嫌だと言わせてください…映画『コンパニオン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本では劇場未公開:2025年に配信
監督:ドリュー・ハンコック
性暴力描写 性描写 恋愛描写
こんぱにおん
『コンパニオン』物語 簡単紹介
『コンパニオン』感想(ネタバレなし)
ヒューマノイドロボットに浮かれる前に
人間と同等に自律的に動き回るリアルな人間型ロボット(ヒューマノイドロボット)の実用化はまだ当分先になりそうです。
最近、Amazonが荷物配達員として注文した荷物を玄関まで届けてくれるヒューマノイドロボットの開発に欠かせないAIソフトウェアに取り組んでいると報じられましたが(The Verge)、そういう単純作業に特化したロボットを作るだけでも現状の技術レベルでは苦労しています。
ただ、そうは言っても人間と瓜二つなクオリティのヒューマノイドロボットの実現は、技術的な究極の夢のひとつであり、人類の創造欲求がある限り、一歩ずつ前進していくでしょう。
今回紹介する映画はそんな人間に「おい、忘れてることはないか?」と釘を刺す一作です。
それが本作『コンパニオン』。
本作はたぶん一切ネタバレ無しで観たほうが面白いと思うのですけど、配信などでの本作の映画ページのあらすじである程度の核心の部分がもうバラされているんですよね。だから私のこの感想記事でもそのテーマだけはもう隠してもあれなので、書いてしまうことにします。
本作『コンパニオン』はヒューマノイドロボットを主題にしたSF映画です。
では具体的にヒューマノイドロボットがどう描かれ、どう物語として展開していくのか…それは観てのお楽しみとすることにしましょう。ヒューマノイドロボットだとわかったうえで鑑賞してもじゅうぶんに面白いです。
あえてもう少し幅広く訴求するために興味を刺激する紹介をするならば、本作はフェミニズム・スリラーでもあります。
本作は当初は『バーバリアン』の“ザック・クレッガー”が監督する予定になっていて、結局、“ザック・クレッガー”は製作にとどまり、監督は脚本も務めた“ドリュー・ハンコック”が担当しました。
『バーバリアン』は男女のジェンダー経験の差というものを強烈に意識させたフェミニズム・スリラーであったわけですけれども、『コンパニオン』も主題はガラっと変わってもその構造を意識した仕掛けがあって、根底に通じるものがあります。
また、さらに『コンパニオン』はクィア・スリラーにもなっていて、異性愛ありきで設定しなかったあたり、作り手の「この主題で徹底的に遊んでやるぞ!」という満喫感があっていいです。別にエンパワーメントな味わいがあるわけではないにせよ、ちゃんと包括されているのは大切ですから。
『コンパニオン』で主演するのは、『異端者の家』でも酷い目に遭っていた“ソフィー・サッチャー”と、ドラマ『ザ・ボーイズ』など憎めないクズ男役に定評のある“ジャック・クエイド”。
共演は、『スマイル2』の“ルーカス・ゲイジ”、ドラマ『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』の“ハーヴィー・ギレン”、『イット・リヴズ・インサイド それが巣食う場所』の“ミーガン・スリ”など。
『コンパニオン』は日本では残念ながら劇場未公開で、配信スルーとなってしまったのですけども、幅広い人に楽しみやすいSFスリラーのエンターテインメントですので、気になったらぜひあなたのウォッチリストに入れておいてあげてください。
『コンパニオン』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 性暴力の描写が少し描かれます。 |
キッズ | 性行為の描写がややあります。 |
『コンパニオン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ひとりの若い女性アイリスがスーパーマーケットで食品を買い物カートに入れてショッピングをしていると、そこでひとりの若い男と些細な遭遇をします。それがジョシュとの出会いだった…。
そんな2人が付き合うようになった思い出を回想するアイリス。ジョシュの声で目が覚めると車の助手席。うたた寝していたようです。
今日は人里離れた湖畔の別荘へ車で向かっているところでした。ジュシュの友人たちと楽しむためです。アイリスはジョシュの友人たちに嫌われるのではないかと心配でしたが、ジョシュは安心させてくれます。カップルになってから関係は良好です。
さっそくその別荘に到着。自然に囲まれたのどかな場所です。玄関ではキャットが出迎えてくれます。キャットは一瞬アイリスへの対応に躊躇する仕草をみせますが、すぐに声をかけて招き入れます。
室内には、イーライとパトリックのカップル、そしてキャットのボーイフレンドでこの家の持ち主であるセルゲイがいました。セルゲイは裕福で、堂々としています。
アイリスは室内で荷ほどきをしてひとりでシャワーを浴びてリラックスします。鞄にはメモリースティックがひとつ入っていました。
6人は食事を楽しみ、談笑しますが、アイリスはどこか落ち着きません。その後、アイリスはワイングラスを片手に落ち着くキャットの隣に座って、愛について語り合います。キャットは富のあるセルゲイの欲しいままな生き方に迎合しているだけのようで、その姿勢はアイリスには理解できません。
6人は音楽に合わせて踊った後、それぞれの寝室に戻り、ジョシュはアイリスと体を交えてひとしきり満足してベッドで眠りこけます。
翌朝、アイリスは先に湖の近くに行き、風景を眺めつつ、ポケットにある折りたたみナイフをふと手にしていました。なぜこんなものを入れていたのだろう…。
そこへセルゲイがやってきて気さくに話しかけてきます。促されて隣に座ると、日焼け止めを塗ってほしいと頼まれます。するとおもむろにセルゲイはアイリスの手をとり、体を寄せ、キスをしてきます。やめてほしいとお願いするも止めません。
そして…アイリスはセルゲイをナイフで殺しました。
血まみれで室内の4人のもとに戻り、放心状態で事情を話すアイリス。抵抗するも首に手をかけられ、苦し紛れにセルゲイの首にナイフを突き立てたと必死に訴えます。
心配そうな表情を浮かべたジョシュはアイリスの近くに歩み寄り…「スリープ」と短く声で指示し、アイリスは機能オフ。動かなくなります。
アイリス自身はヒューマノイドロボットであることを自覚しておらず…。
「愛」と言われようとも人権がなければ…

ここから『コンパニオン』のネタバレありの感想本文です。
『コンパニオン』はヒューマノイドロボットが当たり前となった世界を描いています。少なくとも、コンパニオンロボット(元も子もない言い方だとセックスロボット)は実現しているようです。
序盤はアイリスがヒューマノイドロボットであることは伏せられていますが、さまざまな仕草や演出でそれとなく示唆しています。冒頭の食料品のカートを押しながら買い物しているアイリスの姿は『ステップフォード・ワイフ』からの引用でしょうか。すでにこの開幕から不気味です。
しかし、ヒューマノイドロボットが当たり前となった世界を描くと言っても、そこまで壮大に手広くはやらず、あくまで人間関係…それも恋愛関係に絞っているのがミソです。
同時に本作は「ヒューマノイドロボットの反乱」などといういかにもSF的なテーマはさておくにして、ひとまず男女のジェンダー体験の差を「ヒト(男)とロボット(女)」に置き換えることで、より露骨に浮かび上がらせる風刺が炸裂していると言えるでしょう。
『エクス・マキナ』も似たようなことをしていましたが、『コンパニオン』のほうがもっと露悪的であられもないですね。
ジョシュは一見するとアイリスに優しく接しています。対等そうにみえるカップルを築いている…そう思えます。でも実際のところは全然違う…。結局は都合がいいように隣にいてほしいという「所有欲」なんですね。
それは例えば、若く美しいままでいてほしい…常に慕っていてほしい…性欲をいつでも満たしてほしい…。そういう男側の願望を満たすことが軸です。顧客の需要に応えるための商品ですから。
本作はそれがスマホで設定を変えられるという要素であからさまに皮肉的に描かれます。知能を「40%」に抑えているあたりも、うわ~…って感じです。「俺より賢い女は嫌だな」という女性蔑視が滲み出ている…。
性暴力被害に遭ってパニックになっているアイリスを「なだめる」かのように機能オフにする行為もまた、実際の被害者女性が受ける加虐的なコントロールと同じ嫌らしさです。女は感情的に騒ぎすぎないほうがいい…ましてやフェミニズムなんて語るな…そうやってどこまでも従順さを求めてくる…。
こうして『コンパニオン』は「男に都合よく権利を削除(デリート)された女がどれほど弱い立場にあるか」という現実を突きつけますし、やっぱり権利は女性と男性に対等に存在しないとダメだよね…ということをこれ以上ないほどにわかりやすく伝えてくれます。
そしてジェンダーを今度は脇に置いて、「ヒトとロボット」として権利を考えることもできます。
「ロボットやフィクションのキャラクターに惹かれる」というセクシュアリティも大切…と言う人もいるけど、確かにそれはそれで一理あるけど、しかし、だったら「ロボットやフィクションのキャラクターにも人権は与えられることが大前提にないといけないのでは?」という…。
やはり恋愛や結婚というのは、対等な人権が与えられた同士の間で初めて成立するものでしょうから。そうじゃないとそれは恋愛や結婚ではなく所有ですし、そこに愛をいくら片方が感じようとも所有者という圧倒的に有利な権力側の感情でしかないです。
『コンパニオン』のアイリスも自分がヒューマノイドロボットだとすら知らずに存在していて、とてもショックを受けます。「あなたは私にとっては“モノ”ではなく“愛する対象”なんだよ」という所有者の言葉は、アイリスにはゾっとする響きにしか感じません。
一方で、本作はイーライとその彼が所有するパトリックというヒューマノイドロボットの同性カップルの関係を通して「ヒトとロボット」の関係で愛が成熟する可能性を否定もしていません。少なくともパトリックはイーライ亡き後にジョシュがその所有権を乗っ取り、一時的にジョシュが恋愛相手だと記憶を上書きされますが、最終的にイーライとの関係を選択したようにみえる行動をとります。ヒトであろうとロボットであろうと、主体的な意思の先に愛がありました。
こんな感じで肌触りとしてユーモアも多めな『コンパニオン』ですけど、テーマにはしっかり向き合っていて良かったですね。
これが私の力…!
『コンパニオン』の中盤、一時的な拘束から脱して森に逃げ込んでからのパートは、反撃のターンとしてとてもスリリングでエンターテインメントをたっぷり楽しめます。
「自分が何者か」ということを自覚したアイリスがその己のアイデンティティを急速に学習しながら最大限に活用してこの人生最大の難所を乗り越えようと奮闘する…そのサバイバル魂がカタルシスあっていいですね。
知能を自分で「100%」に引き上げてからの「これが私の真の力!」という快感が気持ちいいシーンです。いいな、私も適度に頭脳使用率を調整したい…。
とは言え、そもそもがただのコンパニオンロボットにすぎず、特殊なスーパーパワーもないので、やはり絶体絶命なことには変わりありません。このあたりのバランスも緊張感を醸し出します。声色を変えるとか、言語を変えるとか、小さな試行錯誤で悪戦苦闘する各シーンはハラハラドキドキです。
そんな中、ジョシュは悪知恵だけは働くようで、パトリックを手下にして捕まえにいかせる作戦へ。ここのパトリックは『ターミネーター2』のパロディになっていて、別にこっちもただのコンパニオンロボットなのに、やけに雰囲気だけで怖い感じになっていてなんだかシュールです。
そして終盤はさらなるシステムからの解放が達成され、ここで初めてアイリスはジョシュと互角に戦えることに。これぞ本当に女と男の一騎打ち。「グッド・スリープ」の捨て台詞も良かったです。
ラストの「自由って最高よね」という気持ちよさを他者に波及させていく素振りをみせる爽快さといい、振り切った終わりかたなのもナイスでした。
『コンパニオン』はとくにこのジャンル屈指の傑作というわけでも、エポックメイキングでもないと思いますが、既存のジャンルを上手い具合に適度にアップデートしていて…。最近で挙げるところで言えば、2020年の『透明人間』とか、2024年の『オーメン ザ・ファースト』とか、そういう作品群に加わる良作だったのではないでしょうか。
こういう『コンパニオン』くらいのコンパクトな意欲作はやはりフランチャイズや人気IPとかではないからこそ試せることだと思うので、今後もこんな映画に期待しています。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
作品ポスター・画像 (C)Warner Bros. Pictures
以上、『コンパニオン』の感想でした。
Companion (2025) [Japanese Review] 『コンパニオン』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2025年 #ドリューハンコック #ソフィーサッチャー #ジャッククエイド #ルーカスゲイジ #ハーヴィーギレン #ミーガンスリ #ロボット #ゲイ同性愛