを描いたのかを考えてみると、これは“セシル・B・デミル”監督の手癖みたいなものです。
“セシル・B・デミル”監督は過去の手がけた作品(例えば1919年の『男性と女性』など)でもそうなのですが、大昔の文明を映すことで現代人の慣習を風刺するのが好みです。
『屠殺者』にいたってはセルフパロディの域に達しており、あからさまに強引な場面挿入を繰り出します。リディアというひとりの人間の振る舞いを諫めるにしても、退廃したローマ時代に結び付ける展開はいささか強引すぎます。ツッコミ上等でやってる感じですね。
この時代のローマは性的に奔放で享楽的で高慢な社会だった…という見方は確かにありますが、実際のところ、この時代のローマにも性規範はありました。この大昔のローマに対する根深いステレオタイプは、あくまで保守的なカトリック視点から見た場合の話ですよね。まあ、保守的なカトリック視点から見れば、たいていの文化は享楽的に感じるでしょうけど。
“セシル・B・デミル”監督は聖書の引用がお気に入りで、とても政治においても保守的な人物だったことで有名です。とくに知られているのは後に赤狩りを先導した映画業界人となったことです。
一方で、じゃあ“セシル・B・デミル”監督の作る映画は保守層にウケがいいのかと言うと、必ずしもそうではなく…。
これは私の勝手な想像ですけど、“セシル・B・デミル”監督は自身の作る映画の中に、個人的な自己嫌悪を盛り込む傾向があるんじゃないかな、と。
例えば、“セシル・B・デミル”監督は不倫をよくする男として身内の間では認知されていたらしく、今作の脚本家である“ジーニー・マクファーソン”とも愛人関係だったと言われています。
そういう自分の性に関する抑えられなさに嫌悪感があったのかもしれませんが、それを直視はせず、こういう映画の中でキャラクターをとおして映し出すくらいしかできなかった…のでしょうか。
本作の例のローマも、妄想力がありすぎるダニエル個人の心理であり、露出度の高い服を着たリディアが快楽を満喫する姿を想像しているのも、一種の抑圧された男の願望の投影みたいにも受け取れますし…。
『屠殺者』は原作があって、フェミニスト作家として有名な“アリス・デューア・ミラー”が書いた小説なのですが、だからと言って“セシル・B・デミル”監督の映画がフェミニズム作品になっているかと問われれば、だいぶ遠い気もします。たぶん終盤の刑務所内のさまざまな立場の女性たち(いずれも社会に不本意に汚名を背負わされたであろう)が共同空間を築き上げる姿をもっとしっかり描いていれば、フェミニズムっぽくなるのですが、“セシル・B・デミル”監督はそこに興味なしですからね。
その“セシル・B・デミル”監督作が女性同士のキスを初めて描いた映画の候補として後の時代で語られるようになるなんて皮肉なものです。
本作の例のシーンは、男性の妄想であり、退廃的な文化の一部としての描写だったことを踏まえると、当事者的には喜べるレプリゼンテーションではないですね。でも描かれていることは事実。これが歴史。
そんなこんなで1922年の『屠殺者』は本当に女性同士のキスを初めて描いた映画なのか?…の答えとしては、私個人としてはあまり大声で「YES!」と明言できない気分であるのは正直なところ。
ちなみに『屠殺者』なんかよりももっとハッキリ女性同士のキスが映像に映っている作品がさらに前から存在していました。後に映画の発明に決定的な影響を与える技術を生み出した“エドワード・マイブリッジ”が制作した1882年の『The Kiss』です。こちらでは裸の2人の女性が歩いて近づき、抱き合ってキスをする瞬間がメインで短い映像の中心となっています。
ただ、この“エドワード・マイブリッジ”の1882年の『The Kiss』も、そもそも「映画」の定義に当てはまるのかという問題もさておくにしても、有名な疾走中の馬の連続写真である『動く馬』と同じで、女性同士のキスは被写体として技術試験に使われているだけ。イマイチ釈然としない気持ちにはさせられます。
当事者にとってもエモーショナルな女性同士のキスを描いた映画は『屠殺者』以降の年代に登場しますが、それはまた別の感想記事で…。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ/一瞬)
以上、『屠殺者』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)public domain マンスローター
Manslaughter (1922) [Japanese Review] 『屠殺者』考察・評価レビュー
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