そう思っていいですよね?…映画『アフター・ザ・ハント』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア・アメリカ(2025年)
日本では劇場未公開:2025年にAmazonで配信
監督:ルカ・グァダニーノ
性暴力描写 LGBTQ差別描写 恋愛描写
あふたーざはんと

『アフター・ザ・ハント』物語 簡単紹介
『アフター・ザ・ハント』感想(ネタバレなし)
ルカ・グァダニーノも配信スルー
突然ですが“ルカ・グァダニーノ”監督の2025年の最新作、日本では劇場未公開で配信スルーとなりました。“ルカ・グァダニーノ”監督のネームバリューでもか…という感じですが、最近は「Amazon MGM Studios」配給の作品は日本だと高確率で「Amazonプライムビデオ」行きになるのが恒例になっちゃっているのでね…。ブラックフライデーで儲けてるんだから、映画館で公開したっていいじゃないか、Amazonさんよ…。
“ルカ・グァダニーノ”監督もここ最近は多作ですね。2024年は『チャレンジャーズ』と『クィア QUEER』を送り出していました(日本では『クィア QUEER』は2025年公開だったので、今年は2作ということに)。


そんな“ルカ・グァダニーノ”監督の2025年の最新作が本作『アフター・ザ・ハント』です。
今回の“ルカ・グァダニーノ”監督作は脚本を手がけるのが“ノラ・ギャレット”という、これまで俳優として活動してきた人で(今作で脚本の仕事は初っぽいですが)、なのでいつもの監督作とはトーンが少し違います。でも“ルカ・グァダニーノ”監督らしい勢いで押していく編集センスと尖った演出が時折炸裂します。
物語は大学で教授として働くひとりの中年女性が主人公で、博士課程の若い女性が主人公の同僚男性に性的暴行を受けたと相談しに来たことが始まりとなります。と言っても社会正義を単純に描く作品ではありません。
キャンパスを舞台にしたサスペンス・スリラーであり、緊迫感が持続する人間関係を土台に、挑発的な会話劇が繰り広げられる作品です。不愉快に感情を逆なでするのも全て織り込み済みの仕掛け。
わりとコンテクストを理解することが要求されるので、なかなかしっくりこないこともあるだろう曲者な作品ですが、各登場人物の背景が整理できていると比較的落ち着いて観られるのではないかなと思います。
異性愛がメインストーリーの前提の作品ですが、ちゃっかりクィアなエッセンスが裏側に練り込まれているのはさすが“ルカ・グァダニーノ”監督作といったところ。主題にせずとも自然に盛り込んでいるのはこの監督の得意技ですかね。
『アフター・ザ・ハント』で主演するのは、『チケット・トゥ・パラダイス』や『終わらない週末』の“ジュリア・ロバーツ”。
共演は、『ボトムス 最底で最強?な私たち』の“アヨ・エデビリ”、『We Live in Time この時を生きて』の“アンドリュー・ガーフィールド”、『君の名前で僕を呼んで』の“マイケル・スタールバーグ”、『ボーンズ アンド オール』の“クロエ・セヴィニー”など。
気になる人は『アフター・ザ・ハント』を忘れずにウォッチリストに加えておいてください。
『アフター・ザ・ハント』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 性的加害事件を主題にしているので注意。また、LGBTQ差別的なセリフがいくつかあります。 |
| キッズ | 題材ゆえに低年齢の子どもには不向きです。 |
『アフター・ザ・ハント』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
アルマ・イムホフはイェール大学の哲学教授をしています。職場は穏やかで、多くの学生を前に講義をするのも手慣れています。実はアルマは健康上の理由で長期休暇を終えたばかりて職場復帰して間もないものの、その空白は感じさせません。
家では家政婦のファヴィオラに家事を任せつつ、こちらも喧騒のない生活を送っていました。
ある日の夜、長年の付き合いであるセラピストの夫フレデリックとともに自宅で落ち着いたディナーパーティーを開催します。そこには同僚のハンク・ギブソン助教授と博士課程のマギー・レズニックも参加していました。
アルマとハンクは終身在職権を欲していましたが、2人ともそれが得られるのか、どちらか落とされるのか、それはわかりません。お互いに何気なく会話するも牽制し合っています。
アルマが複数人の前で学問における倫理について持論を述べていると、それを聞いていたハンクはやや唐突にマギーの論文の話を持ち出します。しかし、この中ではまだ若いマギーはあまりそのことを話題にされたくないようで、お手洗いのために席を立ちます。
マギーは人影のない廊下を歩き、浴室へ。すぐに戻りたいわけでもないので引き出しを開けて時間を潰していると、戸棚の上部に隠すように封筒を見つけます。中を確認するとそれには思い出の品のような古いものが入っていました。
一度戻そうとしますが、マギーは衝動的にその一部である新聞の切り抜きを自分のポケットに突っ込み、持っていってしまいます。
何事もなかったようにマギーがみんなの輪に戻ると、ちょうどまた終身在職権の話をしていました。アーサーという若者男性が「アルマ先生なら心配ないでしょう。今のご時世なら。現在の目下の嫌われ者はストレートでシスジェンダーの白人男性です」と発言。
それを耳にしたマギーは「被害者意識を持っているのね」と分析し、皮肉を飛ばします。しかし、その若者男性は「今は女というだけで優遇される」と主張を曲げません。
その会話を黙って聞いていたアルマは口を挟み、「実力選考とは考えず、多様性の時代だからキャリアを手にしたとどうして思ってしまうのか」と問いかけます。
そのとき、タルトが持ち込まれ、ずっとその舌戦を眺めていたハンクは議論を中断させます。
少し場から離れたアルマに脇から見ていたフレデリックは「君はハンクからもマギーからも気に入られている」と見立てを述べます。
ディナーは終わり、ハンクはマギーを家まで送り、2人が出ていく姿をアルマは玄関から確認。
ところが、翌日の夜、アルマは自宅の外で座り込んで憔悴するマギーを見つけます。彼女は妙に落ち着きがなく、言いづらそうに昨日の後の話を口にします。なんでもハンクから性的暴行を受けたそうです。その話を無感情な顔つきでじっと聞いていたアルマは詳しく聞こうとし、一方でマギーの口からアルマ自身に言及されると「私の過去と何が関係あるっていうの?」と激しく反応。マギーはその態度に困惑して去っていきます。
さらに次の日、ハンクと1対1で話してみると、「どうせ水掛け論にしからない」と彼は性的加害の疑惑を否定するも、確かに家で酒を勧めたし、「パートナーは不在」という言葉で誘われたと思ったと開き直ります。さらにマギーは論文を盗用していると、彼女の印象を悪くする方向に論点をすり替えます。
「俺は奨学金を返すのにも苦労した。あんな親がカネ持ちの若者のデマに台無しにされるのは嫌だ」とハンクは意地になり、会話はそれ以上は無意味でした。
そして大学側もこの問題を把握することになり…。

ここから『アフター・ザ・ハント』のネタバレありの感想本文です。
被害者意識の格差
『アフター・ザ・ハント』は、キャンパス内での性暴力問題というスキャンダラスなテーマを扱っていますが、実のところ、そこは主題になっていません。それは背景です。
例えば、一見すると「マギーが性的暴力を受けたのは事実なのか」という論点があるように見せかけていますが、それは実質的には争点になっていません。
現に序盤でハンクが自供するように、もう彼は「相手を酒で酔わせて同意をとらずに性的行為をした」と認めてしまっています。あとは単にあのハンクが頑なに「それでも性的加害じゃない」と自論で正当化し続けている見苦しい姿が繰り広げられるだけです。
ハンクは序盤から女性蔑視的な態度をとっています。それこそあの若い男性を鉄砲玉のように扱って「世の中は男尊女卑じゃなく、女尊男卑なんだ」という典型的なレトリックを言わせており、非常にマノスフィア的です。ハンクは目下の女性にも男性にも操作的に接する傾向があります。
一方、後半はアルマの過去が浮き彫りになり、アルマ本人は10代で父親の友人と性的関係を持って愛していたと語り、15歳で性的関係を持っていたものの、その人は別の女性と交際し始め、惨めになってレイプの告発をした結果、彼は自殺した…ということが判明します。アルマはこれを「良い人だったのに私が彼の人生を潰した」と後ろめたさを抱えているようですが、フレデリックが静かに指摘するように、アルマは紛れもなく性的暴力を受けていたわけです。当人は被害者意識を認識できず…。
アルマとマギーを横に並べて比較すれば、そこにあるのは適切な被害者認識を持てるかどうかという差です。無論、ハンクのような自惚れた紛いものの被害者意識は話になりませんが…。とにかくアルマとマギーでは社会における倫理教育の成熟の格差ゆえか、そこに決定的な開きが生まれていました。
こうなってくるとそんな容易に連帯なんてできるわけもありません。同じ女性でもあまりにも全く境遇はかけ離れています。
そのうえ、アルマはハンクとの間に、共にこの大学という厳しい世界で共闘してきた同僚の仲という以上に、不倫関係の歪な状況を引きずっており、ある意味でマギー以上にコントロールされてしまっています。あまつさえ終盤にはアルマもハンクに性的加害をされるという様子が映し出され、もう追い詰められまくりです。
正直、『アフター・ザ・ハント』は『AND JUST LIKE THAT… / セックス・アンド・ザ・シティ新章』とは違って、白人中年女性の複雑な現在の立場を相当にシニカルに切り込んで描いているので、その自己批判的な姿勢は良いには良いのですが、ちょっと自傷的すぎないかなとは心配になるギリギリのアプローチではありました。
アカデミアの特権のリトマス紙
また、『アフター・ザ・ハント』はアルマだけでなく、あのアカデミックなエリート的学歴の人たちが無自覚に有する「やや的を外した被害者意識」を全体的に映し出してもいます。
そこで要所要所で駆使されているのが、クィアネスを冷笑する規範的眼差しです。
作中では、アルマや、その夫のフレデリック、またアルマの友人である精神科医のキムなどが、しれっとLGBTQ蔑視的な発言を口にするシーンがいくつか紛れ込んでいます。ただ、この差別的なセリフがあまり日本語では上手く翻訳されていないので、少々理解しづらいのが難点になっているのですが…(明らかに翻訳者の特定分野の不慣れがでてる)。
例を挙げるなら、アルマが夫のフレデリックにマギーは「ゲイ」だと本人のいないところで伝える場面。この「ゲイ」は「同性愛者」という意味ではなく、「性的指向がマイノリティである」というニュアンスなのかもしれませんが、いずれにせよ今回の場合は誤解を招く言い方です。
なにせマギーはあの時点ではアレックスというおそらくノンバイナリーらしい学生と交際しています(演じているのはトランスジェンダー当事者である“リオ・メヒエル”)。
そしてアルマはところどころでそのアレックスをミスジェンダリングしてしまっており、マギーに訂正される一幕もあります。
アルマやキムはこのジェンダー・アイデンティティをめぐる概念に対して学識者とは思えない浅はかな態度でチクチクと嫌味を言っている姿が散見され、最終的にアルマはマギーがアレックスと交際するのも見栄えの問題だと言い放ち、まるでジェンダー・アイデンティティをファッションのようにみなしているアルマの本音が露呈します。
マギーは黒人ですが、人種を論点にすると露骨に人種差別だと思われて不利なのはアルマもわかっているでしょう。でもその程度は理解している知識人でも、ジェンダー・アイデンティティなら暴言は許されると思っている…この舐めた感覚。結構、キャンパス内の学者コミュニティの中のリアルさを描いていると思います。
もうジェンダー・アイデンティティの見解をチェックするのが今のアカデミアの人たちの特権意識を図るリトマス試験紙になっているんですよね…。
このようにアカデミアのエリート特権は風刺はできていたと思いますが、さすがにマギーのほうはどこまで本気で風刺したいのか、やや中途半端すぎた感じはありました。さすがに脚本に盛り込みすぎかな、と。
ラストは、“ルカ・グァダニーノ”監督流の皮肉なオチです。こんな何もかもが丸く収まっている(ハンクは民主党の広報で仕事しているのはちょっと笑う)甘ったるいエピローグ、あるわけないだろう…というところで…。
まあ、あれですかね。何もキャンセルもない(誰にとってのものでもない)ハッピーエンドな世界ってそんなに良いものですか?という観客への挑発でしょうかね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
以上、『アフター・ザ・ハント』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Amazon MGM Studios アフターザハント
After the Hunt (2025) [Japanese Review] 『アフター・ザ・ハント』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2025年 #ルカグァダニーノ #ジュリアロバーツ #アヨエデビリ #アンドリューガーフィールド #マイケルスタールバーグ #性的加害事件告発 #教授 #大学生 #レズビアン #トランスジェンダー #ノンバイナリー
