そのプレイをとくとご覧あれ…映画『さよならはスローボールで』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・フランス(2024年)
日本公開日:2025年10月17日
監督:カーソン・ランド
さよならはすろーぼーるで
『さよならはスローボールで』物語 簡単紹介
『さよならはスローボールで』感想(ネタバレなし)
ハングアウト、バッターアウト!
映画のサブジャンルのひとつに「ハングアウト(hangout)」というものがあります。日本ではまだあまり聞きなれないですが、英語圏でたまに目にする言葉です。
この「ハングアウト」というのは、「ストーリーの展開よりも、登場人物の交流を優先した映画であり、観客が登場人物たちと過ごす時間を楽しむことを重視する」としばしば説明されます。なので起承転結のあるドラマチックな物語はなく、キャラクターのエピソードを大きく深掘りもせず、のんびりと進行します。作中で何かしらの特定の状況が生じることもありますが、その状況はあくまで登場人物たちとの時間を過ごすための口実に過ぎないということです。
日本語でいうところの「日常系」や「日常モノ」に近いかもしれませんが、この「ハングアウト」はもっぱら実写映画に使われるサブジャンルです(今のところ)。監督であり、映画評論家としても有名な“クエンティン・タランティーノ”は「(観客が)登場人物とあまりにも長く一緒に過ごし、実際に友達のようになってしまうような映画」と表現していました。
例えば、“ハワード・ホークス”監督の『リオ・ブラボー』や、“リチャード・リンクレイター”監督の『バッド・チューニング』がよく挙げられます。
そんなハングアウト・ムービーをこよなく愛する“カーソン・ランド”という人が、長編映画監督デビュー作として、自分のハングアウト愛を詰め合わせして贈りだしてきたのがこの一作です。
それが本作『さよならはスローボールで』。
本作は、特段のスキルもない平凡な庶民が草野球しているだけの映画です。本当にそれだけ。それ以上のドラマはありません。一応、舞台になっている田舎の質素な野球場が取り壊しになるという設定がありますが、それは当然、登場人物たちが一同に集まる機会のために用意されたものにすぎません。とくに「取り壊しに反対しよう!」とか、「思い出を振り返ろう!」とか、そんなドラマチックなことにはならず、ただただ淡々と野球をしています。
これまで野球映画はいろいろありました。正統派な『フィールド・オブ・ドリームス』や、少し視点を変えた『マネーボール』など…。それらと比べると、この『さよならはスローボールで』はだいぶ…なんと言うか…。
正直、野球の試合を隅々まで堪能したい人には不向きなんじゃないかと思います。手に汗握る白熱の試合ではないどころか、そもそもちゃんと試合の模様がスクリーンに映り続けることもないですから。散発的に野球している姿が映る程度。「やる気ないんじゃないか!?」って言われてもしょうがないです。
こうなってくるとこの『さよならはスローボールで』は「野球映画」と言い切っていいのかちょっと不安になってきます。私は熱心な野球ファンではないのであまり細かいことは気にならないですけど、本作を熱心な野球ファンに勧めたら怒られやしないかと心配にもなる…。
原題は「Eephus」で、作中でも説明があるのですけど、この「イーファス」というのは、投手から投げられる球速が非常に低い弧を描く球種のことです。あまりにボールが遅すぎるので逆に打てないという技であり、打者を混乱させる戦略の一環として使われたりするそうです。
『さよならはスローボールで』においてもこのイーファスがひとつのキーワードででてくるので、そこはお楽しみに。まあ、この映画自体がイーファスのようにスローすぎるという、ジョーク的なタイトルでもあります。
なお、日本の宣伝では「中年男たちの青春ドラマ」と説明されていたりしますが、確かに中年男性多めなチームメンバーの顔触れですけど、若い人もいますし、年齢はわりとバラバラです。観客には子どもや高齢者もいて、とにかくとりとめのない雰囲気。そこがこの映画らしさなんでしょうけどね。
少なくともスポーツものなのにマッチョな人は全然いなくて、男らしさからやけに縁遠い作品になっています。
熱血さが微塵もないスポーツ映画をお探しの際はぜひどうぞ。
『さよならはスローボールで』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 子どもにはやや退屈かもしれません。 |
『さよならはスローボールで』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
マサチューセッツ州の小さな田舎町。季節は秋で、木々が紅葉し、そろそろ冬の到来が迫っていることを知らせています。この辺鄙な町には大きな事件もなく、ラジオで報じられるのは他愛もないささやかな地元の出来事ばかり。それがいつもの風景です。
そんな中、実は今日はあることが行われます。地元で長く親しまれてきた野球場「ソルジャーズ・フィールド」が、中学校建設のために取り壊されることになり、この野球場で最後の試合が行われるのです。
しかし、そうは言ってもプロの球団がやってくるわけではありません。この質素な野球場で週末に気楽に草野球をしてきた地元の大人の男たちが集まって、これまたいつもどおりの試合をするだけです。
観客はほとんどいません。わざわざ観に行くほどの面白い試合ではないことをみんなわかっています。来るのはよほど暇な人たちのみ。
それでも、ここでの最後の陽光を浴びながら、男たちは別れを告げるべく、丸一日かけて野球の試合に臨みます。
真っ先にどこからともなくやってきたのは、スコアキーパーをするのが日課になっているフラニー。別に誰がやってもいいのですが、彼はこれに夢中です。お馴染みの持ち込んだビーチチェアに座り、簡易的な机を広げ、毎度のポジションに陣取ります。観客は全然いないので、試合を眺めるのに苦労はしません。
試合をするのは、エド率いる赤のユニフォームの「アドラーズ・ペイント」と、グラハム率いる青野ユニフォームの「リバー・ドッグス」。
チームメンバーは最低限しかいません。赤の「アドラーズ・ペイント」は、プレストン、ジョン、チャック、クーパーなど。青の「リバー・ドッグス」は、ウィルトン、グレン、リッチ、トロイ、ローガンなど。
徐々にチームメンバーが自家用車などで集まってきて、とくに全員で集まることもなく、思い思いに準備をします。端でバッティング練習する人もいれば、体を伸ばして準備体操する人もいます。隣のフェンスの向こうではサッカーしている人たちがいるのが見え、やや冷たい目線を向けるしかできません。
グラウンドもいつでも準備万端。これと言ってオープニングのイベントもなく、ついに試合が始まります。
まず「アドラーズ・ペイント」のエドが投手です。キャッチャーのジョンとはいつものコンビ。
そうこうしているうちに「リバー・ドッグス」のギャレットが遅れてやってきて、着いて早々バッターとして立ちますが、あっさり打ち上げてアウトで終わります。
試合はなおものんびりと進みますが…。
ただそこにいて、野球をしているだけ

ここから『さよならはスローボールで』のネタバレありの感想本文です。
思い出の野球場が無くなってしまう…ここで最後の試合をしよう!
そんな導入があるならいくらでもエモさ満載の感動を押し出しまくる雰囲気にできそうですし、普通の映画ならそうするでしょう。
しかし、この『さよならはスローボールで』は全くそうしません。あまりにも平常どおり、なんだったら野球映画史上かつてないほどに退屈な試合をみせてきます。
それもそのはず、本作で野球をしているあの男たち。別に野球が特段上手いわけでもなく、素人よりは野球をわかってはいるけども実力はないレベルの趣味の範囲でしかありません。とりあえず野球の体裁を保っていればいいくらいの感覚です。
実際、本作に出演している主要俳優のほとんどは野球の本格的な経験もなく、撮影時のリハーサルが実質的に野球の練習になっていたそうで、もうそういうノリなんですよ。エドを演じる“キース・ウィリアム・リチャーズ”なんて、あの年齢で最近になって俳優デビューしたばかり。
野球に詳しくない私でさえ「ああ、この人たちは下手だな…」ってわかる風景でしたからね。
そのぐだぐだな野球プレイをこの映画はじっくりみせるわけでもなく(みせるほどの中身がないのだと思いますが)、それが余計にこの試合をいい加減な印象にさせています。
一応は接戦になっているあたり、たぶんあの2チームの実力はちょうどいいくらいには互角になっているのでしょうけどね(極端に実力差があったら本当にやっている側もつまらないでしょうから)。スクリーンに映っていない間にも試合は進んでいるにもかかわらず、なんだかんだで時間のかかるゲームになってしまっています。
結局、最後はフォアボールで「6-5」の結果で終わるという、何の盛り上がりもない終了です。夜間になって車のヘッドライトでグラウンドを照らすという苦肉の策をわざわざやったのに、このカタルシスのなさ(1990年代の車が揃うのは見どころだけど)。
しかも、それぞれの健闘は称えるも、みんなで集まって飲みに行くでもなく、バラバラに帰ってしまいますから。
本作が面白いのは「どういう理由でこのチームの顔ぶれになったんだろう?」と疑問に思うほどに、あの登場人物たちの共通項が見えないということです。本当ならそのキャラクターのバックグラウンドをみせることで、物語が肉付けされ、深みがでます。
けれどもこの映画はそういうことに興味がなく、ただ彼らがそこにいるだけ。年齢もばらけていて、野球に対する熱意も差があるような、そんな連中がどうしてここで試合をしているのか。そこに理由を用意していません。多少の人物背景が見える瞬間もありますが、わざわざクローズアップもしません。本当に単に舞台のために用意されたキャラクターです。それこそモブキャラみたいですよ。
であるにもかかわらず、なぜか不思議とあの登場人物たちに魅入ってしまう、その謎の力。野球をプレイしている人間だけでなく、脇にいる他の人物にまで、別にいてもいなくてもどうでもいいのに、とくに何もしなくていいからそこにいてほしいと思ってしまう感じがある。なんとなく勝手に「この人はこんなことを思っているのだろうか」と余計なお世話で考えたくなる余地がある(そしてきっとそんなことを言ったら当人に「うるせぇ」と怒られそう)。
「プロットに登場させる要素にはすべて必要性を満たす意味がないといけない」なんてこだわる人には到底受け入れらない、これぞハングアウト・ムービーの「空気を読まない」真骨頂なのかもしれませんけどね。
作品に政治的な要素はないけど…
『さよならはスローボールで』は何の社会問題も描いていないですが、実は奇妙なことに製作裏は案外と政治的な要素が隠れています。
本作の製作に関与している座組の中に「Chapo Trap House」というポッドキャストのメンバーがいます。これはどういうポッドキャストかというと、民主社会主義的な視点から政治や社会のトピックを解説するコメディであり、最大の特徴は非常に礼儀正しくなく、無礼で下品で雑なノリでわざと切り込んでいくスタイルです。「Chapo Trap House」のそのスタイルは「ダートバッグ・レフト」という左翼政治のいち形態と呼ばれており、ある一部からは「極左」だと非難されたりもしますが、そんな言葉でこのアプローチを止める人たちではありません。彼らの手にかかれば、保守派も穏健派のリベラルも批判対象です。容赦なく批判します。
2期目の“ドナルド・トランプ”政権の2025年からはこの「ダートバッグ・レフト」が一層脚光を浴びて「Dark Woke」なんて呼ばれる現象に発展したりもしていましたが…。
また、本作にしれっと登場してしれっと消えていく謎のピッチャーのリー。彼を演じているのは“ビル・リー”(「スペースマン」の愛称がある)という「ボストン・レッドソックス」と「モントリオール・エクスポズ」で活躍したメジャーリーグの本物の選手です。イーファス・ピッチが得意だったので、セルフオマージュにもなっています。
その“ビル・リー”が投手として活躍したのは主に70年代ですが、当時は“ビル・リー”は野球以外にやたらと政治的に思い切った発言でマスコミの話題をかっさらった人でもあり、たいていその発言は極端に左派に振り切ったものが多かったです(毛沢東思想を支持するとか)。
別にこの『さよならはスローボールで』は左派はおろか何の政治的メッセージも発していないと思うのですけども、あの登場人物全員、そして作品自体の「大衆に迎合しない皮肉っぽいときに棘のある態度」の原点はそこから来ているのだろうなと感じ取ることはできるでしょう。
どちらにせよこれは草野球です。どっちが勝とうが、次もどこかでまた試合をするかもしれません。そのときはまた彼らはやってくるはず。退屈そうに、でも好きだからこそ…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024 Eephus Film LLC. All Rights Reserved.
以上、『さよならはスローボールで』の感想でした。
Eephus (2024) [Japanese Review] 『さよならはスローボールで』考察・評価レビュー
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