歌より観客に注目!?…映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2022年12月23日
監督:ケイシー・レモンズ
恋愛描写
ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY
ほいっとにーひゅーすとん あいわなだんすうぃずさむばでぃ
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』あらすじ
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』感想(ネタバレなし)
ホイットニー・ヒューストンを映画で知る
“ホイットニー・ヒューストン”の新曲が2023年3月24日にリリースされます!
そう聞けば「え?」となる人もいるのは無理ありません。
なぜなら“ホイットニー・ヒューストン”はもう亡くなっているからです。伝説のシンガーとして音楽界の歴史を切り開いた“ホイットニー・ヒューストン”は、2012年2月11日にホテルの自室の浴槽で死亡しているのが発見されました。48歳の若さでした。この訃報に多くの人が悲しみ、彼女の伝説をもっと見たかったと願う声はやみません。実際、もし“ホイットニー・ヒューストン”が今も生きていれば、この新しい時代の中でパイオニアとしてリーダー像を確立していたでしょうから。
その今は亡き“ホイットニー・ヒューストン”の新曲がなぜ2023年に世に出るのかというと、ゴスペル・アルバムに収録されている「He Can Use Me」という曲なのですが、これは当時17歳だった“ホイットニー・ヒューストン”が歌って録音していた初期の未発表曲です。
こうやって亡くなってしまうと本人の意思とは関係ないかたちで、アーティスト活動が事実上継続していくことになるのが現在の業界の避けられない宿命で、なんだかそれには全面的に賛成しきれない面もあるのですけど、どうしようもないところです。私たちにできるのは“ホイットニー・ヒューストン”を懐かしみ、思い出すことくらいで、個人的にはそんなささやかな行いでもじゅうぶんなのですが…。
それとは別によくありがちなのは伝記映画を作るということ。こちらはメモリアルな記録の意味もありますし、まだ心穏やかでいられるかなと思います。
昨今は有名ミュージシャンの伝記映画も連発しています。最近も“アレサ・フランクリン”を題材にした『リスペクト』(2021年)、“エルヴィス・プレスリー”を題材にした『エルヴィス』(2022年)などが続いており、完全にひとつの定番になっています。
そして2022年は“ホイットニー・ヒューストン”の伝記映画も誕生しました。
それが本作『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』です。
それにしても邦題が長い…。歌手伝記映画の中では最長クラスではないだろうか…。
“ホイットニー・ヒューストン”の伝記映画はこれが初めてではありません。2015年に『Whitney』という映画が制作されており、ここでホイットニー・ヒューストンを演じたのは“ヤヤ・ダコスタ”でした。ちなみにこの映画の監督は、2022年のアカデミー賞で助演女優賞にノミネートされた“アンジェラ・バセット”です。ただこの映画はケーブル・チャンネルの「Lifetime」での取り扱いだったので、あまり目立ちませんでした。
今回の『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は、ソニー配給でがっつり劇場公開されたので、注目しやすさは段違いです。そしてとても見やすく作られています。内容もホイットニーのデビューから死までをさらっと網羅した感じになっているので、ホイットニー・ヒューストンをよく知らないという初心者向きです。今だったらホイットニーを知らない世代もどんどん生まれているので、ちょうどいいタイミングなのかも…。
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を監督したのは、『ハリエット』を手がけた“ケイシー・レモンズ”。脚本は『ボヘミアン・ラプソディ』の“アンソニー・マッカーテン”です。
そして肝心のホイットニーを演じるのが、ドラマ『このサイテーな世界の終わり』や『マスター・オブ・ゼロ』の“ナオミ・アッキー”。映画ではこれが代表作になるのかな。
さっきも書いたとおり、初心者でも入りやすいオーソドックスな伝記映画なので、ホイットニー・ヒューストンを知るならこの映画からどうぞ。
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ファンでも新規でも |
友人 | :洋楽好き同士で |
恋人 | :同性ロマンスあり |
キッズ | :音楽が好きな子に |
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):グレートな歌を
1994年の全米音楽アワード(AMA)のステージ。涙ぐむ観客の拍手の中、ホイットニー・ヒューストンが登場し、埋め尽くされたホールを見つめます。
その10年以上前。1983年、ニュージャージー州。19歳のホイットニーは教会でひときわ熱唱していました。母シシーの視線が刺さります。
その後に母との個人指導があり、「神に授かった才能を正しく使いなさい」と厳しく言われ、ホイットニーはそんな母にたじたじになりつつ、必死に歌を磨こうとしますが、うんざりしてやめてしまいます。「私は歌いたいだけ」と不満を言いますが、それでも母は逃がさず、「ニッピー」と愛称で呼びかけてきます。ホイットニーは好きに歌って今日のところは教会を去っていきました。
建物前で音楽を聴いていると、バスケットボールを持ったロビン・クロフォードに話しかけられます。なんとなく打ち解け合った2人。ホイットニーは、自分の母はアレサ・フランクリンのツアーにバック・コーラスとしても参加した経歴のある人物だと説明し、歌唱には人一倍厳しく、「偉大な歌手になりたいけど、今はママのバックコーラスで精一杯」と弱音を吐きます。でもロビンを気に入ったホイットニーは、聴きに来てと誘います。
母の歌っている「スウィートウォーターズ」のクラブにて、ロビンが見つめる中、ホイットニーは母の後ろでサポート。これが今のホイットニーでした。
家では母と父が大声で口論し、ホイットニーはその罵声に耐えられず、部屋に籠ります。
一方でロビンとはロマンチックな関係になり、2人でアパートに暮らすことにし、親から解放されて最高の時間を過ごせました。
ある日、有名なプロデューサーであるクライヴ・デイヴィスがクラブに来ます。それに気づいた母は声がでないと嘘をつき、ホイットニーがオープニング・ソロをするように強引に推し出します。
母に言われたとおり「Greatest Love of All」をパワフルに熱唱するホイットニー。場は熱狂し、スタンディングオベーション。デイヴィスもこの時代の最高の歌声を聴けたとご満悦。
こうしてアリスタ・レコードと契約することになり、緊張しながらも自分の夢への一歩を進めたことに興奮を隠せないホイットニーでした。デイヴィスと2人きりになり、音楽の方向性を質問され、ホイットニーは漠然と考えつつ、グレートなソングであればいいと答えます。
有頂天なホイットニーの一方で、母は厳しい業界を知っているので心配でした。それでもマーヴ・グリフィンのテレビ番組に出演し、緊張して吐きそうになる中、母は「あなたはプリンセスだ」と励まし、いざ番組へ。
歌い出すも本調子じゃなく、母は我慢できずテンポアップしてと演奏に指示。ホイットニーは一気に調子が乗ってきて、見事にパフォーマンスは大成功です。
ホイットニーの伝説はついに始まりますが…。
歌はホイットニーの声、観客はCG
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を観ていると、真っ先に気になってくるのが、ホイットニーを演じた“ナオミ・アッキー”は本当に歌っているのか…ということ。
答えを書いてしまうと、映画内で耳にできる主人公ホイットニーの歌声は“ナオミ・アッキー”の歌声ではなくホイットニー本人のものです。少なくとも大部分は。
まあ、さすがにホイットニーと瓜二つで歌えなんて無理な話ですよね。でも撮影中は“ナオミ・アッキー”はホイットニーの歌声にぴったり合うように演技しないといけないので、撮影現場内では自分で声を張り上げて歌っています。これはこれでものすごく大変だと思います。南アフリカのスタジアムで「I Will Always Love You」を歌うシーンとか、スーパーボウルで国歌斉唱するシーンとか、かなり大変だったろうなと、その苦労を察することができます。
それにしてもこうやって本人の歌声を映画内でキャラクターが実際に歌っているように当てはめる行為って、権利的にどう処理しているのかな。普通に楽曲使用と同じ権利扱いなのか。
今回はホイットニーの遺産管理団体「Primary Wave」が映画製作に関与しているので、権利面では全く問題ないのでしょうけど、ますますアーティストの楽曲の使用幅が拡大し、アーティストの尊厳とかが問われる機会も増えそうですよね。
今作だってホイットニーのああいうスタイルを知ってしまうと、こういうふうに自身の歌声が利用されるのはホイットニー自身はあまり気が進まないのではないかとつい考えてしまうし…。
歌ばかりに注目してしまいますが、もうひとつの着目点が今作にはあります。それは観客です。気づいたでしょうか。本作の観客の大多数はVFXだということに。
この手のライブ系の映像では観客がCGで表現されることが多々あるのですが、ゲームなどの群衆CGはいかにもCGだとわかるパターンの少なさなのですけど、映画となるとクオリティが桁違いで、ひとめではわからない次元です。昨今の群衆CGの表現技術力の向上はスゴイです。
普通、こういう映画で映像内の観客を集中して見つめる人はいないと思いますけど、機会があれば今度やってみてください。「この観客はCGか!?」って気にしだすとわりと止まらなくなりますから。
そうやって振り返ると、歌はホイットニーの声だし、観客はCGだし、何が本物なのか混乱してくる映画だったな…。
もっとここを深掘りしてほしかった
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は伝記映画としては良くも悪くも「普通」で、見やすさにはなっているのですが、とくに際立った新鮮なアプローチも切り口も無いのはちょっと寂しいところではあります。
作中ではホイットニーの人生を広く浅くまんべんなく扱っているので、「もっとここを深掘りしてほしいな~」と思ってもあっさり流されるんですよね。
たぶんいくらでも要所要所を切り取ってそこだけで1本の映画にできる余地はあったと思います。ホイットニーの人生はそれくらいにボリュームありますから。
例えば、本作の序盤ではホイットニーとロビンのクィアなロマンスが描かれます。こういう伝記映画でこの要素を抹消しなかっただけでも素晴らしいと思うのですが、そうなってくるとなおさらもっと見たいという気持ちも沸いてくるもので…。ただでさえ、今作ではホイットニーが男性と関係を持つようになり、ロビンと喧嘩するも、かなりあっさり次のシーンではベストフレンドに移行しています。なんだか女性同性の関係性はこうも容易く“友達”化できてしまうかのように見えて、これはこれでモヤっとしなくもない…。
女性実業家としての側面ももっと描き抜いても面白かったですよね。父はマネージャーという肩書ながら仕切っており、そんな家父長制にどうやってホイットニーは挑むのか、その姿勢は描きがいがあります。父と母の対立も象徴的だし、そもそもあの母の人生が映画になりそうなんですが…。
また、作中でホイットニーが「ホワイティ・ヒューストン」と揶揄され、ブラックネスが足りないと抗議されるシーンもありましたが、ああいう人種の枠にアーティストが封じ込められてしまう問題もいくらでもテーマとして追及できるでしょうし…。
個人的には、映画『ボディガード』に出演しているシーンがありましたけど、ああやって映画の現場でホイットニーがどう自分を貫くべく健闘したのか、そこだけを舞台裏を描く作品として映画化してほしいくらいです。たぶん今のハリウッドにおいて黒人女性の消費と主体性の確立という題材はすごくタイムリーなことだと思います。
あらためて思うのは、『ボヘミアン・ラプソディ』みたいにここ一番の見せ場で史実無視の大ウソをついて、ライブパフォーマンスとして観客の心を掴むという手は確かに有効だったんだな、と。『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』はまだ追悼の趣が最終的に濃くなっているのが乗り切れないのかもしれない…。
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』はあくまで出発点として、これから何本もホイットニー映画が作られてもいいんじゃないかな。ホイットニー本人はまたまたどう思うかはちょっとあれだけど…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 44% Audience 92%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)SONY PICTURES ENTERTAINMENT アイ・ワナ・ダンス・ウィズ・サムバディ
以上、『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』の感想でした。
Whitney Houston: I Wanna Dance with Somebody (2022) [Japanese Review] 『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』考察・評価レビュー