私も生きている…映画『雌鶏』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ハンガリー・ドイツ・ギリシャ(2025年)
日本公開日:2026年9月25日
監督:パールフィ・ジョルジ
動物虐待描写(ペット) 恋愛描写
めんどり

『雌鶏』物語 簡単紹介
『雌鶏』感想(ネタバレなし)
月見で卵食っている場合なの?
日本では9月になると各フード企業ブランドが一斉に「月見」を冠したメニューや食品を発表しまくるのが、もはや恒例の季節風景となってしまいました。まあ、単に卵を乗っけているだけなのが大半なのですが…。全然“月見”じゃないし、“見る”ことすら主眼にないという…。テキトーだな…日本の行事文化感覚…。
その一方で卵の価格は2026年も高止まりが続いていて、今年は鳥インフルエンザ流行だけでなく、どこぞの大国がむやみやたらに戦争を仕掛けるせいで原油価格の高騰であらゆるコストが増大しています。本当は卵を食ってる場合じゃないんです。
卵をせっせと産んでくれている鶏の身にもなってくださいよ。鶏だって思ってますよ。「人間って生き物は何がしたいんだ…?」…って…。
ということで、今回紹介する映画は、鶏の視点で「大丈夫なの? 人間さん?」と見つめてくる一作です。
それが本作『雌鶏』。
この2025年のハンガリー映画は、鶏が主役であり、人間たちは完全に脇役でしかない…というところに何よりも作品の個性が抜きん出ています。鶏の視点と言っても、鶏の主観視点になるわけではないですが、人間は鶏の目線で捉えた人しか映りません。しかも、鶏はCGIではなく、本物の鶏を出演させています。めっちゃ普通の鶏です。
『ひつじ探偵団』みたいに動物の口元がCGで喋っているように動き、コミカルに会話していく…とかそういう演出は一切ないです。動物が主役だと子ども向けのファミリー映画を期待するかもですけど、大人向けの内容だと思ってください。
“アンドレア・アーノルド”監督の『COW 牛』や、“ヴィクトル・コサコフスキー”監督の『GUNDA グンダ』のような、畜産動物を主題にしたドキュメンタリーもありますが、それよりもストーリーの推進力があり、“イェジー・スコリモフスキ”監督の『EO イーオー』に近いですかね。


『雌鶏』もこのスタイルではおなじみの「動物の目を通して人間社会をシニカルに風刺していく」ということをやってのけているわけですが、鶏の扱いが本当に上手い映画です。「鶏でここまで多彩なストーリーテリングをできるのか!」と驚きました。
『雌鶏』を監督したのは、ハンガリーのブダペスト出身で、2002年に『ハックル』で長編映画監督デビューし、『タクシデルミア ある剝製師の遺言』(2006年)、『ファイナル・カット 』(2012年)、『フリー・フォール』(2014年)、『ヒズ・マスターズ・ヴォイス』(2018年)、『Perpetuity』(2021年)など、個性豊かな映画を送り出している“パールフィ・ジョルジ”。
脚本は、“パールフィ・ジョルジ”と、その妻で脚本家でもある“ルットカイ・ジョーフィア”の2人で手がけているようです。
ちなみに、ハンガリー語の人名は、日本語の慣習と同じで姓(苗字)を名(名前)の前に置く「姓・名」の表記をするので、「パールフィ」が姓です。英語圏だと「György Pálfi」と表記されていることが多いので注意です。
『雌鶏』は私の2026年の映画ベスト1位の筆頭候補かな…。
『雌鶏』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 鶏が乱暴に扱われたり、犬が殺されるシーンがあります(ただし、鶏が怪我しないように配慮して撮影されているとのことです)。 |
| キッズ | 残酷な殺人の描写があります。 |
『雌鶏』予告動画
『雌鶏』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ある鶏のお尻の穴(総排泄腔)から1個の卵が産み出されてきます。その茶色の卵はレーンを流れ、アームが規則正しく卵を揃え、ベルトコンベアで流れる多くの卵の中に加わります。そして検卵され、ひび割れがないか選別して確認されます。無数の卵は暗所で上下に傾けて揺らされ、転卵のされつつ、温められます。
やがて卵がどんどん孵化。籠の中に黄色いヒヨコがごった返し、籠に入ったヒヨコたちは作業者によって両手でガシっと捕まれ、また選別されます。そして、なすすべもなくヒヨコたちはぎゅうぎゅうのベルトコンベアに流されていきます。
こうして鶏舎へ運ばれ、無数のヒヨコが水と餌を与えられます。
ヒヨコたちは大きく成長し、大人のサイズに。次にケースに詰められ、出荷用のトラックに載せられます。
その中に混ざっていた目立つ1羽の羽毛の黒い雌鶏を、運転手がたまたま目にし、それを夕食にしようと、とりあえず助手席に別に放り投げます。こうしてトラックは出発。
ひたすらに道路を走っていき、その黒い鶏は窓から流れる景色を見ます。
ガソリンスタンドによると、運転手は給油するために降ります。黒い鶏は閉め忘れた窓から外へ。アスファルトを駆け出し、散乱したゴミ箱の周辺で残飯をついばむハトに混ざります。
そうこうしているうちにトラックは何も気づかずに出発。
夜になり、黒い鶏はガソリンスタンドの近くで休むしかないです。そこに野生のキツネが忍び寄り、鶏は逃げます。たまたま開いた自動ドアを通って店の中へ。
店員はモップで追い出そうとし、キツネも店内に入り、しつこく追ってきます。黒い鶏は再び外へ走り出し、交通量の激しい道路に飛び出して車の間を通り抜けます。折ってきていたキツネは車に轢かれたので、なんとか助かりました。
またあてもなく歩いていく鶏でしたが…。

ここから『雌鶏』のネタバレありの感想本文です。
ニワトリ・ストーリー
往々にして畜産動物を主題にした作品というのは、最初の入り口として畜産業をとおしてアニマル・ウェルフェア(動物の福祉)の観点から社会を風刺し、そして動物だけでなく人間にまで視野を広げ、私たち人間の制度における非人間化の歪みを浮き彫りにさせることが多いです。『雌鶏』もそのアプローチを採用しているので、そういう意味ではスタンダードです。
まず冒頭からしばらくの間、淡々と映されるのは、養鶏の、とくに卵を扱う風景です。集卵、選卵、入卵と、この業界ではおなじみの流れが目に飛び込んできます。
卵の状態だとまだ「動かないモノ」として眺めていられるのですが、ひとたびその卵から可愛らしいヒヨコが生まれると、こちらの感情は変わるはず。ヒヨコたちも卵と同じように、本当にモノ同然で、あまりにも無慈悲に機械的に取り扱われます。一応、死亡したヒヨコなどは映さないようにしているので、極端に残酷な映像は避けているのですけど、淡々とした連続描写が余計にその冷たさを露わにしている演出ですね。
まさにあのヒヨコたちは「人間と同じ生き物」ではなく「商品」でしかありません。
そして大きくなった鶏のうちの1羽。その1羽がそれこそ「食される」という商品の宿命に向けて自身の意思とは無関係に突き進んでいた最中、そのレールから自らの意思で外れます。この小さな小さな、でもダイナミックな出来事。これは売り物でしかなかった存在が、意思のある「主人公」になった瞬間です。
「トイ・ストーリー」ならぬ「ニワトリ・ストーリー」の始まり始まり…。
まあ、「主人公」になった瞬間…と大袈裟に表現しましたが、歩いているだけなんですけどね。
前半は主人公の鶏は、事実上の野生化を果たし、食物連鎖で成り立つ野生の自然世界を知ることになります。人間に近い環境で適応したハトから、獲物を仕留める猛禽類まで、いろいろな広い意味での鳥仲間と出会いつつ、自分はもっぱら「弱い立場」だと自覚。経験値が全然違いますからね。そんなんじゃあ、そう長くは持たないだろう…。
とか、思っていたら、これまたあまりの無慈悲なひと噛みで犬に咥えられてどこかに運ばれるという…。この映画、鶏の儚さを描くことに何の遠慮もないですね。
そして辿り着いた辺鄙なレストランの家が、この鶏の半ば強引な居場所になるのですが、ここでは主人公の鶏は「卵を産む役目」を押し付けられ、自分の産んだ卵が人間の食い物になるという現実を直視することになります。
野外ケージではみすぼらしいほどに羽毛の抜けた雄鶏がたむろし、そこに放り込まれて、交尾するハメになり、かと思えば、自分の産んだ卵は回収されて、生卵がフライパンで焼かれ…。私たち観客には鶏の絵面で目に映るので、どこか牧歌的に錯覚しそうになりますけど、人間とスケールを同じにしたら、とてつもなく地獄のような空間ですよ。奴隷です、奴隷。
ちなみに、日本の宣伝なんかだと、あの主人公の鶏は「恋」を経験するみたいな表現を用いていますが、私はそんな単純ではなく、もっとシニカルな目線のある語り口だなと思って観ていました。動物の交尾を手当たりしだいに「恋」と安直に表現するのは大衆の悪い癖です。
雄じゃなくて雌鶏なのも意図的で、フェミニズムな風刺を入れ込もうとしているのでしょうしね。
それはさておき、ここから人間社会の歪みも風刺されていきます。あの家の主である老人の娘の恋人男は、どうやらギャングと関わりがあるようで、たぶんいろいろな悪事に手を貸しているのでしょうけど、作中ではその中でも人身売買がクローズアップされます。
夜中に密航でボートで運ばれ、トラックに詰め込まれ、死んでしまったらトラックごと燃やされ、かろうじて生き残っても、暗い奥の部屋に押し込められて劣悪に扱われる移民たち。
人間は同じ人間さえも非人間化するのか…と主人公の鶏には衝撃的だったかもしれません。少なくとも鶏たちは同種に対してそういうことはしないのでね。
『人間の境界』のように非正規難民や移民労働者がいかに残忍に扱われているかを映す映画はいくつもありますが、『雌鶏』は鶏の視点を用いることでよりその批評性が増しています。
ましてや畜産や農業といった業界は、こういう移民労働に依存しやすいというのもまた構造として入り組んでいて…。つい最近も北海道の後志管内京極町の農業法人で働かされていたミャンマー人たちが劣悪な労働環境で虐待を受けて逃げ出す事件が発覚していました(北海道新聞)。
これは業界を最もよく知る最底辺の鶏による無言の告発ですかね。
少なくとも主人公の鶏は良心のある人間の老人の庇護を受けられ、あの家も誰をも温かく迎えて笑顔にするレストランに生まれ変わります。一時的にあの場所は理想を実現します。
しかし、“パールフィ・ジョルジ”監督はより無慈悲なオチを用意していて…。けれどもそれも筋は通ります。今まで散々、鶏がそう扱われてきたのですから、人間にもその報いはある…。「人間と動物が仲良し!」みたいなハッピーエンドは甘すぎるでしょうし…。
鶏が安らぐとき、そこに人間たちはいない。あの家は鶏のものになり、初めて自由の下で生まれるヒヨコの世代が現れる…。
『雌鶏』はどんなラストなんだと私もハラハラしながら見守っていましたが、この終わりかたなら満足です。
鶏は役者にも不死鳥にもなれる
『雌鶏』はテーマ自体はスタンダードで、甘さのないオチが全体を引き締めていたと思うのですが、やはり本物の鶏を撮影に採用したことが良かったです。これも当事者キャスティングの成せる魅力か…。
わかりやすく擬人化して観客の一般的な期待を投影した感傷に浸ることは避けています。いや、別に動物の擬人化が全面的に悪いと言っているわけではないですよ。私は『チキンラン』も大好きですし…。
でも『雌鶏』を観ていると、本物の鶏でもここまで表現できることに驚くというか、私は本物の鶏を過小評価していたなと自身の偏見を痛感するというか…。
犬や猫のような哺乳類と比べると、鳥は感情豊かな動物とみなされづらく、鳴くことばかりが注目を集めやすいです。鶏も「コケコッコー」と鳴くイメージですが、今作は雌鶏ということで、鳴くという行動をピックアップもしません。
本作は鶏の役者としての可能性を最大限に引き出していました。AIだって生成しようと思わない、ユニークな鶏の行動の連発は観る者を釘付けにさせてくれます。
鶏でここまでスリリングになるとはね…。序盤のキツネに追いかけられるシーンも、本物のキツネのあの演技力も見事で、素晴らしい共演でした。
序盤で警察隊と対峙する抗議デモに混ざりますが、1羽だけでは何もできない…と思ったら、案外とその限界を超えてくる主人公の鶏。犬小屋だって占拠するし、段ボールを被ったまま走ることも、トラックに忍び込むこともできる。
物語での象徴的な活かしかたも巧みで、移民の死体がトラックごと燃やされる場面では、主人公の鶏も燃えて瀕死となるのですけど、灰の混ざる土から這い出てみせます。それがまるで「不死鳥」のような存在みたいで…。
それ以降もあの主人公の鶏は、閉じ込められる移民たちに卵という恵みを届け、生を司る生き物になったかのようです。鶏なのに…神性な生物に昇格しましたよ。
捕捉しておくと、『雌鶏』を観ていると、「これ、本物の鶏を出演させているというけど、撮影での扱いはさすがに大丈夫なの?」と心配になるシーンがいくつかでてきます。監督の裏話によれば、車、火、犬など、明らかに危険な場面は、鶏と危険物が別個に撮影され、編集で合成された映像になっているとのこと(ELLE India)。なので実際に鶏が危険なスタントをしたわけではありませんので、安心してください。“トム・クルーズ”とは違うんです…。
それにしても自然な視覚合成でしたね。ギリシャでVFX賞を受賞したらしいですけど、それも納得です。
『雌鶏』にて、主人公の鶏は、8羽の鶏によって演じられたそうです。フェリ、アネット、ノーラ、エティ、サンディ、エンシ、エスター、エニコと、名前のついたそれら鶏の役者陣は、それぞれ「走るのが上手い鶏」「じっとして動かないのが上手い鶏」「ついばむのが得意な鶏」などと、各自のスキルを活かして場面ごとに採用したとか。
良い映画を支えてくれてありがとう…。
日本に人間の人口よりも多い2億7000羽以上いる鶏たちに感謝。「明治の日」じゃなくて「鶏の日」に改称して休日にしてください。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『雌鶏』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 Pallas Film-Twenty Twenty Vision-View Master Films-ZDF
Hen (2025) [Japanese Review] 『雌鶏』考察・評価レビュー
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