私は美味しいパイを作れる女です…映画『ソフト/クワイエット』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年5月19日
監督:ベス・デ・アラウージョ
性暴力描写 人種差別描写
ソフト/クワイエット
そふとくわいえっと
『ソフト/クワイエット』あらすじ
『ソフト/クワイエット』感想(ネタバレなし)
差別主義は何気ない会話から
「差別主義」という言葉は主に「何かしらの対象を差別することに根差した立場を持つこと。もしくはその立場そのもの」を意味します。
どうしても「差別主義」と書くと妙に仰々しく見えるので、自分には全然関係ない話に思えてしまいますが、こうした差別主義は案外と身近にあります。
世の中には差別主義的な団体が無数に存在し、活動を続けています。それらの多くは特殊なものでもなく、とても平凡です。所属する人たちの多くも、会社員、個人事業主、主婦/主夫、学生など、どこにでもいるような顔触れです。まるで趣味の同好会のようなアットホームさで運営がされています。
そして差別主義的な団体に属している人たちの多くは、軽い世間話と仲間欲しさに集うことから始まります。「最近の多様性? あれってちょっと行き過ぎだよね~」「そうそう、私もそう思ってた」…そんな何気ないトーク。それは憂さ晴らしになり、なんだかスッキリした気持ちに浸れる。そうやって他人の目を気にせずに素で語り合える相手がいるのも嬉しい。まるで自分を肯定してくれたような居心地の良さ。これこそ私に必要なものかもしれない…。
そんなことを考えているうちに、その人は差別主義に全く無意識に全身を浸かっていきます。当然、自分は差別主義に染まったという自覚はないので、他者から「差別主義者だ!」とでも言われようものなら、さらに反発し、なおさら差別主義的なグループに依存していく…。負の連鎖です。
最近はリアルで存在する団体ではなく、オンライン上のグループで気軽にこうした“輪”を形成できてしまうので、本当にいともたやすく差別主義に触れることができます。その入り口はそこかしこにあるのです。
これらの差別主義的な団体の人たちは「語り合っているだけ」「議論しているだけ」と自分たちの行動を捉えています。でもそれは本当に些細なことでエスカレートし、取り返しのつかない事態へと発展する…そうしたことが世界中で起きています。ヘイトクライムはまさしくそれです。
今回紹介する映画はそんな差別主義という底なし沼を自ら作って自分でハマっていった結果、破滅を引き寄せてしまう…そんな加害者側の主観視点で描いたスリラー作品です。
それが本作『ソフト/クワイエット』。
この映画の何よりの特徴は、長回し風に撮られていること。ある差別的なグループに集った白人女性たちがあれよあれよという間にエスカレートして最悪の事件を引き起こす姿を生々しく没入的に映し出しています。被害者視点でも第3者視点でもなく、加害者視点というのも重要です。
あのハリウッド・ホラーの量産の名手である“ジェイソン・ブラム”がこの映画を観て、脳裏にこびりついて離れなくなり、思わず配給権を買ってしまったというほどで、確かに実際に観るとこれは最悪な意味で忘れられなくなるなと納得…。
このとてつもないショッキングなスリラーを監督したのが、本作で長編映画監督デビューとなる“ベス・デ・アラウージョ”。母親は中国系アメリカ人で、父親はブラジル出身だという“ベス・デ・アラウージョ”監督ですが、キャリアの船出でいきなりとんでもないものを送り出してきましたね。これはかなり注目の監督になるんじゃないかな。
そういう点でも『ソフト/クワイエット』は必見の映画とオススメしたいのですが、いかんせん本作は暴力描写が非常にリアルで苛烈でもあって…。確実に鑑賞前に警告は必要なやつですね…(なお、私のこのサイトでは感想記事の冒頭〈製作国や公開日が書いてあるところ〉にトリガーアラートを表示していますので参考にしてください)。
あとこれだけはどうしても言っておきたいので書きますが、本作の日本のレーティング、「G(年齢問わず視聴可)」なのですけど、やっぱり映倫さん、これおかしいと思いますよ。レーティングの本来の役目を全然果たせていないですよ(ちなみに本作はアメリカではR指定。イギリスでもR18指定)。
これだけ現実で死傷者をだして多発するヘイトクライムを生々しく描いている映画なのに、レーティング区分がこうなってしまうというのは、やっぱり審査者の人たちが、ヘイトクライムというものを全然身近に感じたことのない人間だからなんだろうか…。
それを考えても暗澹とした気持ちになる…。映画を観る前からこんなんじゃ…ね…。
『ソフト/クワイエット』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ショッキングだけど |
友人 | :内容に同意あれば |
恋人 | :デートには不向き |
キッズ | :子どもには不向き |
『ソフト/クワイエット』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):私には言いたいことがある
とあるトイレ。エミリーは慌てて妊娠検査薬を取り出し、急いで結果を確認します。そして涙を浮かべ苦しそうに声をこらえます。
しかし、すぐに服装を整え、何事も無かったかのように表情を落ち着かせ、トイレを出ます。その横をトイレ清掃の人が通り、エミリーはその人にチラっと目線を向けます。
その後、近くにいたリュックを背負う少年の傍により、ブライアンと声をかけます。本を見せていると、その横をゴロゴロとまたあの清掃員が通り過ぎます。
その子の母が来て、感謝され、「良い母になれる」と言われます。エミリーは一瞬のやや沈黙ののち、「ありがとう」と普通の顔を取り繕って返事します。
そしてアルミホイルで覆った皿を抱えて歩きだします。歩きながらある人に電話もしますが、繋ぐことはできません。
その途中、ひとりの女性が通りかかります。キムを探しているそうで、名前はレスリー。偶然にその人はエミリーがこれから行く、そして主催者でもある会合に参加予定でした。
並んで歩き、教会に到着。談話室に行くと、部屋には他にも女性たちがすでに集まっていました。全員で6名です。クッキーやドーナツなど並べて和やかなムード。
エミリーも持ってきたパイを取り出します。それにはナチスのハーケンクロイツの切れ目が入っています。そのパイを何事も無く切り分けていく一同。
まもなくエミリーはゆっくりと熱心に語りだします。自分の日頃思っていること、感じていること…。後ろの窓近くにホワイトボードには「アーリア人団結をめざす娘たち」と今回の会合の団体名が書かれています。
促されてマージョリーも語りだします。不満、悔しさ、怒り…それを静かに淡々と。みんなは同調しながら熱心に耳を傾け、話終えると「共有してくれてありがとう」とエミリーは述べます。
アリス、ジェス、キム、レスリーと次々と自分の想いを語り、エミリーも感極まってきます。
そんなとき、この教会の牧師が入り口近くまで来て、「出ていってほしい」と言ってきます。
しょうがないので解散することにし、エミリーはまだ付き合う時間のあるレスリー、キム、マージョリーを自宅に招待することにします。
途中、キムの店に寄り、ワインなどを手に取って買い物します。
そのとき、アジア系のアンとリリーの2人が来店し、キムはわざと閉店中だと言って追い出そうとします。しかし、何か突き動かされたエミリーは「最も高いワインを買え」とその2人に脅すように言い張り、加えてドアの前でマージョリーが立ちはだかり、もみ合いに発展。キムが銃を突き出して追い出すことになります。
ところが店を出たリリーはガラス越しにエミリーの兄がレイプの罪で服役中だと罵り、エミリーは酷く動揺します。
ちょうどそのタイミングで、エミリーの夫のクレイグが帰ってきて、エミリーをなだめます。
周囲のあの女性たちは「あの姉妹の家に行って荒らしてやろう」と乗り気です。そしてそのノリのまま行動にでますが…。
まるで潜入取材のようなリアリティ
ここから『ソフト/クワイエット』のネタバレありの感想本文です。
ヘイトクライムを題材にする際、幽霊とか怪物とかでメタファーとして置き換えるという手法はホラーやスリラーのジャンルではよく用いられますが、この『ソフト/クワイエット』はそんな希釈を一切せずに原液をそのままぶちまけるような…そういう映画です。
そういうことをすると、どうしても昨今の指摘されがちなトラウマありきで訴求する作品になりかねないのですが、本作はエンターテインメント寄りに傾くことはなく、むしろ一種のモキュメンタリー的なジャーナリズム性を有しているくらいにリアリティがあるので、そこのところは上手くバランスをとっているのではないでしょうか。
実際、この『ソフト/クワイエット』は全編長回し風の臨場感ゆえに、まるで観客自身もその場にいるような、潜入取材っぽさがあります。そしてこれは「あなたは加害者の仲間ですか? 傍観者ですか?」という、ひとつの問いを突きつけるものでもあるでしょう。
本作で描かれるおぞましい憎悪と暴力はどれも誇張されたものではないというのも重要です。全てが現実で起きている風景のサンプリングであり、どこかの誰かがまさにこれと同じ経験をしているのです。
そもそも“ベス・デ・アラウージョ”監督いわく、本作のインスピレーションの元となったのは、2020年にニューヨークのセントラルパークで起きた“ある事件”でした。これはその公園でひとりのアフリカ系男性がバードウォッチングをしていたところ、エイミー・クーパーという白人女性が犬をリードに繋げずに散歩している姿を見かけ、「リードをつけてください」と注意しました。ところがその注意された白人女性はその場で「黒人に脅されている」と警察に通報したのです。この一件は動画で撮影されており、その動画は瞬く間にアメリカで注目され、人種差別の典型的な事例として話題になりました。
そのセントラルパークの事件は差別主義のほんのひと欠片が覗いただけにすぎません。その加害女性だって一面的な部分しか見えません。一方、この『ソフト/クワイエット』はもっと見せてきます。嫌というほどに…。
女子会のノリで…
前半はエミリー主催の会合から始まります。そこでナチスの鉤十字が刻まれたパイが映像に映ったとき、私たち観客は何よりもギョっとしますが、参加者はいたってスルー。ここで「この会合は何か決定的に倫理観がおかしいんだな」と示されるわけですが…。
その会合では本当に他愛もない打ち明け話のようなかたちで進行します。「移民の人が私より成功した」「レイシストだとか簡単に決めつけてきて…」「“All Lives Matter”だよね」「性別は男と女だけだろう」…そういういわば愚痴です。当人たちの気分では自分のぼやきを呟いているのですが、その全てにおいて自分の苦しさや辛さを「構造的に弱い立場にいる側」に責任転嫁し、捌け口に使っているのがわかります。
そんな言葉が「女子会」的な空気の中で行われることで、あのエミリーたちはそれがヘイトスピーチであるという自覚をすることもなく、罪悪感なんて微塵も抱く隙もありません。
こういうふうに女性たちが主体となっている差別主義団体というのは別に珍しくもなく、例えば「マムズ・フォー・リバティ(Moms for Liberty)」という有名な極右ヘイトグループは、子どもを守ることを名目に「LGBT」や「ワクチン」や「移民政策」に反対している“母親”で構成されています。
そのやりとりの中で、OKサイン(ホワイトパワーを示す白人至上主義者のサインとして用いられる)やナチス式敬礼が、とてもカジュアルに、それもおふざけ感覚で、もしくは交流の延長として利用されている…。
そしてキムの店で展開される、アジア系のアンとリリーに対するあのエミリーたちの行為は、学校でよくみるようなイジメの光景そのものでもあります。ここのシーンはすごく象徴的で、本来はアンとリリーが被害者のはずですが、エミリーたちの中では「自分こそが被害者である」と、認知の反転が起きる瞬間を撮らえています。
そのままアンとリリーの家を荒らしに行く際も、「高校生に戻ったみたいだ!」とテンションをあげており、あのエミリーたちの中で自らの行いがどう正当化されているのかが如実にわかりますね。
エミリーの中にある苦悩
後半は、不法侵入から監禁暴行、殺人へと最悪の結末へ怒涛のごとく転落していく『ソフト/クワイエット』。
本作は、加害者側を単に悪魔的に描くのではなく、とくに主人公として描かれるエミリーは非常に人間的葛藤が垣間見えるのが、もうひとつの注目点でもありました。
エミリーはいわゆる「カレン」(白人特権を無自覚に振るう中流階級の白人女性を指すスラング)と呼ばれるキャラクター性ですが、もうちょっと別の言い方をすると「Tradlife」という言葉に合致します。これは、夫を主体とする家庭を何よりも大事にし、古きライフスタイルをあらためてSNS時代の現代に広めようとする生き方のことで、そうした信念で活動する主婦は「Tradwife」と呼ばれます(The Guardian)。
なお、本作のタイトルはこうした「Tradwife」の人たちは、基本的に「ソフトでクワイエット(物腰柔らかで静か)」な女性だから…というのが由来だそうです。
まさにエミリーは「Tradwife」に根差しており、会合でも男性を支えることの喜びを感情いっぱいに語ります。この会合を主催したのだって、自分で何かそうしたライフスタイルを広めることに寄与したいという想いがあったからでしょう。
しかし、表面的には「自分は理想を生きている」と自信に満ち溢れてみせるエミリーですが、冒頭の妊娠検査薬のシーンでの狼狽具合からわかるように、どうやらエミリーの中では現実では全くそのとおりになれていない自分に強い焦りと不安を抱えているようです。そしてその苦悩をあの会合では打ち明けていません(それどころか自分で自分に呪いをかけている)。
そう考えるとあの夫のクレイグも一見すると良識的な男性に思えますが、エミリーの真の苦悩に寄り添えていないあたり、やはりクレイグもまた「ソフトでクワイエットな家父長制の体現者」なのでしょうね。
そのエミリーもアンとリリーにはあれだけ強気でモノが言えます。逆に言うとそれ以外の人、とくに男性には何もモノが言えておらず、教会でも男性に中止を求められ素直に従いますし、夫にもすがりつくことしかできません。作中では描写されませんが、きっと性暴力の罪で服役している兄にもエミリーはたじたじでモノが言えなかったのだろうと推察できます。
そして終盤の最悪な事態。ラストの車内でレスリーと口論するのですが、そこでもレスリーに「ごめんなさい」と呟くしかできず…。結局、女性同士でも“力”でねじ伏せられてしまう(他の多くの加害女性の間で協調が乱れ始めるあたり、ドラマ『ミセス・アメリカ 時代に挑んだ女たち』を思い出す)。
たぶんエミリーは人生においてずっとこの状態に苦しみ続けてきたのでしょう。エミリーにこそフェミニズムなど健全な連帯やケアが必要だったはず。でもエミリーは差別と憎悪を選んでしまった…。
救われなかったエミリーの物語としても本作は印象深いものでしたね。
ということでシチュエーション・スリラーでありながら、リアルなヘイトクライムを誤魔化すことなくハッキリ映し出し、それでいてその構造も細部まで捉える…『ソフト/クワイエット』は映像的なショッキングさに目を奪われがちになりますが、実は繊細で丁寧な映画でもあったと思います。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 86% Audience 43%
IMDb
6.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 BLUMHOUSE PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved. ソフトクワイエット
以上、『ソフト/クワイエット』の感想でした。
Soft & Quiet (2022) [Japanese Review] 『ソフト/クワイエット』考察・評価レビュー