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「マノスフィア」や「インセル」とは? 危険なオンライン男性コミュニティを探る

「マノスフィア」や「インセル」とは? 危険なオンライン男性コミュニティの実態

「マノスフィア」「インセル」という言葉を聞いたことはありますか?

今回は「マノスフィア」や「インセル」について、簡単にですが、その意味を整理していきたいと思います。

※この記事は私が個人用に整理していたメモを多少構成を変えて修正して公開するものです。あまり専門性がなく、完全に網羅して整理もされていないのですが、それでもよければ読み進めてください。随時、内容を更新することがあります。

「マノスフィア」とは? その形態の種類

「マノスフィア」とは英語で「manosphere」と書きますが、「man(男性)」、接続詞「o」、そして「sphere(球体)」を組み合わせた言葉です。

ただ、語源だけみても何の意味なのかさっぱりわかりません。

一般的に辞書的な意味としては、マノスフィアは「女性蔑視と結び付けられる男性中心のオンライン・コミュニティ」と説明されることが多いです。

マノスフィアと言っても、一様ではなくさまざまな形態や種類があるのですが、だいたいに共通する特徴があります。主に以下のような特徴が挙げられます。

  1. 男性中心で成り立っている
  2. 有害な男らしさを推進している
  3. 女性蔑視(ミソジニー)や反“多様性”を内面化している

詳しくみていくと、まずマノスフィアは男性中心の構成で成り立っています。しかし、オンライン上での活動なので個々人の性別は明らかになりづらいです。女性も参加している場合がありますが、そういう女性はマノスフィアにとって「仲間となってくれる女」というお墨付きが与えられます。

「マノスフィア」の女性版もあるのですが、それについては別記事で整理することにします。

そしてマノスフィアは有害な男らしさ(トキシック・マスキュリニティ)」を推進しています。推進と言ってもどの程度を自覚的かは個人によります。「そもそも有害なんかではない。これは男に欠かせない“男らしさ”だ」という考えを前提にしていることが多いです。「有害な男らしさ」とは何かについては以下の記事を参考にしてください。

そのうえ、「フェミニズム」や「多様性(LGBTQなどを含む)」が(ときに“行き過ぎた”多様性/DEI/ポリコレなどと言い回される)、男性、ひいては社会全体が直面する問題の原因となっているという信念を持っており、アンチ・フェミニズム、またはアンチ・多様性の姿勢が根深いです。そのため、「このフェミニズムや多様性が推し進められる世界では“男性”こそが真の被害者(弱者)である」という立場をとります。この考え方によって、自分たちの言動は正当化される(別に差別ではない)と信じています。

被害者性を強調する点においては、日本語で言うところの「弱者男性」という言葉にニュアンスが似ています。

マノスフィアは特定の組織名を指すわけではありません。上記で挙げた思考でときに漫然と集団化したオンラインに存在するコミュニティです。「sphere(球体)」のとおり、同類の仲間たちだけで狭いオンライン空間に閉じこもることで、エコーチェンバー現象によって特定の思考がより増幅されています

ある話題をきっかけにバっと集まってきて集団化し、ほとぼりが冷めるとサっと解散していくこともあれば、政治家・学者・インフルエンサーのような影響力を持つ一部の男性を教祖のように崇めて群がり、支持者集団を持続することもあります。

では具体的なマノスフィアの形態や種類を以下に整理していきましょう。いくつかに分類することができます。

“男性の権利”活動家

マノスフィアの主要な形態となっているのが「“男性の権利”活動家」です。英語では「Male-Right Activist」の略で「MRA」と称されることもあります。

「“男性の権利”活動家」は「男性差別」を是正することを表面上は掲げています。

これは一見するともっともらしい“良きこと”のように思えますが、マノスフィアの「“男性の権利”活動家」は、フェミニズムや多様性が男性差別の原因である(フェミニズムや多様性のせいで男性は損をする)と考え、フェミニズムや多様性に対抗することが男性差別の解消をもたらすと考えています。

フェミニズムや多様性を推し進める社会が、男性の実存の危機をもたらしているという発想は、「女性のスペースを守る」ならぬ「男性のスペースを守る」といったところでしょうか。「女が何かを得るなら男にも与えるべきだ」という二項対立な考え方で、フェミニズムに対抗しようとします。

マノスフィアの「“男性の権利”活動家」は保守的なマスキュリズムとも言え、既存の男の在り方(男らしさ)の維持を「男性の権利」と表現しています。

フェミニズムや多様性が男性にとっても利益になり、有害な男らしさからの脱却という自由で多様な道を切り開く…というような考え方はしていません。

国連の組織である「UN Women」は、この“男性の権利”活動家による運動は、「反ジェンダー」や「ジェンダークリティカル」と並んで、反権利運動のひとつと分析しています。

“男性の権利”運動は、さらに過激な「男性優位主義/男性至上主義(Male supremacy)」へと発展することがあります。これは「男性とは女性よりも上位の存在であり、女性を支配する使命がある(男は女を所有するべき)」と考える思想ですSouthern Poverty Law Center。厳格なジェンダー役割に固執し、女性はあくまで生殖機能だけを担えばいいと考えます。「男性は女性よりも筋力が優れている」など生物学的な根拠が証明していると主張したりもします。

男性分離主義

お次は、英語圏ではネットスラングで「Men Going Their Own Way(MGTOW)」とも呼ばれるもので、これはいわゆる「男性分離主義」を指します。

フェミニズムや多様性によって現在の社会は見る影もなく腐敗してしまったと考え、この女性中心の社会を見放し、男たちは独自に分離するべきだと主張するものです。

MGTOWは、とくに男性は女性との結婚や真剣な恋愛関係・性関係を避けることを提唱しており、女のいない男だけの世界で生きて「男だけの新たな楽園を作ろう」というような考え方をしています。男の「独身」や「社会と繋がらないライフスタイル」をフェミニズムと距離を置いたクールな生き方として美化したりもします。起源にはリバタリアン的な政治イデオロギーが見受けられます。

「今の社会は根本的にミサンドリスト(男性蔑視主義者)であり、フェミニストの価値観に支配されている」という解釈に至った男たちは、その考えに辿り着いたことを「レッドピルを飲んだ」という言い回しで表現することがあります(元ネタは映画『マトリックス』です)。

元も子もない言い方をすると、「俺はモテないわけじゃない。社会に幻滅したから女と距離を置いているだけだ」という感じです。

PUA(モテ師)

MGTOWと真逆なのが、英語で「Pickup artist(PUA)」と呼ばれるもので、日本語でわかりやすく言うなら「モテ師」と表現されるかもしれません。

要するに「男が女にモテる方法を教える人」であり、そういうピックアップ・アーティスト(PUA)に群がる人たちを含めて「ピックアップ・コミュニティ」と呼びます。

PUAは、男性にとって異性を巧みに誘惑し、性的な成功を手にする(=恋人を得る、セックスを行う)ための術を伝授します。その具体的な方法は、個々のPUAしだいで千差万別ですが、誰もがやたらと自信満々に方法論を語ります。

別に「モテたい」という気持ちは何も悪いことではないですが、このマノスフィアのPUAは有害な男らしさを助長しています。

PUAの「モテる術」は女性蔑視的であり、ときに性的同意をいかに誤魔化して性行為をするか」「性的被害を訴えるような女性はそもそもハズレだ」「女は性的快楽さえ与えれば必ず喜ぶといった性暴力を示唆する助言をしたり、さらには特定の状況下でレイプを合法にするべきといった過激な主張を展開する者もいます。

インセル

マノスフィアの代表格的な存在がこの「インセル(incel)」です。

「incel」は「involuntary celibates」の略で、直訳すると「不本意の独身者」という意味になりますが、インセルは「独身」を意味するわけではありません。多くのインセルは女性の恋人がいた経験がなかったり、女性との性行為の経験がなかったりすることを強調しますが、人によっては恋人がいたり、女性との性行為の経験がとりあえずはあったり、既婚者だったりする場合もあります。

もともとは1997年にネット上で作られた言葉で、当時は「invcel」と綴っており、あくまで「社交性が低いなどの性質ゆえに他者と性的関係を持っていない人」を漠然と指すものでした。とくに女性蔑視との繋がりはありませんでした。

しかし、現代ではインセルはマノスフィアと深く関わる用語として認知されています。誤解されやすいですが、インセルという言葉は相手を揶揄する言葉ではなく、もともと当人がコミュニティ内で自称する際に使われています(「オタク」とかと同じ)。

インセルの特徴としては、恋愛や性的パートナーを望んでいるにもかかわらず見つけることができないことを強く自認し、それは社会のせいであると考え、その状況へと劣等感と憎悪を内在しています。インセルは自分がモテないのは、女性たちを独占するひと握りの男(「アルファ男性」と呼ぶ)と、そんなアルファ男性にしか夢中になろうとしない“イケメン贔屓”の女たちに原因があるとみなしています。その思考のもと、インセルは自分自身を被害者と捉えており、女性たちへの恨みを蓄積しています。インセルは「自分は社会の底辺にいる」と考え、その恨みを一方的に女性に向けやすいです。

インセルにしてみれば、「女とセックスできるか」が男にとっての何よりのステータスであり、より上級の女(つまり美女)と性体験ができるほど「男として充実している」と考え、「男には女とセックスする権利がある」と主張しています。インセルの価値観を覗くと、性的魅力やパートナーシップに関して「モテる・モテない」の非常に単純化した二極化された考えを絶対視していることがわかりますBBC

インセルは他のマノスフィアと比べると、漫画やアニメ、ゲームなどのオタク・カルチャーと結び付けられやすく、確かにそういうカルチャーのコミュニティにはインセルが目立つことがあります。

ちなみに、インセルにウケそうな作品を「Incelbait(インセルベイト)」と呼んだりもします。

トキシック・ファンダム

マノスフィアの形態・種類ではないのですが、部分的にマノスフィアと重なりやすいものとして「トキシック・ファンダム」が挙げられます。

「トキシック・ファンダム」というのは、ファンダム(何かしらの作品などのファン・コミュニティ)において人権侵害や犯罪などに繋がる有害な言動をとる人たちを指します。例えば、誹謗中傷、脅迫、デマ拡散、その他のオンライン・ハラスメントなどです。

マノスフィアと重なりやすいトキシック・ファンダムとしては、「行き過ぎたポリコレ(多様性)」などの主張で、作品にポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)が押し付けられていると言い張るパターンが定番です。そのポリコレのせいで(自分たちにとっての)作品が台無しになったと考えています。たいていは女性・有色人種・LGBTQなどの表象に文句をつけます。

もうひとつのパターンが、その作品を取り巻く女性ファンや、その作品に言及した女性批評家などの「周囲の女性」を攻撃するタイプです。

また、「フェミニズムが漫画やアニメのエロ表現を規制しようとしている」と主張するパターンもあり、こちらは「俺たちの好きなエロが奪われる!」という語り口といい、インセルとトキシック・ファンダムが合わさったような構造を持っています。彼らは性的な描写などの表現の自由を守っていると正当性を訴えますが、「フェミニズム」や「多様性」を敵視することが大前提にあります。これは陰謀論の定番であるいわゆる「置き換え理論(replacement theory)」の一種で、これは「既存の何かが“ある勢力”の画策によって別の何かに置き換わろうとしている」と主張するもので、このインセル版トキシック・ファンダムは「フェミニストがエロを非エロに置き換えようとしている」と陰謀論思考で決めつけています。


これらの上記のマノスフィアの形態や種類は、すべてが連帯しているとか限らず、ときにマノスフィア同士で対立し合っていることもあります。極右と接続しやすいと言われていますが、右派・左派・リベラル・保守など、幅広い政治的スペクトラムにまたがって存在し、「女性蔑視」(もしくは反フェミニズム・反多様性)の一点で一致団結している烏合の衆と言えます。“サイモン・ジェームズ”著の『The Male Complaint : The Manosphere and Misogyny Online』では、マノスフィアをネオリベラル的な集団と分析しています。

マノスフィアはどんな実害をもたらしているか

女性への攻撃

マノスフィアが最も攻撃のターゲットにしやすいのは「女性」です。

マノスフィアによるオンライン・ハラスメントは日常茶飯事で、ゲーム感覚で気軽に参加し、鬱憤を晴らすように楽しみます。とくにSNS上で何かしらの言動で目立った女性(もしくは関連組織)で、マノスフィアにとって気に入らない言動であれば(フェミニズム的な態度をとったなど)、火がついたようにたちまち攻撃は急増し、苛烈になります。

さらにオンラインを飛び越えて、ドメスティック・バイオレンス、性暴力などを肯定し、助長して、現実の女性に直接的な被害を与えてもいますMedia Matters。また、「女性の性暴力被害者のほうが悪い」など被害者バッシングを率先することも多いです。

摂食障害や自殺に関するフォーラムなどのウェブサイトで、搾取できる弱い立場にある女性や少女を探し出し、ターゲットにするケースもありますThe Guardian

日本だと、2022年から困窮する若い女性向けの支援団体に対して妨害行為が一部の人物を中心に激しく行われた事件Yahoo!、2025年にトイレに生理用品を置いてほしいと訴えた女性県議に殺害を予告するメールが8000件以上も届いた事件東京新聞など、マノスフィアは毎年何かしらをターゲットにしているのを観察できます。

そして大量殺人事件という最悪の事態も起きてもいます。象徴的だったのが、2014年5月23日にカリフォルニア大学サンタバーバラ校付近でナイフ、半自動拳銃、車を使用して6人を殺害、14人を負傷させた“エリオット・ロジャー”による事件。“エリオット・ロジャー”は「モテないことへの恨み」を犯行動機にしておりThe Verge、こうした背景の加害者が起こす社会を震撼させる重大事件は「インセル・テロリズム」と呼ばれたりもしています。

“エリオット・ロジャー”はマノスフィアのインセル・コミュニティで神格化されました。そして暴力は連鎖していきました。2018年4月23日、カナダのトロントで「インセルの反乱はすでに始まっている!」「至高の紳士エリオット・ロジャー万歳」とSNSに投稿した“アレック・ミナシアン”という男が、歩行者の群れにバンを突っ込み、10人を殺害しました。

この死傷者をだすような負の連鎖はなおも世界各地で続いています。

多様性への攻撃

マノスフィアは「女性」だけでなく、その中でも幅広い意味で多様な人たち、とくにマイノリティと呼ばれる属性を有する人たちを定番のレトリックを駆使して攻撃することもあります。

有色人種の女性(黒人やアジア系など)、LGBTQの女性(レズビアン女性やトランスジェンダー女性など)といった存在がターゲットにされやすいです。

そして何よりもマノスフィアは「多様性」に関する取り組みをとにかく嫌います。政治、企業、学校などさまざまな空間での多様性の取り組みを敵視し、排除しようとします。

その結果、マイノリティな人たちは、医療にアクセスできなくなったり、職業の機会が得られなくなったり、多くの危機に晒されています。

男性への害

忘れてはいけない重要なことですが、マノスフィアは他でもない「男性」にも甚大な害を与えています。

「有害な男らしさ」の男性への悪影響は、以下の記事でも説明したとおりです。

マノスフィアに染まれば染まるほど、男性は加害者になってしまいます。犯罪を起こせば人生を大きく損なうことになります。

しかし、マノスフィアのインフルエンサーは支持者が加害者になろうとも気にしません。あくまで捨て駒です。健康や生活を気遣ってくれるわけではないです。

それどころか、一部のマノスフィアの有力者たちは「男は鬱病にならない」といった誤った健康の主張をしていますMedia Matters。さらには、「男らしくなれる薬」など効果の疑わしいサプリやドラッグ、その他の商材などを言葉巧みに買わせようとし、男性たちの金銭を狙いますMedia Matters

マノスフィアの歴史

マノスフィアは1970年代から1980年代の男性解放運動に原点があると言われますが、2010年代に「インセル」という言葉が大量殺人事件の発生とともにメディアで取り上げられ始め、2020年代には「マノスフィア」という言葉として体系的に社会問題視されました。

しかし、もっとはるか昔からこのマノスフィアの源流は人類の社会の歴史に存在していました。

生物学的性別を解説した以下の記事でも触れたことがありますが、紀元前の“アリストテレス”の時代から、「女は男よりも劣っている」と学問的にみなされ、その前提が生物学を始めとするあらゆる学術分野に浸透していました

そもそも学問のコミュニティは男性中心であり、あらゆる分野を男性のレンズだけで議論し、女性は劣っているので排除されていました。これはマノスフィアと本質的には何も変わりません。

そう考えると、2000年代のマノスフィアの一部が心理学者の“ジョーダン・ピーターソン”といった「学者」の立ち位置を持つ男性たちから始まっているのも何も驚くことではありません。学問という存在自体が歴史的にマノスフィアなのです。

しかし、社会にさも当たり前のように存在してきた女性蔑視は、とりたてて危険視されてきませんでした。『Men Who Hate Women』の著者である“ローラ・ベイツ”は「女性蔑視と女性に対する暴力はあまりにも蔓延し、常態化してきたため、これらを『極端(extreme)』だとか『過激(radical)』だと捉えることから逃れ、異常とみなされてこなかった」と語っていますNPR。「ヘイトスピーチ」という概念がありますが国連、マノスフィアの言説はヘイトスピーチとすらもみなされず、「こういう言動をする男たちは昔からいるし…」と過小評価されてきたということです。

1989年12月6日、カナダのモントリオールの大学の教室に銃を振りかざした若い男“マルク・レピーヌ”が乱入し、男性学生を退室させ、女性学生に発砲する事件が起きました。廊下などでも乱射を続け、女性14人が死亡しました。発砲する前に「俺はフェミニストが嫌いだ!」と叫んでおり、その後に見つかった遺書でも「俺の人生を常に破滅させてきたフェミニストたちを、創造主のもとへ送ると決めた」と書かれていましたThe Guardian

ところが、この事件に対するメディアの反応は、これを「男が女を憎悪的に狙った殺人」とは捉えず、「加害者も“社会の犠牲者”である」というあまりに中身の無い雑な論評にとどめ、大きく問題視も対策もとりませんでした。

これ以外にも昔から実際はマノスフィア的な背景のある殺人事件は起こっていたと思いますが、たいていは「男女のいざこざ」といったかたちで片づけられてきただけかもしれません。

2010年代から2020年代、いくつかの夥しい死者を出す事件、そして“ドナルド・トランプ”などファシズムな政権誕生を支える原動力として可視化されたことで、ようやくマノスフィアは社会問題化しました。

2024年、イギリスでは英国警察長官会議にて、女性や少女に対する暴力が国内で「流行」レベルに達しており、「国家的緊急事態」であると位置づけられましたThe Week。国連でもマノスフィアは取り上げられる課題となりましたUN News

それはあまりに遅すぎたかもしれません。今やマノスフィアはインターネットと完全に融合し、SNSや動画ビジネスで収益化しながら、最も身近な存在になってしまったからです。

「Equimundo Center for Masculinities and Social Justice」の調査によれば、アメリカでは若者男性の約40%がマノスフィアに該当する女性蔑視なオンライン上のリソースを1つ以上は信頼している…との結果が出ていますTeen Vogue。学校や大学の教室では学生が平然と“アンドリュー・テイト”のようなマノスフィアのカリスマへの関心を口にしているのが現状ですAl Jazeera

ヘイトスピーチ監視団体の「Hope Not Hate」は、「マノスフィアの言説は、孤立したフォーラムから主流のプラットフォームへと浸透しつつあり、もはや“インターネットの闇の一角”という枠では片づけられなくなっている」と分析していますThe Guardian

個々のマノスフィアの染まった男性たちは自覚がないかもしれませんが、現在のマノスフィア現象は、ポーツマス大学のオンライン女性蔑視を専門とする“リサ・スギウラ”博士の指摘のとおり、「女性が社会において全く権利を持たず、父親、そして夫に完全に所有されていた時代に戻りたい」という後退的な目的を持った巨大なバックラッシュ運動の一部ですThe Guardian。そうした流れに同調する男性は想像以上に多いのでしょう。

マノスフィアに染まらずに男が生きるには…

今や誰にとってもマノスフィアは無縁ではありません。どこか遠くのカルト集団ではないのです。

スマホでSNSや動画サイトを開けば、そこにはマノスフィアの入り口が無数にあります。小学生の子どもでも簡単にマノスフィアに染まることができます。

マノスフィアは最初から過激さを全開にしているわけではありません。筋力トレーニング、ビデオゲーム実況、エンタメ解説、仮想通貨/投資などの儲け方法伝授…こうした一見すると無関係なコンテンツを表面上は醸し出しています。

でも誘い方はたいてい同じです。過激主義の研究をする”パシャ・ダシュトガード”助教授によれば、「本当は男性こそ危機に瀕しているのに、誰もそのことについて話していない」という語り口から始める…と指摘していますTeen Vogue。そうやって「確かにそうだな」と納得を重ね、関連アカウントをフォローし始め、ずぶずぶと抜けられなくなります。よりその人の人生に関心のあるテーマを糸口にされると誘導されやすく、お前の苦しみは全部“行き過ぎた”フェミニズムや多様性のせいなんだよ」「うちらの好きなアニメや漫画がフェミニズムや多様性のせいで台無しになっているぞとの囁きに共鳴していきます。

もしくは自己啓発疑似科学的な理論が“納得感”を作り出します。例えば「PSLスケール」なる男性の魅力をランクづけする概念が紹介されたりしますThe Guardian。「この時代における“男らしさ”について論じている」という体裁で「男性学」を標榜するマノスフィアもあります。「これは差別ではなく、学問的な議論なのだ」という立場をとることで女性蔑視の批判をかわし、ヘイト規制も回避できます。または、メンタルヘルスの場がマノスフィアの誘いの玄関になっている事例もあります。

マノスフィアのコミュニティにアクセスして染まっていくと、会話、口調、そして雰囲気が一変し、「あらゆる問題の責任は女性やフェミニスト、多様性のせいだ」と事あるごとに主張するようになりますTeen Vogue。マノスフィアが居場所になってしまい、そこからしか情報を摂取しなくなると、どうしようもなくなってきます。

マノスフィアは“迷える”男性の救済所ではなく、男性を壊滅させる危険な行き止まりです。

ではマノスフィアに陥ることなく、不安や苦悩を抱える男性はどうそれに対処すればいいのでしょうか。もしくはマノスフィアに一度染まった男性はどうやって脱出すればいいのでしょうか

「International Centre for the Prevention of Crime」の調査では、「共感的で、理解があり、偏見のないアプローチ」が最も効果的であるとまとめられていますTeen Vogue

男性がマノスフィアに染まらないように「ライフコーチング」をする人も現れていますThe Guardian。男性たちが感情的な苦痛や不満に対処できるよう支援し、怒りや不満を自己改善と自己責任という形で解消する代替案を提示しています。もちろんそんなサポートを掲げながらマノスフィアの入り口になっている…なんてこともあるので、そうした活動の評価として「マノスフィア対策をどう意識的に講じているか」がチェックポイントでしょう。

あらゆるレベルでマノスフィア対策のサポートを社会がいかに充実させるかが重要です。

「女性の恋人が欲しい / 性的快楽を満たしたい」という男性に、マノスフィア的ではない出会いの場や教養を提供できるか。包括的な性教育や、フェミニズムや多様性に関する適切な教育によって、それらを誤解することなく、正しく自己肯定的に内面化できるか。マノスフィア的な考え方に触れずに、映画やアニメなどのエンタメの楽しさを共有できる場を作れるか。そもそも他者との健全な関わり方を学ぶ機会をどう育むか。

また、マノスフィアを収益化させているIT企業にどう責任を負わせるか。

マノスフィアの中心で金儲けと名声を我が物顔にするような人は本当に酷い奴ですが、マノスフィアに染まってしまうのは別に愚かではありません。ネガティブな感情が他者に悪用されるのはよくあることです。マノスフィアから脱することはできます。いきなりは無理でも、少しずつ新しい道を見つけることは可能です。

あなたを本当に思いやってくれる居場所を見つけましょう。