この監督は私のお気に入り…映画『女王陛下のお気に入り』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アイルランド・イギリス・アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年2月15日
監督:ヨルゴス・ランティモス
性描写
女王陛下のお気に入り
じょうおうへいかのおきにいり
『女王陛下のお気に入り』あらすじ
18世紀初頭、フランスとの戦争下にあるイングランド。女王アンの幼なじみレディ・サラは、病身で気まぐれな女王を動かし絶大な権力を握っていた。そんな中、没落した貴族の娘でサラの従妹にあたるアビゲイルが宮廷に現れ、女王のお気に入りになることでチャンスをつかもうとするが…。
『女王陛下のお気に入り』感想(ネタバレなし)
変態はギリシャからやってくる
五輪担当大臣による白血病を公表したスポーツ選手に対する「がっかり」発言が問題視されて騒がれていますが、それはさておきオリンピックの初期の姿を調べていくと結構素で「がっかり」します。
オリンピックといえば今ではスポーツの世界的祭典として大衆に感動を届けていますが、オリンピックの起源となった古代ギリシアのオリュンピア大祭は、それはもう現代のオリンピックとは比べものにならない珍妙さでした。全裸で走ることもあれば、やたら重武装して競技するものもあり、はたまた相手の骨を折るのもOKな格闘技も行われ、あげくに審判を買収して腐敗にまみれたり…意味不明かつグダグダドロドロの様相だったようです。ノリでやっていたんじゃないかなと思わなくもない…。こうやって考えると、よく現代のオリンピックとして発展していきましたよね。
そんなオリンピックを生みだしたギリシャは他にもあらゆる文化の発祥の地。政治、科学、文学、歴史、娯楽…多くの存在がギリシャから始まりました。たぶんそれらも始まりはかなりヘンテコな感じだったのでしょうけど、それでも気にせず突っ走るのがギリシャスタイルなんですかね。
そのギリシャ。どうやら現代でも「よくわからんもの」を生み出す謎創出精神は衰えていないようです。ここ最近、ある映画監督がギリシャから登場し、業界をザワザワさせています。
“ヨルゴス・ランティモス”…それがその正体の名前です。
ある人は彼を「天才」呼び、またある人は「奇才」と呼び、別の人は「変態」とも呼ぶ。なんだそれ…という感じですけど、実際、そんな監督なのでしょうがない。
とにかくこのギリシャ出身の監督の作る映画は奇妙キテレツなものばかり。自らの才能を知らしめた初期作『籠の中の乙女』では、珍妙なルールで外界から隔絶された家族を描き、次の『ロブスター』では、恋愛して結婚しなければ動物に変えられてしまうという恐怖の独身地獄を描き、題名からして変な『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』では、怪しい少年に狂わされていく家族の姿を不気味に描く…文章にすると“奇妙さ”があまり伝わっていないかもですが、映画を観ると100倍は変に思えるはず。
どれも非常にクセが強く、観た人は「え?え?」と脳内で困惑することになるのですが、ここが評価もされていて…。私もすっかりこの「変態」に魅了されてしまったひとりです。
“ヨルゴス・ランティモス”監督が凄いのは、普通、こういう作風だとカルト映画としてマニアだけに評価され続ける感じになるのに、不思議と作家性をそのままにキャリアアップして存在感を増しているんですよね。
その証拠に最新作『女王陛下のお気に入り』は、世界各地の映画祭で数多くの賞に輝き、まさかの2018年の傑作メンバーに仲間入りしています。繰り返しますけど、変な映画を作る監督の作品なんですよ。
しかも、本作は配給が20世紀フォックスとなって公開劇場数が一気に増えました。いち映画ファンとしてこれは素直に嬉しいですが、初めてこの監督の作品に触れた人が驚かないだろうか…そんな余計な心配も…。変な映画を作る監督の作品なんですよ(再三の警告)。
あとは本作は事前に語るべきことはありません。相変わらず監督のクセは暴れています。ただ、今作は英国王室が舞台ということで、これまでの監督過去作にはないゴージャスさ。でもゴージャスといっても綺麗でオシャレという意味ではなく、この監督の魔術にかかれば、それさえも珍妙さを醸し出す素材にすぎず…。純粋な王室の煌びやかさを鑑賞したいなら『ヴィクトリア女王 最期の秘密』とかを観てください。
“オリヴィア・コールマン”、“エマ・ストーン”、“レイチェル・ワイズ”といった名女優たちのアンサンブルにも注目です。この演技合戦が一番の目を奪われるポイントでしょう。取り扱い注意の怪作を覗き見たい方はぜひ。
『女王陛下のお気に入り』感想(ネタバレあり)
本当に実在した、あの人たち
散々“ヨルゴス・ランティモス”監督のクセをアピールしておいてなんですが、実は今作は“ヨルゴス・ランティモス”は監督だけで、脚本は別の人です。ライターのひとり“デボラ・デイヴィス”という方は、イギリス史や王室に関する知識に長けた人らしいのですが、本作のプロットの元になったスクリプトは“デボラ・デイヴィス”が1998年に書いたものだとか。つまり、企画自体は相当昔から温められていて、“ヨルゴス・ランティモス”監督がそれを形にした感じですね。
なので鑑賞前の私は、過去作よりも“ヨルゴス・ランティモス”監督のクセは抑え気味でトーンダウンしているんじゃないかと思っていました。
で、鑑賞し終わってどう思ったか。“ヨルゴス・ランティモス”監督節、全開じゃないか…。やっぱりこの人、そんな簡単に消せるタイプの作家性じゃないです。
本作は、日本の公式では「英国版の大奥」と表現されたりしています。確かにそのとおりで女性たちの権力闘争を主軸にした政治風刺劇です。
舞台は今でいうところのイングランド。時代は1700年代初め。登場人物の多くは実在の人物です。
最初のグレートブリテン王国君主としても名高い「アン女王」。作中でも語られるとおり、6回の死産、6回の流産を含めて生涯になんと17回も妊娠したものの、一人の子も成人しないという不遇で、孤独な女王でした。
そのアン女王と幼少の頃から友人関係だった「サラ・チャーチル」。戦争を勧めるホイッグ党(後の自由党及び自由民主党の前身)に支持された夫のジョン・チャーチルをモールバラ公として授爵され、自身も女王の側近として強い影響力を持っていました。
そのサラの叔母の長女で、サラの斡旋で寝室係女官として宮廷で仕事することになった「アビゲイル」。アビゲイルは、戦争終結派のトーリー党の指導者ロバート・ハーレーと内通し、アンの夫カンバーランド公ジョージの侍従サミュエル・メイシャムと結婚して自分も権力を手にしていきます。
誇張は当然されていますが、作中の権力争いは史実どおりです。
最近は本作を始め、『スターリンの葬送狂騒曲』や『バイス』など政治風刺劇映画の勢いが良く、やはり世界中の大衆が政治家たちに冷めた目線をおくっている空気感を反映してのことなのでしょうかね。
ヨルゴス流は今回も冴えわたる
一方で本作は明らかに普通の政治風刺劇映画とは趣が違います。それはだいたい“ヨルゴス・ランティモス”監督の変態性のせいです(失礼なほど断言)。
一応、歴史的にはイングランドはフランスと戦争中で、戦争を継続するかしないか、戦争続行のための資金源として増税するかしないか…こうした論点で政治は真っ二つに揉めています。
でも作中のメインで描かれるアン女王を挟んだ「サラvsアビゲイル」の闘争はもはや政治なんてどうでもいい領域。サラは幼馴染であるアン女王の寵愛欲しさ、アビゲイルはもう一度華やかな世界に返り咲きたいという欲望…どちらも政治とは本質的に無関係なのですから、政治が背景を歩いているウサギ並みにどうでもよくなるのは必然。
まるで古代オリンピックの全裸で相手の骨を折る格闘戦のように、世間体も無視したガチ・バトルが作中で繰り広げられ、それが監督のあのセンスで表現されるので、たまったもんじゃない。
序盤、召使として雇われることになったアビゲイルが馬車で向かうシーン。いきなり男の自慰を見せられ、アビゲイルも観客も「なにこれ」気分で不快感MAXになるので、最初はアビゲイルに共感しながら鑑賞できなくもないです。ただ、アビゲイルの本性が徐々に発揮されるにつれ、観客はドン引き間違いなしでどうしたって距離ができます。
個人的な“お気に入り”シーンは、アビゲイルの男への対応。とくに外でメイシャムに驚かされるシーンの痛快さ。これが純愛邦画だったら「待て待て~」みたいなイチャイチャ展開ですが、そうはならないのが“ヨルゴス”流。メイシャムが近づくたびにアビゲイルが必ず打撃を的確に加えるのに笑ってしまいました。
監督の十八番、「無味乾燥なセックス」もやっぱり今作にあって、メイシャムと結婚し、いよいよ欲しいものを手にしたアビゲイルが初夜にやるアレ。もう性行為というか、性処理ですけど、いいですよね。いや、羨ましいっていう意味じゃないですよ(不必要な言い訳)。あの突き放しが“ヨルゴス”流で好きだなと。“エマ・ストーン”、怖いです。
対するサラもなかなかに凄まじく、最初は何気ない一言など言葉で有利に進めるアビゲイルがどんどん過激になって最後には完全にアウトラインを超える毒盛に出て、色々な意味で踏んだり蹴ったり(文字どおり傷だらけ)になるのですが、私はこういう不条理にボロボロになっても頑張る(綺麗な意味ではない)女性キャラが好きなんですよね。“レイチェル・ワイズ”、いい壊れっぷりでした。
しかし、一番良いところを持っていくのはやはりアン女王。演じた“オリヴィア・コールマン”は、本作で主演女優賞を各地でとるなど大変な高評価ですけど、納得。パワーキャラすぎます。これはベスト・アクトでしょう。
あなたもウサギです
他にも一定のリズムで響く耳障りなBGMや射撃シーンなど、“ヨルゴス”流が随所にちりばめられていて、最低最悪最高なのですが、極めつけはラストのウサギ演出。
作中ではウサギがすごく人間的な感情をキャラクターから引き出す要素として使われるので観客もちょっと安心しきったところで、最後にアレですよ。勝者となったと悦になるアビゲイルが一羽のウサギを踏みつけていくと、それを見たアン女王がアビゲイルを呼びつけ、脚を揉めと命令。アビゲイルの頭を押さえつけ、完全に服従の構図。まさに「お前もウサギなんだよ、忘れるな」と言わんばかりの権力者の力を見せつけたかたち。アン女王、アビゲイル、無数のウサギが、重なるようなエンディング画面も不気味で凶悪。
結局、勝ち負けなんてこの争いにはないんですよね。「お気に入り」にすぎないのですから。
ちなみに、本作の後の歴史を見ると、勝ち組に見えるアビゲイルの家系はその後に凋落。一方の負け組なサラの家系は、スペンサー=チャーチル家として存続し、マールバラ公家からはウィンストン・チャーチル(最近、映画になりましたね)、スペンサー伯家からはイギリス元王太子妃ダイアナを輩出。そういう意味では大逆転しています。本作の勝ち負けなんて些細なことなのです。
本作を観て「政治って嫌ね~」と傍観者気分な人もいるかもしれません。でもこの監督は政治批判で終わる人じゃありません。そもそも人間全部を動物みたいに扱い、醜悪に描くことに長けている人ですから。
本作のあのオチだって、政治家だけに向けられたものではなく、私たち全員が関係することでしょう。会社や家庭で立ち位置を求めて人に気に入られようとするのもそう。また、SNSでフォロワー集めに執心するのもそう。全部が「お気に入り」に過ぎないこと。それは愛でも尊敬でもなく、いつでも断ち切れる関係なのだと。そう切り捨てるような「THE FAVOURITE」という文字を映すキレのよいタイトル・エンドでした。
あの数ある映画の中でも最も見づらいエンドクレジットを眺めながら、気まずい気持ちを向ける矛先もなく、ただ座るだけの私。
“お気に入り”って良いものじゃないですね…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 63%
IMDb
7.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 Twentieth Century Fox
以上、『女王陛下のお気に入り』の感想でした。
The Favourite (2018) [Japanese Review] 『女王陛下のお気に入り』考察・評価レビュー