これを読めばあなたも美しくなれる!…映画『サブスタンス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス・フランス(2024年)
日本公開日:2025年5月16日
監督:コラリー・ファルジャ
セクハラ描写 交通事故描写(車) ゴア描写 性描写
さぶすたんす
『サブスタンス』物語 簡単紹介
『サブスタンス』感想(ネタバレなし)
美しくなれ! 観ろ!
「私の価値は私の体(body)に結びついていた」
2019年の回顧録『Inside Out』でそう過去のキャリアを振り返ったのは俳優の“デミ・ムーア”です。
“デミ・ムーア”の初期のキャリア作品は、『セント・エルモス・ファイアー』(1985年)、『きのうの夜は…』(1986年)、『ディスクロージャー』(1994年)、『素顔のままで』(1996年)などなど、その役柄は欲望の対象だったり、裸の演技が要求されたりするものだったからです。10代で性暴力を受けたと回想する“デミ・ムーア”にとって、プライベートも仕事も性のまとわりつく人生だったのかもしれません。
『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)、『ア・フュー・グッドメン』(1992年)、『幸福の条件』(1993年)と、ヒット作を連発していた時期は、“デミ・ムーア”のギャラの高さに一部のメディアは噛みつきましたが、実際は主演男性より低い額でした。
友人の“グウィネス・パルトロウ”は「彼女は、賃金と質の向上を求めて闘い、それを実現した最初の人物であり、その一方で、その反発にも真摯に向き合いました。私たちは皆、間違いなく彼女の恩恵を受けたのです」とその功績を讃えています(The New York Times)。
そんな“デミ・ムーア”は、当時の夫だった“ブルース・ウィリス”と離婚し、母の癌による死をきっかけに、2000年代は俳優業から遠ざかり始め、育児に専念。同時に、ストレスでアルコール依存に陥り、流産の苦しみが不妊治療を焦らせ、悪循環に沈んだそうです。
一方、2010年代は慈善活動に精力的に力を注ぎ、貧困・性的搾取・人身売買に対する組織を立ち上げ、グローバルに頑張ってもきました。
その“デミ・ムーア”が再び俳優の活躍で、賞のステージに上がるまでに脚光を浴びるとは…。しかも、こんな内容の映画で…。運命とはこのことかもしれないですね。
それが本作『サブスタンス』。
もともと“デミ・ムーア”を起用する前提ではなかったようですが、まるで“デミ・ムーア”が主演することが宿命づけられていたような主人公と物語であるこの映画。どんな内容かというと、50歳になって世間から忘れられた女優が“ある禁断の美容の手段”(substance abuse)に手をだす…というルッキズムとエイジズムを強烈に風刺したフェミニズム・スリラーです。
『バービー』なんかと大まかにはやろうとしているテーマは同じですが、『サブスタンス』はより直球で過激です。
日本の宣伝ポスターでは「かわいいが暴走して、阿鼻叫喚」というよくわからないキャッチコピーと素材しか使われていないですが(全体的に日本の配給は広報センスが壊滅的にダサい)、そんな誤魔化したプロモーションよりも、ハッキリと本作はボディホラーだと言い切ったほうがいいと思いますけどね。
そう、本作はホラー映画です。この2000年代で最も面白いホラー映画の新顔ですよ。
『サブスタンス』はアカデミー作品賞にノミネートされましたが、このノミネートにホラーのジャンルが到達したのは『ゲット・アウト』(2017年)以来です。
この『サブスタンス』を監督したのが、“コラリー・ファルジャ”というフランス人。2017年に『REVENGE リベンジ』という映画で長編映画監督デビューを果たしたのですが、その映画も凄まじく、私も衝撃を受けました。

“コラリー・ファルジャ”監督、小手先の暗示とかに頼らずにトラウマだろうがなんだろうが原液をドバドバと物語に流し込み、それを目が離せない視覚的演出とプロットの荒業で強引に引っ張っていく…そういう作家性が桁違いに異才を放っている人ですよね。
『サブスタンス』はあまりの強烈さにハリウッド大手はそのままでの配給を断念したほどで(結局、Mubiが配給しました)、忖度は一切しません。その切れ味が最高なのです。
一度観れば脳に刻まれる鮮烈な映画体験をぜひどうぞ。
『サブスタンス』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | グロテスクな残酷描写が多いほか、職場での女性差別的な抑圧、自傷や摂食障害を示唆するトラウマ描写があります。 |
キッズ | ヌードや性行為の描写があります。 |
『サブスタンス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
エリザベス・スパークルはかつては一世を風靡したハリウッドスター女優でした。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名が刻まれるほどで、当時は憧れのまとでした。
しかし、年月が経過し、誰もが「昔の女優」としてしか話題にしなくなり、忘れ去られていきました。
そのエリザベスが今もずっとやり続けていたのがエアロビクス番組です。ところが50歳の誕生日に収録を終え、それが最後だと知ります。女性トイレが使えずに仕方なく利用した男性トイレで聞いたのは、若くセクシーな俳優を求めているという業界の厳しい現実でした。その言葉を言い放ったのは、他でもないプロデューサーのハーヴェイで、その後の食事で突然解雇だと宣告されます。あまりにも気楽な態度で…。
エリザベスは心ここにあらずで車で帰宅中、自分の看板が撤去されるのに気を取られ、事故に遭います。一命は取り留めたものの病院でも失望を隠せないエリザベス。身体はズタボロ これではますます仕事なんて…。
そのとき、若いやけにハンサムな男性看護師が密かにあるUSBをエリザベスのポケットに忍ばせて渡してきます。
家でそのUSBを差し込み、再生。それは「サブスタンス」という闇市場の薬物の広告動画です。「より若く、より美しく、より完璧な」自分を手に入れることができると謳っています。なんでも使い捨ての活性化血清によって自分の別バージョンを作り上げるらしいです。
明らかに怪しいので最初は無視することにしますが、絶望しかない状況を痛感し、この「サブスタンス」にしがみつくことにします。かつての栄光のトロフィーを自宅で眺めるだけの日々はもう我慢の限界でした。ゴミ箱からUSBを回収し、掲載してあった電話番号に電話をかけます。
すると場所だけを指定され、「503」と書かれたカードが翌日に届きます。
その場所に行き、カードでシャッターを開けて、中に入ると、そこは薄汚い暗い建物。奥へ進むと急に綺麗な明るい白い部屋が現れ、そこにあったのはロッカーのみ。その「503」を開け、その中にあった箱を家に持ち帰り、開封します。
中には注射器。これをまずは打つだけのようです。
エリザベスは意を決して自宅で注射を打ちます。急に意識が朦朧とし、倒れ、呻くエリザベス。そして、背中がパックリと裂け、そこから出てきたのは若い女性でした。
目覚めると床で新しい身体になっています。傍には以前の自分が横たわっているだけ。
ここから彼女の次の人生が始まることに…。
お前らが創ったんだろ?

ここから『サブスタンス』のネタバレありの感想本文です。
『サブスタンス』はルッキズム(容姿による固定観念的な偏見や差別)とエイジズム(年齢による固定観念的な偏見や差別)を主題にしていますが、それ自体は珍しいテーマではありません。
ルッキズムとエイジズムの社会圧力が別の自分を生み出していく…というアプローチも、100年以上前に“オスカー・ワイルド”が『ドリアン・グレイの肖像』で独創的に表現してみせています。
このルッキズムとエイジズムは性別関係なく誰しも無縁ではないですし、どの時代でも個人を悩ませてきました。『サブスタンス』でも主人公のエリザベスに闇の血清「サブスタンス」を紹介する男性が実は利用者だと途中で判明するとおり、男も裏で常用しているのが描かれます(男性版の物語も観たくなる)。
しかし、本作は映像業界の男たちの眼差しをこれでもかと生々しく突きつけることで、芸能の世界に立つ女性がルッキズムとエイジズムに追い詰められていくジェンダー構造を明確に扱っています。それは無視しようのない本作の題材です。
そもそもあの“デニス・クエイド”演じるハーヴェイというキャラも、その名の由来はあからさまに悪名高い実在のプロデューサー…“ハーヴェイ・ワインスタイン”からとってますからね。
そしてハーヴェイが終盤のあの新年イベントで口にするように、若く性的で美しい女というのは「男の創造物」だと自慢げに豪語しています。「産みだす側」になりたい男どもの自己正当化の成れの果て…その結果で作られたシステムが女たちを苦しめています。
『哀れなるものたち』と同質で、『サブスタンス』は「男に女が作られる」ことの残酷さが描かれています。
『サブスタンス』はそうしたジェンダーの力関係の非対称が前提の寓話であり、決して「美に憑りつかれた女が愚かな自分の行いのせいで化け物になった自業自得の話」とかではありません。
“コラリー・ファルジャ”監督はフェミニズムを描くことに何の躊躇いもないのがいいですね。フェミニズムを描くのはダサいとも思っていない、むしろそれを最大限にクールに描ける。その才能が本当にいかんなく発揮されています。
前作『REVENGE リベンジ』は映画全体がそうでしたが、今作『サブスタンス』も終盤にかけて一気に復讐(リベンジ)が噴出します。
新年イベント会場でのあの大衆の絶叫パニックの凄惨なシーンは「いいか! モンスターだ、フリークだと言うが、“この私”を創りだしたのはお前らだからな!」という叫びです。こちらが植え付けられたトラウマを倍返しにするように、全てのその眼差しの持ち主に最悪のトラウマをぶちまけてやる…気持ちのいい鮮血でした。『REVENGE リベンジ』も同じだったけど、“コラリー・ファルジャ”監督、血まみれにするの好きだな…。
あの会場には諸悪の根源の業界幹部の男たちもしっかりいますし、一般の聴衆もまた同罪なので、等しく血まみれの刑になります。その中に小さい子もいるのが“コラリー・ファルジャ”監督流のユーモアだなと思いました。「あんな美しさに憧れてるとこうなるからね」という茶目っ気たっぷりなホラー式の教育ですよ。
みんなモンスター級に美しくなろう
テーマ的には新しくもない『サブスタンス』を圧倒的な個性で際立たせているのが、“コラリー・ファルジャ”監督の得意技である強烈な視覚的映像センスと風刺的プロットの配合です。
まず「THE SUBSTANCE」と書かれたUSBから全てが始まりますが、USBっていうのがそもそもいいですよね。今や古いデバイスで、どこか胡散臭い。絶妙なアイテムですよ。あのデザインのUSB、欲しいな…って思って調べたらちゃんと売ってました。
そのUSBにあった動画、そして送られてきた一式…そのどれもがやたらとシンプルで強烈な言葉が並んでいます。要はこの手の美容などの広告における業界の戦術そのものです。「美しくなれ! 若々しくあれ!」…そんな圧迫的なメッセージ。
そこからエリザベスからスーが生まれます。ここでのボディホラーの遠慮なしのグロさがまたジャンル的に最高ですね。あの瞳の中心の黒い点が2つになってから、眼球が2つに分裂するシーンだけで、惚れ惚れする…。冒頭の黄身と重ねる意地悪さもナイスです。
出産とはまた違う「女が何かを産みだす」恐怖というのが鮮烈に表されていました。
で、スーの視点になるわけですが、ここからは映像がフルパワーに。好戦的な音楽をガンガン慣らし、フェティシズム全開のエアロビクスを交え、広告みたいな映像づくりです。「PUMP IT UP」の曲といい、ここまで映像と音楽のシンクロで中毒性の高い代物を産みだせるとは…“コラリー・ファルジャ”監督が悪い品を売りつける広告業者の人じゃなくて良かった…。
一方でエリザベスのほうは対比的に悲痛な境遇が描かれるのですが、このエリザベス・パートは「エリザベスvsスー」の対決をとおして、いわば自分で自分を虐待してしまうという現象を風刺しています。
過食をスーの身体からチキンの足肉がゴロっと取り出せるというショッキングな描写で表現するのも斬新ですし、互いが互いを痛めつけていくのはまさに自傷行為そのもの。
そんな中、個人的にはエリザベスが偶然出会ったフレッドという同級生を思い出して、精一杯のオシャレで会いに行こうとするも挫けてしまうシーンが、本当に胸がはり裂けるほどに悲痛で刺さりました。あの「なんで自分は自分をこんなに愛せないんだ…」という自己嫌悪ね…。うん…自分を愛するって一番難しい…。ただでさえ、一度醜いと思ってしまった自分を愛するのは…。その「醜い」という評価は他人にかけられた呪いだとしても…。
最後は「Monstro Elisasue(怪物エリザスー)」への大変身。一旦、鏡の前でオシャレし直すのが可愛いですよね。
そんな彼女の身体はよくみると世間が「女性らしさ」とみなすものばかりがゴテゴテとくっついています。たぶん「女性の定義」に煩い連中の定義にも当てはまっている、これもこれで正真正銘の女性です。「どうだ? 女性だぞ? 女らしいよね?」と言わんばかりのモンスター級フェミニン。
ラストも皮肉たっぷりのオチで、『サブスタンス』を映画という注射で打たれた私も、終始クラクラのドロドロになりました。
あとは掃除をお願いします!
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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第77回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『ANORA アノーラ』(パルムドール)
・『憐れみの3章』(男優賞)
・『エミリア・ペレス』(女優賞)
作品ポスター・画像 (C)The Match Factory
以上、『サブスタンス』の感想でした。
The Substance (2024) [Japanese Review] 『サブスタンス』考察・評価レビュー
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