では別の存在の自由はどこにある?…映画『大いなる自由』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:オーストリア・ドイツ(2021年)
日本公開日:2023年7月7日
監督:セバスティアン・マイゼ
自死・自傷描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
大いなる自由
おおいなるじゆう
『大いなる自由』あらすじ
『大いなる自由』感想(ネタバレなし)
いつも自由の戦いは法律から始まる
2023年7月時点、日本という国はいまだに同性同士の法的な結婚ができません。
日本では、同性のカップルが結婚できない現行の法律が憲法違反かを問う「結婚の自由をすべての人に」訴訟が各地で行われ、札幌、大阪、東京、名古屋、福岡とそれぞれの一次訴訟の地裁判決が6月に出そろいました(Yahoo!)。
前進とも言える判決が下されたものもあります。しかし、なおも同性結婚の実現は道半ばです。考えてみてください。2023年になっても「相思相愛なのに好きな人と結婚できない人がいる」という現実を…。
2023年時点で30以上の国で同性結婚は法的に制度化されており、つい最近だとエストニアでも2024年1月1日から同性結婚が可能となります。
そんな同性結婚の法的な支持の広まりが見られる一方で、昔は多くの国々で同性結婚どころか同性同士の性行為さえも犯罪化されてきました。法律が同性愛者を縛り上げ、犯罪者の烙印を押してきました。
つまり、いつの時代もまずは法律との戦いです。法律が全てではないのですが、でも法律を何とかしないことには始まらない。だから法律に苦しめられ、法律に抗い、法律を変えさせる。法律は大衆や社会の支配のためではなく、人権を守って平等を実現するためにあるのだという基本理念を忘れずに。
そうした日本含む世界全体の問題として認識を持ちながら、今回紹介する映画を観てほしいです。
それが本作『大いなる自由』。
『大いなる自由』はドイツ・オーストラリア製作の映画で、物語は1945年から1960年後半までのドイツが舞台です。主人公のひとりは、“ある理由”で刑務所に何度も入れられ、そこで別の人物と知り合うことになり、その2人の交流を軸に描いています。
この“ある理由”が大事なのですが、それは「同性同士の性行為」です。ドイツでは1871年から「刑法175条」という男性同士の性行為を社会秩序に反するという名目で違法とする法律が存在していました。それは当初はほとんど形骸化していましたが、ナチス時代により厳格に運用されるようになり、多くの同性愛者が捕まりました。そして戦後東西ドイツでもそのまま引き継がれることになり、逮捕者は出続けます。結局、西ドイツでは1969年に21歳以上の男性同性愛は非犯罪化され、1994年にようやく撤廃されるまで、法律による迫害が継続したのです。
『大いなる自由』はまさにその迫害のど真ん中にいた当事者を描くものです。作中では背景はあまり説明されませんので、日本の観客としては少し情報不足かもしれません。でも2023年に『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』という大変素晴らしい歴史ドキュメンタリーが配信されたので、それを観ることで「なぜナチス時代に同性愛の迫害が悪化したのか」を学ぶことができます。『大いなる自由』とセットで視聴するのを強くオススメします。
日本では限定公開されているだけですが、『刑法175条(Paragraph 175)』(2000年)というずばり「刑法175条」を主題にしたドキュメンタリーも参考になります。
『大いなる自由』は実在の歴史を間違いなく描いてはいるのですが、非常に個人に焦点をあてた、どことなく寓話的な物語となっており、味わい深いです。感情を説明的に描写しないので、徹底して演出で感じ取っていく…そんな作品です。
この『大いなる自由』はカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で審査員賞を受賞。ヨーロッパ映画賞では撮影賞と作曲賞を受賞し、オーストリア映画賞では最優秀長編映画賞・監督賞・脚本賞・撮影賞など8部門受賞、さらにドイツ映画賞でも最優秀映画賞を受賞と、その評価はじゅうぶんすぎるくらいの称賛で埋め尽くされています。
監督はオーストリア出身の”セバスティアン・マイゼ”。2012年に『Outing』という、小児性愛者の当事者の葛藤や人生にカメラを向けたドキュメンタリーを制作しており、『大いなる自由』は”セバスティアン・マイゼ”監督の長編劇映画の2作目です。
俳優陣は、『名もなき生涯』『水を抱く女』の“フランツ・ロゴフスキ”、『ファウスト』『ワイルド わたしの中の獣』の“ゲオルク・フリードリヒ”、Netflix映画『西部戦線異状なし』の“アントン・フォン・ルケ”、『ホーホヴァルト村のマリオ』の“トーマス・プレン”など。
ジャンルとしては刑務所モノですが、登場人物もほぼこの4人なので、本当に静かなドラマです。このジャンルにありがちな野蛮さとかも全然ないですから。
『大いなる自由』の物語を噛みしめながら、今ある法律にも目を向けて…。
『大いなる自由』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :見逃せない良作 |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :同性ロマンスが主 |
キッズ | :大人のドラマです |
『大いなる自由』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):何度でもそこへ
1968年。とあるトイレ。それを利用している男たちが、人目を気にするように2人になり、小便器の前や個室の中で密かに性行為にふけっています。これは公衆トイレの鏡の後ろにあるカメラによる隠し撮りのようです。
この映像は、裁判所で流されていました。法廷が明るくなり、「これで全部ですか?」と確認されます。そして、男性同士の性行為を禁止している刑法175条を取り上げ、淡々と有罪が確定します。24か月の懲役刑を言い渡されたのは、法廷に佇むひとりの男。名前はハンスです。誰もそこに異論は挟みません。
ハンスは刑務所に輸送されます。とても落ち着いており、刑務所に到着してからも抵抗は一切しません。パンツ1枚になり、身体チェック。荷物を没収され、全裸になって隅々までチェックされますが、ハンス自身も慣れた対応でした。
囚人用の簡素な服に着替え、房に案内されます。狭い粗末な場所。ここで暮らすことになるわけですが、ハンスはいつもの場所というようにベッドに座ります。
囚人たちの仕事場ではミシンで裁縫が行われていました。ハンスはひとりの男に目を向けます。ヴィクトールです。2人は顔見知りで、自然に会話をします。
夜、房で煙草を吸い、上にある小さな窓に煙を吐き出してくつろぎます。
別の日、レオという若い男が部屋の掃除に入ってきます。同じようにトイレで捕まったようです。
囚人は中庭の外へ。レオに視線を向けるハンス。遠く離れたところに座っていますが、どうやら他の囚人にいじめられています。近づいて助け出そうとしますが、絡まれて蹴り飛ばされます。それを少し離れた位置で何気なく見つめるヴィクトール。
ハンスは懲罰房にバケツをもたされてパンツ1枚でしばらく閉じ込められます。しかし、時間が経つと、タバコが投げ込まれ、わかっていたかのように真っ暗闇で一服します。明かりがハンスの疲れた顔を照らします。
戦後すぐの1945年。若きハンスは刑務所にやってきました。房に案内されると、そこは2人部屋で、先着はヴィクトールでした。とくに会話も無く、横になるハンス。
ヴィクトールはハンスが刑法175条違反者だとプレートで理解し、ハンスが部屋に入って来た瞬間に、モノを投げつけ、蹴り上げて追い出そうとしてきます。看守に怒られ、大人しく部屋に戻る2人。けれどもヴィクトールは「触ったら殺す」と剣幕を剥き出しにします。
ところがふとした拍子にハンスの腕に彫られた番号に気づきます。急に態度を変え始めたヴィクトールはハンスにマッチを渡してくれます。
そしてそのナチスの強制収容所の囚人を示すタトゥーを消してくれると言い、熱した針で黒く塗りつぶしていきます。
こうして2人は知り合い、この刑務所だけの交流を深めていくのでした。ハンスが何度も有罪で捕まるたびに…。
皮肉な物語、そして抵抗と願いの寓話
ここから『大いなる自由』のネタバレありの感想本文です。
『大いなる自由』は全体として演出が素晴らしく、何よりも「刑務所」という空間を題材に巧妙に活かしていたと思います。
まず冒頭ですが、同性同士の性行為を証拠をおさめた男性トイレの隠し撮り映像が流れます。裁判での証拠映像というかたちですけど、とてもセクシャルな日常のひとときという感じです。でもマジョリティ規範を象徴する裁判関係者はこれを「性的逸脱行為」として当然のように咎めます。
それに対して、ハンスは刑務所に収監されるのですが、そこでは全裸にしてケツの穴まで入念にチェックされたりと、明らかに冒頭のトイレに匹敵するような「性的行為」が業務として平然と行われているわけです。でもこれは犯罪にはならない…。そして男性刑務所という空間自体が非常にホモセクシュアルな世界であるという事実も…。
これは見方によってはシュールです。ハンスみたいな男性同性愛者に刑罰を与えて閉じ込めるなら、極端な話、女性刑務所に連れ込むほうが本人は嫌でしょうけど、実際は「同性愛は違法だ」と有罪にした男性同性愛をよりホモセクシュアルな空間に連れて行ってしまっている皮肉な顛末…。
もちろん男性同性愛にとって男性刑務所は楽園だ…なんていう話ではありません。ただ、そこに暗黙に存在する社会の矛盾というものを本作は初っ端から浮かび上がらせます。
ハンスも最初は刑務所も嫌だったでしょうが、しだいに順応していきます。本作のハンスはかなり適応力のある人間ですよね。生い立ちのせいなのか、異性愛規範に屈しないという精神力の成せる技なのか。本作で描かれない強制収容所が一番酷い体験でそこでもう心は麻痺したのかもですけど…。
そうしていくうちに、この刑務所がハンスにとっては第2の宿屋みたいになっているような節もあります。本作ではハンスの刑務所外での生活の様子はしっかり描写されませんから、余計にハンスはこの刑務所を居場所にしているようにすら思えてきます。タイムラインが後になればなるほどに、さまざまな動作からハンスが刑務所に溶け込んでいるのもわかり、その味わいを深めます。
本作は非直線的なストーリーです。1968年から1945年に切り替わるとき、真っ暗な懲罰房のシーンで自然に時間がシフトしていくのも、「マッチ売りの少女」みたいで寓話的かつ印象的な演出です。ハンスにとって「時間」というものがここでずっと流れていたこと、そして何かの願いのようなものを表すようで…。
より大きな自由のための闘いを暗示するラスト
『大いなる自由』はハンスひとりの物語ではなく、そこに主に3人の男性が絡んできます。しかし、対話としてまとまったものは薄く、とても抽象的なコミュニケーションが繰り広げられます。
ハンスにはオスカーというボーイフレンドがいて、1957年には一緒に刑務所に入ってきます。最初は独自の方法でメッセージを送り合い、ハンスは関係を続けようとしますが、オスカーは命を絶ってしまいます。同じ同性愛者でもこの空間に耐えられるかは全然違ってくるという現実が突きつけられます。このオスカーはその佇まいからして、いかにも身なりのいい育ちの良さそうな男ですから、その差もあったのかな。
一方、最も若いレオは当初は経験の浅そうな男ですが、意外にも狡猾に相手を出し抜いてみせます。あれはあれでレオの生存戦略なのでしょうし、たぶんレオは刑務所外の世界でもそうやって差別の中でサバイブしてきたんじゃないかなと思わせます。
そしてキーパーソンとなるヴィクトール。実は彼が一番よくわかりません。
始めは露骨にホモフォビアな嫌悪感を全開にし、ハンスがナチスの強制収容所にいたことを知ると同情を示します。でもハンスとの関係は単純に男同士の友情でもなさそうです。ヴィクトールは刑務所内で他に話し相手もいるようですし、別に友情に飢えてはいません。ハンスとの関係はもっと特別に見えますし、それはプラトニックな愛なのか…。
また、ヴィクトールは女性の裸写真を見ても興奮できない自分に焦りを感じ、本人はそれを看守に性欲抑制剤を飲まされたせいだと勝手に決めつけていますが、詳細は不明です。一般的に考えると、刑務所ストレスやドラッグ依存のせいであることが原因候補だと思うのですけど…。
しかし、異性愛者だと自認しているヴィクトールはもしかしたら同性愛者、はたまた別のセクシュアル・マイノリティかもしれません。いや、それとも異なる次元のアイデンティティがあるのかも…。そう解釈すると、ヴィクトールの殺人の過去もそう安易なものではなく、複雑な人生を想像することができます。
ハンスにとって刑法175条の廃止はひとつの区切りになることは間違いありません。でも自分が何者なのかさえも曖昧なヴィクトールにとってはそういう区切りの概念さえない。
ラスト、ハンスは出所して、ついに同性愛が犯罪ではない表の世界に立ちます。そのクラブでは奥深くで刑務所を模した性的な空間があり、それが過去になったことと、あの空間の同性愛的親和性をあらためて突きつけます。
そしてエンディングではハンスは全く無意味な犯罪紛いのことをしてわざと捕まろうとしている素振りをみせる。あの行動の理由は観客の解釈に委ねられます。ヴィクトールとの再会を想っての行為なら、切なくロマンチックですが、これはこれでハンスなりの次のステージの闘い方なのかもしれません。
実際、歴史においても、ドイツは1969年の刑法175条の廃止で同性愛者にとっての平穏を取り戻したわけではないです。ここから権利運動の闘いが始まり、2000年に政府議会は同性愛者への迫害を謝罪し、2017年にやっと同性婚は法的に制度化されます。
2017年なんてハンスは絶対に生きていません。あのハンスは好きな人と結婚を一度もできずに人生を終えたのでしょう。
さまざまなセクシュアル・マイノリティが手を取り合って戦う時代の始まり。それを予感させる終わり方を見せる『大いなる自由』。より大きな自由のために、今日も、日本含めて世界各地で闘っている人がいます。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 91%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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以上、『大いなる自由』の感想でした。
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