まずNetflixは役に立たないので…「Netflix」映画『ザ・ラストハウス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2026年)
日本では劇場未公開:2026年にNetflixで配信
監督:ルイ・レテリエ
動物虐待描写(ペット) 自然災害描写(水害)
ざらすとはうす

『ザ・ラストハウス』物語 簡単紹介
『ザ・ラストハウス』感想(ネタバレなし)
あなたの家の備えは?
2026年は日本の熊本県で真夏に最大震度7の大地震が起き、被災地では長引く断水で、40℃近い暑さの中、過酷な避難生活を強いられてる人々が続出しました。あらためて災害時の備えを考えないといけないなと痛感します。
とくに家に生活用水となる水をどこまで用意するべきか。給水支援を期待するにしても、じゅうぶんな量とは言い難いでしょうし、事前に自分で雨水なんかを貯水するべきなのか…。
やっぱりいざ被災した瞬間というのは他にいろいろ考えることが押し寄せるものですし、パニックになります。あらかじめ予行練習のつもりで貯水を意識するのは大事です。普段自分がどれくらいの水を何に使用しているのかの把握にもなります。
そんなことを頭でぐるぐる考える日々を最近は考えていたら、やけにタイムリーな映画が「Netflix(ネットフリックス)」からやってきました。
それが本作『ザ・ラストハウス』。
本作はどういうわけか我が家から一歩も出られないシチュエーションに陥った家族を描くサバイバル・スリラーです。玄関のドアも窓も開かず、壊すこともできません。ネタバレを避けつつ、軽く触れると、これは超常現象モノです。
なのでホラーのジャンルであり、リアルな自然災害を描いているわけではありません。
ただ、状況としては被災時の家庭環境を想起しないわけにはいきませんね。英語圏だとコロナ禍に言及するレビューがたくさん見られましたが、災害大国の日本の視聴者はごく最近の被災生活と重ねたくなるでしょう。
家にあるものだけでどうやって最低限の生活を送れるのか。身近なもので水や食料を新しく用意できるか。不安に飲み込まれずに家族でメンタルを保つにはどうすればいいのか。
作中で起きることは、現実の被災時の葛藤とそれほど変わらないでしょう。
展開としてはかなりシリアスなことにもなります。
一方で、この『ザ・ラストハウス』、最終的に相当に荒唐無稽なジャンルにも首を突っ込んでいくので、あまり真面目に観るタイプの映画でもない…とも忠告しておかないといけません。私はこの荒唐無稽さ、嫌いじゃないですけどね。
『ザ・ラストハウス』を監督したのは、フランス出身で『トランスポーター』、『インクレディブル・ハルク』、『タイタンの戦い』、『グランド・イリュージョン』、『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』など多くのジャンル映画を手がけ慣れている“ルイ・レテリエ”。
脚本は『ラブ&モンスターズ』の“マシュー・ロビンソン”です。
俳優陣は、『シークレット・エージェント』の“ヴァグネル・モウラ”と、『トロン:アレス』の“グレタ・リー”が、夫婦を演じています。アメリカ映画ですが、西欧系の白人は全然メインではでてこない作品ですね。
『ザ・ラストハウス』を家で鑑賞した後は、ぜひ災害の備えの確認を。
『ザ・ラストハウス』を観る前のQ&A
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Q『ザ・ラストハウス』は日本ではいつどこで配信されていますか?
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A
「Netflix」でオリジナル映画として2026年8月7日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 水害を想起させる描写があります。また、犬を安楽死させるシーンがあります。 |
| キッズ | やや怖いシーンがあります。 |
『ザ・ラストハウス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
朝方、桟橋で釣りをしていたジェイソンは嵐の接近に気づき、我が家のある住宅地に車で戻ります。そうこうしているうちに雨も降ってきました。
いつものように家のドアの閉め、家の中へ。雨に濡れたドアの水滴が不自然な動きをしているのには気づきません。
ジェイソンは職を失っており、税金も滞納気味。それでも家族と楽しく過ごしていました。妻のアン、息子のグレアム、幼い娘のルース、そして愛犬のキャス。揃って食事です。
外に遊びに行こうと準備しますが、グレアムとルースが「ドアが開かない」と揉めています。ジェイソンは裏口にもまわりますが、そちらも開きません。車庫の戸も開かず、家中の窓もびくともしません。
明らかにおかしいです。アンは接着剤か何かでイタズラしたのではないかと疑いますが、そういう次元ではありませんでした。なぜか電波も繋がらず、インターネットは不通です。電話もスマートフォンも役に立ちません。
ジェイソンは窓を叩き割ろうとしますが、まるで強化ガラスのようにヒビが入るだけ。粉々にはなりません。
そのとき、向かいの家がライトで合図を送っていました。どうやらあちらの家も同じ状況のようです。外でランニングをしていた人も、家に入れず、どこかへ助けを呼びに行ってしまいます。どの家も室内に閉じ込められて困惑している住人が窓から見えました。名前を知っているご近所の人もいれば、よく知らない人もいます。
途方に暮れる一同。向かいの家と文字で会話して、情報共有します。もしかしたらこれは想像以上に広い範囲で起こっているのかもしれません。
何も改善しないまま、夜を迎え、夕食をとり、就寝します。ジェイソンは子どもの前では冷静にしていましたが、子どもが寝静まった後、アンにだけクローゼットに隠していた銃をみせます。いざというときに使う可能性もあるので、念のために教えておきます。
いまだに雨が降り続ける中、無力感に苛まれますが…。

ここから『ザ・ラストハウス』のネタバレありの感想本文です。
家から出させてくれ! あ、どうぞ…
さっそくですが『ザ・ラストハウス』のオチ。『クワイエット・プレイス』と同類のモンスターパニックでした。突如として異形の怪物が襲来して人間社会を一変させ、人類は隠れ潜む生活を余儀なくされる…というやつです。
今回のモンスターの正体は謎のままです。最初は地球外生命体(エイリアン)という憶測もありましたが、海水との結びつき、そしてあのタコみたいな触手のある見た目といい、どうやら地球の深海に人知れずに暮らしていた存在なのかもしれません。だから水を操って、人間の家々を封鎖する力もあったのか…(どっちにしろ、なんでそんなことをしたんだという疑問は消えませんが…)。
つまり、これ、『アクアマン』案件ですね。どおりで普通の人間には手に負えないわけです。
しかし、最終的にルースの訴えで、あの触手モンスターとコミュニケーションがとれ、なんか襲ってくるのをやめてもらうこともできましたし…。なんだよ、話の理解できる隣人じゃないか…。
作中で「エイリアン」という言葉をわざとらしく提示して、「そうじゃない」と取り下げ、融和の道を示すあたり、移民排除問題と重ね合わせたかったのかもしれませんが、だいぶとってつけた感じは否めないかな…。
終盤に水没した家で想像以上のアクション展開が勃発するのはさすが“ルイ・レテリエ”監督でしたね。ちゃんと車を利用したアクションになっていたし…。あそこまで釣りにこだわってアクションを盛り込むこだわりはもはや笑ってしまうけど…。
このモンスター要素はさておき、家に閉じ込められるシチュエーション・スリラーにおいてもツッコミどころの多い隙だらけの物語ではありました。
これは誰もが思うところでしょうけど、「あの煙突からルースが手をだせるなら、頑張れば外に出れるのでは?」という根本的な解決提案は作中で検討はされません。煙突が壊れそうで危ないにしても、そのわりにはずっと動物釣りのために煙突を利用し続けても煙突は平気そうですし…。
水のバリアがズレたから、地下の下水管が通れる…という展開も、観ているこっちとしては頭の中が「?」だらけでしたよ。あの家族の誰も「なんで?」って詳細を追求しないし…。
まあ、そもそもこの映画の「家から出れない」設定自体がだいぶいい加減なので、ここはどうしようもないのでしょうけどもね。
きっとあの触手モンスターもうっかりさんなんだよ…。もしくは「え? そんなに徹底して外に出れないような処理はしてないけど? 逆になんで今までもっと早く外に出なかったの? 出ればいいのに…」って思ってるかもしれない…。
日常を諦めた先に…家はどう変わる?
そういう荒唐無稽さゆえのツッコミどころはそれくらいにして、『ザ・ラストハウス』の前半を占めるサバイバルの大半は、被災した家族の葛藤をリアルに垣間見ることができるものだったと思います。
最初はいつもどおりの日常を送ろうとします。くだらないお喋りをして、映画を観て、クリスマスを祝って…そういう平凡さ。傍から見れば、異変の真っ只中なのに現実逃避しているだけに思えてしまうかもしれません。
でもこういう日常を送ろうと努めることこそ、実のところ、メンタルケアには非常に欠かせないものであり、これが何よりもサバイバルなんですよね。
本作ではあの家族が「日常を諦める」という瞬間がついに訪れる転換点を映像におさえています。
それは飢えというどんな人間も抗えない生存の危機に始まり、苦しむ愛犬を死なせるしかなくなったとき、その愛犬を食用にするという選択肢が浮上するまさにそのシーンで決定的になります。人は自分が「飢えている」とは認めたくないものですけど(自分の人間性に関わることだから)、もはやそれを認識しないといけないときが来てしまった…。
自分の家の冷蔵庫や棚に何の食料もないことを突きつけられ、子どもたちですらもその認識に辿り着き、グレアムも自らのペットの魚をさばいてみせる…。そしてダメ押しで停電というインフラの死滅が起き…。
この中盤の壮絶さと静かな悟りは、全体的に荒唐無稽な本作の中でも特異なほどに現実の残酷さと対峙する生々しい空気がありました。
そこからの数年の歳月を経ての家族の適応変化は、少々出来すぎなくらいなので(もはや被災者ではない)、ここでまた荒唐無稽さに戻ってしまうのですけど、まあ、演出としてはわからなくもないです。
とくにあくまで日常の空間であるべきとして頑なに扱ってきた「家」が、食料を育成する箱庭と化すという非日常は、なかなか映画的な転換です。もうこの世界では税金に悩むこともないし、食べ物の好き嫌いでイラつくこともない…。それはある意味では幸せなことなのかもしれないという境地。
実際、ここまでの境地に達する人はそうそういないと思いますけども、何か失って初めて気づけるものがあるという価値観はわかる気もします。というか、現在の人間の情けない在り様をみていると、私たち人類はここまで追い込まれないと「気づかない」生き物なんじゃないかと思いたくもなる。そういう悲観と希望が入り乱れるラストではありました。
よし、私も家庭菜園の勉強くらいはしておこうかな…。まあ、地震のデマ情報しか流れてこないSNSを眺めるよりは、よっぽど意義のある知恵が得られるだろうしね…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ザ・ラストハウス』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Netflix ラスト・ハウス
The Last House (2026) [Japanese Review] 『ザ・ラストハウス』考察・評価レビュー
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