再演が家族の現実を直視させる…映画『Four Daughters フォー・ドーターズ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス・チュニジア・ドイツ・サウジアラビア(2023年)
日本公開日:2025年3月14日
監督:カウテール・ベン・ハニア
児童虐待描写
ふぉーどーたーず
『Four Daughters フォー・ドーターズ』簡単紹介
『Four Daughters フォー・ドーターズ』感想(ネタバレなし)
家族に起きたあの出来事
2025年3月早々、チュニジアでは野党指導者を含む40人が国家安全保障に対する陰謀を企てたとして告発され、裁判が始まりました(AP News)。野党政治家のほか、ジャーナリスト、弁護士、人権活動家などが含まれており、場合によって死刑になる可能性もあります。
現在のチュニジアは“カイス・サイード”大統領を批判する言論の自由が失われており、人権団体は問題視しています。一方の大統領支持者は今の国の経済の失敗は「エリート」のせいであると主張し、この弾圧を正当化しています。どこか他の大国でも聞いたことがある論調ですね…。
アフリカ大陸の北部に位置するチュニジア。西には何倍も面積のあるアルジェリア、南東にはリビアと国境を接し、北と東は広々とした地中海に面しています。
たいていの日本人はチュニジアで起きていることなんて気にも留めないと思いますが、今回紹介するドキュメンタリー映画は、そのチュニジアのとある家族の身に起きた事態を掘り起こすもので、決して日本でも無縁ではないと思います。
それが本作『Four Daughters フォー・ドーターズ』。
これは日本の宣伝でもガッツリ書いているのでネタバレとか気にせずにここでも言及してしまいますが、本作はチュニジアのとある家族を取り上げていて、その家族にある出来事が起きました。その出来事とは、その家族の母の娘である4姉妹の一番上とそのひとつ下の15歳と16歳の少女がテロ行為を行うことで知られる「ISIL」に参加して家族から離れてしまった…という事件です。
「ISIL」は「ISIS」や「ダーイシュ」、「過激派組織IS」などとも呼ばれており、イスラム過激派テロ組織とみなされ、世界各地で非人道的行為を繰り返している集団です。「イスラム国」との呼び名もありますが、イスラム教徒への偏見に繋がるとしてその言葉の使用は批判もされています。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』はなぜその10代の娘が「ISIL」に惹かれていったのかという理由を探るドキュメンタリーなのですが、アプローチが変わっています。
普通ならその家族当事者に取材し、専門家の意見も交えながら、その事件を解説していくところですが、本作は家族当事者にその事件が起こるまでの家族の日常の一部始終を再現してもらうのです。家族当事者本人が演じることもあれば、プロの俳優に演じてもらう場合もあります。しかし、再現ドラマで終わることもなく、むしろその再現ドラマを作ろうとする過程の最中にいる家族当事者の心情を映すという、メイキング部分に核心があるような構成になっています。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』と同時期に評価されたドキュメンタリーに『The Mother of All Lies』という作品もあるのですけど、こちらも家族の過去と向き合う意図があって、しかしアプローチが違いました。『Four Daughters フォー・ドーターズ』の場合は再現ドラマを切り口にしているんですね。
このハイブリッドなドキュメンタリーを手がけたのは、同じくチュニジア出身で、2020年に『皮膚を売った男』で高く評価された“カウテール・ベン・ハニア”。
シニカルな抉り方で題材に攻めていくスタイルな“カウテール・ベン・ハニア”監督ですが、『Four Daughters フォー・ドーターズ』は「娘が過激なテロリストに!」と下手したらセンセーショナルに片づけられないテーマを、家庭内のジェンダーの抑圧や女性間の駆け引きも含めて丁寧に掬い取っており、“カウテール・ベン・ハニア”監督にしか作れないドキュメンタリーだったと思います。2017年には監督作『Beauty and the Dogs』でチュニジアにおける性暴力の根深さも描いていましたし、やはり母国チュニジアを扱うのは慣れていますね。
2025年に日本でもやっと一般劇場公開されたので、興味ある人はぜひ。
後半の感想ではドキュメンタリーを理解するうえで補足となるチュニジアの歴史にも触れています。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 母から子への暴力の描写があります。また、未成年への性暴力を示唆する語りが一部にあります。 |
キッズ | やや低年齢の子どもにはわかりにくい構成です。 |
『Four Daughters フォー・ドーターズ』感想/考察(ネタバレあり)
チュニジアの革命の複雑な歴史

ここから『Four Daughters フォー・ドーターズ』のネタバレありの感想本文です。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』は、チュニジアの歴史、とくに2010年から2011年にかけて起こった「ジャスミン革命」の以前と以後のチュニジア社会の変化を踏まえておかないと、なかなかしっくりこないと思います。
1957年に「チュニジア共和国」が成立し、“ハビーブ・ブルギーバ”大統領がその座についたのですが、長期政権への不満で1987年にクーデターが勃発。“ベン=アリー”大統領に政権交代します。しかし、この“ベン=アリー”大統領も長期政権化する中で民衆から批判を集め、反政府デモが起きます。最終的に政権は崩れ、“ベン=アリー”大統領は国外へ逃亡。
この一連のチュニジアでの政治変化は、他のアラブ諸国にも余波を与え、「アラブの春」と呼ばれましたが、成功したのはチュニジアだけでした。
この革命は民主化運動の一環とされ、表面上は「良いこと」のように思えますが、事態はそう単純ではありませんでした。
一般的にイスラム教圏の国は女性にヒジャブの着用を押し付けて、それゆえにヒジャブが女性差別の象徴となることが多かったでしたが、チュニジアでは事情が違いました。革命以前の“ハビーブ・ブルギーバ”政権も“ベン=アリー”政権も、チュニジアがほとんどイスラム教徒で占めているにもかかわらず、イスラム教の伝統的な習わしと距離をとり、女性のヒジャブ着用を制限していたのです。
そのため、政権批判的な女性も貢献した革命時期には「ヒジャブを着用する」ということがむしろ反体制の象徴になりました。
こうして革命後の新政権になると、今度はイスラム主義を強める政策を打ち出すようになり、現時点でチュニジアは穏健派のイスラム主義国家とみなされています。そして保守的なイスラム主義の規律に則り、今度は別の形で女性が抑圧されるようになっています。
つまり、チュニジアにとって革命は女性の解放をもたらしませんでした。保守的な体制が滅んでも、新たな別の保守的な体制が誕生しただけだったのです。
これは政権交代が社会構造の良き変化に繋がらないという非常に残酷な事例です。女性の「社会を変えたい」という熱望が、台頭した次の保守派の養分に利用される悲しい出来事です。
母から娘への呪い
『Four Daughters フォー・ドーターズ』は歴史学や地政学を語るドキュメンタリーではありません。このドキュメンタリーはそういうジャーナリズムやアカデミックな解説をしたいわけではないです。本作は「家族内」の権力と反抗を観察することで、おのずとチュニジアの社会が投影されているような、そんな構図を映し出してくれます。
再現に協力するのは、母親であるオルファ・ハムルーニ、そして下の妹の三女エヤ・シカウイと四女テイシール・シカウイ。ISILに参加してしまって刑務所にいるラフマ・シカウイとゴフラン・シカウイはいませんので、俳優が代わりに混ざります。
再現といっても実際の当時の年齢はもっと幼いです。今回の再現はリアルさを追求するものではありません。母と娘、本人と役者の対話を通して、真実、もしくは認識の食い違いを明らかにし、家族の人生を批評する…という効果を与えています。
この5人が揃うと、和んで穏やかなシーンもあれば、感極まって涙を流すシーンもあります。そして母であるオルファが娘たちに非常に厳しく(ときに暴力的に)女性らしくしろというジェンダーの抑圧を課していたことが嫌になるほど浮き上がってきます。それだけでなく性的加害などの実態も告白されます。
当然、これだけ閉塞的な家庭環境ですから、娘たち(とくに年齢が上のラフマとゴフラン)は反発します。それが当時の反体制の象徴であるイスラム主義への傾倒に繋がっていく…その変移がよくわかります。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』は母親の加害性が再現ドラマで突き付けられるので、再現ドラマによる罪の自覚という意味では、『アクト・オブ・キリング』を彷彿とさせますが、それとは似て非なるものだということにも注意が必要だと思います。
母であるオルファもまた自分の母から同じような目に遭い、それを自分の娘に繰り返しているからです。オルファはこれを「呪い」と表現していましたが、母親であることは母親を演じることでもあるというメタな視点ももたらしていました。
今作でオルファ本人はオルファを演じる俳優“ヘンド・サブリ”に指導とかもしているのですけど、それは「母とはこうするものだ(でも本当はしたくなかった)」という複雑な心情を露呈させてもいました。
ヒジャブにニカブで表情も読めない収監されたゴフランが幼い娘を連れている姿が最後に映りますが、この呪いは現在進行形で続いていることを示唆するエンディングです。
人はそれを「過激化」と言うけれど
『Four Daughters フォー・ドーターズ』は下手な感想だと安直に捉えられかねない物語です。「これは毒親の母のせいで娘の人生が狂わされたんだ」とか、「あの家族に問題があったからこうなったんだ」とか…。センセーショナルなレビューなんていくらでも書けます。
でもそうではなくて、これはあの家族だけの特異な出来事ではありません。チュニジアのあちこちでISILに参加する人たちが大勢います。
また、私たち非アラブ諸国の人間は、ISILを「世界を危機と混乱に陥らせる恐怖のテロリスト」という際立った存在のイメージでみなしがちですが、こういう家庭に居場所を失って非倫理的な集団に引き寄せられるのは日本だって珍しくないはずです。闇バイトみたいなものもそうでしょう。
本作は表面のストーリーだけでなく、その背後にある社会に目を向けることの重要性を伝えている作品だと思います。
とくに抑圧を受けやすい「女性」という属性を抱える当事者は、その呪縛から逃れるには、世間が「過激化」と称する状況に飛び込まないといけないことがあります。それは女性の本心ではなく、そうせざるを得ない選択の無さの問題です。その「過激化」が人権の向上に繋がるなら全然問題ないです。しかし、それを利用しようとする社会構造の歪みがあって、その「過激化」が皮肉な顛末を招くこともある…。
その結果、一部の女性は抑圧から解放されるために行動にでたのに、辿り着いたのは新たな抑圧の世界という、そんなやるせない状態に陥ります。チュニジアではそれがかなり国家スケールで起こってしまいました。
類似の話は大なり小なり他にもあるでしょう。例えば、家庭での女性抑圧を経験した女性が、社会の女性差別に反対する中で、トランスジェンダーに反発するようになり、いつしか保守的な極右に取り込まれていく。極右なんて女性差別の根城みたいなコミュニティなのに、そこに同調してしまう自己矛盾…。こんな日本でもみられる現象もこの『Four Daughters フォー・ドーターズ』とそう変わらないのではないでしょうか。
『ソフト/クワイエット』のような過激主義に染まってしまった女性たちを描く映画にも通じるものがありますね。
『Four Daughters フォー・ドーターズ』に映っていたあの母や娘たちと同じようなシチュエーションにいる女性たちは世界中でいくらでも存在しています。
「過激化」という言葉は簡単に使えますし、別に使ってはいけないとは思いませんけども、「過激化」という言葉の背後にある社会構造を見つめないといけないということをあらためてじっくり思い知らされるドキュメンタリーでした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023, TANIT FILMS, CINETELEFILMS, TWENTY TWENTY VISION, RED SEA FILM FESTIVAL FOUNDATION, ZDF, JOUR2FETE フォードーターズ
以上、『Four Daughters フォー・ドーターズ』の感想でした。
Four Daughters (2023) [Japanese Review] 『Four Daughters フォー・ドーターズ』考察・評価レビュー
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