この作品はトランスジェンダー差別的では?という視点…映画『MISS ミス・フランスになりたい!』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2020年)
日本公開日:2021年2月26日
監督:ルーベン・アウベス
LGBTQ差別描写
MISS ミス・フランスになりたい!
みす みすふらんすになりたい
『MISS ミス・フランスになりたい!』あらすじ
9歳の少年・アレックスの夢。それはミス・フランスになることだった。しかし、両親を事故で亡くし、自分を取り戻せないまま成長していく。24歳になった彼は、忘れかけていたミス・フランスの夢に再び向き合うことを決意。個性豊かな仲間たちに支えられ、さまざまな困難が立ちはだかる中で、自信に満ちたライバルたちが揃うコンテストに出場するが…。
『MISS ミス・フランスになりたい!』感想(ネタバレなし)
ミス・フランスを目指すのは…
「ミスコン」なるものに私はさっぱり縁はないし、「それって本当に実在するの?」という思いすらあるほど、私にとってはフィクショナルな存在なのですが、どうやら世の中にあるらしい…。
ミス・コンテスト。独身女性の美を競うイベントで、早い話が「一番の美女は誰だ?」選手権です。
その起源は中世のヨーロッパにまで遡るそうで、1880年代に人気が出始めたとか。やはりこの時代あたりで「女性の美」というものに対するグローバルな型が定着していったのでしょうかね。そもそも女性としてどういった存在が「美」とされるのか、それは時代で全然違いました。かつての女性は家で家事するだけのもはや奴隷であり、そこに美しさを意識できるというのはある種の特権です。肌を公で見せることすらもふしだらとみなされる社会です。それがどんどん女性の存在が平等な力を持つにつれ、女性が表現できるものも変わり始めます。
当然、現在はミスコンに批判もあります。セクシャル・オブジェクティフィケーションのような女性のモノ化を助長するという問題です。なので最近は水着審査もなくなり、ミスコン自体の勢いも衰えつつあります。
それでも今の女性の新しい理想を提示するイベントして中身を一新して行われるコンテストもあります。フェミニズムやリーダーシップなどを評価基準にしたり。こうやって時代に適合していくのもまたミスコンの歴史としてずっと続いてきたことなのでしょう。
今回紹介する映画もそんなミスコンの話です。それが本作『MISS ミス・フランスになりたい!』というフランス映画。
タイトルのとおり、主人公が「ミス・フランス」に選ばれるべくミスコンに参加するという内容です。「ミス・フランス」というのは、1920年に始まったフランスを代表する歴史あるミス・コンテスト。
参加条件は、フランス国籍または帰化であること、18〜25歳の女性であること、身長が170cm以上であること、結婚していないこと、子どもがいないこと、犯罪歴がないこと。禁止事項は、美容整形やカツラ、ヌードなど。
まずはフランスの各地のローカルでコンテストを行い、そこで優勝すれば最終のコンテストに参加でき、そしてトップとなる「ミス・フランス」が決定します。
直近の2020年12月に開催された「ミス・フランス 2021」では、23歳のアマンディン・プチという女性が優勝しています。彼女はナーシングホーム(介護)の職につくのが夢だそうで、修士の学位を持っているのだとか。
『MISS ミス・フランスになりたい!』に話を戻すと、本作は実話でもなくフィクションです。重要なのは主人公で女性ではないのです。男性が「ミス・フランス」に出場するという異色の映画になっています。当然ながらそこが肝になるストーリーなのでこれ以上は言えませんが…。
「ミス・フランス実行委員会」と提携して映画は製作されているとのことで(まあ、商標的に許可をとらないと作れないでしょうけど)、コンテストの雰囲気はリアルなんじゃないでしょうか。
監督は“ルーベン・アウベス”という男性。もともとは俳優で『イヴ・サンローラン』(2014年)なんかに出演していました。2013年に『The Gilded Cage』という長編映画を監督し、大ヒットして話題になったそうです。『MISS ミス・フランスになりたい!』が2作目の劇場公開長編映画なので、まだ監督としての力量は測りかねる感じかな。
プロデューサーは『あしたは最高のはじまり』の“ユーゴ・ジュラン”。
ミスコンが好きな人にはオススメの映画です…が、以下の後半の私の感想、それなりに酷評ぎみなので、気に障る方はこれより下を読まないようにしてください。私としてはどうしても書きたいことがあったので、お付き合いいただける人はぜひ読んでほしいのですけど…。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(内容が気になる人は) |
友人 | ◯(ミスコンに興味があれば) |
恋人 | ◯(恋愛要素は薄い) |
キッズ | △(教育的には…理由は後半) |
『MISS ミス・フランスになりたい!』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):私の夢は…
学校で子どもたちが次々に自分の夢を語っていきます。おもちゃの修理屋さん、プロのサッカー選手、スター、パン屋、ボクサー、大統領…。
そんな中、「僕はミス・フランスに」と答えたひとりの少年。その素直な夢は、大勢の子どもたちに笑われてしまい…。
それから十数年。24歳になったアレックスは、両親に不幸があり、家を追われて里子に出されて転々としたあげく、今はこのヨランダが取り仕切る下宿先で集団生活をしていました。ここはドラァグ・クイーンのローラやインド人のお針子など人種も多様な人たちが寄せ集まって暮らしています。家賃を滞納している人もいてヨランダは小言も多いですが…。
アレックスはパリの場末にある小さなボクシングジムの手伝いをしていますが、女性っぽい佇まいをしているせいか、そのジムに通う小さな子たちにすらも「お姫さまボクサー」とバカにされる始末。
ある日、そのジムにオリンピック・フランス代表になったエリアスが訪問してきて、子どもたち大歓迎。実はアレックスはこのエリアスと学校時代のクラスメイト。一緒にボクシングしたりもしましたが、まさかエリアスが本当にボクサーになるという夢を叶えるとは…。
ジムの裏手で会話をする2人。「独身か?」と聞かれて「いない」と答えるアレックス。「君だけでも夢を叶えられて良かった」と祝福しますが、その姿を見て自分も何かしたい気持ちを湧かせます。
そして子どものときの夢だった「ミス・フランス」に出るという希望を同居人たちに打ち明けました。幸いなことに、多くが賛成してくれます。
まずアドバイスをもらわないければ。ローラに連れられてやってきたのは、地区を仕切る“女王陛下”と呼ばれるボス。その人から容姿をジャッジされ、「24時間コルセットをつけて」と指示されます。そして「本物の女にはどうあがいてもなれない」とまで言われてしまいます。
帰りの夜道。娼婦を求める車の男が「いくら?」と話しかけてきます。隣のローラは「女装」と罵倒しますが、アレックスは普通に女とみなしているようです。
そんなこんながありつつも、努力をするアレックス。面接を受け、有効なパスポートがいるので偽造し、SNSアカウントも作り、準備万全。
地区大会です。控室に到着し、多くの女性がドレスアップする姿を目の前にし、ここにいられることが信じられないといった顔をするアレックス。出場時の名前は「アレクサンドラ」です。
水着パレードのターンです。みんなの前で着替えられないので倉庫で着替えます。どんどん魅力を振りまいていく参加者。「8番、アレクサンドラ」と呼ばれてもまだ間に合いません。なんとかギリギリで遅れて登場。着替える際に切れた水着を布でカバーしてなんとか乗り切りました。
次はスピーチ。言葉が出てこない人、気絶する人、喋りすぎる人、いろいろ。
アレックスの番です。「出場を決めた動機は?」と聞かれた際、司会者の男の手が腰に伸びるのを少し払います。
「…あなたです」と切り出すアレックス。「納得だ。私みたいな男を救ってくれる?」と司会者の男。
「論してあげる。本当に立派よね。タキシードにメガネでエレガントで主婦の憧れ。そんな男が友人を侮辱した。クソ女装ババアと。私は怖くて黙ってた。でも今日は言える。友人と全ての女性のため、そいつに言う、“女は騙されない”。全てに値段をつける目や自分を王子だと勘違いしている笑顔にもね。本性はブタよ。侮辱されたのに友人は自分を責めてる。その男は女の苦しみに無関心。男の体で生きてきたから。この話であなたみたいな男も改心するかも。これが出場の動機です」
毅然とした言葉に観客は拍手喝采。スタンディングオベーション。
結果発表。「ミス・イル・ド・フランスは…アレクサンドラ!」
これでミス・フランスに進めます。しかし、勝負はここからでした。
トランスジェンダー映画なのか?
結論から言って『MISS ミス・フランスになりたい!』、私はかなりマズい映画だなと思いました。観る前から嫌な予感はしたのですが、その頭の中の警報は本物でした。
何から話そうか。まずズバリ、本作はトランスジェンダーを描いた映画なのか?ってところですかね。
とは言ってもトランスジェンダーとは何かを共通認識として把握していないと話にならないですが…。
世間的には、性別適合手術をして「男から女へ」もしくは「女から男へ」と性転換した人orそうしたい人を指すと思われがちですが、それだけではないのです。そういう手術の有無は関係ありません。性的違和も人それぞれです。非常に広範な対象を受け持つ用語なのです。男女二元論にあてはまらないノンバイナリー、あやふやなクィア、揺れ動くジェンダー・フルイド、性別のないアジェンダーも含めます。身体的外見は関係ないのでクロスドレッサーのような異性装の人は必ずしもトランスジェンダーとは限りません。
では本作のアレックスはトランスジェンダーなのでしょうか。
アレックスは少なくとも子どもの頃から「ミス・フランス」に憧れ、大人になっても女性的な雰囲気を漂わせます。そして「ミス・フランス」を目指していざ挑むために女性として“なりきる”と輝きだします。一方でエリアスに「女になりたいのか」と問われても「違う。女でいると強くなれる」と答えます。どちらにせよトランスジェンダーの定義にはじゅうぶん当てはまります。
ただ、本作ではアレックスをトランスジェンダーとは一切扱わない…というか妙にそれを避けるんですよね。私も感想を書く際に、代名詞とかどうしようと悩みました。映画自体がそれを論点にもしないから余計に。
そもそもアレックスを演じる“アレクサンドル・ヴェテール”という人。日本語のサイトでは「ジェンダーレスモデル」と紹介されていますが、要するにユニセックスなスタイルで仕事している方です。ただ、この人自身は「シスジェンダーではない」と公言しているものの、普段は女性の格好はしていないそうです。無論、“アレクサンドル・ヴェテール”の生き方や仕事の仕方に異論はないですが。
一方で監督はこの映画を「トランスジェンダーを描いたものにしない」と考えているようです。なんかどうも監督の頭の中で自論だけが構築されている気も…。
そんな煙に巻く製作側の姿勢のせいか、このアレックスの立ち位置がますますあやふやになってしまっています。
紛れもなく有害な表象
『MISS ミス・フランスになりたい!』のこの根本的な問題は、この物語自体がどこに軸足を置いているのかわからない、フワっとした状況を生んでいます。
まあ、別にいいじゃないか、必ずしもトランスジェンダーを自認する必要もないんだし…。そういう意見もあるでしょう。それもわかります。でも事はそうあっさりと片付けられません。
本作はあきらかにトランスジェンダー当事者に有害な表象になっていると言わざるを得ないと思います。
アレックスはあくまで“女らしさ”を纏っているだけで、それを都合よくスイッチオン・オフができます。苦しんでいる感じでもない(罵詈雑言をぶつけられているけど)。でも多くのトランスジェンダーはそうではないです。強くなるために身に着けるアーマーでもありません。
ところが、作中のアレックスは「異性になりすます」という行為をします。「私は女性です」ではなく、あくまで物語内では「なりすました」という段階で終わってしまいます。
これはトランス当事者には非常に危険な描写です。なぜならそうやって詐欺師のように思われることでヘイトクライムのような暴力の対象になっているわけですから。
さらにダメ押しなのが最後の展開。アレックスが大衆の前でドレスを脱いで見せ、男だとばらし、息をのむ観客。これ、視覚的なサプライズ・オチに使うのは一番アウトなのに…。ドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』でどれだけ問題視されていたことか…。
しかも、この映画、その一番大事な顛末(あんなことして結局どうなってしまうのか)に関して完全に放り投げていますから。
正直、2020年代になっていまどきこんな表象の映画を作るのかと唖然としたのですけど…。
無自覚に描くのは最も危険
アレックス以外も問題だらけで、例えばドラァグ・クイーンのローラ。彼女を演じるのは“ティボール・ド・モンタレンベール”というシスジェンダー男優。う~ん、どうなんですか…。加えてそのローラが紹介するボスはやたらハッキリとトランス差別発言をしてくるし…(本作は基本、醜い見た目の人は心も醜いみたいな描写になっている気がする)。あの下宿先の人たちもトランスを支援できるほどのコミュニティとは到底思えないし…(『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』みたいなコミュニティならいいのですが)。あのアマンダもアレクサンドラの正体を知っていたのだとしたら、LGBTQ倫理的にアウトで完全に見世物扱いですし…。
これで「自分らしさの表現、応援してるよ…!」みたいな雰囲気をかぶったエンディングにされても…。結局のところ、「異性に美しく変身できるなんて凄いね!」という素っ頓狂な称賛にしかなっていない気がする…。感動ポルノ的ではないか、これは。
本作はトランスジェンダーに“乗っかった”映画だと言えるのではないか、と。
海外でも同じような指摘の批判もあります。
“MISS”: EN FRANCE, LES COMÉDIES SUR LES GAYS VÉHICULENT LES LGBTPHOBIES
別に描いていないなら、描いていないでいいのです。なら火の粉が飛ぶようなことはやめてくれという話。トランスジェンダーを描くなら「描きます」と責任を持ってしっかりしてほしい。描かないならトランスジェンダー当事者に害を与えることはしないでほしい。これだけ。
映画というのは楽しめればいいという人がいます。でも不愉快とかいう以前に、ある特定の人たちの生活や生命を脅かしかねないリスクも映画にはあるのです。トランスはそういう危険に今も直面しています(ドキュメンタリー『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』などを見ればよくわかるはず)。
“マジョリティの間では”好評な話題を集めた『ミッドナイトスワン』も同様の問題構造がありました。
こうなってくると映画内に無自覚にトランスフォビアが内蔵されてしまっていると言われてもしょうがないと思います。こういうのは当事者には最悪の寓話、悪夢です…。
ミス・コンテスト自体への批判的批評性を持っていないなど(ミスコン運営に許可を貰っている以上、批判はできないのでしょうけど)、トランス以外の問題もあるし…。『MISS ミス・フランスになりたい!』はどうもルッキズムな着地(ジェンダーに限らずとりあえず美しければ良し!みたいな)になっている感じは否めません。
ちょっとフランスのことが心配になる映画でした。大丈夫か…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 3/10 ★★★
作品ポスター・画像 (C)2020 ZAZI FILMS – CHAPKA FILMS – FRANCE 2 CINEMA – MARVELOUS PRODUCTIONS
以上、『MISS ミス・フランスになりたい!』の感想でした。
Miss (2020) [Japanese Review] 『MISS ミス・フランスになりたい!』考察・評価レビュー