チュニジアからのアカデミー国際長編映画賞ノミネート作…映画『皮膚を売った男』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:チュニジア・フランス・ベルギー・スウェーデン・ドイツ・カタール・サウジアラビア(2020年)
日本公開日:2021年11月12日
監督:カウテール・ベン・ハニア
皮膚を売った男
ひふをうったおとこ
『皮膚を売った男』あらすじ
止むに止まれぬ事情があって内戦の続くシリアから脱出し、難民となったサムは、偶然に出会った現代アートの巨匠から驚くべき提案を受ける。それは、サム自身がアート作品になるという信じがたいものだった。大金と自由を手に入れる代わりに背中にタトゥーを施し、批評家も注目する「アート作品」となったサムは、高額で取引される身となる。売買され国境を越えたサムは、やがて愛しい恋人に会いに行くのだが…。
『皮膚を売った男』感想(ネタバレなし)
チュニジアからの異色の映画
私が子どもの頃、「人体の不思議展」に一度だけ連れていってもらったことがありました。知っているでしょうか、「人体の不思議展」。本物の人間の死体を特別な樹脂加工をほどこして展示するもので、まるで皮膚だけ透明になったかのように筋肉や臓器が生々しく観察でき、それがいろいろな日常的なポーズをとっていたりするというものです。一見するとリアルな人体標本みたいですが、紛れもなく実物の死体であり、かなり衝撃的な光景ではあります。
「人体の不思議展」は一時期は話題になって日本でも多くの来場者も集めたのですが、現在、この「人体の不思議展」は続々と事実上の中止となっています。その理由は人権問題。というのもこの展示の目玉である死体が何かしらの倫理的に問題がある経緯で入手された疑いがあり、世界中で批判にさらされたからです。主催団体側も納得のいく透明性のある説明はできておらず、展示物は明け透けなのに、その出自はベールに包まれたままなのでした。
でも明らかに倫理的・道徳的に問題があっても人はそれで儲けようとして、そして人は好奇心で見に行ってしまう。この「人体の不思議展」は、人間が人間をモノ扱いするおぞましさを浮き彫りにしましたし、この企画自体が意図せず人間の本性を暴いたとも言えるかもしれません。
今回紹介する映画もそんな出来事と通じるものがあると思います。その映画のタイトルは『皮膚を売った男』。
なかなかに衝撃的な題名の映画ですが、臓器売買みたいに皮膚を剥ぎ取って売り歩いているとか、そういうのではないです。『私が、生きる肌』みたいに人工皮膚で別人になり替わるわけでもなく…。
本作は、中東のシリア(正式には「シリア・アラブ共和国」)からやってきた難民のひとりの男が、ひょんなことから著名な芸術家の提案で自分の背中にアートをほどこされることになり、その結果、自分自身がアート作品として世界を渡り歩くことになる…という奇抜なストーリーです。アート作品になったことで大金と自由を手に入れるのですが、それは最高の幸せなのか、それともぬか喜びで終わるのか、そんな人間風刺と社会風刺が痛烈に観客の体に突き刺さる映画ですね。
『皮膚を売った男』はチュニジアの映画であり、監督もチュニジア出身の“カウテール・ベン・ハニア”。2010年に『Imams go to School』というドキュメンタリーを製作し、2013年に『Le Challat de Tunis』で長編劇映画監督デビュー。2017年には監督作『Beauty and the Dogs』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品し、キャリアを一気に駆け上がっています。私は“カウテール・ベン・ハニア”監督作を観たことがなかったので、『皮膚を売った男』で初体験。
“カウテール・ベン・ハニア”監督としてもこの『皮膚を売った男』はキャリア史上最大の注目作になったようで、米アカデミー国際長編映画賞にノミネートされましたし、ベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で男優賞を受賞したり、間違いなく今作の話題は次作への高みに繋がるでしょうね。
主人公を演じるのは、本作で俳優として本格的に初めて長編の主役を飾った“ヤヤ・マヘイニ”。もとは弁護士をしていたそうです。また、その主人公の恋人の役で出演するのは、舞台俳優で活躍していて本作が初の映画となった“ディア・リアン”。他には、『アンノウン・ボディーズ』の“ケーン・デ・ボーウ”、『007 スペクター』の“モニカ・ベルッチ”など。
本作は撮影も印象的でかなり記憶に残る凝ったカットも多いのですが、その撮影を手がけたのは『存在のない子供たち』でも撮影を担ったレバノン出身の“クリストファー・アウン”。
『皮膚を売った男』は奇抜さだけでない、批評性をしっかり兼ね備えた作品ですし、アート好きでよく美術館とかに行く人にも観てほしい映画です。
予告動画は物語のオチに関わるネタバレが多いので、あまり観ないことをオススメします。
オススメ度のチェック
ひとり | :シネフィルな人に |
友人 | :芸術好き同士で |
恋人 | :ロマンス要素あり |
キッズ | :大人のドラマです |
『皮膚を売った男』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ザ・タトゥー・マン
真っ白な室内。白い手袋はめて慎重に美術品を運ぶ者たち。その作業をじっと見つめながら展示に指示を出す男。その男の前の壁に慎重に飾られたのは、額縁に入った絵。しかし、よく見るとそれは普通の絵とは違います。その材質は紙ではなく、まるで人間の皮膚のようで…。
2011年、シリア。上半身裸の男たちは狭い小部屋に押し込まれます。その中にサム・アリはいました。なぜこうなったのか。それは些細な理由でした。
列車に乗っていたときのこと。サムはずっと恋焦がれている女性であるアビールと、通路を挟み、距離をあけて座ります。アビールは少し感情を抑えつつもそれでも「愛している」と言ってくれました。その子尾t場を聞いたサムは「結婚しよう」とすぐさまプロポーズ。サムは興奮して列車内で愛を報告。
「私たちは自由だ!」
列車の車両内のみんなが手拍子で祝ってくれて…。
しかし、その騒ぎは当局に知られることになってしまい、サムは拘束されます。サムの口走った「自由」という単語は反体制的な匂わせだと思われ、高圧的な取り調べを受けます。このままでは最悪の事態もあり得る。サムは逃げ出すことにしました。
なんとか愛する女性のアビールのもとに戻ったのですが、すでにアビールは親の決めた相手と結婚しており、裕福な生活を送っていました。アビールはサムのことをクラスメイトと夫に伝え、もうあの時のように愛を語り合えない事実をサムは思い知ります。
1年後。レバノンのベイルートに身を潜めていたサム。生活は貧しく、仕事は退屈です。ある日、サムは富裕層の人たちが集まるアート会場に紛れ込みます。そこに女性が話しかけてきました。ソラヤというその女は自分が難民だと知っているようで、その発言に不快感を感じてサムは立ち去るものの、今度は男が追いかけてきて一緒に飲もうといってきます。
その男は世界的に有名なアーティストのジェフリー・ゴドフロウでした。「きみは難民なのか?」と聞かれ、そういうレッテルは不愉快ながらも全く異なる者同士で会話は続きます。なぜこのジェフリーは自分なんかと話すのか…。
そして驚くべき提案をジェフリーはしてきました。サムの背中にアートを描き、サム自身を作品にしたいというのです。しかも、これで大金が手に入り、国を自由に移動もできるとか。さすがに危なそうな話なのでその場で承諾はできません。
けれどもサムはテレビ通話でアビールと会話したときに、自由に旅行できる仕事を手に入れたと思わず口走ってしまい、結局、サムはジェフリーに連絡することにしてしまいます。
こうしてソラヤと契約を交わし、サムは自分の背中の皮膚に彩色をほどこされ、ジェフリーの「新作」としてアートになりました。
生活は一変します。おカネに困ることはありません。余裕が生まれ、アビールに電話をかけてみるのですが、なぜかなかなかでてくれません。やっとテレビ通話ができたと思ったら、暗い顔をしているアビール何があったのかと疑っていると、画面に夫がでてきました。バレたのです。
アビールとの幸せな生活を手に入れる未来は崩れました。すっかり心は荒れるサム。一体何のためにアートになるという決断をしたのか。ソラヤになだめられるも空虚な気持ちに変わりはないです。
今のサムにできるのは、喋ることは許されず、ただ展示場で座っているだけ…。
実在するアートだった
『皮膚を売った男』は見てのとおりアート業界を題材にしており、そのアート業界の偽善的というか、独善的な体質を白日の下に晒す風刺を見せてきます。同様のスタイルだと『ザ・スクエア 思いやりの聖域』などと同じですね。
私はアート業界に全く疎いので、こういう「皮膚(というか背中)にアートを描いて展示する」というのがどれほどイレギュラーなのか、そのあたりの感覚もよくわかりません。人間を展示することはあると思うのですけど、それはあくまで代替え可能なスタッフのようなものであり、アートと一体化した文字どおり人間自体をアート作品として扱ってしまう事例はさすがに珍しいのかな。
この『皮膚を売った男』はエキセントリックな物語でアート業界を誇張して実態を描いているように思えますが、実はモデルになったアートが本当にあるんですね。それがベルギーのアーティストである“ヴィム・デルボア”の「Tim」という作品で、実際に人間にタトゥーを彫ってアート作品として扱い、作中のようにオークションでコレクターに売却されたのだとか。映画のとおり、そのアート作品となった人物の死後はその背中の実物をアート作品として提供する契約を結んでいるらしく、映画もフィクションとして片づけられないです。
この“ヴィム・デルボア”という芸術家はもともと物議を醸す創作性で有名で、自分の排泄物の画像でアートを作ったり、豚にタトゥーを入れてアートにしたりと、かなりの攻め方。ゆえに豚の件では裁判で違法となってしまい、今は中国に移住して活動しているようです。
ちなみに“ヴィム・デルボア”自身もこの『皮膚を売った男』に出演していますし、豚のアートを意識した美術品も登場していましたね。
作中のサムの場合、背にタトゥーとして描かれたのは「シェンゲン・ビザ」というもので、これはシェンゲン協定が適用されるヨーロッパの諸国の領域であれば、国境検査無しで自由の出入りできるビザであり、難民・移民ならば誰でも欲しくなるような最高の代物。「アートになれば難民でも自由に移動できる」という皮肉を表す手段としては確かにわからないでもない。
こうやって振り返ると、本作は多少の独自性はあるも、そのアートの実在性もあってか、ほぼ現実で起きていることを少し脚色した程度の作品に思えてきます。
メフィストフェレスは語りかける
『皮膚を売った男』の主人公の視点で物語を観てみると、本作の冒頭はとても幸せな雰囲気に包まれています。列車内での愛の告白。祝福が2人を包み込む。ある種の理想をここで映し出しています。
しかし、一気に画面は現実へ。自由を束縛し、規範で支配し、排除する。その世界の絶望を経験して、居場所を失ったサムの目の前に現れるのはジェフリーです。
ここでサムとジェフリーの全く正反対の2人の会話が印象的。何でも望みを叶えてくれそうな口ぶりのジェフリーに、サムは「ランプの魔人のジーニーなのか?」と聞いているのですが、それに対してジェフリーは「私はメフィストフェレスだ」と答えます。
メフィストフェレスはファウスト伝説などに登場する悪魔であり、望みを叶える代わりにその魂をもらうという実に悪魔らしいことをする存在です。
つまり、ここで一肌脱ぐどころではない、まさしく肌をくれというとんでもない要求をしているジェフリーですが、自分ではこれは悪魔並みの所業だと自覚があるんですね。
その後の欲望に誘惑されたサムの顛末は想像どおりなのですが、ラストだけがちょっと違っており、ここに本作の捻りがあります。
終盤、アート作品になることに嫌気が差したように見えるサムはオークション会場で騒動を起こし、そのまま収監。でもアビールの助けで脱出し、シリアに向かいます。ところが過激派武装グループに囚われ、射殺される映像が世界に流れることになり…。
悪魔に身体を売った者の末路なのかと思ったら、ラストはジェフリーとサムの計画が明かされ…。
この展開を見ると、少なくとも“カウテール・ベン・ハニア”監督はアートに対するひとつの希望を残すような映画にしているのがわかります。アートはなんであれ上手く利用したほうが勝ちであるという本質。本当の意味での自由はアートになることではなく、何者でもない者になることなのか。
バーバリズムとも言える反文化的な作品ながら最後はその裏をかく。この『皮膚を売った男』という映画自体があのアートの延長線にあるようなものですね。
表現の自由や芸術の自由がどこまで冒涜的な行為を許されるのかはわかりませんが…。
とりあえず私は自分の皮膚は売らないので、悪魔もアーティストも話かけてこないでください。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 73%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2020 – TANIT FILMS – CINETELEFILMS – TWENTY TWENTY VISION – KWASSA FILMS – LAIKA FILM & TELEVISION – METAFORA PRODUCTIONS – FILM I VAST – ISTIQLAL FILMS – A.R.T – VOO & BE TV
以上、『皮膚を売った男』の感想でした。
The Man Who Sold His Skin (2020) [Japanese Review] 『皮膚を売った男』考察・評価レビュー