国岡鐡造に憧れるも良し、反面教師にするも良し…映画『海賊とよばれた男』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:日本(2016年)
日本公開日:2016年12月10日
監督:山崎貴
かいぞくとよばれたおとこ
『海賊とよばれた男』物語 簡単紹介
『海賊とよばれた男』感想(ネタバレなし)
山崎貴監督の才能
“山崎貴”監督は現在の日本で最も成功している真っ最中の映画監督のひとりです。
その作家性は非常にわかりやすく、大きく2つに分かれます。
ひとつは「VFX」。もともと特撮の仕事を志して映画業界に足を踏み込んだだけあり、映像面へのこだわりは人一倍。そんな彼が入社したのはVFXなら日本一番の会社に成長した「白組」。最近だと実写映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』や『シン・ゴジラ』を「白組」が手がけているので、「この作品、CGが凄いな」と思ったら、スタッフクレジットで「白組」の名前を探してみてください。“山崎貴”監督としてデビューしてからも、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』や『寄生獣/寄生獣 完結編』などVFXが光る作品を多数世に送り出しています。
そしてもうひとつが「ノスタルジー」。『ALWAYS 三丁目』シリーズや『STAND BY ME ドラえもん』など日本が昔から(といっても主に近代ですが)内包していた情緒や人情を想起させることを売りにした作品がほんとに目立ちます。いわゆる“泣ける”感動作として話題になりやすいタイプであり、『ALWAYS 三丁目』シリーズも『STAND BY ME ドラえもん』も爆発的にヒットしたのはまだまだ記憶に残っているところです。
VFXという新しい要素とノスタルジーという古い要素は一見すると相いれないように思えますが、そこをミックスさせる才能があるのが“山崎貴”監督。だから、幅広い世代に受け止められやすい作品が生まれるのではないでしょうか。しかし、ある事情で一部の人から拒絶されやすい監督でもあるのが問題点で…。その事情は後半に書くとして。
そんな“山崎貴”監督の2016年作品が本作『海賊とよばれた男』です。
主演は“岡田准一”ということで、同じタッグを組んだ『永遠の0』を思わせます。『海賊とよばれた男』自体は『永遠の0』ほどの特大ヒットをしなかったみたいですが、それは若干地味だからなのかな…。VFX:2割、ノスタルジー:8割くらいのバランスでいつもの“山崎貴”監督節が満載なのですが、ちょっと男臭過ぎましたね。ただ、“山崎貴”監督過去作と比べてさらに輪をかけて人を選ぶ映画になっているので、“山崎貴”監督作が苦手な人はもちろん、あんまり合わないなと思う人がいてもおかしくないでしょう。
でも雑な映画ではないですし、役者人の名演も光っていますから、楽しめる人は楽しいはずです。
『海賊とよばれた男』感想(ネタバレあり)
目立つVFXと控えめなVFX
“山崎貴”監督十八番のVFXですが、本作『海賊とよばれた男』では割り合いは少ないものの、随所にVFXを駆使した映像が見られました。でも、個人的には上手くハマっているかというと、そうでもない気も…。
例えば、冒頭の東京大空襲で落下する焼夷弾を追尾するカメラワークとか、後半の日承丸の船員たちの視線の先に海上に横たわる沈没船を映すシーンとか。なんというか「どうだ」と言わんばかりのVFXの使い方で、ややダサい…。あれかな、マイケル・ベイを目指しているのかな?
笑っちゃうのが、日承丸がイギリス海軍フリゲート艦とギリギリですれ違う場面。完全に『バトルシップ』でした。
個人的に良かったと思うVFXもあって、旧海軍備蓄タンクにてタンク底に降りて作業する場面。あそこは一部はセットで周囲は全部グリーンバック撮影なんですね。こういう控えめなVFXは大変よろしいと思います。こういうのだけで良かったのだけどな…。
ノスタルジーはリアルだけど
“山崎貴”監督作品が一部の人から拒絶されやすいある事情、そのひとつがリアリティーの欠如です。
もちろん本作『海賊とよばれた男』も当時の時代感をある程度は再現できています。というか、優れたVFXがあるのだから、リアリティー表現なんて得意分野なはず。でも、“山崎貴”監督はVFXを使って忠実にリアルにするよりも、フィクション的空間のリアル化の方が好きなんでしょうね。例えば、『ALWAYS 三丁目』シリーズもそうでしたが、“山崎貴”監督がリアルにしているのはノスタルジーであって、当時の時代全てを完全再現してはいません。
本作でも「リアルじゃなさ」は個人的に気になるところがあって、それは戦中・戦後の日本の姿が妙に漂白されているというか、美化されていること。確かに空襲で焼けた瓦礫や、“染谷将太”演じる長谷部喜雄が死亡するシーンなど、戦争の傷跡や暴力を感じさせる場面はありますが、ほとんどはびっくりするくらい綺麗です。帰還兵なんかは、みんなピンピンしてて、あんな楽し気に帰ってくるのも変だし、暗い要素がとにかく薄い。これでは、冒頭で空襲シーンを入れても、戦争なんて大したことがなかったみたいです。
製作陣が「山崎組アベンジャーズ」と称している、国岡鐡造とその仲間たちを演じた俳優たちも、リアルという点では変です。年齢のミスマッチはもちろんですが、キャラクター感が強すぎて、その時代に生きている人という感じはしませんでした。
“山崎貴”監督も商業的キャスティングをあっさり許しちゃうのはもったいないし、いろいろな圧力があるにせよ、せめてその違和感を帳消しにする腕が欲しかったところです。
自己批判が足りんのよ!自己批判が!
私が本作『海賊とよばれた男』で一番強烈に合わなさを感じるのがドラマ、とくに自己批判の無さです。
本作の主人公・国岡鐡造の仕事論は簡単に言ってしまえば「根性論」といえます。「熱が足りんのよ!熱が!」というセリフのとおり、とにかくアツい。どんな苦難にぶち当たっても、熱量で勝負!という感じです。歌って仕事している光景とか、もはや昔のディズニーかと言わんばかりのファンタジーでした。
この考え方を受け入れるかどうかは人の好みですから、まあ、いいのです。でも、よく考えてみると、この精神こそ戦時中の日本が戦争を始めて原爆が投下されるまで突き進んだ諸悪の根源でもあるわけで。本作で描かれる戦後の姿はそのまま戦時中のノリなんですね。軍歌を歌うように社歌を歌って仕事し、戦後も変わらず敵国アメリカ・イギリスに鼻息荒くして挑みかかる…映画はこれをそのまま描くだけ。
戦争の中で仕事に無心する男の話といえば、宮崎駿監督の『風立ちぬ』がありました。あれは仕事への無我夢中な姿勢という一種の狂気ともとれるものの負の側面をしっかり描いており、宮崎駿監督の自身の仕事論への自己批判的な言及にもなっていました。
ところが、本作には自己批判的な客観視は全くない。むしろ、全面的に良しとするのです。
イランと取引するという強引な博打に出ようとする国岡鐡造を「第2第3の長谷を生み出すんですか」と止めようとする仲間に「黙っておけ」とビンタするぐらいですからね。ある意味、危険な戦場に行かせているのに、万歳三唱して楽し気に戦地に行く仲間たちの姿は…これで良かったのでしょうか。
アバダン(アーバーダーン)の人たちが手を振って嬉しそうに迎えてくれるのはまだOKですよ。ただ、「俺たちはヒーロー」と言わせちゃうのは…なんか…ね。別に日章丸事件をポジティブに描くのはいいんですが、ここまであっけらかんと「良い事してるでしょう」とドヤ顔なのはどうなんですか。
極論的には本作をプロパガンダ的と捉える人がいるのも無理ないでしょう。現代だからこそできるもっと多面的な視点を用意することはできなかったものかと思います。
国岡鐡造のモデルになった出光佐三が亡くなった1981年から10年後の1991年、バブル景気は消し飛び日本の経済は低迷し続けました。本作で描かれる“国岡鐡造”的精神は確かに日本を成長させましたが、それは現代では通用しません。現代の日本を成長させる新しい精神を持った人物が映画化されるのはいつになるのでしょうか。それこそ真に強い日本を提示し、国民を元気づける映画になると思うのですが…。
ROTTEN TOMATOES
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作品ポスター・画像 (C)2016「海賊とよばれた男」製作委員会 (C)百田尚樹/講談社 海賊と呼ばれた男
以上、『海賊とよばれた男』の感想でした。
『海賊とよばれた男』考察・評価レビュー